街の目抜き通りは外門から直線に伸び、一番奥にリアス聖教会が。
その左手には庶民にも門戸の開かれた王立高等学舎がある。
年に二回行われる入学試験を通過したものなら誰でも、無償で教育を受けることが出来る。通年二期制で初等科一年中等科一年。二年間の一般教養課程を経て、はじめて専門課程へと進むことが可能だ。
それまで教育というものは一部の貴族間における嗜み程度の認識しか持たれていなかった為、市井の民の中からも、優秀な人材を発掘し育成すると云うのは、非常に画期的な試みだった。専門課程で学べるものは、天文学や薬草学といった魔術分野に含まれるものや、経済学や歴史学といった政治分野に含まれるものなどがある。
学舎による教育が始まって初めての卒業生を輩出したのが四年前。
それまでも、軍隊内では叩き上がりで功を成し、準貴族階級へとあがる庶民が、居るには居た。しかし学問における分野では、特殊な例を除き皆無であった。
高等学舎初の卒業生達の中でも庶民層である数名が、中央官吏職へと就いたのは、教育制度改革の礎を確実に築くという意味合いで快挙である。
以来、王都に一番近いと云う特色しか持たなかったクァルツに――学術都市と冠を付けるようになってからまだ数年である――英知の卵たちが集う。高等学舎への入学希望者向けとして、貴族の出資による私塾や家庭教師斡旋所なども増え、今やクァルツで学んでいる、と云うのはある種のステイタスでもある。
街に住まう人間の増加に比例するよう、経済面での需要も増え、その供給を助けるべく、街は確実に発展する。些細な犯罪などが増えるのは残念ではあるが。
聖王騎士団クァルツ支部長を務めている男は、叡智の塔主から使わされて来た私的な客人を迎え入れ、微妙な顔をした。
友人の弟である。
若い頃、それなりに暴れていたその男を、レイモンは、数度、正義と愛と友情の名の元に鉄槌を下したことがあった。いつからか、間諜紛いの事をしはじめ、小金を稼いでいるのは知っている。だが、それはあくまでも裏の仕事であり、表の世界の象徴とも云える騎士団とは一切関わりが無い。
挨拶の口上を述べた後、思案するように身体を揺らしたその男を眺め、頬を掻く。
「お前……自分から軍部に顔出すってぇ……面倒ごとにでも巻き込まれたか?」
「うっ……」
実に的確に自分の置かれている状況を表現しているその言葉に、エイゼルは言葉に詰まった。
祝祭週間に入る前までに、例の娘の足跡に関して、何らかの手掛かりを得ようと、サルスェから王都までの主要都市と主な地方都市を回り、手ぶらで王都に戻ったのが午前中。
叡智の塔主に小言を言われるのを覚悟していたのだが、予想は裏切られ、黒き賢者にしては慌てた様子で、クァルツに向かえと命じられた。
曰く「探索にひっかかったのは良いが、余計なことをしでかしたヤツがいるからどうにかしてこい。可能ならば軍に介入させるな。あくまでも私事なのだから」
「――これだろ」
ひらりと一枚の皮紙を寄越される。
公的文書ではなく、エイゼルがよく取り扱っている私的文書だ。
見覚えのある筆跡は、まさか縁付くとは思わなかったディエルの物に違いない。
貴族たちの好みそうな美辞麗句の散らばる、その手紙を読み進めるうちに「わわわわわ。でも、何て説明すれ――あああああ」と、落ち着き無く首を横に振ったのち、がくりと肩を落とした。
きりきりと痛む胃を押さえながら、必死で言葉を探す。
元来、エイゼルは内政には興味がない。
報酬が良ければ危険な橋を渡らないことも無いが、兎も角目立つような事を進んでやろうという意識は無かった。中央は長兄次兄に任せれば良いし、所領に関してもいまだ矍鑠としている父親が采配を振るっている。
若さゆえの過ちへの悔恨は、国を裏方から支える一部分に力を貸していると云う自己満足で、少しは晴らされていた。
