最初に目覚めた時から、誰かの気配を感じていた。
絶えず傍に居て、見守ってくれている気配。
私が動こうとすれば、すぐさま手を差し出してくれる。
……大きくて、無骨な手。
常に見守ってくれている誰かの存在は、私の心の拠り所になっていた。
「貴方は、喋れないの?」
暫しの沈黙。
返事の代わりに、手を取られ……掌に指で“はい”と書かれた。
少し、くすぐったい。
「そっか……お話出来ないのは残念だけれど、こうすればやりとり出来るものね」
重なった手は、少し汗ばんでいた。
緊張しているのかしら。
「いつもお世話してくれて、ありがとう。これだけは、どうしても伝えたくって」
目は見えぬままに、彼が居るであろう方に声を掛けると、重なった手が微かに震えた。
なんだか、少し照れ臭い。
それから、名前も顔も知らない相手との奇妙なコミュニケーションが始まった。
掌に書かれるのは、短い言葉ばかりだ。
それでも、イエスかノーかは、ちゃんと伝わる。
修道院の人達は皆穏やかで、優しい人ばかりだ。
流れる空気が、王都とはまるで違う。
何より、いつも傍に私を気遣ってくれる人が居るというのが、心強く感じるからなのかもしれない。
食事の時には、いつも手を添えてくれる。
私が火傷しないよう温度にまで気を使って、スプーンを手に持たせ、時には口元まで運んでくれるのだ。
介助してくれるのは有難いけれど、いつまでも世話になってばかりでは、心苦しい。
「私にも、何か出来ればいいのに……」
そんな声に、彼はじっと耳を傾けていた。
「あっ、ち、違うのよ、変な意味じゃなくって、その、流石にじっとしているばかりじゃ、退屈だなーって……」
誤魔化すように慌てて続けた言葉は、果たしてどの程度伝わったものか。
皆が忙しなく動くこの修道院にあって、私だけが一人客人待遇で、何もしないどころか介助まで受けている。
私が何かしたいと言ったところで、それが受け入れられるとは思えないけれど……それでも、ただじっとしているだけのこの身が、酷くもどかしかった。
彼が私の部屋に荷物を運び入れたのは、その翌日のことだった。
「なぁに?」
声を掛けたところで、返る言葉はない。
それを分かっていて、独り言のように私も言葉を紡いでいるのだ。
そっと、彼の手が私の手を取る。
掌に描かれたのは──、
「し、しゅう?」
──“刺繍”の文字。
屋敷に居る時は、余った時間にいつも刺繍をしていた。
針の使い方は身体が覚えているから、これなら目が見えなくても、ある程度は出来るかもしれない。
「貴方にもお手伝いをお願いすることになるけれど、良いかしら?」
返事の代わりに、力強く掌が握られた。
その日から、退屈なんて言葉は無縁となった。
糸の色を指定すれば、彼が針に糸を通してくれる。
刺繍枠に張った布地を、指で触って確認する。
一針、一針ずつ糸を潜らせ、出来上がった形を指でなぞる。
不思議なもので、目が見えない分、指先の感触が研ぎ澄まされているのが分かる。
使った糸の色も、どの色でどこを縫ったのかも、全て覚えている。
目には見えないけれど、脳裏には、確かに完成した絵が浮かび上がっていた。
「ちゃんと、出来ているかしら」
不安に駆られて、ふと声を零してしまった。
脳裏に浮かんだ絵なんて全ては幻想で、いざ目にしてみたら、とても見られたものではないのかもしれない。
それも、十分に有り得ることだ。
そっと、彼の手が私の手を取る。
針を扱うようになってからというもの、彼の動きは、前にも増して慎重になった。
“大丈夫”
“素晴らしいよ”
辿々しく、掌に書かれた文字。
その不器用な優しさに、じんわりと心が温かくなる。
彼が居てくれるから、この光のない世界でも、私は息苦しさを感じずに居られる。
無限に続く暗闇の中で、彼の存在だけが、確かな輪郭を象っていた。
