入学式から一月が過ぎ、新学期の華やいだ雰囲気も落ち着いたある日の昼休み、キャロライン殿下と連れ立って廊下を曲がったところで、前方にエリアス王子を見つけた。キャロライン殿下が、エリアス王子に声を掛けようと先に進んだところで、突然「っきゃあ!」という淑女にあるまじき声を上げ、一人の少女がキャロライン殿下の背後に身を投げ出して派手にすっ転んだ。
まあ、ずいぶん生きがいいこと。
「ごめんなさい、許してください」
驚いて振り返ったキャロライン殿下の目の前で、その少女は座り込んだまま、消え入るような声でそう呟きながら小刻みに震えている。
肩までのつやつやの金髪に、アクアマリンの大きな瞳に涙を浮かべ、ぎゅっと握った手を胸の前に掲げたびっくりするほどの美少女が、眉を下げてキャロライン殿下を縋るように見上げている。
叫び声に集まった生徒たちには、キャロライン殿下に虐げられた可哀想な美少女が、健気に許しを請うように見えるだろう。そして、前方のエリアス王子の位置から一番美しく見えるように調整している立ち位置とポーズのあざとさは、決して天然などではない。
「その女性は(女優)だと思って下さい。自分の作ったシナリオに沿ってヒロインを演じています」
そう言ったハンナの特別講座がなければ、突然繰り出されたこの状況を冷静に観察できなかっただろう。
しかし、騒めく周囲に反応して振り返ったエリアス王子が、あろうことか、廊下に蹲る美少女の儚げな様子に目を奪われている。そればかりか、エリアス王子のそばにいるダニエルまでもが心配そうに少女に目を向けている。
キャロライン殿下があれほど恐れて警戒し、時間をかけてハンナの講座を受け、あらゆる状況に対して注意と準備をしていたにも関わらず、庇護欲をそそる風情を(装った)美少女の(演技)に見入っているのだ。
幸い、キャロライン殿下は彼らに背を向けているため、二人の表情を目にしてはいない、と思いたい。
『ポンコツ主従! 何という体たらく!!』
私の心の大音声に、ダニエルは弾かれたように顔を上げてこちらに目を向けた。
『チョロい! チョロいわ! チョロすぎる!』
続く魂の叫び三段活用に、顔色を変えたダニエルが慌ててエリアス王子に声を掛けると、ハッとした様子で私に目を向けた。
私は目の前の【チョロ王子】と【チョロ公子】を、口元だけに笑顔を作って鋭く見据えた。
『ついに現れたわね! 【性悪大根女優】』
そして、魂の声でヤジを飛ばしつつ、のんびりした調子で少女に声を掛けた。
不意打ちに弱いというハンナの言葉を思い出し、滑るように少女の背後に近づいた。
「あらあら、まあまあ。大丈夫かしら? 何もない所でつまずくなんて、もしかして靴のサイズが合っていないのではなくて?」
そう言って身を屈めると、背中から少女の両脇に手を差し入れ、まるで小さな子供にするように、「よっこいしょ」と掛け声と共に持ち上げて立ち上がらせると、優雅に微笑みながら少女の顔を覗き込み、優しく言葉を掛けた。
「あなたはCクラスの、ノバク男爵令嬢ね。お怪我はない?」
滑稽な動作で立たされた少女は、振り返ってむっとした表情を私に向けている。
やれやれ、全方向に気を配れない様じゃあ、女優とは言えないわね。
私は、返事のない【性悪大根女優】改め、【性悪大根】から視線を移し、一連の流れを呆然と眺めていたキャロライン殿下に笑顔を向けた。
いけない! 顔色が真っ青だ。
「キャロライン殿下、巻き込まれなかったようで何よりですわ」
私の声にキャロライン殿下はハッと我に返り、さすが王女というべき胆力で、美しい笑顔を浮かべてノバク嬢ミリアに手を差し伸べ、声を掛けた。
「ノバク嬢、お怪我はありませんか? どこか痛むようでしたら校医室に付き添いますわ」
【性悪大根】は顔の前で手を組み、俯いてふるふると首を横に振って立ち尽くしている。つやつやの金髪が窓からの光を受けて、きらきら輝きながらさらさらと揺れるさまは、思わず手を伸ばして掬い取ってしまいたいほどに美しい。
エリアス王子の動く気配に、私は魂の声で号令をかけた。
『【チョロ王子】! ハウス!』
ダニエルがエリアス王子の一歩前に出ると同時に、私は少女の目の前に滑り込んだ。
「ノバク嬢は、キャロライン殿下のお心遣いに感激して、言葉も出ないようですわ」
そう言って、組んだ手に優しく手を添え、身を屈めるように首をかしげて顔を覗き込むと、ぎりぎりと音がしそうなほど歯を食いしばり、掬い上げるように睨み付けられた。
あらあら、視野が狭くていけないわ。いいの? 私は首をかしげているから、後ろにいるエリアス王子とダニエルにあなたの表情は丸見えよ?
