君に一生分の休みを。

(……生きている、のか?)
久我宗介は、ふっと意識の底から浮上した。
先ほどまで肺を焼き、思考を塗り潰していた毒の熱も、背を貫いていた矢の激痛も、嘘のように消え失せている。それどころか、こびり付いていた死の気配さえ、今はどこか遠い。
ゆっくりと目を開けると、最初に見えたのは、雨に濡れた木の葉と――自分を見下ろす一人の女の顔だった。
自分の後頭部には、柔らかく温かな感触がある。膝枕だ。
「……あ。……お気づき、になられましたか?」
泥だらけの、見たこともない奇妙な黒い服を着た女。
彼女は今にも泣き出しそうな、けれど心底安堵したような顔で、久我を見つめていた。
「……君は、一体……」
掠れた声で、それだけを口にする。
だが、女は自分の正体を明かすよりも先に、震える声で気遣いを漏らした。
「お身体……大丈夫、ですか……? どこか、まだ、痛むところは……ありませんか……?」
「…………」
その瞳に宿っているのは、偽りのない献身だった。
彼女は凍える指先で久我の頬に触れようとして、ハッとしたように手を引いた。
「……あ、……すみません、不躾に。手が、冷たいですよね。……でも、よかった。本当によかった……」
「答えてくれ。君は、何をしたんだ。私の毒も、傷も……跡形もない」
久我が問い詰めようと上半身を起こしかけた時、女の肩からふっと力が抜けた。
そのまま糸が切れたように、彼女の身体がゆっくりと久我の胸へと倒れ込む。
「おっと……! 君、身体が氷のようじゃないか」
慌ててその肩を支えた久我の腕の中で、彼女は小さく口角を上げた。
「……ふふ。……私……仕事……やり遂げ、ました、よね……」
満足げに、そして少し眠そうにそう呟くと、彼女はそのまま久我の腕の中で、穏やかな寝息を立て始めた。
激しい雨が、静まり返った戦場を叩き続けている。
久我は、己の腕の中で急速に体温を失っていく「得体の知れない女性」を凝視した。
致命傷だったはずの自分の体には、今や傷跡一つ残っていない。代わりに、この女性はまるで自分の熱をすべて分け与えたかのように、凍りつくほどに冷たくなっている。
(……仕事、だって? この凄惨な戦場で、見ず知らずの私を救うのが君の仕事だというのか)
戦場で数多の策略を巡らせ、盤面を支配してきた軍師の脳が、かつてないほどの混乱に陥る。
目の前で起きたことは、医術でも呪術でも説明がつかない。だが、論理よりも先に、彼女をこのままにしてはおけないという「教師」としての本能が優先された。
「……やれやれ、困ったな。これほど大きな貸しを作らされては、放っておくわけにもいかないじゃないか」
久我は、羽のように軽い彼女の体を、壊さないよう優しく、けれどしっかりと抱き上げた。
「風邪をひいてしまうな。……家へ帰ろう」
彼は雨に打たれる彼女を自分の衣で包み込むと、教え子たちの待つ寺子屋へ向けて、静かに走り出した。