【完結】 【野暮令嬢】と侮った皆様、覚悟はよろしいかしら?

眠れずに夜を明かした翌日。
ダニエルがノバク嬢を心配そうに見たというだけで、これほど不機嫌になるなど、流石にどうかしていると反省し、普段通りに振る舞おうと決めた。
蹲った女性に手を差し伸べるなど、紳士としては当たり前のことだ。
改めて自分にそう言い聞かせ、鏡の前でちょっと微笑んでみる。
うん、ダニエルに会っても大丈夫。いつも通りだ。
深呼吸をすると、波立った心が凪いでいくのが分かる。


あの後、研究室で暫く過ごして落ち着いたキャロライン殿下は、エリアス王子に付き添われて王宮に戻っていった。その時は蟠りがあるようには見えなかったが、その後の様子も気になっていたので後で教室に様子を見に行こう。

そんな事を考えながら研究室に到着すると、既に部屋に居たダニエルから白いマーガレットだけの小さな花束を渡され、「ありがとう」と笑顔で受け取った。
机に座ると、ホットチョコレートのカップが二つ机に置かれ、向かいに座ったダニエルが話を始めた。

「あの後、エリアス王子とも話し合ったんだ。私たちは、女心を軽く考えすぎていた」

その言葉に、私は首を横に振った。

「女性が蹲っている場面に遭遇して、手を差し伸べないなんて、紳士としては失格でしょう?」

そう言ってカップを持ち上げた私に、ダニエルは続けた。

「もちろん、通常であればそうだ。しかし、キャロライン殿下はずっとその場面を想像して恐れていたんだ。そして仕組まれた出会いについて事前に話を聞いていた。しかし、エリアス王子と私は、話を聞くだけで理解していなかった。あの時、心の声で気付かせてもらえなかったら、エリアス王子は永遠にキャロライン殿下を失っていただろう」

そう言うと、ひと呼吸おいて私をまっすぐに見つめてダニエルは言った。

「そして、あなたは心を閉ざしてしまった」

その言葉に思わず顔を上げると、苦しそうな顔で言われた。

「あの頃と同じ目をしている」

どくんと心臓が跳ねた。心の蓋をした自覚があったから。
ミリアに心配そうな目を向けるダニエルを見た瞬間、心に入り込んだ棘は剣ほどの威力で深く突き刺さった。これ以上傷つきたくはない。

「もう二度とあんな目をさせたくないと思っていたのに、私自身がそうさせてしまった」

眉間の皺を深くしてダニエルは続けた。

「十歳の時、初めてあなたに会った日、屈託なく輝く瞳が心にくっきりと刻まれたんだ。当主同志が結ばれる事は出来ないと分かっていても、私は、ずっとあなたの瞳を忘れることが出来なかった。しかし、次に会った学園の入学式で見たあなたの瞳は、ただそこにある景色を映すだけで、何も見ようとしていなかった」

ダニエルの告白に、彼の顔から視線を外せない。

「ロシュフォール女伯となったあなたに、私はやっと手が届くようになって、あなたは私を見てくれた。私にとってこれ以上の喜びはなかった」

机の上のカップを包むように添えた私の手に、ダニエルはそっと手を重ねた。

「もう一度、私を見てはもらえないだろうか。その為の努力なら、どんなことだって惜しまない」

今までは、心に蓋をして一人で胸の痛みが和らぐまで耐えてきた。どんなに痛くても苦しくても、しっかり心に蓋をして動かず蹲っていれば時が解決してくれる。もう慣れっこだと思っていた。
しかし、この人はその傷を一緒に癒そうと言ってくれている。
誰にも言えなかった痛くて苦しい思いを、この人は分かろうとしてくれている。
もう一人ぼっちで耐えなくてもいいと思うと、涙が溢れて止まらなくなってしまった。

