夏休みが始まって三日が経過した。
これまでの二日間はバイトと家を往復するだけで特に何かあるわけじゃなかった。
そして、どうやら僕の体内には時計が住んでいるらしく、目覚まし時計をセットしてなくてもいつもの時間に目が覚めてしまう。それは世間的に言えば、健康的でいいことなのかもしれないが、今の僕のとっては嫌なことだった。
喉がとても渇き、台所で水を飲んでいると玄関の鍵がガチャリと音を立て、ドアが開いた。
「…。」
母と目があったのは何年ぶりだろうか。仕事から帰った母がそこにいた。だからといって何かあるわけでもなかった。ただ、久しぶりに見た母の姿はどこか痩せていて、最後に見た時より随分と悪い方に姿が変わってしまっていた。
母は僕と目があっても特に何も言わずに自分の部屋へと行ってしまった。
何事もなかったことに少しホッとしつつ、何かあったら、もしかしたら、なんて少しでも考えてしまう自分がどれだけ弱い人間なんだと卑下してしまうほどだった。
もし、なんて考えても無駄なのは痛い程わかっていたので、考えるのをやめて自室に戻って出かける準備をする。
支度と言っても、やることは財布と携帯をカバンに詰めて、洋服に着替えるだけだけど。学校に行く時の教科書をカバンに詰める作業よりだいぶマシだった。
私服は上下で指で数えられるくらいしか持っていないのでテキトーにタンスから取り出し着替える。白いTシャツに少し緩いジーパンを履いた。
準備が終わり、少し早かったので、一時間ほど本を読んでから家を出た。
今日は自転車じゃなく歩きで行く。家の鍵を閉め、待ち合わせの喫茶店に向かう。
起きるのが早かったのもあって少し眠かったが、勝手に早起きした自分が悪いので、眠気覚ましにコンビニで翼を授けてくれる飲み物と鮭おにぎりを買い、胃に流し込んだ。当たり前だが、あんな飲み物を飲んでも翼なんて生えてこない。生えてくるなら、今頃遠くのどこかへ飛んでいるところだ。
目的の場所までいつも自転車で行っているからか、とても長く感じられた。この炎天下の中で帽子も被らず、直射日光を浴びているのも長く感じさせる要因だろうか。
さっき飲み物を飲んで喉を潤したはずなのにすでに喉が渇いている。あの飲み物を飲むことを水分補給と呼んでいいのかわからないけど、とにかく喉が渇いたので喫茶店へ急いだ。
喫茶店についてすぐに冷たいアイスコーヒーを頼んだ。
アイスコーヒーを飲勢いよく飲んだ。生き返る、と言う言葉はあまり使いたくなあったが、文字通り生き返った気分だった。
僕が生き返ってから、三十分ほどで待ち合わせをした人のうちの一人が店に入ってきた。
胡蝶さんが店内に入り、僕と同じアイスコーヒーを頼んだ。頼んだアイスコーヒーが到着して、すぐに勢いよく飲んだので、彼女も喉が渇いていたらしい。
「まさかそっちから誘ってもらえるなんて思っても見なかったよ。」
そう、彼女の言うとおり僕から彼女らを遊びに誘ったのだ。あんだけ彼女を拒絶しておいて今更かもしれないけど。
「お願いがあるんだけどいいかな?」
「…僕にできることなら」
かおりちゃんの真実を受け入れた後、僕らは再びベンチに腰掛けながら話をしていた。
「妹と仲良くしてあげてほしいの。たまに遊びに行くとか、学校の外だけとかでもいいから。」
「…理由を聞いてもいい?」
「あの子、毎日私のところに来て学校であったこととかいっぱい話してくれるの。」
胡蝶さんの言っていた、毎日必ずやる用事ってものはこれのことだったらしい。
これとそれの関係が掴めずに黙ってしまう。
「そこでね。この間、初めて心の底から友達になりたいって思える人ができたって、嬉しそうに話してて」
