六月に入り、梅雨の合間の晴れた金曜日。学校帰りに理沙が提案した。
「明後日、日曜日に、鶴林寺、行ってみない? 将棋との関わりも深くて、古いお寺で、
すごく雰囲気いいらしいわよ」
「いいね! うち、鶴林寺は行ったことなかったし。マップで見たら尾上の松っていう駅が最寄りみたいやね」
陽菜がスマホをのぞき込みながら言う。
「その一個手前の別府にあるアリオには、ちっちゃい頃からよう行ってたで。
ヨーカドーの頃から、おかんと買い物行ってたんよ」
「わたしも、そこは小さい頃からよく行ってる」
さくらが笑う。
「ひょっとしたら、高校で出会う前に、店内のどこかですれ違ってたかもしれないね」
「それは運命感じるわ〜」
陽菜が大げさに手を合わせる。
私は思い出して言う。
「私もよく行ってたよ。陽菜ちゃん、映画館の方には行ったことある?」
「あるある。アニメ映画とか、よう観に行ってた」
「私も毎年同じところで観てたから、同じ上映回でいっしょだったかも」
「それも運命を感じるわ〜」
みんなが笑う。
別府のあたりは加古川市の東の方。映画館がある東加古川も地名の通り。
明石の西に住む陽菜にとっては、明石の大型ショッピングセンターと同じか
それ以上に馴染みある場所らしい。
「買い物は二見のヨーカドーに一番よう行ってたけど、加古川方面行くことも多かったよ。加古川って、言うほど“よその街”ちゃうよ」
陽菜がそう伝えた時、私は少し嬉しくなった。
境界線みたいに思っていた市の名前が、急に曖昧になる。
日曜日、私たちは最寄り駅の尾上の松駅で待ち合わせた。
四人の家はそれぞれ離れている。
自転車で集まるには、少し遠い。
だから今日は、それぞれ電車に乗って駅に集まり、
そこから歩いて鶴林寺へ向かうことにした。
改札前で顔を合わせたとき、
なぜかちょっとした遠足のような気分になる。
駅から歩き出すと、やがて車通りの多い明姫幹線に出た。
信号待ちをしていた私たちの視界の先に、こんもりとした背の高い木々が見えてくる。
「あれちゃう?」
陽菜が指をさす。
街のざわめきの中に、
そこだけ少し時間の流れが違うような緑。
信号が青に変わると、私たちは足並みをそろえて、その方向へ歩いていった。
道路脇に立つ、山門への案内標識。
控えめな矢印が、奥へと続く道を示している。
その先に、こんもりと広がる深い緑――
そこが鶴林寺だった。
明姫幹線のにぎやかな音が、少しずつ遠ざかる。
一歩、また一歩と進むたび、空気がやわらいでいく。
「ほんまに、急に静かになるな」
陽菜が小声で言う。
さっきまでの車の音が嘘みたいに、
葉の揺れる気配だけが耳に残った。
「わあ、すごい……」
境内に入ると、静謐な空気が流れていた。国宝の本堂は、歴史を感じさせる重厚な佇まいだ。
「ここでやるんやろ、清流戦の決勝」
陽菜が本堂を見上げながら言う。
鶴林寺は、加古川青流戦の決勝が行われる舞台として知られている。
若手棋士が激突する一局は、毎年ネットでも配信されるのだと理沙が教えてくれた。
「わたしのお父さんが、前にネット配信で観てたのを、横からちょっとだけ見たことある」
さくらが思い出したように言う。
「へえ、さくらのお父さん将棋好きなん?」
「好きみたい。駒の音がええんやってって言ってた」
静かな境内に、風が通る。
本堂の奥で、盤を挟んで向き合う姿を、私はそっと想像した。
「うちらの中でいつか、ここで指す人、出るかもな」
陽菜が冗談めかして言う。
「プロやん、それ」
さくらが笑う。
「でも、プロ棋士として戦っている人も、きっと最初は“楽しい”から始めたのでしょうね」
理沙は、誰にともなくそう呟いた。
その声はやわらかいけれど、
どこか、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
※
「ここ、聖徳太子が開いたお寺なんだって」
さくらがパンフレットを読み上げる。樹齢何百年という木々に囲まれた境内を、ゆっくりと歩いた。
「なんか、将棋盤みたい」
陽菜がふと呟いた。
「え?」
「ほら、お寺の建物の配置。左右対称で、バランスが取れてる感じ」
言われてみれば、確かに。本堂を中心に、左右に太子堂や鐘楼が配置されている。
「将棋も、最初は左右対称に駒を並べるもんね」
私が呟く。
「でも、対局が進むと、バラバラになっていく。お寺はずっとこの形を保ってるんだね」
理沙の言葉に、みんなが静かに頷いた。
本堂でお参りをして、四人で並んで手を合わせた。それぞれが何を願ったのか、聞かなくても、きっと同じようなことを思っているんだろうと感じた。
境内の茶店で休憩していると、年配のご夫婦が将棋を指していた。
「あ、将棋だ」
さくらが小声で言った。二人は静かに駒を動かし、時々笑顔で話している。長年連れ添った夫婦の、穏やかな時間だった。
「ああやって、歳を重ねても将棋を楽しめるっていいね」
陽菜が言った。
「うん。私たちも、おばあちゃんになっても一緒に将棋指してたりして」
私の言葉に、みんなが笑った。
鶴林寺からの帰り道、四人で話した。
「将棋って、勝ち負けじゃなくて、こうやって時間を共有するのが楽しいのかもね」