然しながら、この一週間で、エイゼルの環境はかなり変化した。
現皇太子の弟達――王位継承者でも高位に位置する光雷の騎士から、無言の恨みを伝えるように目を眇められる事や、大司祭猊下から直接言を賜り、更には特命を受ける様な未来予想図は、エイゼルの描いていた物とは、真逆をいっている。
いずれは蓄えた財産で、可愛らしい娘を妻にし、市井の生活に紛れる――というささやかな夢とは。
「あのですね、閣下。これはだいぶ齟齬があるように……だいたい捕縛しちゃ駄目……だと思うんです。正しくは、保護という単語がこういう場合適切であって……何で猊下ワザと? あの人やっぱり俺で遊んでいる?」
「まぁお前みたいにイキが良いの猊下好きそうだしなあ。若さゆえにキリキリ尖がっちゃっている所なんて、猊下から見たら犬ころみたいで」
「それ、慰めになっていませんから! とりあえずですね、このお願いって正式な物じゃないですし意訳すると――見かけたら宜しくね。程度の物なんで、くれぐれも宜しくお願いします。俺ももう一度街中見てくるんで――」
外が騒がしい。バタバタと通路を走る足音が続き、執務室の扉が忙しなく叩かれる。
「いやあ、もう遅いかもしれん。うちの若いヤツら優秀だし。最近、やれ堤の修理だー。学舎講堂の修理だー。ばっかりで、自警っぽい事さえしてなかったからなあ」
レイモンは、涙目になったエイゼルから視線を外し、両腕を頭の後ろで組んだ。
「なんだ~?」
レイモンの間延びした声に相反する様、室内へと駆け込んできた新米騎士は緊張した面持ちで答える。
「は! 先ほど件の娘を捕縛し、拘留いたしました!」
明瞭快活。その報告に、エイゼルは蒼白になって声を失う。
この時ほど探索魔術に関して、もう少し研鑽を積んでおけば良かったと、後悔したことは無い。
◇◇◇
確かに今すぐどうにかなる問題じゃなかった。
寒い、冷たい。――痛い。
凛子は、横倒しになった視界で胡乱に今朝の言葉を反芻する。
石を積み上げられてできた壁面はしっとりと濡れていて、どこかから水が漏れているのだろうか。ぴちょんぴちょんと、規則的な音を空間に落とす。高い位置に一つある窓は掌サイズで、通気口だろう。凛子に恐怖と諦観を認識させているのは、この暗い空間唯一の出入り口が、太い鉄格子で出来ている事。
その先の通路は闇で今は何の気配も無い。
人間不信になりそうだ。
つい先ほどまでどちらかというと、お気楽に異世界なる場所を彷徨ってきたが、御伽噺のようにうまく話がいくわけもなく。否、童話のように結末は残酷であるべきなのかもしれない。
重たい金属製の手枷で拘束された腕をみやり、ここ数日こなしてきた家事仕事や乳搾りといった肉体労働で、一つずつはがれていったジェルネイルの最後の一つが、地爪ごとはがれているのを確認した途端、凛子は痛みを思い出し顔を顰めた。
思い切り突き飛ばされた際に足首を捻ったのか、立ち上がろうと試みた瞬間に格子に背を向けるように転がり、それきり横たわったままだ。何かをしようとする気力がわいてこない。隔絶された空間はこれほどまで安易に絶望を人に与えるものなのか。
元々課せられた使命があるわけでもないし、好き好んでここに来た訳じゃない。
ただ、偶々、自分は自分の知っている世界以外にも、所謂並行世界らしきものの存在があるという事を知っていた。そしてここが、以前、凛子の現実として現れた異世界の存在である彼の世界であるという事を知った。
ああ、あの時の隔絶された空間は、それでも――
居心地が良かった。
生理的なものか、感情的なものなのか、頬を伝う雫に苦笑して、凛子は思考することを放棄する。
やがて、精神的疲労と肉体的疲労によって、意識が沈みゆく。
