2Kの君~終電帰りの限界OL、自室のドアを開けたら異世界騎士の部屋と繋がっていました

 とろとろと進む荷馬車から見る光景は、牧歌的だ。
 白銀に覆われていた大地は、所々で融けだした雪の下から、新緑の緑を覗かせている。

 白と緑、それから空の青が織り成す色彩は、とても目に優しく穏やかなものだ。春が近づいているのかもしれない。荷馬車を操る少年に「クァルツが見えてきた!」と声を掛けられ、凛子は目を瞬かせる。

 クァルツ。とは街のようだ。

 黒茶色の煉瓦を積み上げられた外壁。楕円に大きくうがたれた外門は開放されており、凛子たちが乗っているような荷馬車が出入りしている。門の右側に、群青色をした軍服のような制服を着た男たちが数人立っているが、特に何かを検閲している様子も無く、荷馬車はあっさりと街の中へと入る。

 茶色の濃淡をした石で作り上げられた街並みは、独特な雰囲気を漂わせていた。天気が良いことも相まって、行きかう人々の数はかなり多い。

 もちろん、凛子が数回訪れた村など、たとえば今通り過ぎた横長の建築物の中にすっぽりと入ってしまいそうだ。ところどころに、外門近くで見た制服を纏っている青年たちが居たり、揃いの灰色をした外套を身に纏っている少年少女らが歓談していたり、若い男女が連れ立って歩いていたり。

 華やぎの中に、落ち着いた印象を覚えるのは、恐らく街を構成している色合いの所為だろう。

 街中を進んでいた荷馬車が小さな建物に横付けされる。建物の後ろには、大小の馬車が停留している。ロサ老人に促され凛子は馬車を降りた。石畳の足元に雪の欠片もない。クァルツへの道中、段々と景色の中に緑が増えたなとは思っていたが、街中にまったく積雪していないのも不思議な感じがする。
 
 キョロキョロと物珍しそうに辺りを見回す凛子の横で、少年と老人は何か会話を交わし、ロサ老人から片手ほどの袋を手渡された少年は得意げに「じゃあ正午の鐘が鳴る頃、姉ちゃんの所で合流な」と胸を張った。

 ここから別行動になるのか、少年の頭をぽんぽんと叩き、凛子に微笑むと老人は馬車預かり所の横にある建物へ入っていく。凛子はニルに手を引かれ、目抜き通りを進み始めた。

 やがて、カァーンカァーンと石を打つ音が響いて来た。
 目抜きの最奥には、先日も見た教会風の建築物がある。

 少し違うのは、尖塔の数が四つに増えている事と、左手側に三階建ての高さを持つ大きな建物が延々続いている点だ。石を打ちつけている音はそこから聞こえていた。建物の外側の一部分に足場が組まれ、不安定な場所で修復の作業に励んでいる人達が見える。

「あそこが学舎姉ちゃんはここで勉強してるんだ」

 ニルの言葉を凛子は繰り返す。

「……ガクシャ」

 凛子の反応に、少年は暫し考え、本をぺらぺら捲る仕草をし生真面目な顔で、空中にペンを走らせた。

 言葉が判らずとも単純に目に映るものの単語を覚えるのは、それほど難しくは無い。例えば室内にあるものの名詞。家具や食器、食べ物。生活する際に使用される最低限の挨拶や動詞。

 しかし動詞や形容詞と名詞を組み合わせた物を、言葉を解さない人間に説明するのは、困難である。ニルが進んで行動を共にしてくれる事に凛子は感謝していた。子供は柔軟な思考を持っている。ニルの仕草で、なんとなくだが、凛子には“学舎”が何であるのか、理解できたからだ。

「ガクシャ、イク?」

 同じく生真面目な顔で問い返した凛子に、少年は満足そうに頷いた。

「お昼にね。姉ちゃん運悪く休日当番なんだってさ。せぇーっかく祝祭週間入ったっていうのに。この前の雪嵐で屋根がぶっ飛んだから、講堂内の大掃除なんだって、ぐちぐち手紙に書いてあった。」

 拾い上げられた単語は雪と屋根と掃除である。

「だから、それまでに買い食い――じゃなくって、買い出しね」

 心から嬉しそうに続ける少年が、言い直した言葉の意味を凛子が知るのは、もう少し後の話だ。

◇◇◇

 手際よく買い物を進めていくニルに、凛子はぴったりと付き添う。

「んじゃ、おっちゃん、これ預かり所の三十一番馬車まで宜しくな」

 買い出しを始めて三件目になる香辛料店を出ると、人通りは凛子たちがクァルツへ到着したときより多くなっていた。
 高い位置へあがろうとしている太陽を、遮るような雲も無い快晴。
 気温も今朝、家を出た時よりだいぶあがっている気がする。様々なスパイスが混ざり合った匂いから開放され、凛子はほっとして息を吐いた。ついでにコートのボタンを二つほど外す。冷気が心地良い。

