【完結】 【野暮令嬢】と侮った皆様、覚悟はよろしいかしら?

朝食の時間、朝の引き継ぎとスケジュール確認を終える頃、執事からヘンリクの帰宅を知らせる先触れが齎された。予定通り昼食前に到着するようだ。
今日からハンナはこの家の女主人になる。各種書類のサインや今後の相談もあるので、ヘンリクと一緒にハンナも本邸に入るように手紙を出している。

昼食を一緒に取った後、ハンナの体調がよければ午後に開催される古代文学サロンに誘ってみよう。今日もエリアス王子とキャロライン殿下が参加する予定なのだ。
そして、ダニエルもやって来る。

使用人たちには、ハンナが妊娠中であることは伝えている。嬉々として出産準備を進める私を手伝いながら、彼らは時折、何処か寂しそうな目で私を見ている事がある。

短い時間だったけれど、使用人たちには本当に良くしてもらった。彼らと離れるのは私も寂しい。しかし、週に一度、古代文学サロンは続けさせてもらえることになっているから、みんなとのつながりが切れる訳ではない。彼らにもそう言いながら、できるだけ明るく過ごすようにしていた。

新しい女主人を迎え、子どもが生まれれば、この家はもっと活気づくし明るくなる。
あのどん底の生活の中、弟のディックが生まれてきてくれた事で、私たち家族がどれほど救われ、生きる希望を持てたか。それほどまでに新しい命は尊く素晴らしい宝なのだ。

そうするうち、立会人として名乗り出たギルバートが到着した。
昨日の渋面はどこへやら、初めて見ると言って良い程の上機嫌だ。

「ギルおじさま、ごきげんよう。ご足労頂きありがとうございます」

そう声を掛けると、両手を広げ、喜びを抑えきれないという笑顔を向けて来た。

「ヴィー! おじさまなんて水臭い! お祖父様と呼んでおくれ!」

その言葉を聞いて一瞬で顔が火照り、言葉に詰まっていると、後ろから父オスカーの声がした。

「まだダメですよ。先ずはお友達からですからね」

ギルバートがオスカーに目を向け、拗ねたような口調で応戦した。

「なんだ、ちょっと早いだけなんだから良いじゃないか。老い先短い年寄りの楽しみを奪わんでくれ」

「そちらこそ、やっと手元で愛娘を甘やかせると思っていた私の楽しみを奪わないでください」

そんなやり取りの中、ヘンリクとハンナの到着が知らされた。
使用人たちが車寄せからずらりと立ち並び、三か月ぶりに帰還した主人を出迎えた。

ホールに足を踏み入れたヘンリクは、ギルバートの姿を目にして一瞬顔を強張らせたが、鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌のギルバートの様子に、困惑の表情を浮かべている。

『まあ、そうでしょうね』

苦笑いを抑えつつ、魂の声が漏れた。
すると、ヘンリクのエスコートから手を離し、軽やかな足取りで近づいて来たハンナが、私と父とギルバートの前で可憐なカーテシーを執った。
少しふっくらしたお腹の負担にならないように、ゆったりと纏った軽やかなドレスがふわりと揺れる。

「おかえりなさい」

そう声を掛けた私は、ハンナの手を取って立ち上がらせた。

「その姿勢はお腹のお子の負担になるわ。さあ、こちらへ」

そう言ってホールの中に招き入れた。するとハンナは、私たち三人に頭を下げた。

「この度は、私たちの身勝手により、多大なご迷惑をおかけいたしました事、また、ヴィッセル侯爵夫人に対する数々の無礼に対し、深くお詫び申し上げます」

そう言って潤んだ瞳で見上げた表情は、言葉通りの真摯なものだった。
華奢で小柄なハンナのその佇まいは、女性の私でさえ思わず庇護欲をそそられる。
私は、まだ入り口に立っているヘンリクにちらりと目を遣った。