その抗いようも無い誘惑に、凛子は身を委ねた。
その左手には庶民にも門戸の開かれた王立高等学舎がある。
年に二回行われる入学試験を通過したものなら誰でも、無償で教育を受けることが出来る。通年二期制で初等科一年中等科一年。二年間の一般教養課程を経て、はじめて専門課程へと進むことが可能だ。
それまで教育というものは一部の貴族間における嗜み程度の認識しか持たれていなかった為、市井の民の中からも、優秀な人材を発掘し育成すると云うのは、非常に画期的な試みだった。専門課程で学べるものは、天文学や薬草学といった魔術分野に含まれるものや、経済学や歴史学といった政治分野に含まれるものなどがある。
学舎による教育が始まって初めての卒業生を輩出したのが四年前。
それまでも、軍隊内では叩き上がりで功を成し、準貴族階級へとあがる庶民が、居るには居た。しかし学問における分野では、特殊な例を除き皆無であった。
高等学舎初の卒業生達の中でも庶民層である数名が、中央官吏職へと就いたのは、教育制度改革の礎を確実に築くという意味合いで快挙である。
以来、王都に一番近いと云う特色しか持たなかったクァルツに――学術都市と冠を付けるようになってからまだ数年である――英知の卵たちが集う。高等学舎への入学希望者向けとして、貴族の出資による私塾や家庭教師斡旋所なども増え、今やクァルツで学んでいる、と云うのはある種のステイタスでもある。
街に住まう人間の増加に比例するよう、経済面での需要も増え、その供給を助けるべく、街は確実に発展する。些細な犯罪などが増えるのは残念ではあるが。
聖王騎士団クァルツ支部長を務めている男は、叡智の塔主から使わされて来た私的な客人を迎え入れ、微妙な顔をした。
友人の弟である。
若い頃、それなりに暴れていたその男を、レイモンは、数度、正義と愛と友情の名の元に鉄槌を下したことがあった。いつからか、間諜紛いの事をしはじめ、小金を稼いでいるのは知っている。だが、それはあくまでも裏の仕事であり、表の世界の象徴とも云える騎士団とは一切関わりが無い。
挨拶の口上を述べた後、思案するように身体を揺らしたその男を眺め、頬を掻く。
「お前……自分から軍部に顔出すってぇ……面倒ごとにでも巻き込まれたか?」
「うっ……」
実に的確に自分の置かれている状況を表現しているその言葉に、エイゼルは言葉に詰まった。
祝祭週間に入る前までに、例の娘の足跡に関して、何らかの手掛かりを得ようと、サルスェから王都までの主要都市と主な地方都市を回り、手ぶらで王都に戻ったのが午前中。
叡智の塔主に小言を言われるのを覚悟していたのだが、予想は裏切られ、黒き賢者にしては慌てた様子で、クァルツに向かえと命じられた。
曰く「探索にひっかかったのは良いが、余計なことをしでかしたヤツがいるからどうにかしてこい。可能ならば軍に介入させるな。あくまでも私事なのだから」
「――これだろ」
ひらりと一枚の皮紙を寄越される。
公的文書ではなく、エイゼルがよく取り扱っている私的文書だ。
見覚えのある筆跡は、まさか縁付くとは思わなかったディエルの物に違いない。
貴族たちの好みそうな美辞麗句の散らばる、その手紙を読み進めるうちに「わわわわわ。でも、何て説明すれ――あああああ」と、落ち着き無く首を横に振ったのち、がくりと肩を落とした。
きりきりと痛む胃を押さえながら、必死で言葉を探す。
元来、エイゼルは内政には興味がない。
報酬が良ければ危険な橋を渡らないことも無いが、兎も角目立つような事を進んでやろうという意識は無かった。中央は長兄次兄に任せれば良いし、所領に関してもいまだ矍鑠としている父親が采配を振るっている。
若さゆえの過ちへの悔恨は、国を裏方から支える一部分に力を貸していると云う自己満足で、少しは晴らされていた。