理沙の言葉が、梅雨空の下に響いた。
「明後日、日曜日に、鶴林寺、行ってみない? 将棋との関わりも深くて、古いお寺で、
すごく雰囲気いいらしいわよ」
「いいね! うち、鶴林寺は行ったことなかったし。マップで見たら尾上の松っていう駅が最寄りみたいやね」
陽菜がスマホをのぞき込みながら言う。
「その一個手前の別府にあるアリオには、ちっちゃい頃からよう行ってたで。
ヨーカドーの頃から、おかんと買い物行ってたんよ」
「わたしも、そこは小さい頃からよく行ってる」
さくらが笑う。
「ひょっとしたら、高校で出会う前に、店内のどこかですれ違ってたかもしれないね」
「それは運命感じるわ〜」
陽菜が大げさに手を合わせる。
私は思い出して言う。
「私もよく行ってたよ。陽菜ちゃん、映画館の方には行ったことある?」
「あるある。アニメ映画とか、よう観に行ってた」
「私も毎年同じところで観てたから、同じ上映回でいっしょだったかも」
「それも運命を感じるわ〜」
みんなが笑う。
別府のあたりは加古川市の東の方。映画館がある東加古川も地名の通り。
明石の西に住む陽菜にとっては、明石の大型ショッピングセンターと同じか
それ以上に馴染みある場所らしい。
「買い物は二見のヨーカドーに一番よう行ってたけど、加古川方面行くことも多かったよ。加古川って、言うほど“よその街”ちゃうよ」
陽菜がそう伝えた時、私は少し嬉しくなった。
境界線みたいに思っていた市の名前が、急に曖昧になる。
日曜日、私たちは最寄り駅の尾上の松駅で待ち合わせた。
四人の家はそれぞれ離れている。
自転車で集まるには、少し遠い。
だから今日は、それぞれ電車に乗って駅に集まり、
そこから歩いて鶴林寺へ向かうことにした。
改札前で顔を合わせたとき、
なぜかちょっとした遠足のような気分になる。
駅から歩き出すと、やがて車通りの多い明姫幹線に出た。
信号待ちをしていた私たちの視界の先に、こんもりとした背の高い木々が見えてくる。
「あれちゃう?」
陽菜が指をさす。
街のざわめきの中に、
そこだけ少し時間の流れが違うような緑。
信号が青に変わると、私たちは足並みをそろえて、その方向へ歩いていった。
道路脇に立つ、山門への案内標識。
控えめな矢印が、奥へと続く道を示している。
その先に、こんもりと広がる深い緑――
そこが鶴林寺だった。
明姫幹線のにぎやかな音が、少しずつ遠ざかる。
一歩、また一歩と進むたび、空気がやわらいでいく。
「ほんまに、急に静かになるな」
陽菜が小声で言う。
さっきまでの車の音が嘘みたいに、
葉の揺れる気配だけが耳に残った。
「わあ、すごい……」
境内に入ると、静謐な空気が流れていた。国宝の本堂は、歴史を感じさせる重厚な佇まいだ。
「ここでやるんやろ、清流戦の決勝」
陽菜が本堂を見上げながら言う。
鶴林寺は、加古川青流戦の決勝が行われる舞台として知られている。
若手棋士が激突する一局は、毎年ネットでも配信されるのだと理沙が教えてくれた。
「わたしのお父さんが、前にネット配信で観てたのを、横からちょっとだけ見たことある」
さくらが思い出したように言う。
「へえ、さくらのお父さん将棋好きなん?」
「好きみたい。駒の音がええんやってって言ってた」
静かな境内に、風が通る。
本堂の奥で、盤を挟んで向き合う姿を、私はそっと想像した。
「うちらの中でいつか、ここで指す人、出るかもな」
陽菜が冗談めかして言う。
「プロやん、それ」
さくらが笑う。
「でも、プロ棋士として戦っている人も、きっと最初は“楽しい”から始めたのでしょうね」
理沙は、誰にともなくそう呟いた。
その声はやわらかいけれど、
どこか、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
※
「ここ、聖徳太子が開いたお寺なんだって」
さくらがパンフレットを読み上げる。樹齢何百年という木々に囲まれた境内を、ゆっくりと歩いた。
「なんか、将棋盤みたい」
陽菜がふと呟いた。
「え?」
「ほら、お寺の建物の配置。左右対称で、バランスが取れてる感じ」
言われてみれば、確かに。本堂を中心に、左右に太子堂や鐘楼が配置されている。
「将棋も、最初は左右対称に駒を並べるもんね」
私が呟く。
「でも、対局が進むと、バラバラになっていく。お寺はずっとこの形を保ってるんだね」
理沙の言葉に、みんなが静かに頷いた。
本堂でお参りをして、四人で並んで手を合わせた。それぞれが何を願ったのか、聞かなくても、きっと同じようなことを思っているんだろうと感じた。
境内の茶店で休憩していると、年配のご夫婦が将棋を指していた。
「あ、将棋だ」
さくらが小声で言った。二人は静かに駒を動かし、時々笑顔で話している。長年連れ添った夫婦の、穏やかな時間だった。
「ああやって、歳を重ねても将棋を楽しめるっていいね」
陽菜が言った。
「うん。私たちも、おばあちゃんになっても一緒に将棋指してたりして」
私の言葉に、みんなが笑った。
鶴林寺からの帰り道、四人で話した。
「将棋って、勝ち負けじゃなくて、こうやって時間を共有するのが楽しいのかもね」
理沙の言葉が、梅雨空の下に響いた。



