花のしおり1

太陽が今日の僕らにお別れを告げ、代わりに月や星が目を覚まし、太陽の力を借りて眩しいほど輝きはじめた時間。
「お待たせ。」
ベンチに座り、月を眺めていた僕に声をかけてきたのは僕をここに呼び出したかおりちゃんだった。綺麗な月はかおりちゃんのとは無視をしていて、照らすことをしてくれない。相変わらず、彼女には影がなかった。
「今さっききたばっかりだからそこまで、待ってないよ。」
「そっか…。わざわざ呼び出してごめんね?時間大丈夫だった?」
「大丈夫、心配なんてされないから。それで、話って?」
「つっくんはさ。今日、楽しかった?」
僕の質問の返答とはとても思えなかった。質問に質問で返され、少しだけ戸惑ってしまった。
「…楽しかったけど、なんで?」
「勘違いだったら申し訳ないんだけど、今日、ずっと楽しんでるように見えなくて。なんか楽しまないように我慢してるみたいな。そんな感じがしちゃって。」
僕はなんて言ったらいいのわからなかった。少なくとも、理由があれど、今日のお出かけを心の底から楽しむことができなった。というのがバレてしまうのはよくない。そう思った。
「いや、楽しかったよ?本当に。」
せっかく、妹である胡蝶さんと楽しいひと時を過ごせたのに。僕のせいでその思い出が壊れることだけは避けたかった。
「隠し事をしないでほしい。なんて言ってるわけじゃないの。帰りの電車でも言ったけど私は今日、つっくんのおかげですごい楽しかった。お礼って言ったらあれだけど、何かあるなら力になりたい。」
もしかしたら胡蝶さんが僕のことについてうっかり話をしてしまったのだろうか。今にも彼女の顔が泣きそうになっていた。だから数秒の間、考えてしまった。自分の家族のこと。自分が生きてちゃいけない人間であることを話すべきか。下を向き、目を瞑る。話してしまわぬように我慢した。胡蝶さんにはなんで話したかのか今でもわからない。でも、かおりちゃんにだけは話してはいけない気がしていた。
「何にもないよ。今日は本当に楽しかった。こちらこそありがとう。また行きたい場所があったら言ってよ。」
それは、僕にしかできないことだから。心の中でそう思った。
「そっか。今日は本当にありがとう。」
少しだけ悲しい顔をしたのは気のせいだろうか。そう見えてしまったから話題を逸さずにはいられなかった。
「そうだ、これ。どっちがいい?」
僕は今日買った植物公園に入場するのに必要だった二枚のチケットを彼女に見せながらそう聞いた。
「やっぱり私のために買ってくれたんだね。ありがとう。つっくんはどっちがいいの?」
描いてあるイラストは、雑木林と赤い薔薇というなんとも極端の絵柄の二枚だった。
「僕はどっちでもいいかな。だから好きな方選びなよ。」
「じゃあ、こっちにしようかな。」
意外にもかおりちゃんは雑木林のイラストを選んだ。「本当にそっちで大丈夫?」と理由を聞くと納得のいく理由を説明してくれた。
「前に行ったことある話はしたでしょ?その時も私のチケットが雑木林だったの。まぁ正確にはこの絵柄を嫌がった妹と交換したんだけどね。思い出深かったからそのチケット大事にとっておいたんだけど無くしちゃってて。だから、同じのが欲しかったの。だから、これがいい。」
「そっか。じゃあ、はい。これ。」
僕は雑木林の写ったチケットをかおりちゃんに手渡した。
「ありがとう。本当にありがとう。今度はつっくんの行きたいところに行ってみたいな。思い出の場所とかないの?」
「うーん。あんまりないかな。」
本当に思い出などない。全くと言っていいほどなかった。
「えー。家族でどっか出かけたりしてないの?」
「みんな忙しいんだよね。」
「そっか。じゃあ、つっくんの行ってみたい場所とか行こうよ。」
ここで、僕は別に大丈夫。とか言ってもかおりちゃんに気を使わせてしまうので、
「そうだね、考えとくよ。」
それから十分くらい世間話をして解散した。
帰り道、歩きながら輝いていたはずの月や星が雲に隠れてしまっているのを見てしまい、なんとも言えない気持ちになったのをかき消すように早足で家に帰った。

次の日。なぜか体内にセットされていた目覚まし時計の機能が停止していた。特に夜更かしをしたわけでもないのだが、昨日久しぶりに外出をしてたくさん歩き疲れていたせいか、目が覚めるのが遅くなってしまった。遅いと言ってもいつもより遅いってだけで八時ごろには起きていた。念の為に玄関を確認すると母はすでに仕事に行っていた。
今日は特にやることがなかったが、ふと花の栞の作り方を公園に近くに住むおばあちゃんに教わろうと思い、家を出る為に制服に着替えた。
制服に着替えた理由は、学校に寄って栞にするための花を頂戴するためで、ついでに花の水やりも済ませてしまおう、そう思った。
あれから一時間くらいして学校についた。先に先生に挨拶をしようと職員室に寄った。
生徒たちは夏休みだというのに運動部の顧問でもないのに先生は普通にいた。期末テストの採点をしているらしい。見てはいけないものだとわかっているが、なんとなく目に入ってしまった。名前は先生の腕に隠れて見えないが、七十七点の文字はしっかり見てしまった。
