2025年10月の話になる。
40代後半のアルバイト店員、ヤスヒコは、大阪府内のあるレコードショップで、仕事をしている。
仕事と言えば、いつも、アーティストのCDを並べて、そして、それを、売るのだが、CDの売り上げなんて当たり前だが、2026年の現代日本では、売れ行きが悪かった。
このレコードショップでは、アキヒコは、40代後半のアルバイト店員だが、店長は、60代男性である。アキヒコは、一応、地方と言いながら、国立大学を卒業しても、要領は悪かった。
ヤスヒコは、高齢になった両親と3人で暮らしている。
そして、「ああ、うちには、もう金がない」なんて言われて、そう言いながら、ヤスヒコは、本当は、CDというよりも、子供の頃、「歌手になりたい」と思って、今のお店に何とか、アルバイト店員で仕事をしているが、本当は、ヤスヒコは、手術が、原因で、前の会社が、解雇になった。
それは、甲状腺の手術をしたのだが、運悪く、会社にいることが、できず、到頭、40代後半になると、ヤスヒコは、もう、雇ってくれる会社は、ない。たまたま、スマホの履歴書で、「学生時代、一人でソロボーカルをしていた」とだけ書いたら、ここのレコードショップのアルバイト店員になった。
ヤスヒコは、寂しい思いをしていた。
確かに、もう、時代は、変わってきて、もう、人工知能なんて、出てきて、そして、人間の歌手よりも、人工知能が歌手になって歌っている。そして、もう、ヤスヒコが、以前、好きだった歌は、時代遅れになっている。
お店もすったもんだが、あって、レコードショップを、3日ほど、休むことになった。
そして、この不景気に、店長は、どうして、休店しているのだろうか?とか思いながら、ちょっと、思った。
暇な時間ができた。
実は、両親も、家に数日、不在である。
家でポツンと何かスマホの動画を観ても、そして、音楽を聴いても、どうにもならないと思った。
大学を卒業して、何年と旅行なんてしていない。
そもそも、ヤスヒコは、内気だったから、会社でも出世が遅れ、そして、同窓会でも、みんな、子供の話をしていて、何となく肩身が狭かった。そして、とどめは、勤務していた食品メーカーで、上司のパワハラにあい、そして、営業成績があがらず、そして、激務から、甲状腺の病気になり、それで、雇っていた会社から、戦力外通告を受けた。
大阪の地元の両親は、「それ、ヤスヒコは、そんな大手企業は無理だったんだ」と言っていた。
半年ほど、家で引きこもっていたが、ヤスヒコは、学生時代、ソロボーカルをしていて、大学祭で、一人で歌っていたが、大学の教授は、何故か、それを、褒めていた。いや、ヤスヒコは、本当は、ソロボーカルよりも、電車の運転士になりたいとずっと思っていた。
ヤスヒコは、本当は、大学は、東京へ行きたいと思っていたが、両親に「ダメだ」と言われて、反論できず、地方の大学へ行っていた。
反対に、今のレコードショップの店長は、60代である。
しかし、店長は、「へぇ、ソロボーカルですか」「すごいですね」「なら、うちで仕事しませんか?」と言っている。
しかし、高齢になった両親も、また、レコードショップの店長も、それから、いつも通っている病院のお医者さんも、「ソロボーカルをしているって、すごいよ」と言われていた。
前の会社でも、ずっと、歌っていて、みんなは、野球とかサッカーとかバスケットボールの話を、男性社員はしていたが、ヤスヒコは、運動神経が音痴だったゆえに、仲間に入れなかった。
この3日を、どう過ごそうか?
この時、ヤスヒコは、「電車を見たい」と思った。
そして、「そうだ、新幹線で、東京まで行って、憧れの京急電車を見ようか」などと思った。
貯金を見たら、新幹線の料金なら払える。
そして、早速だけど、ヤスヒコは、新幹線のチケットをスマホですぐに予約した。そして、そのまま、ホテルの予約もした。
朝10時に、地元の駅を出て、電車に乗り継ぎ、なんば駅まで出てきた。そして、なんば駅から、東京の人なら「丸ノ内線」と呼ぶであろう大阪メトロ御堂筋線に乗って、新大阪駅まで向かった。
そして、定時の新幹線のぞみ号で、品川駅まで向かった。
そして、新幹線の品川駅から、京急電車のプラットフォームへ行くと、ヤスヒコは、憧れの京急電車の先頭車両を見たいなんて思って並んでいた。しかし、その時、ヤスヒコは、品川駅の発着メロディーが流れてきた。「赤い電車」が、流れてきて、つい口ずさんだ。
この電車の車両は、好きだった。
そして、そう、今日は、この電車が、好きで、東京まで来たのだが、身体は、赤い電車のメロディーを口ずさんでいる。
ヤスヒコは、眼科で、色弱だから、電車の運転士になれないと言われていた。
だから、不憫に思ったヤスヒコの母親は、「別に運動ができなくても良い」と言った。
品川駅から、電車に乗っている。
そして、電車の先頭車両に乗って、気がついた。
運転士さんは、歌いながら、品川から三崎口まで運転できるか?
