王宮での話し合いが終り、帰宅したのはお昼を少し過ぎた頃だった。
部屋に戻り、用意されていた軽食を取った後、お茶を飲みながほっと一息ついて居た時、ヘンリクの帰宅を知らされたので急いでホールに行くと、憔悴した様子のヘンリクが玄関から入って来たところだった。
「ヴィッセル侯爵閣下! ハンナさんは?」
滑るように階段を降りながら声を掛けると、ヘンリクは泣きそうな顔を私に向けて来た。
「昨夜、別邸に着いた時にはもうハンナは居なかったんだ。部屋に置手紙があって……」
そう言って、亡霊のように立ったままホールで話し始めたので、急いで隣接している応接室に連れて行き、お茶と軽食の準備を頼んだ。この様子では恐らく昨日から飲まず食わずだったはず。
「少し落ち着いて、初めから順に話してください」
とにかく座らせて、有無を言わさずカップを渡して飲み干してから話すように言った。
「実家の男爵邸や友人の家に問い合わせの使者を出したんだ。でもハンナはどこにもいなかった。家の馬車を使っていないから、今朝からは教会や辻馬車に聞き込みをしていて、その間に読んだ置手紙の内容が…… もう私はどうしていいか……」
私はヘンリクが握りしめるカップをその手から抜き取り、新しいカップを差し出した。ヘンリクは、そのお茶を一息に飲み干すと、苦しそうに声を絞り出した。
「……ハンナに子供が出来たんだ。でも、もしかしたら私の子ではないかもしれないと書かれてあった。半月ほど前、私の訪れの無い夜にやり切れない思いを紛らわせるために参加した仮面舞踏会で……、探さないでくれと……」
そう言うと、頭を抱えて蹲った。
アレックスと共謀したジゼルは、多くの貴族家に対して行った悪事が明らかになった以上、アレックスと同じく極刑は免れない。しかし、既にこの事を知っているであろう性悪な「親友」たちが第二のジゼルになるのは間違いない。
自分の過ちを隠しおおす事は出来ない。そしてこれ以上彼らの言いなりになる事を拒むため、ハンナは打ち明けたのだ。そして姿を消した。
ヘンリクの手から滑り落ちて絨毯の上を転がっていくカップを目で追いながら、私は次の展開を確かめるために声を掛けた。
「それで? ハンナさんを探すのをやめて戻ってきたというの?」
思ったよりずいぶん低く太い声が出た。私のその言葉に、ヘンリクは首を横に振った。
「いいや、まだ探しているが、どこに居るか全く手掛かりがない。とにかく探し出して……」
「探し出して、どうするつもりなの?」
ヘンリクからハンナを責める言葉が出れば私は何もしない。
罪を一人で背負う覚悟で去っていったハンナを、わざわざ探し出してまで責めて追い詰めるつもりはないのだ。
ヘンリクは、彼の言葉を遮った私の問いに、俯いて呟いた。
「……ハンナに、会いたい……」
彼の口から出た言葉は、いかにも【常春の君】らしい、物語のヒーローとしては完璧な答えだった。
思わず口角が上がる。私の心は決まった。
「あなた、夜会で私が言った言葉をちゃんと聞いていたの? (仮面舞踏会に誘い込み、飲み物に薬を混ぜて前後不覚にする。目が覚めた時に半裸で同衾していれば既成事実としては成り立つ)と言ったでしょう?」
その言葉に、ヘンリクはハッとしたように顔を上げた。
「愛人同士が共謀していたのよ? その目の前で他の女性と事に及ぶと思う?」
侍女たちを振り返ると、全員が首を横に振った。
流石、優秀な彼女たちは察しが良い。
すると、グレーテルとヘルミーネの手が上がった。私が頷くと二人は交互に話し出した。
「ハンナ様のお腹のお子は、旦那様のお子で間違いないと思います」
「少し前から体調を崩されていたと聞いています。その頃に既にご懐妊の兆候があったなら、妊娠五週目前後と考えられます」