「おはようございます、先生。」
「おー、花白か。水やりか?」
「はい、それと一本だけ花を頂こうかと。」
「お、なんだ?まさかそれ誰かにあげるのかー?」
先生はなぜかすごくニヤニヤしていて先生の言いたいことを理解した上で、いい気分ではなかったが、僕らが休んでいる間に僕らのことについての仕事をしてくれていることを考えると自然と不快な気持ちが消えた。
「まぁ、そんな感じです。」
何かよからぬ誤解を生みそうだが、栞にして誰かにあげるので嘘ではないから、そう答えた。
前に許可はもらってはいるものの、よくよく考えたら僕が種から育てた花は一本もあそこには咲いてない。
「あ、そうだ。確か、外の倉庫にいろんな花の種があったから好きなの植えておいていいぞ。」
そう言って机の中から鍵を取り出し、僕に渡してきた。
「わかりました。いい感じの花植えときます。」
職員室を出て、いつものようにジョウロに水を入れ、花壇に向かった。
今日もらっていく花には最後の水やりなるわけだからいつも以上に丁寧に水をあげた。あげ終わったら抜いてしまうのだから意味がないかもだけどなんとなくあげておきたかった。一通り水をあげ終えてもらっていく花を丁寧に抜いて、先生に言われた通りに倉庫から種をとってきて植えた。おそらく半年後には綺麗な花を咲かせてくれるだろう。
用事が済んだので再び職員室に寄って、鍵を先生に返却して、学校をあとにした。
外に長い間いたので少し汗をかいてしまったが、正装を制服しか持っていなかったので、そのままおばあちゃんのいる家に向かった。思ったよりも早くついた。いつでも暇だからおいでと言っていた言葉信じてインターホンを鳴らした。
数秒沈黙が流れたあとに『はーい』と聞こえたので名前と用件を伝えると、
『あら、この前の。本当に来てくれたのね。』
「すみませんいきなり来てしまって」
と、謝罪をしつつ家にいてくれたことにホッと胸を撫で下ろした。
『いいのよ。今開けるから、ちょっと待ってね』
そう言って通話がきれ、数秒後にガチャとドアが開いた。
「暑かったでしょう。ほら、上がって」
「すみません。急に来てしまって」
さっきも言ったのだが、面と向かって言うのが礼儀だと思い、もう一度謝罪をした。
「いいのよ全然。それに、ちょうどよかったわ。これから作るところだったから。」
案内され、中に入るとすぐにリビングがあり、大きいな窓から見える景色は目の前にある公園を一望できた。
「本当だ…。」
気づけば、この景色を見てそんなことを言っていた。
「え?」
「あ、いや、前に公園が一望できるとおっしゃってたので、本当に見えるんだなって」
「あー、そうね。でも、いつもは私、二階の部屋で作業してるんだけど、そっちの方がよく見えるのよ」
手招きされ、そのまま一緒に二階へ上がった。一室に入ると、そこにはここで栞をくつっているんだろうなとわかる作業机やいろんな本が収納された本棚、そして、壁には額縁に入ったいろんな種類の押し花が綺麗に飾られていた。
「ここで作業してるとね。必然的に目に入るのよ。」
促されて見てみると、さっきリビングで見た景色を少し上から見ているような景色が広がっていた。おばあちゃんの言う通りこっちの方が断然景色が良かった。
「昔はここで遊んでいる子供たちを見るのが好きだったのよね。」
悲しそうな顔をしながら、おばあさんはそう呟いた。
「あ、そうだ。栞の作り方よね。私も今から作るから一緒に作りましょ。」
悲しい顔をするのをパッとやめてそう言ってきた。
「あの、これ。お菓子です。よかったらどうぞ。」
僕は持っていた紙袋をおばあちゃんに手渡した。元々ここにはくる予定だったので、この間胡蝶さんとかおりちゃんと出かけた時に買っておいたものだ。ちなみに買ってきたのはどら焼き。年配の方なら和菓子だろうという安直な考えだった。
「あら、わざわざいいのに…。じゃあ、あとで一緒に食べましょ?」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて。」
そういうと、すぐにおばあちゃんは栞を作る準備をしてくれたので、僕は、恐る恐る今日栞にしたくて持ってきた花をおばあちゃんに見せた。
「あの、今回使いたい花がガーベラなんですけど…。大丈夫ですかね。」
ガーベラは水分がすごい多いのではっきり言えば栞作りに向いていない、と思う。作り方はまだわかんないけどなんとなく、難しい 、もしくはできない。のだろうと不安になっていた。昔自分の祖母に作ってもらったガーベラで作ってもらったからできないことはないと思うけど。
「大丈夫よ。ちょっと水分が多い花だから乾燥するのに時間かかるかと思うけど。」
その言葉にホッとしつつ、やっぱり少し時間のかかる花なのだと思った。
「すみません、時間かかるもの持ってきちゃって。」
「いいのよ。それに時間かけたほうが達成感あっていいでしょ?」
「…ありがとうございます。」
「じゃあ作っていきましょうか。ちょっと待っててねー」
そう言って椅子を一つ持ってきてくれたので僕はおばあちゃんの隣に座わった。