いや、できないだろう、と、感じた。
YouTubeの動画で、京急電車の横浜駅なら、「ブルーライトヨコハマ」なら流れているのを知っていた。
京急電車の快特の車両が、好きでも、残念ながら、色弱の体質に、運転士の夢を諦めた。
電車は、横浜駅に着いた。
そして、ヤスヒコは、一旦、電車から降りた。
ー街の明かりがとても綺麗ねヨコハマブルーライトヨコハマ
と聴こえてきた。
ヤスヒコは、わざわざ、関西から横浜まで来て何をしているのだろうか?とも思った。
電車は、横浜駅を出て、三崎口方面に向かって出発した。
その時、ヤスヒコは、つい、「ブルーライトヨコハマ」を口ずさんでいた。そして、気がついた。ああ、オレって、変だなぁとか思った。電車が好きだったんじゃないか。だけど、横浜駅で、「ブルーライトヨコハマ」を口ずさんでいる。自分は、果たして、撮り鉄だったか、どうか、ちょっと分からなくなってきた。
電車は、好きだが、動画を撮る前に、歌っている。
会社員だった時でも、いつも、昼休み、一人で、屋上で歌っていた。
ヤスヒコは、一旦、横浜駅の改札をくぐって、駅前の飲食店で、マグロ丼を食べて、それで、近所にカラオケボックスがあるのに、気がついた。しかし、寂しかった。
東京とか横浜まで来ているなら、折角なら、東京ドームへ行くとか東京スカイツリーへ行くなのに、横浜駅周辺で何をしているのか、とヤスヒコは、自問自答をした。そして、カラオケボックスへ入った。
そして、入ったら
「お客さん、お客さん」
と女性店員が、言った。
「今日、ここのカラオケボックスで、高得点を出した人は、一時間の料金が、10%安くなります」
と言って
「良かったら、エントリーして、歌ってみませんか?」
と女性店員は、ヤスヒコに言った。
そして、カラオケボックスの機械をセットして、ヤスヒコは、いきものがかり「ブルーバード」を歌った。
ーはばたいたら戻らないと言って
と口ずさんだ。
すると、95点が出た。
そして、数曲、歌って、一時間が過ぎて帰ろうとした。
「お客さん、この近所?」
と、さっきの店員さんが、やって来た。
「いや、僕、横浜の人間じゃなくて、関西なんです」
と、言った。
そして、彼女は、ヤスヒコに「私も、いきものがかりのファンです」と言い残した。
「でも、また、関西から横浜に来た時、どうぞこちらのお店に来てください」
と彼女は、言った。
その時、ヤスヒコは、つい「名前を教えてほしい、下の名前」と言った。
もう、会うことないだろうと思いながら。
「サオリ」と、彼女は、答えた。
そして、ヤスヒコは、その日、横浜駅から、再び、品川まで進んで、浅草線で、浅草まで行き、そこの安いホテルに泊まって、朝、東京駅から、新幹線で大阪へ帰った。
サオリの名前だけ聴いて、また、淡々と、レコードショップの仕事をしていた。ヤスヒコは、たまに、ソロボーカルで、公園のイベントで、客がいない中、歌っていた。勿論、たまに、「良かったよ」と言って、たまに、お菓子をもらう程度だった。いや、両親も、お医者さんも、認めている。
店長だって、いいじゃない、公園で歌うのってと言う。保健センターの人も認めている。
2026年2月も半ばになった。
梅の花がチラホラ咲いている。
バレンタインデーで、誰からも、チョコレートをもらうなんて、なかった。
その次の日だった。
60代の店長が、「今日から、新しいスタッフ、バイトスタッフだけと入るから」
と言った。
そして、観たら、横浜のカラオケボックスで受付をしていたサオリが、いた。
60代の店長は、不思議そうに二人の顔を観た。
「あれ、どうしたの?」
と言った。
60代の店長は、それから、しばらくして、身体がもういうことがきかないとなって。、二人に店を譲った。胃腸の調子が悪いと言っていた。それで、ヤスヒコが、正社員になって、サオリと二人でお店の経営をしていた。
ヤスヒコは、経営センスがないから、ボーカルをしていたが、サオリは、店長になったそうな。サオリが、経営などのやり繰りをして、ヤスヒコは、CDを出し、夫婦になった。<完>
40代後半のアルバイト店員、ヤスヒコは、大阪府内のあるレコードショップで、仕事をしている。
仕事と言えば、いつも、アーティストのCDを並べて、そして、それを、売るのだが、CDの売り上げなんて当たり前だが、2026年の現代日本では、売れ行きが悪かった。
このレコードショップでは、アキヒコは、40代後半のアルバイト店員だが、店長は、60代男性である。アキヒコは、一応、地方と言いながら、国立大学を卒業しても、要領は悪かった。
