私は、ヴィクトリア・ヴィッセル・ウェーバー。
王命により決められた夫、ヴィッセル侯爵ヘンリクと初対面の日に結婚式を挙げ、それに伴い侯爵夫人となったのだ。ラストネームが表す通り、実家の爵位も併せ持っている。
結婚式が初対面になったのは、周囲の都合の良い思惑が渦巻いた結果だ。
三年前、当時まだ小侯子だったヘンリクは、貴族学園でとある男爵令嬢と運命の出会いを果たした。そして、並み居る他のライバルたちを抑えて真実の愛の契りを結んでしまったのだ。
王家とも繋がりのあるヴィッセル侯爵家では、正妻に迎える女性は純潔でなければならないと決められているが、ちょうどその頃ヘンリクは代替わりで侯爵位を次いでおり、たった一度きりの関係を知られさえしなければ結婚には問題無いと考えていた。
しかし、その事をヘンリクに聞かされて固く秘すると約束したにもかかわらず、その男爵令嬢はとある友人に侯爵夫人になるのだと秘密を打ち明けてしまった。それを知ったヘンリクが慌ててその友人の令嬢に口止めをしたのだが時はすでに遅く、婚約すら結ばずに関係を持ってしまった二人の関係はあっという間に社交界に広がっていったのだ。
当然二人の結婚は認められなかったが、手を出してしまった事実に加え、その令嬢を真実の愛の相手と信じているヘンリクは彼女を手放せず、友人として支援する形で邸を与えて生活のすべてを負担している。
建前はどうあれ、いくら侯爵であっても実質的な愛人を囲っている男の元に縁付こうなどという家や令嬢は皆無だった。愛人の子は後継にはなれないため、血のつながりのある家から養子をとることも検討したが、醜聞を抱えた家を継ぎたくないと辞退が続出し、親戚や寄り子の貴族家は頭を抱えていたのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが私、新たにウェーバー女公爵となったヴィクトリアだった。
先代女公爵ティタニアが亡くなり、嫡男でありながら平民と結ばれた父一家はヴィクトリア一人を残して隣国へ渡っている。そして私は、女公爵の地位を継いだものの財産も後ろ盾もなく、修道院の一室を借り受けて暮らしていた。
地位は申し分なく、どんな境遇に置いたとしても咎める人物などいない。噂通りであれば社交など出来るとは思われておらず、修道院から出て侯爵家で暮らせるというだけで涙を流して感謝するに違いない。ヴィッセル侯爵家としては形だけの正妻さえいれば良いのだ。あわよくば後継に恵まれたら万々歳、出来なければ何とでも利用することは出来る。お飾りの妻として娶るのにはうってつけの令嬢という訳だ。
なぜ私がここまで侮られなければならないのか。その理由は広く知れ渡った実家のウェーバー公爵家の状況にある。
使用人は執事と三人のメイドと料理人だけ。
王都の隅でひっそりと、平民の商会の手助けを受けながら惨めな生活を送る名ばかりの公爵家。
婿養子だった元王子の祖父によく似た、穏やかで大人しい父と侍女だった元平民の後妻、ひっつめたおさげ髪に黒ぶち眼鏡の、地味を突き抜けて最近では【野暮令嬢】と綽名され、貴族学園の費用が払えずに退学したと噂されている私と、まだ幼い弟。
そして、諦めたのかはたまた年のせいか、いつの頃からか王宮に赴くことも無くなり、社交界からも遠ざかった、かつての威厳を失った女公爵。
そんな絵にかいたような没落状態の一家を、王家を始め王国中の貴族家が侮っていたのだ。
そうして誰からも顧みられずひっそりと生活を送る中、とうとう祖母が帰らぬ人となってしまった。
数日間ずっと眠ったままの祖母の枕辺に父と共に付き添い、私はその手を握り続けていた。このまま一人で逝かせたくはなかったのだ。すると、不意に目覚めた祖母は、顔を覗き込む父と私に、最期の力を振り絞って告げた。
「わたくしの逝去を知らせるのは全てが終ってからです。二人とも、ウェーバー公爵家の矜持を持って、それぞれの場所で最善を尽くしなさい」
そして私が握る手を力強く握り返すと、いつもと変わらぬ愛おしそうな眼差しを向けて言葉を続けた。
「あなたにはずいぶん苦労を掛けましたね。ヴィクトリア、あなたはわたくしの誇りよ。わたくしの孫に生まれて来てくれてありがとう」
そう言って微笑んだ姿は、私の中で永遠の祖母の面影となった。
