鷹宮先輩、ズルいです 〜泣き顔を拾われたら、極甘上司に溺愛されました〜

控室のドアの向こうが、少しだけ騒がしい。
 
かすかに聞こえる話し声や足音。
準備が整っていく気配が、静かに伝わってくる。
 
鏡の前に座ったまま、ゆっくりと息を吐いた。
 
真っ白なドレス。
慣れないメイク。
 
(……でも、ちゃんと、あたしだ)
 
胸元にそっと触れる。
ここまで来たんだと、遅れて実感が押し寄せてくる。
 
コンコン、と控えめなノック。
 
「……はい」
 
ドアが開いて、入ってきた人に、思わず息をのむ。
 
「……璋さん」
 
見慣れているはずなのに。
スーツ姿とは違うその姿に、ほんの一瞬、言葉を失う。
 
「なんや、その顔」
 
少し照れたみたいに笑う。
 
「いや……似合ってるなって思って」
 
「そっちこそ」
 
視線が絡む。
ほんの一瞬だけ、時間が止まったみたいになる。
ゆっくりと、彼が近づいてくる。
 
「……緊張してるん?」
 
「……ちょっとだけ」
 
正直に答えると、ふっと表情がやわらいだ。
 
「大丈夫や」
 
あの日と同じ言葉。
 
「俺もおる」
 
その一言で、胸の奥がすっとほどける。
 
(……ほんと、ズルい)
 
何度思っても、同じことを思う。
 
隣に立つのが、当たり前みたいに自然で。
でも、ちゃんと特別で。
 
そっと差し出された手に、迷わず触れる。
指に触れたリングが、かすかに光った。
 
(……ああ)
 
あの日、桜の下で交わした約束が、
ちゃんとここに繋がっている。
 
「葵」
 
名前を呼ばれる。
 
「はい」
 
少しだけ、間があく。
 
「覚悟、できてる?」
 
あのときと同じ言葉。
思わず、笑ってしまう。
 
「……今さらですか?」
 
くすっと笑うと、彼も少しだけ目を細めた。
 
「せやな」
 
軽く、指を絡め直される。
 
「逃げ道、もうないで」
 
耳に馴染む、低く甘い声。
 
(……ほんとに)
 
ズルい人。
でも――
 
「……鷹宮先輩、ズルいです」
 
そう言うと、彼は少しだけ意地悪そうに笑った。
 
「知ってる」
 
その一言で、全部が満たされる。
 
「まもなく、ご入場のお時間です」
 
外から声がかかる。
静かに息を吸って、背筋を伸ばす。
 
隣には、愛しい人。
もう、迷いはなかった。
 
そっと手を握り返す。
 
「……行こか」
 
「はい」
 
その言葉と一緒に、扉が開く。
 
――あたしの、帰る場所へ。

―完―