ヤスヒコは、高齢になった両親と3人で暮らしている。
そして、「ああ、うちには、もう金がない」なんて言われて、そう言いながら、ヤスヒコは、本当は、CDというよりも、子供の頃、「歌手になりたい」と思って、今のお店に何とか、アルバイト店員で仕事をしているが、本当は、ヤスヒコは、手術が、原因で、前の会社が、解雇になった。
それは、甲状腺の手術をしたのだが、運悪く、会社にいることが、できず、到頭、40代後半になると、ヤスヒコは、もう、雇ってくれる会社は、ない。たまたま、スマホの履歴書で、「学生時代、一人でソロボーカルをしていた」とだけ書いたら、ここのレコードショップのアルバイト店員になった。
ヤスヒコは、寂しい思いをしていた。
確かに、もう、時代は、変わってきて、もう、人工知能なんて、出てきて、そして、人間の歌手よりも、人工知能が歌手になって歌っている。そして、もう、ヤスヒコが、以前、好きだった歌は、時代遅れになっている。
お店もすったもんだが、あって、レコードショップを、3日ほど、休むことになった。
そして、この不景気に、店長は、どうして、休店しているのだろうか?とか思いながら、ちょっと、思った。
暇な時間ができた。
実は、両親も、家に数日、不在である。
家でポツンと何かスマホの動画を観ても、そして、音楽を聴いても、どうにもならないと思った。
大学を卒業して、何年と旅行なんてしていない。
そもそも、ヤスヒコは、内気だったから、会社でも出世が遅れ、そして、同窓会でも、みんな、子供の話をしていて、何となく肩身が狭かった。そして、とどめは、勤務していた食品メーカーで、上司のパワハラにあい、そして、営業成績があがらず、そして、激務から、甲状腺の病気になり、それで、雇っていた会社から、戦力外通告を受けた。
大阪の地元の両親は、「それ、ヤスヒコは、そんな大手企業は無理だったんだ」と言っていた。
半年ほど、家で引きこもっていたが、ヤスヒコは、学生時代、ソロボーカルをしていて、大学祭で、一人で歌っていたが、大学の教授は、何故か、それを、褒めていた。いや、ヤスヒコは、本当は、ソロボーカルよりも、電車の運転士になりたいとずっと思っていた。
ヤスヒコは、本当は、大学は、東京へ行きたいと思っていたが、両親に「ダメだ」と言われて、反論できず、地方の大学へ行っていた。
反対に、今のレコードショップの店長は、60代である。
しかし、店長は、「へぇ、ソロボーカルですか」「すごいですね」「なら、うちで仕事しませんか?」と言っている。
しかし、高齢になった両親も、また、レコードショップの店長も、それから、いつも通っている病院のお医者さんも、「ソロボーカルをしているって、すごいよ」と言われていた。
前の会社でも、ずっと、歌っていて、みんなは、野球とかサッカーとかバスケットボールの話を、男性社員はしていたが、ヤスヒコは、運動神経が音痴だったゆえに、仲間に入れなかった。
この3日を、どう過ごそうか?
この時、ヤスヒコは、「電車を見たい」と思った。
そして、「そうだ、新幹線で、東京まで行って、憧れの京急電車を見ようか」などと思った。
貯金を見たら、新幹線の料金なら払える。
そして、早速だけど、ヤスヒコは、新幹線のチケットをスマホですぐに予約した。そして、そのまま、ホテルの予約もした。
朝10時に、地元の駅を出て、電車に乗り継ぎ、なんば駅まで出てきた。そして、なんば駅から、東京の人なら「丸ノ内線」と呼ぶであろう大阪メトロ御堂筋線に乗って、新大阪駅まで向かった。
そして、定時の新幹線のぞみ号で、品川駅まで向かった。
そして、新幹線の品川駅から、京急電車のプラットフォームへ行くと、ヤスヒコは、憧れの京急電車の先頭車両を見たいなんて思って並んでいた。しかし、その時、ヤスヒコは、品川駅の発着メロディーが流れてきた。「赤い電車」が、流れてきて、つい口ずさんだ。
この電車の車両は、好きだった。
そして、そう、今日は、この電車が、好きで、東京まで来たのだが、身体は、赤い電車のメロディーを口ずさんでいる。
ヤスヒコは、眼科で、色弱だから、電車の運転士になれないと言われていた。
だから、不憫に思ったヤスヒコの母親は、「別に運動ができなくても良い」と言った。
品川駅から、電車に乗っている。
そして、電車の先頭車両に乗って、気がついた。
運転士さんは、歌いながら、品川から三崎口まで運転できるか?