友達なんてかおりちゃんがいればそれでいい。心から本気で思っていた。僕だけしかかおりちゃんが見えていない、と言うなら尚更だった。
「…なんで?」
僕の質問の意図は、なんでそこでかおりちゃんがわざわざそれを僕に言うのかと言うことだった。
「妹がなりたがってるからだよ。」
至ってシンプルな回答が返ってきた。
前に胡蝶さん本人から僕と友達になりたいと言われたことはあった。理由は確か、命をあげるのにお互いのことを知らないのはよくない、みたいな事だった気がする。そんな理由なら今は必要のないことだろう。
「まぁ遊ぶくらいなら…」
かおりちゃんが残り一年の命。と言う話も本人から聞いたばかりだった。だから、断ることができなかった。
彼女の病気に関して言われたことは、寝ているかおりちゃんの体が持たなくて一年後に生きている確率が良くて二割ほどであること、一年後に一か八かのでかい手術があること、その手術が成功する確率も低いこと。
「ありがとう!あ、そうだ。妹には私がこうなってること言わないでね?」
こうなっていること、彼女はわざわざ口にはしなかったが言いたいことは理解できたので特に何も言及しなかった。
「言っても信じないと思うけど。いいの?本当に言わなくて。」
僕は言ったほうが胡蝶さんのためにも、かおりちゃんのためにもなると思った。
「いいの。きっとあの子、言ったら見えてる君にしつこく何かするかもしれないでしょ?そんなの君も嫌でしょ?」
そんなことするかな、なんて思ったけど逆の立場ならそうするかもしれないと思ってしまった。もし、もし弟が近くにいるなら、唯一見える人間がこの世にいるなら、なんで考えてしまう。いい加減、もし、なんてことを考えるのはやめたいんだけどな。
「そうかもしれないね…。」
「でしょ?」
続けて彼女は、「それよりさ」と話題を変えてきた。
「まさか、君の唯一できた友達ってのがまさかあの子のことだとは思わなかったなー。いずれ二人には友達になってもらいたかったんだけどさ。どうやって近づけようか一生懸命考えてたのがバカみたい」
そう言いながら彼女は笑った。
なんでそこまで…。なんて考えていると、かおりちゃんが「はぁー」と、この静かな空間じゃないと聞き逃してしまうほどの小さなため息をついた。
「どうしたの?」
「いや、うーん。」
「何かあるなら言ってよ。」
「いやー、もっと妹と仲良くしとけばなーって」
意外だった。胡蝶さんは毎日のようにかおりちゃんに会いに行くほど仲の良い姉妹なのだと思っていたから。
「仲悪かったの?」
今は仲良く見えるけど。そんな意味合いも含めてそう質問した。
「私が病気で苦しんでた時に、いつも元気にお見舞いに来るからさ。『なんで私だけ』みたいなことばっかり考えちゃってさ。今思えば私を元気づけようとしてくれてたのかなって。私、すごい酷いことしちゃったのにまだ私に会いにきてくれるから」
僕が彼女にできること。今ならわかる気がした。
「今度、僕、胡蝶さんと遊ぶんだ。だからさ、かおりちゃんもおいでよ。今からでもきっと遅くない。」
あの時は、自分が楽しもうなんて考えてしまった。でも、今度は彼女ためと考えるだけで心が軽くなった気がした。
「いいの?」
「もちろん。行く場所はまだ決まってないから、行きたい場所あったら言ってよ。」
「私は…植物公園に行きたい。もちろん決まってなかったらだけど、二人が行きたいところがあったらそっち優先でね?」
花が好きと言っておきながらそういうところに行ったことはない。だから行きたいと心からそう思った。
「いいね。胡蝶さんには僕から話しておくよ。」
「本当にいいの?」
「本当にいいの。僕だって行きたいんだから。それより時間とかって…。」