葬儀はひっそりと行われ、その日のうちに父と義母と幼い弟は、隣国に向けて出発した。その地では、義母の父、義祖父のメローナ商会長が父と共に数年をかけて準備を整えていたのだ。
メローナ商会の商隊と合流して幌馬車に乗り込んだ彼らと抱擁を交わして見送った私は、領地のカントリーハウスと王都のタウンハウスを手放し、王都のはずれにある、未婚の令嬢の教育の場となっている修道院の一室を借り受けて一人身を寄せていた。
そして、大切な家族が無事に国境を越えたと知らせを受けた日、祖母の逝去と私の公爵就任の届けを郵送した。
この国には、武のバルテス、文のウェーバーと呼ばれる二つの公爵家が存在する。
バルテス公爵家は、王国内の軍と騎士、平民の衛士に至るまで、武に関わる全てを掌握し管理している家だ。そして、有事の際に軍と騎士の全権を握り指揮を執るのはバルテス家であり、その最高責任者は国王ではなくバルテス公爵となる。
ウェーバー公爵家は、二千年ほど前から近隣国と統廃合を繰り返した結果、今の国割りに落ち着いた経緯や、その都度結ばれて来た膨大な量の条約や契約、各国の法律など、公文書に用いられている古代文字の解読と翻訳を担ってきた家だ。加えて、この国の王位継承に関わる公文書は、ウェーバー公爵でなければ作成できない。
二つの公爵家は、政務を司る王家と三つ巴を形成して長年国を治めてきたのだ。
およそ千年前の建国以来続くその関係上、王家はこの両公爵家を手放せない。
さて、ウェーバー家の出した届けを知った王家がどう出るか。
ヴィクトリアは祖父母が残してくれた古代文学の書物の一冊を手に取り、窓辺の椅子にゆったりと腰かけた。
その書物は千五百年ほど前に書かれたものだが、書物の中の人々の営みや男女の機微は驚くほど豊かだ。今、誰かの人生として繰り広がったとしてもおかしくはない。
「歴史は轍を踏む」
そう言った誰かの言葉を祖父はよく口にしていた。
『もしかして実話なのかしら。そうすると、物語と同じ人生を繰り返す人もいるかもしれないわね』
魂の声でそう呟き、物語の世界に浸りながら時が来るのを待った。
王命により決められた夫、ヴィッセル侯爵ヘンリクと初対面の日に結婚式を挙げ、それに伴い侯爵夫人となったのだ。ラストネームが表す通り、実家の爵位も併せ持っている。
結婚式が初対面になったのは、周囲の都合の良い思惑が渦巻いた結果だ。
三年前、当時まだ小侯子だったヘンリクは、貴族学園でとある男爵令嬢と運命の出会いを果たした。そして、並み居る他のライバルたちを抑えて真実の愛の契りを結んでしまったのだ。
王家とも繋がりのあるヴィッセル侯爵家では、正妻に迎える女性は純潔でなければならないと決められているが、ちょうどその頃ヘンリクは代替わりで侯爵位を次いでおり、たった一度きりの関係を知られさえしなければ結婚には問題無いと考えていた。
しかし、その事をヘンリクに聞かされて固く秘すると約束したにもかかわらず、その男爵令嬢はとある友人に侯爵夫人になるのだと秘密を打ち明けてしまった。それを知ったヘンリクが慌ててその友人の令嬢に口止めをしたのだが時はすでに遅く、婚約すら結ばずに関係を持ってしまった二人の関係はあっという間に社交界に広がっていったのだ。
当然二人の結婚は認められなかったが、手を出してしまった事実に加え、その令嬢を真実の愛の相手と信じているヘンリクは彼女を手放せず、友人として支援する形で邸を与えて生活のすべてを負担している。
建前はどうあれ、いくら侯爵であっても実質的な愛人を囲っている男の元に縁付こうなどという家や令嬢は皆無だった。愛人の子は後継にはなれないため、血のつながりのある家から養子をとることも検討したが、醜聞を抱えた家を継ぎたくないと辞退が続出し、親戚や寄り子の貴族家は頭を抱えていたのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが私、新たにウェーバー女公爵となったヴィクトリアだった。
先代女公爵ティタニアが亡くなり、嫡男でありながら平民と結ばれた父一家はヴィクトリア一人を残して隣国へ渡っている。そして私は、女公爵の地位を継いだものの財産も後ろ盾もなく、修道院の一室を借り受けて暮らしていた。
