水音に近いが違う。柔らかな何かが叩き付けられた音。耳に障る音。
思わず視線を向けて…違和感に震えた。
手足があり二足法で、目鼻のあるものを人と称するのなら、それは人だった。
ゆらゆらと非常階段の踊り場に現れたそれは、不格好に上体を揺らしていた。
歪に曲がった手足は足が短く手が長い。関節の位置が左右で異なり、手首を引きずっている。
首はきゅっと細長く、頭部も長い。鼻と思わしき位置がへこんでいて、目と思われる場所には渦を巻くような闇が広がっている。
一歩、それが階段に足を降ろす。
べしゃり、柔らかい何かが叩き付けられる音がした。
ミチミチ、ミチミチと肉がこねくり回されるような音がして…それの腹が縦に裂ける。
鋭く並んだ白い犬歯。生々しい肉の色。先端が二つに裂けた長い舌が、悪臭を放つ涎と一緒に非常階段を叩いた。
「ひ、ぎ、あああああああああああ!」
呆然とそれを見上げていた私は、やっと悲鳴を上げて逃げ出した。
ビル裏を抜けて大通りへ。足を止めず更に遠くへ。
校則を守ってローファーで過ごしていたのが煩わしく走りにくい。気付いたときには両方脱げて紺のソックスだけになっていた。白じゃないだけマシだ。
「いやはやまさかいきなりあんなのが現れるとは!」
「いやぁああああああ!」
全速力で走っているのに余裕の顔で怪しい男が並走してくる!
「来ないで来ないで来ないでよぉ!!」
「あいや落ち着いてくださいお嬢さん! わたくし怪しい者ではございません!」
「怪しさしかないのよついてこないで!」
「そんなこと言われましてもわたくしめもあれから逃げているんですよね!」
「なんでアンタも逃げるの!?」
「いやぁだってあれわたくしのことも呑み込もうとしてますし!」
「あれってアンタが呼んだ化け物じゃないの!?」
「そんな奇想天外なことしませんよ~」
言動とタイミングが合致しすぎてこの人が呼んだのかと思ったのに!
こんな怪しい人物の証言を信じるのは馬鹿がすることだ。だけど自称探偵はベレー帽を押えて軽快に笑いながら走っている。それだけで、私を捕まえようとはしなかった。
「ですがお嬢さん、どこまで走るんです? もうどこにも逃げられませんよ」
大通りを爆走していた私は、その言葉に足を止めた。
短い距離を全力疾走して息が上がっている。汗がこめかみから頬を伝った。全身が心臓になったみたいに鼓動の音がうるさい。
平日の昼間、大通りをローファーが脱げても構わず全力疾走する女生徒。
どうしても注目を浴びる行動なのに。
大通りには、私を見ている人は一人も居なかった。