携帯の持っていない彼女に待ち合わせなんてできるのだろうか。
「それなら大丈夫。普段私、家にいるから。病院にいるのはあの子の話を聞き行く時だけなの。だからあの子に合わせて家出るよ。」
病院にいるの、もううんざりなの。彼女はそう言ってはにかんだ。
「それより今日行くところって、植物公園だよね?」
「そうだけど、もしかして嫌だった?」
メールでは「いいね!いこいこ!」だなんて言ってたけど、いやいや言ってるかもしれない。文字だけでは本心は読むとれない。少なくとも僕には難しい。
「ううん?私も花好きだから一回行ってみたかったんだー。」
「そりゃ良かった。」
「本当にありがとう」
胡蝶さんの隣に座っているかおりちゃんは今にも泣きそうな声でお礼を言ってくれた。僕は何もしていないのに。反応するわけにもいかなかったので、素直にそのお礼を受け取ることしかできなかった。
それから少しだけ喫茶店でゆっくりしてから僕らは植物公園に向かった。
電車に揺られ三十分、目的の植物公園のある駅に着いた。
電車内で、何か話したほうがいいのだろうか、なんて思ったけど杞憂だったみたいだ。ずっと僕らはこれから見る花の話や胡蝶さんの趣味の話、彼女の姉のかおりちゃんの話をしてくれた。すぐ近くにいるなんて思ってないのがわかるほど自慢の姉の話をしてくれた。それを恥ずかしそうにかおりちゃん本人が聞いていたのを僕は横目で見ていた。止まることもできたけどなんとなく止めるのをやめた。本当になんとなく。決して僕の知らない期間のかおりちゃんの話を聞きたかったわけではない。
「道こっちであってる?」
スマホで道順を調べながら行ってるから間違いなかったはずなのだけど、なんとなく案内してくれている彼女の顔が眉間に皺がよっていて少し不安だった。
「そっちじゃなくてこっちみたいだよ。」
そんな妹が見てられなくなったのか、かおりちゃんが僕の肩をトントンと叩いて教えてくれた。
かおりちゃんが指を刺した方を目を細めてよーく見ると遠くに入り口みたいなものが見えた。
「本当だ。おーい、こっちだってよ」
永遠にスマホ睨めっこしている胡蝶さんを呼んだ。
「え?こっちじゃないの?」
思わず、人から聞いたみたいな言い方をしてしまったけど彼女は特に気にしていないようだった。そして、彼女は反対の方向を指差してそういった。
「いやいや、みてよあれ。」
かおりちゃんと同じように入り口のようなものを指差した。少しだけ手柄を横取りしてしまった気分になった。
「本当だ。随分昔に一回来たことあるんだけどなぁ。」
「行ったことないんじゃないの?」
「言ったことあるのは記憶がない幼稚園の時だよ。お姉ちゃんの病状が良くなって外出の許可が降りた時、家族みんなで行ったの。あんまり覚えてないからほぼ初めてみたいなもんだよ。」
「私は覚えてるけどね」
隣にいるかおりちゃんがそう言ったのを聞いて僕はどこか腑に落ちた気がした。植物公園なんてもっと近くにもあったのになんでこの植物公園にしたのかがわかったから。
かおりちゃんの言葉には返事ができないのがどこかもどかしいが、仕方がない。
やっとの思いで入り口につき、『ご自由にお取りください』と書かれたパンフレットがあったので、それを一つ手に取り、マップを開いた。想像以上の広さに驚きつつ、僕が気になっていた花がたくさんあったのでワクワクしてきた気持ちと同時に、楽しんではいけないと言う気持ちが同時に襲ってきて、必死に心を落ち着かせた。
チケットは各自で買うことになったので、先に胡蝶さんがチケットを一枚買った。そして、僕は千円札を一枚入れてチケット二枚買った。
どうしても二枚買いたかった。だって、僕らは二人で来てるのではないから。
「あれ?私買ったよ?」