嗚咽まで漏らして泣きじゃくる私に、ダニエルはハンカチを渡し、泣き止むまでずっと手を握ってくれていた。

「本当は抱きしめて慰めたかったんだけど、ウェーバー公爵のお許しがまだだから」

そう言って、こちらを見ない様に部屋の隅で控えているクロエにちらりと目くばせをした。



その夜のウェーバー邸での夕食時、不意に父のオスカーから聞かれた。

「ダニエルは、共に努力が出来る人物かな?」

「はい」

きっとこれからも二人の間に問題は起こるだろう。でも、ダニエルとなら、きちんと向き合って解決していける。そう信じることができると思えた。

きっぱりとそう答えた私に、父は少しだけ寂しそうな笑顔を向けた。


次の日の朝、ディックに手を引かれて温室のあの花壇へ行くと、そこには一面真っ赤なバラが咲き誇っていた。

本当に、お父様には適わない。



◆◆◆
廊下でのノバク男爵令嬢ミリアの突撃から二日後。
今日は庭園で学年合同のマナー講座としてお茶会が催された。
そのお茶会に、私はマナー講師の一人として参加している。

あの襲撃の後、王子妃教育で王宮に赴いたレオノーラから、キャロライン殿下へ謝罪があったと聞かされた。ノバク男爵家は最近ドラーク侯爵家の傘下に入った家らしく、今後はこのような騒動を起こさせない様に気を付けると頭を下げられたそうだ。

王子妃候補に名乗りを挙げて以来、ドラーク侯爵はキャロライン殿下を差し置いて、レオノーラがいかに王子妃として相応しいかを触れ回っている。
一方のレオノーラは、エリアス王子の婚約者候補だと自ら口にすることもなく、二人とはごく普通のクラスメイトとして接していた。
王宮には王子妃教育で毎日赴いてはいるものの、決められた交流のお茶会でさえ淡々とこなしているという。

また、ユリアが躍起になってカロンの悪評をばら撒き、カロンよりも自分こそがウェーバー公爵夫人に相応しいと吹聴している件に関しても、エリアス王子とキャロライン殿下に私との間を取り持って欲しいなどという素振りさえ見せず、私に接触してくることもない。

接触してきたところで、カロンは幼い頃に小間使いとして公爵家に上がって以来、長年祖母の厳しい教育を受けて専属侍女にまで上り詰め、隣国に渡ってからは王太子妃の侍女として王宮で磨かれたのだ。全てにおいてユリアは足元にも及ばない。

レオノーラのそれらすべての行為が、この非常識ともいえる父と叔母の状況が本人の意志ではないことをはっきりと態度で示すものだった。


現在開催中のお茶会の席でも、エリアス王子とキャロライン殿下から離れた噴水の近くの席に着き、他の生徒の迷惑にならない様に気を配っていた。
各テーブルを回ってマナー指導していた私が、彼女らの席を立つと、レオノーラは立ち上がって優雅なカーテシーを披露した。
慌てて立ち上がったミリアもそれに倣ったのに返礼をして、二人に背を向けた時だった。

「ノバク嬢! やめて! 助けてっ……」

レオノーラの悲鳴のような声に振り返ると、彼女が噴水の中に落ちるのが目に入った。
周囲から湧き起る悲鳴に、駆け付けた騎士たちがミリアを取り囲み、私の側にいたダニエルが迷いなく噴水に飛び込んだ。しかし、噴水は思いのほか深く、水を含んだ衣服が重石となって一人では思う様に引き上げられない。それを見て取った騎士たちが即座に飛び込み、三人がかりで漸くレオノーラを噴水の外に運びだせたのだ。

何とか引き上げられたレオノーラを見てほっと息を吐いた時だった。レオノーラが私の腕に縋り、掠れた声を絞り出すように小さく言葉を発した。

「叔母と父を絶対に許さない。このまま死んだら呪ってやる」

そう言って意識を失ったレオノーラを急いで医務室に運び込み、濡れた服を着替えさせて髪を乾かしている間に医師が駆けつけた。
その頃にはぐったりしているものの意識もしっかり戻っていたため、急遽ここから近い王宮で療養をする事になった。
その事を家に伝えようとした私に、レオノーラが言った。

「父ではなく、母と兄を呼んでいただけませんでしょうか」