翌月、王城で行われた王家主催の夜会。
私の隣に──カルヴィン様の姿はない。
この日までに文の一つも届かず、仕方なく婚約者が居る身でありながら、私は兄と共に入場していた。
「はー、ったく、勘弁してくれよ。お前と一緒だと、俺まで変な目で見られちまう」
兄のフィリップは、付き合うのも億劫だとばかりに頭を掻いた。
「ごめんなさい……」
実の兄まで、この有様だ。
お茶会以上に、夜会の場で、私の居場所などあるはずもない。
「俺はチェルシーの所に行ってくるから。もし帰るんなら、先に戻っていてくれ」
そう言って、兄は意中の女性のところに行ってしまった。
もう私には見向きもしない。
兄が居なくなると、自分一人が外界から取り残されたような気分だった。
私に声を掛ける者など、誰も居ない。
目立つ場所を避けるように壁際に陣取れば、自然と皆が話し合う声が聞こえてきた。
「見ました? 聖国から来られた聖女様の、なんと美しいこと!」
「ええ、それに付き従うカルヴィン様のお姿といい、まるで一枚の絵画のようですわ……!」
令嬢達の噂は、聖国から来られた聖女様の話題に集中していた。
ホッと胸を撫で下ろす。
「聖女様は、カルヴィン様の為にわざわざ来訪されたのでしょう?」
「あら、そうなの?」
「竜は死に際に呪いを残すと言われておりますものね」
「ええ、英雄様の体調を気遣って来られたのですって」
「なんてロマンチックなのかしら!」
まるで絵巻物のようなお話ね……当事者が自分の婚約者でなければ、私も胸をときめかせただろう。
「この分だと、王女殿下よりも聖女様の方が脈ありかしら」
「どうかしらね……殿下は相当ご執心なようですから」
婚約者である私は兄と入場したというのに、夜会には、カルヴィン様も来場されていた。
どうやら王女殿下のエスコート役として選ばれたらしい。
楽団が賑やかに音楽を奏で、ダンスが始まる。
彼のファーストダンスのお相手は──勿論、パートナーである王女殿下だ。
先ほどの女性達の声が思い起こされる。
カルヴィン様がステップを踏む度に、蜂蜜色の髪が舞う。
その様子に、ギャラリーから感嘆の声が漏れる。
……どうして、私はただ見ているだけなのだろう。
貴方の婚約者は、私なのに。
胸の奥が、じくりと痛んだ。
手袋越しに指先を握りしめても、その感覚は消えてくれない。
一曲目の演奏が終わり、ワァァァァ……と歓声が上がる。
そうして、曲の合間──王女殿下とのダンスを終えたカルヴィン様に、声を掛ける女性が居た。
華やかなブロンドヘア。
人目を惹く美貌。
息を呑むほどに美しい女性が、カルヴィン様に手を差し伸べている。
「まぁ、聖女様よ!」
それが誰かは、周囲の反応で分かった。
聖国から来られたという聖女アンジェリア様だ。
声を掛けられた瞬間、カルヴィン様の表情が綻んだ。
周囲の女性達が、黄色い悲鳴を上げる。
……彼のあんな顔、初めて見た。
私でさえ見たことのない表情を、聖女様には見せるんだ。
「やっぱり、カルヴィン様の本命は、聖女様ではないかしら」
したり顔で噂話に興じる女性達。
ホールに集う人々が新たなパートナーを見つけ出した頃、再び、楽団が曲を奏で始めた。
そんな華やかな世界に背を向けて、私は一人、夜会の会場を後にした。
彼が幸せそうに踊る姿を、見たくなかったから──。
翌朝、私は王城の騎士団宿舎を訪ねた。
屋敷に行っても音沙汰が無いならば、直接宿舎を訪ねるしかない。
騎士達が宿舎を出る前の時間。
出勤前の騎士達が、慌ただしく行き交っている。
その中の一人に声を掛ければ、どこか笑みを含んだ反応が返ってきた。