「私はこの花で作ろうかしらね。」
そう言ってベランダから持ってきたであろう綺麗なバンジーの花を一本机においた。そのまま机の端っこに置いてあった赤い縁の丸メガネをかけた。
引き出しからカッターを二本取り出し、一本を僕に渡してくれた。
「じゃあ、始めるわよ。まずは、根本をこんな感じで少し削るのよ。」
見よう見真似でゆっくりと丁寧に根本を削っていく。正直に言って、僕はそこまで器用じゃない。不器用かと言われればそうではないと思うけど。
「こ、こんな感じでしょうか。」
「ええ。バッチリよ。あ、ガクの部分のもっと厚みを削ぐようにするといいかも。」
ガクの部分の指さしてアドバイスを教えてくれた。
「わかりました。」
お世辞で上手だなんて言われてる気が全くしない。きちんと直したほうがいいところは直すように言ってくれるからだろう。
「いい感じよ。それじゃあ次に、ティッシュを下に引いて、上からもティッシュを被せてその上からさらに新聞紙をこんな感じ被せてその上から本を乗せてみて。」
さっきと一緒で先に手本を見てから見本と同じようにティッシュを両方から挟んで本を一冊お借りして上から押した。
「私は大丈夫だけど、一回ティッシュを新しのに変えたほうがいいかも」
一分ほど押した段階でそう言われたので一旦本をどかしてみると水が思ったより出ていてティシュが水で染み出しそうになっていた。もう少しで本が水で濡れてしまっていたところだった。
「思ったより出ましたね。」
見て思った感想をそのまま言った。すぐにティッシュを変えてからまた同じように新聞紙を被せてまた本を乗せて押した。
「これで完成よ。」
思ったより簡単なことに驚き、
「え、もう完成ですか?」
「正確には違うけどね。ここからは乾燥させる工程に入るから、このまま二日くらい置いて新聞紙なんかも新しいものに変えて、一週間くらいしたら押し花の完成。そこからラミネート加工をするのよ。」
「じゃあ、二日後にまたくればいい感じですかね?」
「いや、新聞紙の交換は私がパパッとやっちゃうから1週間後にきてもらって大丈夫よ。少なくとも一週間ってだけだから、それ以降で暇な日に来てもらえれば大丈夫。」
「わかりました。押し花っていうのはあれとか、あれとかのことですかね?」
僕は壁に飾ってあった、額縁に入っている花を指さしながら聞いた。
「ええ、そうよ。あれが押し花。綺麗でしょ。私、花が好きなの。」
「なんで花が好きか聞いてもいですか?」
「待って、私も君に聞きたいことがたくさんあるのよ。もし良かったら下でお茶でもしながら話さない?あなたからいただいたお菓子を食べながら。」
微笑みながらおばあちゃんはそういった。僕は「それもいいですね。」と言っておばあちゃんについて行き、一階に降りた。
「紅茶かコーヒーどっちがいいかしら?それとも暖かい緑茶にする?」
少しだけ悩んだ。コーヒーが飲みたいが、キッチンに置いてあったハンドミルをみて時間がかかるし、手間だと思い、
「じゃあ、暖かい緑茶でお願いします。」
「わかったわ。少し待ってねー。」
そう言ってキッチンの方へ行ってしまった。待っている間、窓の外に映っている公園を見た。小学生だって夏休み期間だと思うが、子供一人いなかった。おばあちゃんの言ってた通り変わってしまったらしい。昔のことはよくわからないが、少なくとも僕が小学生、あるいは幼稚園に通っている時はたくさんの子供で賑わっていた。
そんなことを考えていたらおばあちゃんがお盆にカップを二つとどら焼きを数個ほど乗せて持ってきてくれた。カップからは暑い湯気が出ていて、コーヒーの匂いがした。
「ありがとうござ…。」
そのコーヒーの匂いはおばあちゃんが飲むコーヒーの香りだと思っていた。それなのに、おばあちゃんもコーヒーを飲んでいて、僕の目の前にもコーヒーが置かれた。
「違ったら申し訳ないのだけど、本当はコーヒーが飲みたかったんじゃない?」
「えっと…。」
図星を突かれたこと、それを汲み取ってコーヒーを持ってきてくれたこと。その二つに驚いていた。
「あなた、さっきキッチンに置いてあるハンドミル見てたでしょ?時間かかるし、手間がかかるとか思ってお茶にしたんじゃないかなって思っただけよ。」
何もかもバレていたらしい。何も言い返すことができず、「すみません…。」と言っていた。
「謝ることなんてないのよ。ただあなた、他人を優先するのが癖になってるみたいね。私の夫もそうだったのよ。あなたみたいに自分のことより人のことを優先する人だった。とっても優しい人だったわ。」
リビングに飾られていた遺影を見てそう言った。同じように僕もその遺影へと視線を移した。そこには本当に優しそうな笑顔をこちらに向けている写真が飾られていた。
「そうなんですね…。」
「ごめんなさいね。こんな暗い話をしてしまって。」
そんなことを言いなが笑っていたが、僕は目尻から小さな涙が溢れているのを見てしまった。大事な人を亡くしたんだ。思い出してしまうと涙が出るのはおそらく普通のことなのだろう。そう思うと同時に、仮にかおりちゃんが死んでしまった時、僕は泣くことができるだろうか。死ぬほど悲しいはずなのに、なんとなく涙が出る気がしなかった。現に再開したかおりちゃんは実は生き霊でもしかしたらもうすぐ死ぬかもしれないというのに涙なんて出なかった。