絶えず傍に居て、見守ってくれている気配。
私が動こうとすれば、すぐさま手を差し出してくれる。
……大きくて、無骨な手。
常に見守ってくれている誰かの存在は、私の心の拠り所になっていた。
「貴方は、喋れないの?」
暫しの沈黙。
返事の代わりに、手を取られ……掌に指で“はい”と書かれた。
少し、くすぐったい。
「そっか……お話出来ないのは残念だけれど、こうすればやりとり出来るものね」
重なった手は、少し汗ばんでいた。
緊張しているのかしら。
「いつもお世話してくれて、ありがとう。これだけは、どうしても伝えたくって」
目は見えぬままに、彼が居るであろう方に声を掛けると、重なった手が微かに震えた。
なんだか、少し照れ臭い。
それから、名前も顔も知らない相手との奇妙なコミュニケーションが始まった。
掌に書かれるのは、短い言葉ばかりだ。
それでも、イエスかノーかは、ちゃんと伝わる。
修道院の人達は皆穏やかで、優しい人ばかりだ。
流れる空気が、王都とはまるで違う。
何より、いつも傍に私を気遣ってくれる人が居るというのが、心強く感じるからなのかもしれない。
食事の時には、いつも手を添えてくれる。
私が火傷しないよう温度にまで気を使って、スプーンを手に持たせ、時には口元まで運んでくれるのだ。
介助してくれるのは有難いけれど、いつまでも世話になってばかりでは、心苦しい。
「私にも、何か出来ればいいのに……」
そんな声に、彼はじっと耳を傾けていた。
「あっ、ち、違うのよ、変な意味じゃなくって、その、流石にじっとしているばかりじゃ、退屈だなーって……」
誤魔化すように慌てて続けた言葉は、果たしてどの程度伝わったものか。
皆が忙しなく動くこの修道院にあって、私だけが一人客人待遇で、何もしないどころか介助まで受けている。
私が何かしたいと言ったところで、それが受け入れられるとは思えないけれど……それでも、ただじっとしているだけのこの身が、酷くもどかしかった。
彼が私の部屋に荷物を運び入れたのは、その翌日のことだった。
「なぁに?」
声を掛けたところで、返る言葉はない。
それを分かっていて、独り言のように私も言葉を紡いでいるのだ。
そっと、彼の手が私の手を取る。
掌に描かれたのは──、
「し、しゅう?」
──“刺繍”の文字。
屋敷に居る時は、余った時間にいつも刺繍をしていた。
針の使い方は身体が覚えているから、これなら目が見えなくても、ある程度は出来るかもしれない。
「貴方にもお手伝いをお願いすることになるけれど、良いかしら?」
返事の代わりに、力強く掌が握られた。
その日から、退屈なんて言葉は無縁となった。
糸の色を指定すれば、彼が針に糸を通してくれる。
刺繍枠に張った布地を、指で触って確認する。
一針、一針ずつ糸を潜らせ、出来上がった形を指でなぞる。
不思議なもので、目が見えない分、指先の感触が研ぎ澄まされているのが分かる。
使った糸の色も、どの色でどこを縫ったのかも、全て覚えている。
目には見えないけれど、脳裏には、確かに完成した絵が浮かび上がっていた。
「ちゃんと、出来ているかしら」
不安に駆られて、ふと声を零してしまった。
脳裏に浮かんだ絵なんて全ては幻想で、いざ目にしてみたら、とても見られたものではないのかもしれない。
それも、十分に有り得ることだ。
そっと、彼の手が私の手を取る。
針を扱うようになってからというもの、彼の動きは、前にも増して慎重になった。
“大丈夫”
“素晴らしいよ”
辿々しく、掌に書かれた文字。
その不器用な優しさに、じんわりと心が温かくなる。
彼が居てくれるから、この光のない世界でも、私は息苦しさを感じずに居られる。
無限に続く暗闇の中で、彼の存在だけが、確かな輪郭を象っていた。