「カルヴィン? あいつなら、昨夜は戻って来ていませんよ」
「……え?」
夜勤だったのかと思いかけて、すぐに気が付いた。
昨夜は、夜会が行われていた。
彼が出勤していたはずはない。
「なんでも私用とかで、パーティーの後に聖女様と一緒に行ったっきり──」
「おい待て、その人はあいつの婚約者だぞ!!」
「あっ……」
通りすがった別の騎士が、声を荒らげた。
対応してくれた騎士が、しまったとばかりに声を上げる。
「そう……ですか」
それ以上、言葉が出なかった。
それが何を意味するかは、分かりきっていたから。
「ご丁寧に、ありがとうございます。それでは……」
力無く騎士達に頭を下げ、宿舎を出る。
馬車に乗り込むまでの記憶は、酷く朧気だ。
自分が真っ直ぐに歩けていたかどうかさえ、自信がない。
仕事ではなく、私用で聖女様の元に向かって、朝まで帰らない。
それが、何を意味するのか。
考えないようにしても、浮かんでくる答えは一つしかなかった。
ボロボロと、涙が溢れてくる。
馬車の中、誰に見られることもなく──私は一人、声を上げて泣いた。
屋敷に戻れば、丁度お父様が外出の仕度をしているところだった。
慌ただしい時間と知りつつも、急ぎの用があると、声を掛ける。
「申し訳ございません、私は婚約者の心を繋ぎ止めることが出来ませんでした」
絞り出した声は、驚くほどに掠れていた。
じっと、お父様の視線が私に注がれる。
馬車から降りてそのまま目通りを願い、化粧を直してすらいない。
……きっと、酷い顔をしていることだろう。
「婚約破棄の申し出と、修道院への受け入れ手続きをお願いします」
「……分かった」
お父様の答えは、簡潔なものだった。
こうして、私の恋は終わった。
いえ──終わったことに、してしまったのかもしれない。
私の隣に──カルヴィン様の姿はない。
この日までに文の一つも届かず、仕方なく婚約者が居る身でありながら、私は兄と共に入場していた。
「はー、ったく、勘弁してくれよ。お前と一緒だと、俺まで変な目で見られちまう」
兄のフィリップは、付き合うのも億劫だとばかりに頭を掻いた。
「ごめんなさい……」
実の兄まで、この有様だ。
お茶会以上に、夜会の場で、私の居場所などあるはずもない。
「俺はチェルシーの所に行ってくるから。もし帰るんなら、先に戻っていてくれ」
そう言って、兄は意中の女性のところに行ってしまった。
もう私には見向きもしない。
兄が居なくなると、自分一人が外界から取り残されたような気分だった。
私に声を掛ける者など、誰も居ない。
目立つ場所を避けるように壁際に陣取れば、自然と皆が話し合う声が聞こえてきた。
「見ました? 聖国から来られた聖女様の、なんと美しいこと!」
「ええ、それに付き従うカルヴィン様のお姿といい、まるで一枚の絵画のようですわ……!」
令嬢達の噂は、聖国から来られた聖女様の話題に集中していた。
ホッと胸を撫で下ろす。
「聖女様は、カルヴィン様の為にわざわざ来訪されたのでしょう?」
「あら、そうなの?」
「竜は死に際に呪いを残すと言われておりますものね」
「ええ、英雄様の体調を気遣って来られたのですって」
「なんてロマンチックなのかしら!」
まるで絵巻物のようなお話ね……当事者が自分の婚約者でなければ、私も胸をときめかせただろう。
「この分だと、王女殿下よりも聖女様の方が脈ありかしら」
「どうかしらね……殿下は相当ご執心なようですから」
婚約者である私は兄と入場したというのに、夜会には、カルヴィン様も来場されていた。
どうやら王女殿下のエスコート役として選ばれたらしい。