二人の視線に気づいた瞬間、彼女は眉を下げた上目遣いに、大きな目に涙をいっぱいに溜めた儚げな様子の顔に作り替えて一点を見つめている。
その視線の先を辿って振り返ると、瞬間顔芸を目の当たりにしたエリアス王子が、目を見開いて固まっていた。笑顔の圧を強くして冷たい視線を送る私に気付いたエリアス王子が、そろりと彼女から視線を逸らすと、すぐそばで小さな舌打ちの音が聞こえた。
まあ、なんてはしたないこと。
さて、これで【性悪】も露呈してしまったから省きましょう。あら、そうすると【大根】しか残らないわ。もう【大根】でいいかしらね。
「ノバク嬢もお怪我は無いようで良かったわ。以降気を付けてくださいね。靴のサイズは確認なさった方がよろしくてよ」
ちょうどその時、廊下に響いた予鈴を合図に、私は優雅に手を打ち、鈴を転がすようだと賞賛される涼やかな声で周囲の生徒たちに声を掛けた。
「さあさあ、午後の授業が始まりますよ。皆さん、教室に戻りましょうね」
『【大根】退場!!』
「……ずいぶん端折ったな。それに、エリアス王子の呼び方はちょっと……」
魂の声に感想を漏らしたダニエルに、私は顔を向けずに答えた。
「男性には言っても分からない女性ならではの考察がありましたの。【女優】は買い被りすぎ、【性悪】も露呈しましたし、【大根】で十分です。それに、何を他人事のように仰っているのかしら? もちろんあなたも同じ呼び名ですわよ?」
二人の呼び名などどうでも良い。そんな事より、今はキャロライン殿下が心配だ。
気まずそうに立つ二人に背を向けて、顔色悪く立ちすくんでいる彼女の背に優しく手を当てて声を掛けた。
「午後はマナーの授業だけでしたわね。体調不良でお休みの連絡をしておきます。さあ、一旦私の研究室へ参りましょう」
研究室に入った私は、キャロライン殿下をソファーセットに座らせると、ホットチョコレートを二人分作って一つを彼女の前に置いた。もう一つはもちろん私の分だ。
それぞれの隣に座った【チョロ王子】と【チョロ公子】に飲ませるホットチョコレートなどない。
『二人とも、もげてしまえ!』
私の魂の声に、ぎょっとした表情でダニエルが顔を向けたが、私は彼の顔を見る気になれなかった。
その後、ダニエルから白いマーガレットだけの大きな花束を跪いて渡された。
花言葉は「心に秘めた愛」「信頼・誠実」
「ありがとう」と受け取ったものの、私はその日、生まれて初めてもやもやして眠れない夜を経験した。
◆◆◆
一方、上手く行かなかった計画に苛々しながら廊下を進んでいたノバク男爵令嬢ミリアは、いつの間にか背後にいたレオノーラから声を掛けられた。
「あなた、噴水に飛び込む覚悟はおあり?」
その言葉に、怪訝な顔で振り向いたミリアに、レオノーラが優雅に開いた扇子で口元を隠して呟いた。
「明後日の学年合同のマナー講座は庭園でのお茶会よ。誰かに突き落とされたと演出するには絶好の機会ではないかしら」
その言葉に歪んだ笑顔を浮かべたミリアは、レオノーラに手を振ってその場から元気よく立ち去った。
その背中を、レオノーラがぞっとする程冷たい視線で見送っていた。
まあ、ずいぶん生きがいいこと。
「ごめんなさい、許してください」
驚いて振り返ったキャロライン殿下の目の前で、その少女は座り込んだまま、消え入るような声でそう呟きながら小刻みに震えている。
肩までのつやつやの金髪に、アクアマリンの大きな瞳に涙を浮かべ、ぎゅっと握った手を胸の前に掲げたびっくりするほどの美少女が、眉を下げてキャロライン殿下を縋るように見上げている。