「僕が花が好きな理由は…。友人に花をもらったことがきっかけなんですよ」
「…え?」
いきなり話題を変えてしまったから、ポカンとした顔をしていた。
「元々花なんて好きじゃなかったんです。もらった一輪の花がすごい嬉しくて、とっても綺麗で。」
「それって私が声かけた時に隣に座っていたって子?」
「はい、そうなんです。」
「そうだったのね。あの日はよく見えなかったけど今度会った時は挨拶したいものね」
「もしかして、あのガーベラの栞も彼女にあげるの?」
そう言って先ほど僕らが作業していた部屋を指差した。
「はい、そうなんです。お返しの意味も込めて」
「あら、そうなのね。うまくできるといいわね。」
「だから、今日は本当にありがとうございました。」
「いいのよ。とりあえず、冷めないうちに飲んじゃって。あ、ほんとにコーヒーでよかったかしら?」
「はい。実は…コーヒー、大好きなんですよ。よくあそこの喫茶店で飲んでて。」
僕はいつも行く喫茶店の方を指差しながらそう言った。
「私もたまにいくけどあそこのコーヒー美味しいわよね。マスターもいい人だし。」
「そういえば、豆のドリップってあんまり時間かからないんですね。」
マスターのコーヒーの提供スピードとおばあちゃんの出してくれたこのコーヒーに差を感じてしまって思わずそう聞いていた。
「いや、これはインスタントよ。」
「このコーヒー、インスタントなんですか?」
今のインスタントコーヒーはこんなに美味いものができているらしい。
「あのハンドミルは主人のものなのよ。私は使い方わからないし、主人がいつも使ってて大事に使ってたかた捨てるのももったいなくてね。」
「そうなんですね。あ、もしよかったらなんですけど自分、入れ方わかるんで、今度教えましょうか?」
流石に豆の用意をしないといけないので、そう答えた。
「え、いいの?じゃあお言葉に甘えて教えてもらおうかしら。」
何かお返しができればと思っていたので、これでよかったと思った。
それから僕とおばあちゃんでどら焼きを一つずつ頬張り、少しだけ他愛もない会話をしてから、おばあちゃんの家を後にした。

夏休みが始まって一週間と少しが経過した。あれからおばあちゃんの家に行ってラミネート加工を済ませ、綺麗な花の栞ができた。
我ながらよくできたと思う。
それと、この一週間で変わったことがあった。変わったこと言っても毎日午後八時にこの公園で近況報告とか、世間話なんかをかおりちゃんとしていることだ。きっかけは些細なことだった。かおりちゃんが携帯を持っていないのと、話ができる人が僕しかしないから少しだけでいいから話相手になって欲しいとのことだった。
「やっ。」
ベンチに座っていた僕の肩にちょんと触れてからそんな声をかけてきた。
「ちょっと今日は早いんだね」
「五分位早いだけだよ!?」
いつもの軽い冗談。これを言い合えるくらいには昔の関係くらいには戻れた気がした。そんな冗談を言い合ってから彼女は僕の隣に腰かけた。夏だとしても夜は少しだけ肌寒かった。でも、かおりちゃんはいつもと変わらない薄着の服を着ていて、寒さを感じていないのが見てすぐにわかった。
「今日も胡蝶さんきたの?」
「来たよ。本当は部活とか入って青春して欲しいんだけどね。」
そんなことを笑いながら言っている。本当は毎日のように来てくれて嬉しいのだろう。でも、自分のために時間を割いてる事実も嫌なのだろう。そんなことが読み取れる複雑な顔をしていた。
「いや、この学校、部活動強制参加だから何かしらには入ってると思うよ。胡蝶さんが何に入ってるかわかんないけど」
今思えば、胡蝶さんのことを僕は何も知らないんだな。それに大人?になったかおりちゃんのこともあんまり知らないんだよな。
「聞いといてよ。」
「聞かずとも調べられるから調べとくよ」
「調べるの禁止。本人に直接聞いてください」
「えー、まぁ聞くだけだし、今度聞いておくよ。」
彼女は「よろしい。」と言って満足顔をしていた。
「それより次行きたいところあるんだけど。いいかな?」
植物公園に行ってから、特に出かけることはなかった。主に僕のアルバイトのせいだけど。
「明後日何もないし、胡蝶さんにも聞いといてあげるよ。ちなみに、どこに行きたいの?」
「カラオケに行きたい。」
「かおりちゃん歌えないよね?それでもいいの?」
もちろん音痴とか、そういう意味で言ったんじゃない。
「いいの。カラオケに行ったことないから行ってみたいだけ。今誘える?多分もう家にいると思うし。」
「今?まぁいいけど。」
僕はポケットから携帯を取り出し、胡蝶さんのメールを開いて文字を打ち込んだ。
『明後日って時間あるかな。もしよかったらカラオケ行きたいんだけど。』
それだけ打ってメールを送信した。
「行きたいのカラオケだけじゃないんだけどいいかな?」
「その日のうちに?」
「うん。だめかな?」
ちょっと言いづらそうにしていたのが、少しだけ気になったが、「だめ」なんて僕にはいえなかった。