楽団が賑やかに音楽を奏で、ダンスが始まる。
彼のファーストダンスのお相手は──勿論、パートナーである王女殿下だ。
先ほどの女性達の声が思い起こされる。
カルヴィン様がステップを踏む度に、蜂蜜色の髪が舞う。
その様子に、ギャラリーから感嘆の声が漏れる。
……どうして、私はただ見ているだけなのだろう。
貴方の婚約者は、私なのに。
胸の奥が、じくりと痛んだ。
手袋越しに指先を握りしめても、その感覚は消えてくれない。
一曲目の演奏が終わり、ワァァァァ……と歓声が上がる。
そうして、曲の合間──王女殿下とのダンスを終えたカルヴィン様に、声を掛ける女性が居た。
華やかなブロンドヘア。
人目を惹く美貌。
息を呑むほどに美しい女性が、カルヴィン様に手を差し伸べている。
「まぁ、聖女様よ!」
それが誰かは、周囲の反応で分かった。
聖国から来られたという聖女アンジェリア様だ。
声を掛けられた瞬間、カルヴィン様の表情が綻んだ。
周囲の女性達が、黄色い悲鳴を上げる。
……彼のあんな顔、初めて見た。
私でさえ見たことのない表情を、聖女様には見せるんだ。
「やっぱり、カルヴィン様の本命は、聖女様ではないかしら」
したり顔で噂話に興じる女性達。
ホールに集う人々が新たなパートナーを見つけ出した頃、再び、楽団が曲を奏で始めた。
そんな華やかな世界に背を向けて、私は一人、夜会の会場を後にした。
彼が幸せそうに踊る姿を、見たくなかったから──。
翌朝、私は王城の騎士団宿舎を訪ねた。
屋敷に行っても音沙汰が無いならば、直接宿舎を訪ねるしかない。
騎士達が宿舎を出る前の時間。
出勤前の騎士達が、慌ただしく行き交っている。
その中の一人に声を掛ければ、どこか笑みを含んだ反応が返ってきた。
「カルヴィン? あいつなら、昨夜は戻って来ていませんよ」
「……え?」
夜勤だったのかと思いかけて、すぐに気が付いた。
昨夜は、夜会が行われていた。
彼が出勤していたはずはない。
「なんでも私用とかで、パーティーの後に聖女様と一緒に行ったっきり──」
「おい待て、その人はあいつの婚約者だぞ!!」
「あっ……」
通りすがった別の騎士が、声を荒らげた。
対応してくれた騎士が、しまったとばかりに声を上げる。
「そう……ですか」
それ以上、言葉が出なかった。
それが何を意味するかは、分かりきっていたから。
「ご丁寧に、ありがとうございます。それでは……」
力無く騎士達に頭を下げ、宿舎を出る。
馬車に乗り込むまでの記憶は、酷く朧気だ。
自分が真っ直ぐに歩けていたかどうかさえ、自信がない。
仕事ではなく、私用で聖女様の元に向かって、朝まで帰らない。
それが、何を意味するのか。
考えないようにしても、浮かんでくる答えは一つしかなかった。
ボロボロと、涙が溢れてくる。
馬車の中、誰に見られることもなく──私は一人、声を上げて泣いた。
屋敷に戻れば、丁度お父様が外出の仕度をしているところだった。
慌ただしい時間と知りつつも、急ぎの用があると、声を掛ける。
「申し訳ございません、私は婚約者の心を繋ぎ止めることが出来ませんでした」
絞り出した声は、驚くほどに掠れていた。
じっと、お父様の視線が私に注がれる。
馬車から降りてそのまま目通りを願い、化粧を直してすらいない。
……きっと、酷い顔をしていることだろう。
「婚約破棄の申し出と、修道院への受け入れ手続きをお願いします」
「……分かった」
お父様の答えは、簡潔なものだった。
こうして、私の恋は終わった。
いえ──終わったことに、してしまったのかもしれない。