「後は、小麦粉かな」

 呟きながら歩き出した少年は、だが、ぴたりと足を止める。

 小さな背中にぶつかりそうになって、凛子も慌ててそれに倣った。ニルが凝視している露天からは甘い香りが漂ってくる。刺激臭を存分に嗅いだ後である事も手伝って、そこに並んでいる蜂蜜色の焼き菓子は、より魅力的に見える。

 ぐぅと鳴ってしまったお腹を押さえると、振り返った少年が、うんうんと頷いた。

「おばちゃん二個……四個ちょうだい!」

「はいよ」

 焼き菓子は、乾いた大振りの一枚葉にそれぞれ包まれていた。
 ニルに手渡された焼き菓子はまだ、ほんのりとした暖かさを保っている。そろそろ昼時という事も手伝って、凛子はそれに迷う事無く口に運んだ。予想を裏切らない素朴な風味。

「オイシイ!」

 感想を口にすると、少年は得意げに胸を張り「よし。じゃあ次行こう」と、凛子の袖をひっぱる。

 クァルツ市街のほぼ中央に位置する場所にはちょっとした広場がある。緩やかに弧を描く石畳と緑の区画が交互に並び、平生は憩いの場の役割を果たしていた。しかし休日である今日、その緑の絨毯部分に露天が所狭しと店を並べ、石畳を歩く人の数は尋常ではない。

 威勢の良い呼び込み。店主と客のやり取り。雰囲気を楽しんでいるのか、買い物をする様子も無く、店を冷やかしていく者。客層は様々だ。

 目抜き通りの人波も驚かされたが、いったいどこからこんなに人が集まってきているのだろう、と凛子は半ば感心したように辺りを観察する。すれ違う人に道を譲ろうとして、凛子と同じ方向に体を避けた婦人とたたらを踏み合い、微笑を交わす。喧騒の入り混じる区画は、心のうちに懐かしい感覚を呼び起こした。

 こういう場所を一日に一度は歩いていたのだ。――朝の駅構内。

 凛子が自分より、頭一つ分小さな少年の背中を見失ったのに気がついたのは、色鮮やかな果実が並んでいる露天につかまっている時だった。暖色系の色合いに混ざる、毒々しい青色をした果実。いったいどんな味がするのだろうとしげしげ眺めていると、店主が凛子に向かって話しかけてくる。

「いクラ?」と、試しに店主に尋ねて見ると、矢継ぎ早に言葉を続けられ、言葉に詰まる。ニルにひっついて買い出しをしていたとは云え、一人で買い物できる程の会話能力が無い。

 少年に助けを求めようと、周囲を見回して、瞬間、ニルとはぐれたのだと理解した。店主に謝るよう愛想笑いを返し、凛子はニルの姿を探す。暫くの間その場に佇んでいたのだが、人の流れに押されてしまった。

 こういう場合、はぐれた場所から動かないのが定石だ。遠方にいる誰かと通信する手段が無いのだから。ニルが故意に凛子を置き去りにしたとは考えたくない。自分が迂闊だったのだ。相手はまだ子供で、この区画に入り込んだ後も、果実水やら練り飴やらを嬉々として買い、それらはすべて凛子の分――つまりきっちり二人分購入していた。

 練り飴をどうにか胃に収めた後、ハムの挟まった白パンを渡され、流石に「オナカいッパい」と降参した。

 新鮮な空気を求め少し背伸びをすると、空に向かう尖塔が視界に入る。いくら人が多いとは云え、街の規模は凛子の記憶にあるどの街よりもまだ小さい。だから大丈夫だよねと、言い聞かせるよう前を見据える。最悪でも、学舎へ向かえばどうにかなるだろう。一番最初に外側から案内された教会に隣接する修復中の建物。

 どうにか露天市から抜け出すと、どっと疲れが出た。
 見知らぬ街での一人歩き。いや、見知らぬ世界での一人歩きか。

 目印の教会は正面にある。幅の広い道は、先ほども歩いた目抜き通りだ。ニルと買い物をした店の看板を確認し、通り過ぎ、その先にちらりと見えた青錆色に凛子の頭は瞬間的に沸騰した。

 癖毛風の髪。すらりと伸びた背筋はすいすいと難なく人波を行く。その色を見失いそうになって、凛子は止まりかけた足を必死に動かす。

 ――エイゼル!

 逆恨みのようにその後姿を睨み付ける。とっつかまえて、荷物を返してもらわねば。ついでに一回くらい殴ってもいいだろうか。物騒なことを考えながら、追いかける。都会を歩きなれているはずなのに、なかなか前に進めない。

 剣呑な表情で通りを早歩きしていた凛子を、たまたま街の警備にあたっていた騎士団の青年が訝しげに見やる。同僚達に何かを耳打ちし、細波のように静かに、けれども確実に任務が伝わっていく。

「お嬢さん」

 不意に進行を邪魔された。
 反射的に睨みあげると、難しい顔をした青年に覗き込まれた。

「ナニ?」

「どちらへ行くのか?」

「はぁ?」

 っていうか邪魔しないでくれないかな!
 窃盗犯追いかけてるの!

 だがしかし、取るべき態度が間違っていたのか、瞬く間のうちに凛子は、群青の制服を身に着けた青年達に取り囲まれていた。