「知ってるけど、ほら見てよ。これ描かれてる花が違うんだよ。」
そのチケットは何種類かわからないが、チケットによって描かれている花が違ったのに気づいて咄嗟にそう答えた。僕はただ、かおりちゃんがのけもの扱いをされるのが嫌だっただけだ。要は自己満足。
「ありがとう。」
僕の隣に立つかおりちゃんがにっこり笑いながらそう言った。どうやら彼女にはバレてしまったみたいだった。
少し照れ臭かったが、このチケットは後でこっそりかおりちゃんに渡そう。そう思った。
当たり前かもしれないが季節によって咲く花が違う。簡単に言えば、春には桜、夏には向日葵、秋にはコスモス、冬にはスイセン、みたいな感じのやつ。想像する花は人それぞれ違うかもだけど。
つまるところそれはこの植物公園にも言えることであって、この季節特有の花が咲いていた。
マニアックなところを言うと、ピース、ブルームーン、キモッコウバラなんかが咲いているみたいだ。まだ見ていないが、さっきもらったパンフレットに書いてあった。
僕らはまずは薔薇園に行くことにした。薔薇と聞くと赤い薔薇を想像するかもしれないが、ここはいろんな色のバラがマス目ごとに違って咲いていた。一歩歩いたら違う色、違う種類の薔薇、もう一歩歩けばまた違う色で違う種類の薔薇、それが何マスにもわたって咲いていた。その一つ一つにきちんと名前があり、どこの国で生まれものなのかも記されていた。
なんでかわからないが、子供が親の膝の上に座っている石像なんかも置いてあって見ていた飽きない場所だった。
『綺麗…。』
姉妹揃って同じ感想を同時に言ってたので思わず、笑みが溢れてしまった。
「そうだね、綺麗だ。」
僕らはゆっくり歩いた。胡蝶さんは夢中で薔薇の写真を撮っていた。かおりちゃんはその光景を微笑ましく見ていた。
「薔薇ってこんなに種類あるんだね。」
「薔薇って二千種類くらいあるらしいね。ほとんど改良品だけど。自然に咲いてたのは百二十種類くらいらしいし。」
僕はパンフレットに書いてあった情報をそのまま彼女らに伝えた。
「詳しいんだね。」
「いや、これに書いてあっただけだよ。」
僕は持っていたパンフレットを彼女に見せた。
「え、ほんと?私にもそれ見せてー。」
「はい。どうぞ。」
おそらくただの地図だけだと思って取らなかったのだろう。僕は十分に見たのでパンフレットを彼女に手渡した。
「へー、いろんなこと書いてあるんだね。」
彼女は花の知識的なのにはあまり興味がなく、ただ純粋に花が綺麗だから見ている、それがわかるようなリアクションをした。
それから僕らは歩き続け、大温室と呼ばれる部屋に入った。
入ってすぐに自動販売機があったのでお茶を買い、一気に飲んだ。胡蝶さんはというと、水筒を持参していたらしくそれをゴクゴクと飲んで「ぷはぁー!」とサラリーマンが金曜日にビールでも飲んでいるのかと思うくらいいい飲みっぷりだった。
椅子があったのでそのまま少し休憩をした。かおりちゃんは「私は疲れないから」と立っていたけど、実際のところわからないけど、反論する余地もないので素直に「そうなんだ」と思った。
休憩を終え、僕らはそのまま大温室の中に足を踏み入れた。
花が好きと自称しているのが恥ずかしくなるほど、初めて見る花がたくさんあった。そして、この世界にはまだこんなにも綺麗な花があるものなのか、そう思わせてくれるような、そんな花がたくさんあった。
僕とかおりちゃんはひたすら花一つ一つに書かれている解説みたいなのをひたすら読んでいた。一方、胡蝶さんはというとただただ綺麗な花を見て、気に入った植物などを写真に収めていた。
「ねぇ、写真撮ろうよ。あそこならここに来たってわかる場所があったからそこで撮ろうよ」