「ううん、行こうよ。行きたいところに。」
「じゃあ当日はカラオケが終わったら私についてきてね。」
「え?行先は?」
「教えなーい」
人差し指を口に押し当てながらそう言ってきた。
「じゃあ、楽しみにしとくよ。」
「うん!楽しみにしてて!」
それから雑談や、今日胡蝶さんと話したことなどについて話をしていた。すると、携帯のバイブ音がポケットから聞こえた。
「あ、桃花からかな?」
携帯をポケットから取り出し、画面を見ると、かおりちゃんの言った通り、胡蝶さんからだった。
『大丈夫だけど。カラオケって意外だね(笑)それに、てっきり植物公園が最後だと思ってたから嬉しい(笑)』
なんとか誘えてホッとしている自分がいた。思わず安堵でため息をしてしまうほど。とりあえず、『ありがとう。詳細はまた連絡する。』とだけ送っておいた。
「で、どうだった?」
「いいってさ。時間とかはどうする?」
「時間はうーん。」
そう言いながら指を使って何かの計算をし始めた。
「それなんの計算?」
気になってので普通に質問をする。
「ちょとまってねー。カラオケ普通どれくらいするの?」
「え、カラオケなんて行ったことないし、普通がわかんないんだけど。」
「えー、私も行ったことないからわかんないよ。ちょっと桃花に聞いてくれない?」
これに関しては僕も知らなかったのが悪いので仕方なく聞くとする。
『あと一ついいかな。カラオケって普通どれくらいやるものなのか教えてほしんだけど。それで集合時間とか決めたいから』
シンプルにそう送った。あとは返事が来るのを待つだけだった。
「ありがとう。返事きて、集合時間だけ決めたら帰るね。」
「わかった。」
最近、自分を見失ってしまうことがある。この世界から消えるべき人間である自分。生きてもっといろんなところに行きたいと願っているかおりちゃん。この体入れ替わったのならどれだけ楽なことか。そんなこと。口が裂けても誰にも言わないけど。かおりちゃんの手術があるのは来年の二月だと聞いた。それまでに自分の命のこと。かおりちゃんを助けられる方法なんかを考えなくてはならない。そんなことを考えているとふと、かおりちゃんが砂場を指差しながら、
「あのケーキ、まだ残ってるね。」
「あ、本当だ。ちょっと崩れっちゃてるけど。まだあったんだね。」
あのケーキを作って結構経つはずなのに、それくらいに人がここにきていないということなのだろう。
思ったより形が残っていてびっくりしていたら。再びポケットから携帯のバイブ音が鳴った。
通知を見てみるとやっぱり胡蝶さんからだった。
『人それぞれだと思うけど、もしかしてカラオケ行ったことない?あんまり歌わないなら一時間とかでいいと思うよ。私もあんまり歌とか歌わないし。』
「一時間とかでいいと思うってさ。」
メールに書いてあったことをそのまま伝えた。
「そんな短くていいのか。そしたら三時とかでいいかも」
「そんな遅くて大丈夫なの?」
「大丈夫。むしろ、カラオケの後の時間考えるとこれくらいがいいかも。」
カラオケはあくまでかおりちゃんがやってみたいことの一つということらしい。何かその時間にしかやってないことがあるのかもしれない。そう思うことにした。
「じゃあ、三時で胡蝶さんには伝えておくよ。」
「ありがとう。時間もわかったことだし、そろそろ帰ろうかな。」
そう言ってかおりちゃんはベンチから立ち上がった。僕はこのタイミングだとおもった。
「ちょっとまって。渡したいものがあるんだ。」
「渡したいもの?」
僕は持っていたトートバッグの中から二つの段ボールで挟まれた板状のものを取り出した。
「それって…。」
そして、僕は形が崩れないように段ボールで挟まれたものを取り出し、彼女に手渡した。
「ガーベラの花で作った栞なんだけど。」
「嬉しい…。」
彼女の目から涙が溢れた。何滴も何滴も。
「喜んでもらえてよかったよ。」
かおりちゃんが本を読むかどうかわからない。でも、僕が考えた一番花を綺麗な状態で保存できるのが押し花であり、それを手に持ちやすいのが栞だと思った。
「これ、もしかして作ったの?」
僕があげた花の栞を優しくさすりながらそう聞いてきた。
「うん。僕が作った。昔に花をもらったから、そのお返し、みたいな感じ。」
お返し、なんて上から目線みたいなことを言った気がして少しだけ口篭ってしまった。
「すごい綺麗。」
彼女の目が月の光に反射して輝いて見えたのはきっと気のせいだろう。
「覚えてないかもだけど昔もらった花がガーベラだったから。そのまま同じ花を返しちゃってごめんだけど。」
「ううん。とっても嬉しい。」
そして、僕は再びカバンから別の栞を取り出した。
「…それは?」
「これはそのかおりちゃんからもらった花を昔、僕のおばあちゃんに栞にしてもらったんだ。なんか枯れちゃうのが嫌で駄々こねてお願いして。」
すごく色褪せていて、もらった時の原型なんてなかった。でも、僕にとっては世界で唯一の綺麗な一輪の花。
「まだ持っててくれたんだ。」
そう言って彼女は泣きそうな目をしていた。そんな彼女をみて、僕も少しだけ泣きそうになってしまった。
