洛陽夜曲

じわり、と京司の額を伝う汗が、室内の重苦しい空気を物語っていた。
鈴華の言葉を疑うわけではない。ただ、
目の前の現実があまりに早く回りすぎて、思考の歯車が追いつかないのだ。


「……山城の身は、本当に安全なんか?」


「六穣会の支配下の、中国系の闇医者です。九条組の威光を以てしても、
そう簡単には抉り出せぬ場所です」

「そうか……。だが、なぜ君の耳にそんな話が届く。
山城と面識があるんか?」

「山城補佐の古参の友人が、私の知る人物でして。
私の耳まで届いたに過ぎません」

山城の身の安全の知らせに、京司の胸を焦がしていた焦燥が、
凪いだ海のように引いていくのを感じた。
彼は胸ポケットから手慣れた手つきで煙草を抜き出し、
ライターの火を滑らせる。
小さな焔が彼の顔に陰影を深く刻み、紫煙が夜の闇へと溶けていった。
煙の向こうを見つめながら、京司は低く、吐き出すように呟く。


「俺や山城の耳には絶対に入れられんような歪みが、
九条組の底で始まりつつある、いうわけか……」


立ち上る紫煙の淡い揺らめきに、京司はハッと我に返った。


「すまん。この車、禁煙やったか?」


車内に満ちゆく不調法な煙をあわてて遮ろうとする彼に、


「構いませんよ」

鈴華が応える。その唇から零れたのは、凍てついた空気を溶かすような、
フッと柔らかい微笑みだった。
いつから、彼女のこんな表情を見ていなかっただろう。
久方ぶりに向けられたその温もりに、限界まで張り詰め、
凝り固まっていた京司の神経が、ほどけるように和らいでいく。

彼はもう一度煙草を深く吸い込み、肺を満たす紫煙の苦味とともに、胸に染み渡る確かな心地よさを噛み締めていた。

 紫煙が車内の澱んだ空気に溶けては消え、
沈黙だけが重く二人を支配していた。その張り詰めた糸を断ち切ったのは、
京司の唇から零れ落ちた、自嘲を孕んだ呟きだった。


「あんなひどい別れ方したんに、わざわざ知らせに赴いてくれたんかいな」


鈴華の唇から、かすかな溜息とともに苦い笑みがこぼれ落ちた。
フロントガラスの向こう、遠ざかる夜景を見つめたまま、
彼女はぽつりと呟く。


「……貴方の身に危険が及ぶかもしれない。そう思った瞬間、
理屈よりも先に、身体が動いていました。
気がつけば…京都へ向けて車を走らせていたんです」


鈴華の紡ぐ言葉は、まるで肉体を冷たく締め上げる鎖のように、
京司の胸の奥深くへと食い込んでいった。
己の身勝手な都合で、一方的に彼女を突き放し、
置き去りにしてしまったという厳然たる事実――その罪の烙印が、
容赦なく彼の心を抉り、苛む。


「俺は……君にそないなふうに想ってもらう資格なんぞあらへんわ」


苦渋を噛み締めるように、一語一語を血を吐く思いで絞り出す京司。
その痛切な告白が、静まり返った空間に零れ落ちた。