『何をやってるのかしらね【常春の君】は……』

立ちすくむ姿に溜息が漏れる。
私の視線に気づいたヘンリクが、慌ててハンナの横に並び、最敬礼を執った。

「この度の件は、ひとえに私の不徳の致すところであります。ウェーバー女公には、度重なる無礼とご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げます」

私は、言葉とともに真摯に頭を下げたヘンリクに顔を向けた。

「手紙でも十分な謝罪は頂きました。こうして直接お言葉も頂いたことですし、これからはお二人とも友人としてお付き合いいただけたら幸いですわ。」

「ヴィクトリアが許すというなら、私は何も言うことはないよ」

父のオスカーも私の決定を支持すると言葉をかけている。

廃王の姦計に巻き込まれた私たち。
二人に軽率な言動があった事は否めないが、周囲にそう言った言動を取らせた原因の一端はこちらにある。図に乗った者たちには容赦はしないが、こうしてきちんと謝罪し、誠実に向き合おうとしている彼らとなら、共に手を取り合っていこうと思う。

なんにせよ、あんな廃王の犠牲者のままでいるなんて真っ平なのだ。
必ず社交界の中心に返り咲いてみせる。

「ほほほ、思い知ったかクソ国王!」

祖母の高笑いが聞こえる様だ。


そんなやり取りをそわそわして見ていたギルバートから声が掛かった。

「さあさあ、立ち話はそのくらいにして、さっさと手続きを済ませよう。もう準備は万端整えているのだ」

執事長に先導され、応接室に入ると、そこにはサインを待つだけの書類がずらりと並べられていた。
先ずは、私とヘンリクの離婚届けからだ。
色々な事があり過ぎて、数年分の人生を凝縮したような怒涛の日々だったが、改めて日付を見れば、たった半年と少しの結婚期間だった。
顔を突き合わせて生活したのはほんの一月程度しかないというのに、なんだかとても感慨深い。
それはヘンリクも同じだったようで、書きなぐるようにサインして投げてよこした婚姻届けの時とは違い、ゆっくりと丁寧にサインをしている。

それから、ヘンリクとハンナが婚姻届けにそれぞれサインし、オスカーのウェーバー公爵継承と、私のロシュフォール伯爵継承にもそれぞれサインをして、全てが終った。

私とヘンリクの離婚届を手に取ってにこにこと眺めていたギルバートが、書類を全て纏めて立ち上がった。

「では、これから私が馬でひとっ走りしてこれらを提出してくる。午後のサロンの時間にダニエルたちと合流して戻って来るとしよう」

ギルバートは一刻も早く離婚を成立させたいようだ。その様子に、オスカーが呆れたような視線を向けている。

すると、その言葉を聞いたハンナが立ち上がってギルバートの前に移動し、胸の前で手を組み困惑した表情で言葉をかけたのだ。

「そんな! バルテス前公爵閣下をお使い立てするなんて、とんでもないことですわ!」

そう言ってヘンリクを振り返ると、彼も立ち上がってギルバートを止め、執事長に顔を向けた。
最初、大きな瞳で見上げるハンナに眉尻を下げていたギルバートだったが、そんな二人の行動に破顔した。

「なに、気遣いには及ばんよ。善は急げと言うだろう? ここは私に任せてくれ」

そう言って部屋を出て行くギルバートの後を追った二人が、玄関で馬上のギルバートに改めて礼を言いながら見送っていた。

「では、行ってくる! ハンナ夫人は腹の子を大事にしてくれ!」

勢いよく走り出したその背を見送りながら、ハンナが手を振っている。


その様子を、手を後ろに組んで眺めていたオスカーが小声で私に呟いた。

「打算を覆い隠せる天賦の容姿に、その利用価値を熟知した行動。覚悟が決まった彼女が付いていれば、ヘンリク殿は安泰だね」

一連の行動を感心して見つめていた私は、その言葉に思わず大きく頷いた。