彼女は流れ出る少量の涙を手でぬぐっていた。
「ずっと大事にしてるし、今も本読むのに使ってるんだ。」
「嬉しい。ありがとう。」
「こちらこそ本当にありがとう。」
そんなに嬉しがってくれること、あの日、この花を僕にくれたこと。その二つについての感謝だ。

かおりちゃんに花の栞を渡して二日が経過した。
今日はかおりちゃん、胡蝶さん、僕でカラオケに行く約束をした日だった。
今日は雨が降りそうで、降っていない。そんな天気。一応、折り畳み傘を鞄に忍ばせていた。こいつの出番が来ないことを切に願う。
「ごめん。待った?」
胡蝶さんの服装はとても半袖のシャツにジーパンといたっていつもと変わらないような服装をしていた。ちなみに僕は半袖のTシャツに普通のズボンを履いていて、ショルダーバッグを肩にかけている。中身は財布と携帯と折りたたみ傘しか入ってないけど。胡蝶さんの後ろにはかおりちゃんもいて、いつもと同じ服装をしていた。彼女に向かって言葉を発することができないので
「今来たところだから平気だよ。」
なんとも遅い、午後の三時集合。僕的には何時でも構わないのだけど。
「カラオケなんて久しぶりかも」
僕なんて初めてだから、少しだけ緊張していた。何に対して緊張しているのかもわからないけど。
「てか、なんでここのカラオケ?もっと近くにあったよね?」
そう、カラオケの店の場所は僕が指定した。僕が指定したんだけど僕じゃないと言いますか。
「いや、この後にも行きたいところがあってそこに近いからここにさせてもらっただけ。」
その、行きたいところは僕のでもないし、場所もわかっていないのだけど。そんなことを心の中で思っていた。
「あー、なるほどね。じゃあ、それも楽しみにしとく。じゃあ、カラオケ向かおっか。」
その行きたい場所に関しては特に聞いてくることはなく、カラオケ店の方へ向かったので僕はそれについて行った。待ち合わせ場所から歩いて五分ほどして目的のカラオケ店についた。
店に入るなり、予約した胡蝶です。と店員さんに言って、店員さんがパソコンで予約の確認をして、「お客様の部屋は二階にございます」と言って何かが書かれた紙の挟まった小さいバインダーを胡蝶さんに渡していた。チラッと紙を見ると、部屋番号が書かれていた。
「予約なんてできたんだね。ありがとう。」
紙に書いてある番号の部屋に向かい始めた時に知らぬ間に予約をとっていてくれていた胡蝶さんに感謝を伝えた。
「ううん、夏休みなんてカラオケこんじゃうし。あっちみてごらん。」
そう言われ、入り口の方を見ると、入ってすぐのところにソファがあって、学生であろう数人がそこで順番を待っているみたいだった。
「ほんとだ。」
胡蝶さんのいう通り、夏休み真っ只中だし、今日に至っては雨が降りそうだったので、尚更、室内で楽しめるカラオケが人気なのだろうか。と勝手に予測を立てた。
僕らの部屋は二階にあって、一番端っこの角部屋だった。中に入った感想としては三人で入るには少し広く、テーブルも少々大きく、前に設置されていたモニターも大きかった。僕が想像していたものといい意味で違っていた。その感想をかおりちゃんも思っていたらしく、「ひっろ!テレビでっか!ソファーもある!」と子供のようにはしゃいでいた。
胡蝶さんは部屋に入ってすぐに、テレビの電源を入れ、テレビの下に置いてあった曲を入れるためのでかいタブレットみたいなものを机の上に移動させていた。簡単言えば手慣れていた。
それから僕らはカラオケを楽しんだ。僕は普段音楽なんて全く聞かないから必然的に歌えるものなんてなかった。一方で胡蝶さんは僕でもサビだけ聞いたことある歌、僕の全然知らない歌、いろんな曲を歌っていた。カラオケに来て何も歌わないのも勿体無い気がしたので、中学の頃、学校の昼休み流れていたうる覚えだったがそれを数曲歌った。僕ら二人が歌っている間、かおりちゃんはずっとリズムに合わせて手を叩いたり、知っている歌詞を小さな声で口ずさんでいたりしていて、見る限りでは楽しそうにしてくれていたのでよかった。
思ったより一時間経つのは早く、あっという間にカラオケの時間は終わってしまった。
個々でお金を払い、外に出ると入る前と空が見違えるほど晴れていた。鞄に入っている折りたたみ傘の出番はないらしい。
「それで、行きたい場所って?」
外に出てグーっと体を伸ばしながら胡蝶さんが僕にそう言ったが、僕に言われても困る。
「えーっと…。」
チラッとかおりちゃんのことに目をやると「あ、そうだった」と言わんばかりに今、思い出したかのような顔をしていた。そして、こっちこっちと手招きをしながら歩き出したので、
「あ、こっち。」
僕は胡蝶さんにそう言ってかおりちゃんの後ろについて行った。
どこに行くのかもわからない状態ではあるが、かおりちゃんについて行き、五分ほどが経過した段階で、かおりちゃんが「ここここ。」と言って指差したのはなんの変哲もないただのハンバーガー屋さんだった。この店はチェーン店なのでこんなところに来なくてももっと僕らの家の近くにもある店だった。強いて違いがあるとすれば駅が近いので部活終わりの学生やパソコンでカタカタと何か文字を打っている社会人が多い気がすることくらいだった。