大温室から外に出て、直射日光を浴びていると胡蝶さんがパンフレットの表紙になっていた場所を指差して、そう提案をしてきた。正直に言えば撮りたくない。理由は、単純に映らないかおりちゃんが可哀想だから。でも、直接そんなことが言えるわけないから、
「僕はいいよ、撮ってあげるから。行って来なよ。」
そう言って、写真が嫌い風を装った。察してくれたのか、胡蝶さんは「じゃあ綺麗に撮ってね。」と言って、カメラモードに切り替えた携帯を渡してきた。
そして胡蝶さんが僕に背を向けた瞬間に隣にいたかおりちゃんの背中を軽く押した。
「…え?」
僕は顎を一瞬前に出し、「一緒に並んでおいで」と伝えた。すると彼女は少し笑って「映っちゃうかもよ。」と言って胡蝶さんの隣に並んだ。
「じゃあ、撮るよー。」
一枚、二枚と写真を撮った。念の為確認してみるが、奇跡なんて起こらず、写真にはかおりちゃんは映っていなかった。
僕が撮影をやめると二人して歩いてこちらに向かってきた。
「どう?撮れた?」
僕は頷いてから、彼女に携帯を返してあげた。
「ありがとう。」
そう言って彼女は大事そうにその写真を眺めていた。
かおりちゃんが映っていなかったことを本人に首を振って伝えたが、かおりちゃんは「だよね」と苦笑いをしていた。僕は、余計なお世話をしてしまったかもしれないと反省をした。
それから僕らは結局、午前中を花を見るだけで潰し、軽く昼食をとった。食事をしないかおりちゃんには少しだけ申し訳なかったので、ささっと食べ終えて店の外に出た。胡蝶さんは元々食べるのが早いらしく少しだけ助かった。
僕らは植物公園に行く以外に予定がなかったので、解散しようかと思っていた。
「あ、そうだ。ちょっと寄りたいところあるんだけど」
胡蝶さんがそう言ったので、僕らは了承して彼女について行った。ついた場所はさっきまでいた植物公園だった。
「ここ、花が買えるみたいなんだよ。買える時になってから買った方がいいと思って。」
入り口付近に花が買える場所があったらしい。花一つ一つに値段が書いてあった。
「おすすめあったりする?花言葉ってあるじゃん?渡した時に変な意味だったら嫌だなって」
「ちなみに、誰にプレゼントするか聞いてもいい?」
「お姉ちゃんだよ。ベッドの横に咲いてる花が枯れちゃいそうなんだよ。」
本人がいる前で買うのはなんとも言えなかったが、突然、後ろから肩を叩かれた。振り返るとかおりちゃんが微笑みながら遠くにあるベンチを指差して「あっちで座ってるね」と言って歩いて行ってしまった。いや、行ってくれたと言った方がいいのか。
「今は何が飾られてるの?」
確かに前に行った時、花が飾られているのは見たが、それ以上にショッキングなことが起きていたからよく覚えていなかった。
「悪いんだけど名前わかんないんだけどピンクの花なのは確か」
「前と同じ花を飾っても変わり映えしないかもって思っただけだから。」
売られていたいろんな花を見て一つの花に目が止まった。病院のベッドに飾るにはありきたりすぎて前に飾っていたものと被るかもしれない。そんなことを考えながらも、これにしたいという自分の願望もあった。
「この花がいいんじゃないかな。」
『前進』『希望』そんな意味を持ったいろんな色がセットで売られていたガーベラを選んだ。かおりちゃんが僕に初めてくれた花もガーベラだった。なんとなく、思い出のある花を選んだ。
「綺麗な花だね。この花どこかで…。まぁいいや。これにする!」
花言葉の意味も聞かずあっさり決めてしまった。でも念の為に説明しておこうと思った。
「一応説明しておくと、この花は『前進』とか『希望』って意味があるんだ。」