いや、できないだろう、と、感じた。
YouTubeの動画で、京急電車の横浜駅なら、「ブルーライトヨコハマ」なら流れているのを知っていた。
京急電車の快特の車両が、好きでも、残念ながら、色弱の体質に、運転士の夢を諦めた。
電車は、横浜駅に着いた。
そして、ヤスヒコは、一旦、電車から降りた。
ー街の明かりがとても綺麗ねヨコハマブルーライトヨコハマ
と聴こえてきた。
ヤスヒコは、わざわざ、関西から横浜まで来て何をしているのだろうか?とも思った。
電車は、横浜駅を出て、三崎口方面に向かって出発した。
その時、ヤスヒコは、つい、「ブルーライトヨコハマ」を口ずさんでいた。そして、気がついた。ああ、オレって、変だなぁとか思った。電車が好きだったんじゃないか。だけど、横浜駅で、「ブルーライトヨコハマ」を口ずさんでいる。自分は、果たして、撮り鉄だったか、どうか、ちょっと分からなくなってきた。
電車は、好きだが、動画を撮る前に、歌っている。
会社員だった時でも、いつも、昼休み、一人で、屋上で歌っていた。
ヤスヒコは、一旦、横浜駅の改札をくぐって、駅前の飲食店で、マグロ丼を食べて、それで、近所にカラオケボックスがあるのに、気がついた。しかし、寂しかった。
東京とか横浜まで来ているなら、折角なら、東京ドームへ行くとか東京スカイツリーへ行くなのに、横浜駅周辺で何をしているのか、とヤスヒコは、自問自答をした。そして、カラオケボックスへ入った。
そして、入ったら
「お客さん、お客さん」
と女性店員が、言った。
「今日、ここのカラオケボックスで、高得点を出した人は、一時間の料金が、10%安くなります」
と言って
「良かったら、エントリーして、歌ってみませんか?」
と女性店員は、ヤスヒコに言った。
そして、カラオケボックスの機械をセットして、ヤスヒコは、いきものがかり「ブルーバード」を歌った。
ーはばたいたら戻らないと言って
と口ずさんだ。
すると、95点が出た。
そして、数曲、歌って、一時間が過ぎて帰ろうとした。
「お客さん、この近所?」
と、さっきの店員さんが、やって来た。
「いや、僕、横浜の人間じゃなくて、関西なんです」
と、言った。
そして、彼女は、ヤスヒコに「私も、いきものがかりのファンです」と言い残した。
「でも、また、関西から横浜に来た時、どうぞこちらのお店に来てください」
と彼女は、言った。
その時、ヤスヒコは、つい「名前を教えてほしい、下の名前」と言った。
もう、会うことないだろうと思いながら。
「サオリ」と、彼女は、答えた。
そして、ヤスヒコは、その日、横浜駅から、再び、品川まで進んで、浅草線で、浅草まで行き、そこの安いホテルに泊まって、朝、東京駅から、新幹線で大阪へ帰った。
サオリの名前だけ聴いて、また、淡々と、レコードショップの仕事をしていた。ヤスヒコは、たまに、ソロボーカルで、公園のイベントで、客がいない中、歌っていた。勿論、たまに、「良かったよ」と言って、たまに、お菓子をもらう程度だった。いや、両親も、お医者さんも、認めている。
店長だって、いいじゃない、公園で歌うのってと言う。保健センターの人も認めている。
2026年2月も半ばになった。
梅の花がチラホラ咲いている。
バレンタインデーで、誰からも、チョコレートをもらうなんて、なかった。
その次の日だった。
60代の店長が、「今日から、新しいスタッフ、バイトスタッフだけと入るから」
と言った。
そして、観たら、横浜のカラオケボックスで受付をしていたサオリが、いた。
60代の店長は、不思議そうに二人の顔を観た。
「あれ、どうしたの?」
と言った。
60代の店長は、それから、しばらくして、身体がもういうことがきかないとなって。、二人に店を譲った。胃腸の調子が悪いと言っていた。それで、ヤスヒコが、正社員になって、サオリと二人でお店の経営をしていた。
ヤスヒコは、経営センスがないから、ボーカルをしていたが、サオリは、店長になったそうな。サオリが、経営などのやり繰りをして、ヤスヒコは、CDを出し、夫婦になった。<完>