「学生気分を味わってみたかったの。ここで三十分くらいでいいから三人でお話ししたい。もちろん私は無理だから、二人が話してるところを聞いてるだけでいいから、お願い。」
かおりちゃんは疑問に思っている僕の心を見透かしたかのようにそう言った。かおりちゃんと砂場でケーキを作った時に聞いた「高校は行ってない」という言葉が頭の中を反芻した。そして、今目の前にいる悲しい顔をしたかおりちゃんの顔。断る理由なんてなかった。
「わかった。」
かおりちゃんに聞こえるか聞こえないかわからないほどの小さな声でそう返事をした。
「ここなの?普通のハンバーガー屋だけど。」
僕の返事が聞こえていなかったようだった。僕のすぐ後ろで困惑しながらそう聞いてきた胡蝶さんに、「うん、ここ。」と聞こえる声で返事をして店の中に入った。胡蝶さんは何も言わずに僕に続いて店の中に入ってくれた。
店内に入ると、駅近と言っても割と田舎の方の駅だからそこまで混んでないみたいだった。
「何食べよっかな」
店に入ってすぐのところにメニューが楽器を弾くときに必要な楽譜を置くやつみたいなものに置かれいて、そのメニューを胡蝶さんと僕は見ていた。
僕はここのハンバーガー屋に来るのは初めてなので、何を頼んでいいかわからなかったので胡蝶さんが「これにしよー」と言って指差したチーズハンバーガーのセットと同じものを頼むことにした。
一応、注文をしたときに店員の人に長居をしてもいいか聞いたら「混んでなかったら何時間いても大丈夫ですよ」と笑顔で教えてくれたので長居
することに関しては問題なさそうだった。
頼んだものを受け取り空いていた四人掛けの席についた。
僕と胡蝶さんが対面に座り、胡蝶さんの隣にかおりちゃんが座った。
僕は普通の高校生のことなんてわからないからここに来てどんなことを話せばいいかわからない。それに、胡蝶さんと話すことなんて僕からは特にないわけで、なんてことを考えていたら、一つの話題を思い出した。
「そう言えば、胡蝶さんって部活何か入ってるの?」
かおりちゃんが僕の口から聞いて欲しいと頼まれたことだった、部活動に関して話題に出してみた。
「え?入ってるよー。じゃあ、ここでクイズ。私はなんの部活に入ってるでしょう。」
そう言ってフライドポテトを二本手に取り、バーベキュー味のソースにつけて口に放り込んだ。
胡蝶さんの部活…。彼女と知り合って一ヶ月近く経っているのに彼女のことについて知っていることはあまりない。僕が彼女のことをいかに知ろうとしなかったが見てとれた。
「昔から料理とか好きだったからそういう系の部活かも。それ系の部活があるのかわかんないけど。」
そう言って、かおりちゃんは僕に向かってヒントをくれた。なんか少しずるい気がするけどこれを元に考えてみた。
この学校にどんな部活があるのか、この学校に入るときに先生に聞いて全部の部活を教えてもらったことがあったので知らない部活はなかった。
「えっと…料理研究部…とか?」
「え、なんでわかったの、すご。」
まさか当てられると思っていなかったようで、とても目を見開いて驚いていた。
感謝の意を込めて、チラッとかおりちゃんの方を見ると右手でピースサインをして白い歯をこちらに見せ、笑っていた。
「なんとなくだよ。」
僕が当てたわけじゃないので嬉しくはなかったが、かおりちゃんの笑顔が見れたので自分の中ではそれでよかったと思えた。
それから僕らは学校であった面白いことなどを話した。ほとんどというか全部胡蝶さんが話してたけど。僕とかかおりちゃんがそれを聞いているだけだった。
僕の話なんて何もなかった。一つだけあったのは一学期のテストが彼女らにとってはよかったらしく、そこに関して胡蝶さんが触れたくらいだった。
一時間くらいだろうか。それくらい経った段階で、そろそろお姉ちゃんのところに行こうかな。と胡蝶さんが言ったので店を出た。
その後はどこかによるわけでもなく胡蝶さんは病院へ、僕は家へと帰った。

この駅から彼の家に帰る電車と私が病院に向かうための電車は違ったので駅の中で別れた。
私が乗る電車が来るまで十分ほどあったので、携帯で今日のお礼を彼にメールでしようと思ったときに後ろから「あの…すみません。」と声をかけられた。
もしかしたら私かもしれないと思い、後ろを振り返ると同い年くらいの制服を着ていて、髪は綺麗な黒色のボブの女の子がまっすぐこちらを見ていた。
「…えっと、私?」
「はい。いきなりすみません。さっき、花白つつじ君と一緒にいませんでしたか。」
「いましたけど。彼がどうかしましたか?」
どこか弱々しい。でも、鞄の持ち手の部分はしっかり握っていて何か覚悟を決めている。そんな感じがした。
「お願いがあるんです。」
別に急いでいるわけではなかったので、駅員さん言って改札をくぐり駅の近くにあったカフェに入った。
お腹は特に空いていなかったので冷たいコーヒーを二つ頼んだ。一応コーヒーが飲めるか聞いたら、彼女も同じやつでいいというのでそれにした。
「すみません。わざわざ改札出てもらって。」