「ぴったりだね。じゃあ買ってくるからちょっと待ってて」
このまま持って買えるとかおりちゃんが遣ってくれた気が無駄になると思い、僕もその会計について行って店の人に「花が見ないように包んでください」と無理を言った。胡蝶さんは「?」って顔をしていたけど特に何も言ってこなかった。
駅について、そのまま帰りの電車に乗った。
電車では疲れてしまっていた胡蝶さんを座席の端に座らせると壁に寄りかかりながらすぐに寝てしまった。
僕とかおりちゃんはドア付近に立って、小さな声で今日のことについて話をしていた。
「今日はありがとね。」
「僕は何もしてないけどね。」
「ううん。本当に感謝してる。つっくんがいなかったらこの子と二度とおでかけなんかできなかった。」
なんでかおりちゃんの姿が僕にしか見えないのかわからない。胡蝶さんに見えるようになっていれば…。またよくない癖が出てしまったと思い、すぐに思考を止めた。
「楽しんでくれたならよかった。」
僕がかおりちゃんのためにできることなんてこれしかないんだ。実際に、僕がいたから楽しいというより、感覚だけでも妹である胡蝶さんとお出かけをすることが楽しかったわけだし。少なくとも、今日の僕と一緒にいても楽しいなんて感想を抱く人はいないだろう。
「あのさ、今日って夜時間ある?ちょっとあって話したいことがあるんだ。」
「夜?今じゃダメなやつ?」
わざわざ改まって会って話したいことってなんだろうか。もちろんその内容はかおりちゃんにしかわからないので、考えるのはやめる。
「夜って言っても八時ごろかな。七時まで面会時間だから、多分というか絶対、妹がその時間までいるから、それまで病院にいたいの。」
今日のことについて聞くなら別に行くことないんじゃないか、なんて思ったけど、おそらく胡蝶さんの楽しそうに話す姿が見たいのだろう。そう自己完結させ、あえて聞くことはしなかった。
「僕は別にいいけど。」
「ありがとう。じゃあ、八時ごろにあの公園にいてくれない?」
「わかった。」
かおりちゃんのいる病院の最寄り駅に着く直前に目を覚ましていた。
「私、お姉ちゃんのところ寄りたいから。あ、花白くんも来る?」
「いや、また今度にするよ。これから用事もあるし。」
姉妹の邪魔をするのは流石に気が引ける。一応、変に気を遣ってると思われても嫌なので用事があると嘘をついておいた。
「そっか、残念。」
そう言って、二人は病院の最寄りの駅で降りて行った。一人になった僕はどこかぽっかりと穴が空いてしまったような気分になった。
これまでの二日間はバイトと家を往復するだけで特に何かあるわけじゃなかった。
そして、どうやら僕の体内には時計が住んでいるらしく、目覚まし時計をセットしてなくてもいつもの時間に目が覚めてしまう。それは世間的に言えば、健康的でいいことなのかもしれないが、今の僕のとっては嫌なことだった。
喉がとても渇き、台所で水を飲んでいると玄関の鍵がガチャリと音を立て、ドアが開いた。
「…。」
母と目があったのは何年ぶりだろうか。仕事から帰った母がそこにいた。だからといって何かあるわけでもなかった。ただ、久しぶりに見た母の姿はどこか痩せていて、最後に見た時より随分と悪い方に姿が変わってしまっていた。
母は僕と目があっても特に何も言わずに自分の部屋へと行ってしまった。
何事もなかったことに少しホッとしつつ、何かあったら、もしかしたら、なんて少しでも考えてしまう自分がどれだけ弱い人間なんだと卑下してしまうほどだった。
もし、なんて考えても無駄なのは痛い程わかっていたので、考えるのをやめて自室に戻って出かける準備をする。
支度と言っても、やることは財布と携帯をカバンに詰めて、洋服に着替えるだけだけど。学校に行く時の教科書をカバンに詰める作業よりだいぶマシだった。