然しながら、この一週間で、エイゼルの環境はかなり変化した。
現皇太子の弟達――王位継承者でも高位に位置する光雷の騎士から、無言の恨みを伝えるように目を眇められる事や、大司祭猊下から直接言を賜り、更には特命を受ける様な未来予想図は、エイゼルの描いていた物とは、真逆をいっている。
いずれは蓄えた財産で、可愛らしい娘を妻にし、市井の生活に紛れる――というささやかな夢とは。
「あのですね、閣下。これはだいぶ齟齬があるように……だいたい捕縛しちゃ駄目……だと思うんです。正しくは、保護という単語がこういう場合適切であって……何で猊下ワザと? あの人やっぱり俺で遊んでいる?」
「まぁお前みたいにイキが良いの猊下好きそうだしなあ。若さゆえにキリキリ尖がっちゃっている所なんて、猊下から見たら犬ころみたいで」
「それ、慰めになっていませんから! とりあえずですね、このお願いって正式な物じゃないですし意訳すると――見かけたら宜しくね。程度の物なんで、くれぐれも宜しくお願いします。俺ももう一度街中見てくるんで――」
外が騒がしい。バタバタと通路を走る足音が続き、執務室の扉が忙しなく叩かれる。
「いやあ、もう遅いかもしれん。うちの若いヤツら優秀だし。最近、やれ堤の修理だー。学舎講堂の修理だー。ばっかりで、自警っぽい事さえしてなかったからなあ」
レイモンは、涙目になったエイゼルから視線を外し、両腕を頭の後ろで組んだ。
「なんだ~?」
レイモンの間延びした声に相反する様、室内へと駆け込んできた新米騎士は緊張した面持ちで答える。
「は! 先ほど件の娘を捕縛し、拘留いたしました!」
明瞭快活。その報告に、エイゼルは蒼白になって声を失う。
この時ほど探索魔術に関して、もう少し研鑽を積んでおけば良かったと、後悔したことは無い。
◇◇◇
確かに今すぐどうにかなる問題じゃなかった。
寒い、冷たい。――痛い。
凛子は、横倒しになった視界で胡乱に今朝の言葉を反芻する。
石を積み上げられてできた壁面はしっとりと濡れていて、どこかから水が漏れているのだろうか。ぴちょんぴちょんと、規則的な音を空間に落とす。高い位置に一つある窓は掌サイズで、通気口だろう。凛子に恐怖と諦観を認識させているのは、この暗い空間唯一の出入り口が、太い鉄格子で出来ている事。
その先の通路は闇で今は何の気配も無い。
人間不信になりそうだ。
つい先ほどまでどちらかというと、お気楽に異世界なる場所を彷徨ってきたが、御伽噺のようにうまく話がいくわけもなく。否、童話のように結末は残酷であるべきなのかもしれない。
重たい金属製の手枷で拘束された腕をみやり、ここ数日こなしてきた家事仕事や乳搾りといった肉体労働で、一つずつはがれていったジェルネイルの最後の一つが、地爪ごとはがれているのを確認した途端、凛子は痛みを思い出し顔を顰めた。
思い切り突き飛ばされた際に足首を捻ったのか、立ち上がろうと試みた瞬間に格子に背を向けるように転がり、それきり横たわったままだ。何かをしようとする気力がわいてこない。隔絶された空間はこれほどまで安易に絶望を人に与えるものなのか。
元々課せられた使命があるわけでもないし、好き好んでここに来た訳じゃない。
ただ、偶々、自分は自分の知っている世界以外にも、所謂並行世界らしきものの存在があるという事を知っていた。そしてここが、以前、凛子の現実として現れた異世界の存在である彼の世界であるという事を知った。
ああ、あの時の隔絶された空間は、それでも――
居心地が良かった。
生理的なものか、感情的なものなのか、頬を伝う雫に苦笑して、凛子は思考することを放棄する。
やがて、精神的疲労と肉体的疲労によって、意識が沈みゆく。
その抗いようも無い誘惑に、凛子は身を委ねた。

