ミコトが入ってきた事に気がついてはいるのだろうが、依然ここの部屋主は漆黒に輝くグランドピアノに向かいあったままだ。


顔すらこちらに向けようとしない。


「お疲れ、どうだった?」


涼しい顔をして相変わらず手元に視線を落としたまま尋ねられる。


「どうだったじゃないわよ。そっちこそ大丈夫だったの?」


「あぁ」


「あぁ」って・・・


一つため息を突いてから、ピアノを弾いている傍らへ歩み寄る。そうして初めてミコトと視線を交わらせた。


しかし変わらずしなやかに鍵盤を叩き続けているのだからたいしたものだ。


「千里も一緒だった?」


「えぇ」


「瀬川透も?」


クスリと笑った顔にミコトは思わず見とれた。


よく、この人と自分は似ていると言われる事があるが、残念ながらちっとも似ていないと思う。


私はこんなに美しく笑えない。


「えぇ・・・」


感嘆混じりにそう答えると、自分とは決定的に違うまるでビードロのような萌葱色の瞳に強い光が宿り、瞬時にミコトの息を止めさせた。


「そろそろ動こうか」


そう言うと再び鍵盤に視線を落とし、さっきまでとはうって変わって激しい曲調の曲を弾き始めた。


しかも顔に息を飲むほど美しい笑みを湛えながら。


「駒はお揃い?」


ミコトは何だか気持ちが浮き立ち始めているのを感じていた。


「いや、もう少し欲しい・・・な」


そろそろ曲は佳境に入る。


「貪欲ね。期限はいつまで?」


「君たちが夏休みに入ってすぐの合宿・・・そこまででいい」


ミコトは小さく頷き、それから目の前の演奏が終わるまで黙って鑑賞に浸っていた。曲の終わりに唐突に麗しの君が口を開きこう告げた。


「コウモリに、気をつけたほうがいい」


「コウモリ?」


その意味深な言葉にミコトがそれ以上問う隙を与えず、気がつくとまた元弾いていたあの曲に落ち着いていた。


ミコトは音楽には詳しくないが、これは何度も聴いているうちに自然と覚えた。


曲名は確か『庭の千草』