叫び声に集まった生徒たちには、キャロライン殿下に虐げられた可哀想な美少女が、健気に許しを請うように見えるだろう。そして、前方のエリアス王子の位置から一番美しく見えるように調整している立ち位置とポーズのあざとさは、決して天然などではない。
「その女性は(女優)だと思って下さい。自分の作ったシナリオに沿ってヒロインを演じています」
そう言ったハンナの特別講座がなければ、突然繰り出されたこの状況を冷静に観察できなかっただろう。
しかし、騒めく周囲に反応して振り返ったエリアス王子が、あろうことか、廊下に蹲る美少女の儚げな様子に目を奪われている。そればかりか、エリアス王子のそばにいるダニエルまでもが心配そうに少女に目を向けている。
キャロライン殿下があれほど恐れて警戒し、時間をかけてハンナの講座を受け、あらゆる状況に対して注意と準備をしていたにも関わらず、庇護欲をそそる風情を(装った)美少女の(演技)に見入っているのだ。
幸い、キャロライン殿下は彼らに背を向けているため、二人の表情を目にしてはいない、と思いたい。
『ポンコツ主従! 何という体たらく!!』
私の心の大音声に、ダニエルは弾かれたように顔を上げてこちらに目を向けた。
『チョロい! チョロいわ! チョロすぎる!』
続く魂の叫び三段活用に、顔色を変えたダニエルが慌ててエリアス王子に声を掛けると、ハッとした様子で私に目を向けた。
私は目の前の【チョロ王子】と【チョロ公子】を、口元だけに笑顔を作って鋭く見据えた。
『ついに現れたわね! 【性悪大根女優】』
そして、魂の声でヤジを飛ばしつつ、のんびりした調子で少女に声を掛けた。
不意打ちに弱いというハンナの言葉を思い出し、滑るように少女の背後に近づいた。
「あらあら、まあまあ。大丈夫かしら? 何もない所でつまずくなんて、もしかして靴のサイズが合っていないのではなくて?」
そう言って身を屈めると、背中から少女の両脇に手を差し入れ、まるで小さな子供にするように、「よっこいしょ」と掛け声と共に持ち上げて立ち上がらせると、優雅に微笑みながら少女の顔を覗き込み、優しく言葉を掛けた。
「あなたはCクラスの、ノバク男爵令嬢ね。お怪我はない?」
滑稽な動作で立たされた少女は、振り返ってむっとした表情を私に向けている。
やれやれ、全方向に気を配れない様じゃあ、女優とは言えないわね。
私は、返事のない【性悪大根女優】改め、【性悪大根】から視線を移し、一連の流れを呆然と眺めていたキャロライン殿下に笑顔を向けた。
いけない! 顔色が真っ青だ。
「キャロライン殿下、巻き込まれなかったようで何よりですわ」
私の声にキャロライン殿下はハッと我に返り、さすが王女というべき胆力で、美しい笑顔を浮かべてノバク嬢ミリアに手を差し伸べ、声を掛けた。
「ノバク嬢、お怪我はありませんか? どこか痛むようでしたら校医室に付き添いますわ」
【性悪大根】は顔の前で手を組み、俯いてふるふると首を横に振って立ち尽くしている。つやつやの金髪が窓からの光を受けて、きらきら輝きながらさらさらと揺れるさまは、思わず手を伸ばして掬い取ってしまいたいほどに美しい。
エリアス王子の動く気配に、私は魂の声で号令をかけた。
『【チョロ王子】! ハウス!』
ダニエルがエリアス王子の一歩前に出ると同時に、私は少女の目の前に滑り込んだ。
「ノバク嬢は、キャロライン殿下のお心遣いに感激して、言葉も出ないようですわ」
そう言って、組んだ手に優しく手を添え、身を屈めるように首をかしげて顔を覗き込むと、ぎりぎりと音がしそうなほど歯を食いしばり、掬い上げるように睨み付けられた。
あらあら、視野が狭くていけないわ。いいの? 私は首をかしげているから、後ろにいるエリアス王子とダニエルにあなたの表情は丸見えよ?
