三月の午後、オフィスは乾燥した熱気に包まれていた。
年度末の修羅場。基幹システムの刷新という巨大なプロジェクトのデバッグ作業。真壁怜は、モニターに並ぶ無機質なソースコードの海に沈んでいた。
(……あと一行。このデバッグが終われば、やっと人間らしい呼吸ができる)
キーボードを叩く指先の感覚はもうない。ただ、論理だけが彼女の意識を辛うじてこの世界に繋ぎ止めている。
そんな時、背後から同僚――入江の声がした。
「おい、真壁、部長が呼んでるぞ。第3会議室だと」
だが、怜は視線すら動かさない。眼鏡の奥の漆黒の瞳が、エラーログの一行を冷徹に捉えている。
「……ちょっと黙ってて。今大事なところなんだから」
「いや、駄目だろ。呼んでるの部長だぞ」
「うるさい。そもそも、ミーティングの予定なんて入れられてないし。……集中してるの。もうすぐエラー原因がわかりそうなんだから」
「気持ちはわかるが、今すぐ行け。なんか、四月からの『超』重要案件の件だって言ってたし……」
超・重要案件。その言葉に、怜の指がわずかに止まった。
「超重要案件? 何それ、そんな話あったっけ、何も聞いてないけど」
「俺が知るわけないだろ。いいからさっさと行けよ。俺が怒られる」
「……あー、もう。仕方ないなぁ。行けばいいんでしょ」
怜は渋々立ち上がり、第3会議室へと向かった。