あんな覚悟を決めたような顔をされちゃったら話を聞かざるを得なかった。
「大丈夫ですよ。それで、お願いっていうのは?」
「あ、まずは自己紹介ですよね。私、この近くの高校に通ってる錦百合花といいます。」
「えっと…胡蝶桃花です。」
一応こちらも自己紹介をした方がいいと思い、自分の名前を口にした。
「それで、お願いというのはつつじくんに謝罪がしたいんです。」
花白くんに謝罪。その言葉を聞いてすぐに思いついたのは、中学の頃に上履きが隠されたり、教科書が使えなくなるくらいの落書きを誰かからされたと彼が言っていたことだった。
「もしかして、彼に嫌がらせしたのあなたなの?」
なんだか、目の前にいるこの女の子がいじめのようなことをするとは思えなかったが、沸々と怒りが湧いてきた。
「いや、直接何かをしたわけではないのです。でも、見て見ぬふりをしてしまったんです。私には関係ないって。」
その言葉を聞いて、少しだけ安心した自分がいた。もし、首謀者だと名乗り出ていたら私は彼女に怒りの感情をぶつけてしまうだろう。そんなことお門違いなのに。そんなことを考えていると、続きを話し出した。
「高校に上がってから。いや、あの時からずっと後悔していたんです。なんで助けてあげなかったんだろうって。謝りたくても連絡先とかわからなくて…。」
「…」
あなたは悪くないよ。そう言おうとして喉に何かが引っ掛かったように言葉が出なかった。
「もう、逃げてる私になりたくないんです。だから、彼に謝りたいんです。」
こんなにも真面目に言っている彼女に対して湧いていた怒りが失礼だったと思った。一度深呼吸をして注文していたコーヒーを一口飲んだ。そして、「わかった。」と彼女のお願いを了承した。
彼女のお願いをまとめるとこうだ。彼に謝罪をしたいから、彼を呼び出して欲しい。ということらしい。
「本当にありがとうございます。」
彼女はテーブルに頭がつきそうなくらい深々と私に感謝をしてくれた。何も感謝されるようなことはしていないのだけど。そんな深々としたお辞儀を見ていられず、「ところでさ…。」と私がずっと考えていた、直接彼に攻撃をした人のことを彼女に聞こうとしてすぐに口を閉じた。その人を見つけて彼に謝罪をさせたいだなんてただのエゴだ。彼自身それを望んでいないし、いじめた本人はこのことを覚えていないだろう。おそらくだけど。でも、その人もすごい後悔していて彼女のように彼の連絡先を知らないから謝罪ができないっていう場合もあるので憶測でものを考えるのはやめようと思った。
それから何度か会話を重ね、連絡先を交換して別れた。
病院に行くまでの足取りは酷く重たかった。訛りのようなものが足に絡みついている感覚がしてどうも歩きづらい。少しの間だとしても錦さんに怒りが湧いてしまったことへの罪悪感なのか。私自身、何がこんなにも足を重くしているのかわからなかった。
やっとの思いで姉のいる病室へと辿り着いた。荷物を置き、椅子に腰掛けた。
今日あったことを聞こえてないとはいえ、姉に話すのは違う気がしたから彼とカラオケに行ったこととそのままハンバーガー屋さんで普通の友達のように喋ったことなんかを話した。
今日あったことを話し終えた段階で、ふと私の頭にある思考がよぎった。
「やっぱり話しちゃまずかったかな。」
そう病室で一人、口に出した。姉のことを彼に話してしまったのは今でも少し後悔する時がある。姉のためと言い訳をして、もしかしたらこの世を去ってしまう姉に最後に彼に会わせてあげたいというただの自分のエゴを二人に押し付けてしまった。あの時は彼が死んでますかと思ったから自分でも手段を選んでいられなかったというのもあるけど。
最後だなんて思うだけでダメだとその思考を振り払うように首が捩じ切れるほど頭を左右に振った。
姉が長い眠りにつく前に言われたことを繰り返し脳内で再生させた。
『ももかには笑っていてほしい。』
そう言われた。姉からもらった言葉の中で一番、鮮明に記憶していたものだった。その時の姉の顔、外の景色、気温、匂い、いろんなものを鮮明に覚えていた。あれ以来その言葉のおかげで笑えている気がする。
周りからしたら自分の姉がこんな目にあっているのに笑っているのはおかしいと思うかもしれない。でも、姉はそれを望んでいないのを知っている。姉は自分のせいで他人が不幸だと感じるのを一番嫌がっていたのは私が痛いほど知っていた。
「うまく笑えてるのかな。」
主に彼の前で。姉から彼の話を耳にタコができるほど聞いた。姉の病状が悪化し、外で遊べなくなった時はものすごく悲しんでいて、彼と遊べないことを悔いていた。主に、私がいないと彼は一人なってしまう。と言って。だから、姉の代わりに彼とは仲良くしていたい。そんな彼の前では笑っていたい。そう思ったのだ。
「あのー、そろそろ面会時間終了ですので…。」
ドアのノックと共に看護師さんそう言われたので急いで荷物を持って椅子から立ちあがろうとした時、頭に温かいものがふわっと乗った気がした。
「またね」そう言って病室を後にした。なぜだか来る時に感じていた訛りのようなものは足から解けてなくなっていた。