地位は申し分なく、どんな境遇に置いたとしても咎める人物などいない。噂通りであれば社交など出来るとは思われておらず、修道院から出て侯爵家で暮らせるというだけで涙を流して感謝するに違いない。ヴィッセル侯爵家としては形だけの正妻さえいれば良いのだ。あわよくば後継に恵まれたら万々歳、出来なければ何とでも利用することは出来る。お飾りの妻として娶るのにはうってつけの令嬢という訳だ。
なぜ私がここまで侮られなければならないのか。その理由は広く知れ渡った実家のウェーバー公爵家の状況にある。
使用人は執事と三人のメイドと料理人だけ。
王都の隅でひっそりと、平民の商会の手助けを受けながら惨めな生活を送る名ばかりの公爵家。
婿養子だった元王子の祖父によく似た、穏やかで大人しい父と侍女だった元平民の後妻、ひっつめたおさげ髪に黒ぶち眼鏡の、地味を突き抜けて最近では【野暮令嬢】と綽名され、貴族学園の費用が払えずに退学したと噂されている私と、まだ幼い弟。
そして、諦めたのかはたまた年のせいか、いつの頃からか王宮に赴くことも無くなり、社交界からも遠ざかった、かつての威厳を失った女公爵。
そんな絵にかいたような没落状態の一家を、王家を始め王国中の貴族家が侮っていたのだ。
そうして誰からも顧みられずひっそりと生活を送る中、とうとう祖母が帰らぬ人となってしまった。
数日間ずっと眠ったままの祖母の枕辺に父と共に付き添い、私はその手を握り続けていた。このまま一人で逝かせたくはなかったのだ。すると、不意に目覚めた祖母は、顔を覗き込む父と私に、最期の力を振り絞って告げた。
「わたくしの逝去を知らせるのは全てが終ってからです。二人とも、ウェーバー公爵家の矜持を持って、それぞれの場所で最善を尽くしなさい」
そして私が握る手を力強く握り返すと、いつもと変わらぬ愛おしそうな眼差しを向けて言葉を続けた。
「あなたにはずいぶん苦労を掛けましたね。ヴィクトリア、あなたはわたくしの誇りよ。わたくしの孫に生まれて来てくれてありがとう」
そう言って微笑んだ姿は、私の中で永遠の祖母の面影となった。
葬儀はひっそりと行われ、その日のうちに父と義母と幼い弟は、隣国に向けて出発した。その地では、義母の父、義祖父のメローナ商会長が父と共に数年をかけて準備を整えていたのだ。
メローナ商会の商隊と合流して幌馬車に乗り込んだ彼らと抱擁を交わして見送った私は、領地のカントリーハウスと王都のタウンハウスを手放し、王都のはずれにある、未婚の令嬢の教育の場となっている修道院の一室を借り受けて一人身を寄せていた。
そして、大切な家族が無事に国境を越えたと知らせを受けた日、祖母の逝去と私の公爵就任の届けを郵送した。
この国には、武のバルテス、文のウェーバーと呼ばれる二つの公爵家が存在する。
バルテス公爵家は、王国内の軍と騎士、平民の衛士に至るまで、武に関わる全てを掌握し管理している家だ。そして、有事の際に軍と騎士の全権を握り指揮を執るのはバルテス家であり、その最高責任者は国王ではなくバルテス公爵となる。
ウェーバー公爵家は、二千年ほど前から近隣国と統廃合を繰り返した結果、今の国割りに落ち着いた経緯や、その都度結ばれて来た膨大な量の条約や契約、各国の法律など、公文書に用いられている古代文字の解読と翻訳を担ってきた家だ。加えて、この国の王位継承に関わる公文書は、ウェーバー公爵でなければ作成できない。
二つの公爵家は、政務を司る王家と三つ巴を形成して長年国を治めてきたのだ。
およそ千年前の建国以来続くその関係上、王家はこの両公爵家を手放せない。
さて、ウェーバー家の出した届けを知った王家がどう出るか。
ヴィクトリアは祖父母が残してくれた古代文学の書物の一冊を手に取り、窓辺の椅子にゆったりと腰かけた。
その書物は千五百年ほど前に書かれたものだが、書物の中の人々の営みや男女の機微は驚くほど豊かだ。今、誰かの人生として繰り広がったとしてもおかしくはない。
「歴史は轍を踏む」
そう言った誰かの言葉を祖父はよく口にしていた。
『もしかして実話なのかしら。そうすると、物語と同じ人生を繰り返す人もいるかもしれないわね』
魂の声でそう呟き、物語の世界に浸りながら時が来るのを待った。