二人の視線に気づいた瞬間、彼女は眉を下げた上目遣いに、大きな目に涙をいっぱいに溜めた儚げな様子の顔に作り替えて一点を見つめている。
その視線の先を辿って振り返ると、瞬間顔芸を目の当たりにしたエリアス王子が、目を見開いて固まっていた。笑顔の圧を強くして冷たい視線を送る私に気付いたエリアス王子が、そろりと彼女から視線を逸らすと、すぐそばで小さな舌打ちの音が聞こえた。
まあ、なんてはしたないこと。
さて、これで【性悪】も露呈してしまったから省きましょう。あら、そうすると【大根】しか残らないわ。もう【大根】でいいかしらね。
「ノバク嬢もお怪我は無いようで良かったわ。以降気を付けてくださいね。靴のサイズは確認なさった方がよろしくてよ」
ちょうどその時、廊下に響いた予鈴を合図に、私は優雅に手を打ち、鈴を転がすようだと賞賛される涼やかな声で周囲の生徒たちに声を掛けた。
「さあさあ、午後の授業が始まりますよ。皆さん、教室に戻りましょうね」
『【大根】退場!!』
「……ずいぶん端折ったな。それに、エリアス王子の呼び方はちょっと……」
魂の声に感想を漏らしたダニエルに、私は顔を向けずに答えた。
「男性には言っても分からない女性ならではの考察がありましたの。【女優】は買い被りすぎ、【性悪】も露呈しましたし、【大根】で十分です。それに、何を他人事のように仰っているのかしら? もちろんあなたも同じ呼び名ですわよ?」
二人の呼び名などどうでも良い。そんな事より、今はキャロライン殿下が心配だ。
気まずそうに立つ二人に背を向けて、顔色悪く立ちすくんでいる彼女の背に優しく手を当てて声を掛けた。
「午後はマナーの授業だけでしたわね。体調不良でお休みの連絡をしておきます。さあ、一旦私の研究室へ参りましょう」
研究室に入った私は、キャロライン殿下をソファーセットに座らせると、ホットチョコレートを二人分作って一つを彼女の前に置いた。もう一つはもちろん私の分だ。
それぞれの隣に座った【チョロ王子】と【チョロ公子】に飲ませるホットチョコレートなどない。
『二人とも、もげてしまえ!』
私の魂の声に、ぎょっとした表情でダニエルが顔を向けたが、私は彼の顔を見る気になれなかった。
その後、ダニエルから白いマーガレットだけの大きな花束を跪いて渡された。
花言葉は「心に秘めた愛」「信頼・誠実」
「ありがとう」と受け取ったものの、私はその日、生まれて初めてもやもやして眠れない夜を経験した。
◆◆◆
一方、上手く行かなかった計画に苛々しながら廊下を進んでいたノバク男爵令嬢ミリアは、いつの間にか背後にいたレオノーラから声を掛けられた。
「あなた、噴水に飛び込む覚悟はおあり?」
その言葉に、怪訝な顔で振り向いたミリアに、レオノーラが優雅に開いた扇子で口元を隠して呟いた。
「明後日の学年合同のマナー講座は庭園でのお茶会よ。誰かに突き落とされたと演出するには絶好の機会ではないかしら」
その言葉に歪んだ笑顔を浮かべたミリアは、レオノーラに手を振ってその場から元気よく立ち去った。
その背中を、レオノーラがぞっとする程冷たい視線で見送っていた。



