海の花にまた会いたい

帰ってきたら、母さんには
「早いわねぇ」
と驚かれた。
「今日は早く帰ろうと思って。宿題が多かったかもしれないから」
宿題はもう終わっている。簡単な嘘をついて部屋に入った。
僕の部屋から海は見えない。だから、今も彼女が海岸に居るのか確認することは出来なかった。寂しそうにしていたらどうしようとか、嫌われたのではないのかと、赤の他人のことをぐちゃぐちゃ考えている。こんなに考え込むのは勉強以外では久しぶりだ。
ぼんやりと窓越しに空を見ると、もう薄い紺色に変わっていた。夕暮れは早い。
今日はなんとなく疲れたので、早く寝た。
朝はスズメがチュンチュンと鳴いている音を聞きながら起きるのではなく、カラスのカァカァという声を聞きながら起きる。一種の目覚まし時計というのだろうか。
「おはよう⋯」
「あらおはよう、今日も普通の時刻ね」
ダイニングテーブルの自分の席に座って、置かれているそのままのトーストをそのままかじる。
「⋯いただきます」
「ほんっとあんたって理解不能。どうやったらトーストをそのままで食べられるの?」
「だって焼いてあるから。焼いてあるならそのままで食べる」
「戦時中か馬鹿」
「戦時中ならきっと僕が真っ先に死んでる」
「一理あるかも」
「そこは否定して。あと、早く会社行ったほうが良いんじゃない?」
「ナイス、息子よ」
僕には父親がいない。幼い頃に交通事故であっさりと死んでしまったらしいけれど、僕にはそれが衝撃的ではなかった。病気でだんだん死んでいく状況を見るよりも良かった、と母さんも言っていた。僕はこのことを別にコンプレックスに思っていないが、なんとなく隠しておいている。親がいないといった瞬間、周りの人はこわれものでも扱うかのように僕に関わろうとしてきたから。関わらない人も出てきたから。
「いってきまーす」
母さんの間の抜けた声を背中に、自分も歯を磨いて学校に行く準備をする。
学校だと、いつもひとりだ。まあ仕方ない。僕の家が母子家庭だということはうちの学年の誰もが知っていることだから。もともと中学で一緒だったクラスメイトが高校で新しく知った人達に教えたせい。
昨日と少しずつ違っていく通学路を歩きながら、学校の校門に入って昇降口で上履きを履き、階段を登って教室に入る。
動きはいつもと同じでも、景色は変わっているから、世界は面白い。
「おはよう」
学級委員長の氷室さんが声をかけてくる。冷たそうな苗字のくせに、穏やかで人望がある。
「おはよう」
せっかくだし返す。彼女はいつも誰にでも挨拶をする。優しい、人間だ。
ちらりと、机を拭いているやつを見つけた。大体何をされたかはわかっている。どうしてこうも同じことをされて飽きないのだろうか。