「その仮面舞踏会は半月前、つまり二週間前ですから、ご懐妊の兆候が出るには早すぎます」
「それよりも、その時期にアルコールと薬物の摂取と言うのが気になります。奥様、どんな薬かご存知ですか?」
二人の話を、みんなが目を丸くして聞き入っていた。私はその問いに、我に返ってその問いに答えた。
「軽い眠気を催す薬だと聞いているわ。アルコールと合わせて作用を強めていたようよ。それにしても、二人とも凄いわ!」
そう言うと、二人は嬉しそうに顔を見合わせて答えた。
「最近、一番上の姉が三人目を出産したばかりなんです」
「それに、義兄は薬屋を営む家の長男で、本人も薬師なんですよ。後で薬の名前を教えてください」
「薬によってはあまり心配しなくていいものもあるようですし、義兄に詳しく聞いておきます」
蒼白に近かったヘンリクの顔に赤みが戻り、心なしか顔つきも精悍になったような気がする。後はハンナの居場所だ。心当たりは全て探したというヘンリクに、何かヒントはないかと思って手紙を見せてもらった。
この手紙を書くのはどれだけ苦しかった事だろう。
全てを打ち明ける内容に加え、私への無礼の謝罪と、ヘンリクのこれからの幸せを願っているという言葉が綴られている。
最後の一文を目にした時、ある物語が私の脳裏に浮かんだ。
「お腹の子どもは、世界で一番愛しているあなたの子どもだと信じ、大切に愛情を込めて育てます。この子を授けてくれてありがとう」
その最後の一文を口に出して読み上げ、チーム「沼」へ視線を送った。
すると、全員が声を揃えてある場所を口にした。
「西の辺境にある修道院!」
物語と同じく、その地には、身寄りのない母子を受け入れてくれる修道院が存在する。
そこは、ヒロインがハンナと同じ一文を残して身を寄せる場所だった。
「マードック、高速馬車の用意をお願い! 二泊くらいの準備も急いでちょうだい」
執事長とのやり取りと慌ただしく動き始めた使用人たちを驚いた顔で見ていたヘンリクに、私は言った。
「西の辺境には、身寄りのない母子を受け入れてくれる修道院があるのです。そこへ向かった可能性が高いわ。私たちは引き続き王都周辺を探しますから、侯爵閣下はそちらへ向かって下さい。恐らく乗合馬車を使ったと思うから、駅を辿って行けば途中で追いつくはずよ」
口を開きかけたヘンリクの背中を押して、ホールへ送り出した。
「ハンナさんを連れて帰れなければ、家には入れませんからね」
その物語のヒロインは、玉の輿を嫉妬する友人の罠にはまり、媚薬を盛られて見知らぬ男性と共に部屋に閉じ込められてしまった。その後に妊娠が分かり、置手紙を残してヒーローの元を去って西の辺境にある修道院へ向かうのだ。
後に、閉じ込められた二人には関係がなかったことも分かり、親子三人の穏やかな生活の描写で物語は終わる。
もちろん完全に物語と同じではないし筋書き通りになるとは限らない。しかし、状況的に可能性があるなら行動あるのみだ。
馬車に乗り込むヘンリクに、私はあの論文と古代の物語を渡した。
「侯爵閣下はもう少し女心を学ばれた方がよろしいですわ。リボンを挟んだ部分を特に熟読してください。妻のある男性の子を身籠り、その子の将来のために子を手放さなければならない女性の苦悩が書かれています。それから、心から信じていた夫が身分の高い女性を正妻に迎える事になった女性の苦悩がいかほどの物か、じっくりお考え下さい」
ついでに「ハーレム野郎許すまじ、地獄に落ちろ」の論文と考察も渡しておく。
馬車を見送り、チーム「沼」の侍女たちを振りかえって思わず呟いた。
「私、ハンナさんが羨ましいわ。あんな恋がしてみたいわね」
部屋に戻り、用意されていた軽食を取った後、お茶を飲みながほっと一息ついて居た時、ヘンリクの帰宅を知らされたので急いでホールに行くと、憔悴した様子のヘンリクが玄関から入って来たところだった。
「ヴィッセル侯爵閣下! ハンナさんは?」
滑るように階段を降りながら声を掛けると、ヘンリクは泣きそうな顔を私に向けて来た。
「昨夜、別邸に着いた時にはもうハンナは居なかったんだ。部屋に置手紙があって……」
そう言って、亡霊のように立ったままホールで話し始めたので、急いで隣接している応接室に連れて行き、お茶と軽食の準備を頼んだ。この様子では恐らく昨日から飲まず食わずだったはず。
「少し落ち着いて、初めから順に話してください」
とにかく座らせて、有無を言わさずカップを渡して飲み干してから話すように言った。
「実家の男爵邸や友人の家に問い合わせの使者を出したんだ。でもハンナはどこにもいなかった。家の馬車を使っていないから、今朝からは教会や辻馬車に聞き込みをしていて、その間に読んだ置手紙の内容が…… もう私はどうしていいか……」
私はヘンリクが握りしめるカップをその手から抜き取り、新しいカップを差し出した。ヘンリクは、そのお茶を一息に飲み干すと、苦しそうに声を絞り出した。
「……ハンナに子供が出来たんだ。でも、もしかしたら私の子ではないかもしれないと書かれてあった。半月ほど前、私の訪れの無い夜にやり切れない思いを紛らわせるために参加した仮面舞踏会で……、探さないでくれと……」
そう言うと、頭を抱えて蹲った。
アレックスと共謀したジゼルは、多くの貴族家に対して行った悪事が明らかになった以上、アレックスと同じく極刑は免れない。しかし、既にこの事を知っているであろう性悪な「親友」たちが第二のジゼルになるのは間違いない。
自分の過ちを隠しおおす事は出来ない。そしてこれ以上彼らの言いなりになる事を拒むため、ハンナは打ち明けたのだ。そして姿を消した。
ヘンリクの手から滑り落ちて絨毯の上を転がっていくカップを目で追いながら、私は次の展開を確かめるために声を掛けた。
「それで? ハンナさんを探すのをやめて戻ってきたというの?」
思ったよりずいぶん低く太い声が出た。私のその言葉に、ヘンリクは首を横に振った。
「いいや、まだ探しているが、どこに居るか全く手掛かりがない。とにかく探し出して……」
「探し出して、どうするつもりなの?」
ヘンリクからハンナを責める言葉が出れば私は何もしない。
罪を一人で背負う覚悟で去っていったハンナを、わざわざ探し出してまで責めて追い詰めるつもりはないのだ。
ヘンリクは、彼の言葉を遮った私の問いに、俯いて呟いた。
「……ハンナに、会いたい……」
彼の口から出た言葉は、いかにも【常春の君】らしい、物語のヒーローとしては完璧な答えだった。
思わず口角が上がる。私の心は決まった。
「あなた、夜会で私が言った言葉をちゃんと聞いていたの? (仮面舞踏会に誘い込み、飲み物に薬を混ぜて前後不覚にする。目が覚めた時に半裸で同衾していれば既成事実としては成り立つ)と言ったでしょう?」
その言葉に、ヘンリクはハッとしたように顔を上げた。
「愛人同士が共謀していたのよ? その目の前で他の女性と事に及ぶと思う?」
侍女たちを振り返ると、全員が首を横に振った。
流石、優秀な彼女たちは察しが良い。
すると、グレーテルとヘルミーネの手が上がった。私が頷くと二人は交互に話し出した。
「ハンナ様のお腹のお子は、旦那様のお子で間違いないと思います」
「少し前から体調を崩されていたと聞いています。その頃に既にご懐妊の兆候があったなら、妊娠五週目前後と考えられます」
「その仮面舞踏会は半月前、つまり二週間前ですから、ご懐妊の兆候が出るには早すぎます」
「それよりも、その時期にアルコールと薬物の摂取と言うのが気になります。奥様、どんな薬かご存知ですか?」
二人の話を、みんなが目を丸くして聞き入っていた。私はその問いに、我に返ってその問いに答えた。
「軽い眠気を催す薬だと聞いているわ。アルコールと合わせて作用を強めていたようよ。それにしても、二人とも凄いわ!」
そう言うと、二人は嬉しそうに顔を見合わせて答えた。
「最近、一番上の姉が三人目を出産したばかりなんです」
「それに、義兄は薬屋を営む家の長男で、本人も薬師なんですよ。後で薬の名前を教えてください」
「薬によってはあまり心配しなくていいものもあるようですし、義兄に詳しく聞いておきます」
蒼白に近かったヘンリクの顔に赤みが戻り、心なしか顔つきも精悍になったような気がする。後はハンナの居場所だ。心当たりは全て探したというヘンリクに、何かヒントはないかと思って手紙を見せてもらった。
この手紙を書くのはどれだけ苦しかった事だろう。
全てを打ち明ける内容に加え、私への無礼の謝罪と、ヘンリクのこれからの幸せを願っているという言葉が綴られている。
最後の一文を目にした時、ある物語が私の脳裏に浮かんだ。
「お腹の子どもは、世界で一番愛しているあなたの子どもだと信じ、大切に愛情を込めて育てます。この子を授けてくれてありがとう」
その最後の一文を口に出して読み上げ、チーム「沼」へ視線を送った。
すると、全員が声を揃えてある場所を口にした。
「西の辺境にある修道院!」
物語と同じく、その地には、身寄りのない母子を受け入れてくれる修道院が存在する。
そこは、ヒロインがハンナと同じ一文を残して身を寄せる場所だった。
「マードック、高速馬車の用意をお願い! 二泊くらいの準備も急いでちょうだい」
執事長とのやり取りと慌ただしく動き始めた使用人たちを驚いた顔で見ていたヘンリクに、私は言った。
「西の辺境には、身寄りのない母子を受け入れてくれる修道院があるのです。そこへ向かった可能性が高いわ。私たちは引き続き王都周辺を探しますから、侯爵閣下はそちらへ向かって下さい。恐らく乗合馬車を使ったと思うから、駅を辿って行けば途中で追いつくはずよ」
口を開きかけたヘンリクの背中を押して、ホールへ送り出した。
「ハンナさんを連れて帰れなければ、家には入れませんからね」
その物語のヒロインは、玉の輿を嫉妬する友人の罠にはまり、媚薬を盛られて見知らぬ男性と共に部屋に閉じ込められてしまった。その後に妊娠が分かり、置手紙を残してヒーローの元を去って西の辺境にある修道院へ向かうのだ。
後に、閉じ込められた二人には関係がなかったことも分かり、親子三人の穏やかな生活の描写で物語は終わる。
もちろん完全に物語と同じではないし筋書き通りになるとは限らない。しかし、状況的に可能性があるなら行動あるのみだ。
馬車に乗り込むヘンリクに、私はあの論文と古代の物語を渡した。
「侯爵閣下はもう少し女心を学ばれた方がよろしいですわ。リボンを挟んだ部分を特に熟読してください。妻のある男性の子を身籠り、その子の将来のために子を手放さなければならない女性の苦悩が書かれています。それから、心から信じていた夫が身分の高い女性を正妻に迎える事になった女性の苦悩がいかほどの物か、じっくりお考え下さい」
ついでに「ハーレム野郎許すまじ、地獄に落ちろ」の論文と考察も渡しておく。
馬車を見送り、チーム「沼」の侍女たちを振りかえって思わず呟いた。
「私、ハンナさんが羨ましいわ。あんな恋がしてみたいわね」