私服は上下で指で数えられるくらいしか持っていないのでテキトーにタンスから取り出し着替える。白いTシャツに少し緩いジーパンを履いた。
準備が終わり、少し早かったので、一時間ほど本を読んでから家を出た。
今日は自転車じゃなく歩きで行く。家の鍵を閉め、待ち合わせの喫茶店に向かう。
起きるのが早かったのもあって少し眠かったが、勝手に早起きした自分が悪いので、眠気覚ましにコンビニで翼を授けてくれる飲み物と鮭おにぎりを買い、胃に流し込んだ。当たり前だが、あんな飲み物を飲んでも翼なんて生えてこない。生えてくるなら、今頃遠くのどこかへ飛んでいるところだ。
目的の場所までいつも自転車で行っているからか、とても長く感じられた。この炎天下の中で帽子も被らず、直射日光を浴びているのも長く感じさせる要因だろうか。
さっき飲み物を飲んで喉を潤したはずなのにすでに喉が渇いている。あの飲み物を飲むことを水分補給と呼んでいいのかわからないけど、とにかく喉が渇いたので喫茶店へ急いだ。
喫茶店についてすぐに冷たいアイスコーヒーを頼んだ。
アイスコーヒーを飲勢いよく飲んだ。生き返る、と言う言葉はあまり使いたくなあったが、文字通り生き返った気分だった。
僕が生き返ってから、三十分ほどで待ち合わせをした人のうちの一人が店に入ってきた。
胡蝶さんが店内に入り、僕と同じアイスコーヒーを頼んだ。頼んだアイスコーヒーが到着して、すぐに勢いよく飲んだので、彼女も喉が渇いていたらしい。
「まさかそっちから誘ってもらえるなんて思っても見なかったよ。」
そう、彼女の言うとおり僕から彼女らを遊びに誘ったのだ。あんだけ彼女を拒絶しておいて今更かもしれないけど。
「お願いがあるんだけどいいかな?」
「…僕にできることなら」
かおりちゃんの真実を受け入れた後、僕らは再びベンチに腰掛けながら話をしていた。
「妹と仲良くしてあげてほしいの。たまに遊びに行くとか、学校の外だけとかでもいいから。」
「…理由を聞いてもいい?」
「あの子、毎日私のところに来て学校であったこととかいっぱい話してくれるの。」
胡蝶さんの言っていた、毎日必ずやる用事ってものはこれのことだったらしい。
これとそれの関係が掴めずに黙ってしまう。
「そこでね。この間、初めて心の底から友達になりたいって思える人ができたって、嬉しそうに話してて」
友達なんてかおりちゃんがいればそれでいい。心から本気で思っていた。僕だけしかかおりちゃんが見えていない、と言うなら尚更だった。
「…なんで?」
僕の質問の意図は、なんでそこでかおりちゃんがわざわざそれを僕に言うのかと言うことだった。
「妹がなりたがってるからだよ。」
至ってシンプルな回答が返ってきた。
前に胡蝶さん本人から僕と友達になりたいと言われたことはあった。理由は確か、命をあげるのにお互いのことを知らないのはよくない、みたいな事だった気がする。そんな理由なら今は必要のないことだろう。
「まぁ遊ぶくらいなら…」
かおりちゃんが残り一年の命。と言う話も本人から聞いたばかりだった。だから、断ることができなかった。
彼女の病気に関して言われたことは、寝ているかおりちゃんの体が持たなくて一年後に生きている確率が良くて二割ほどであること、一年後に一か八かのでかい手術があること、その手術が成功する確率も低いこと。
「ありがとう!あ、そうだ。妹には私がこうなってること言わないでね?」
こうなっていること、彼女はわざわざ口にはしなかったが言いたいことは理解できたので特に何も言及しなかった。
「言っても信じないと思うけど。いいの?本当に言わなくて。」
僕は言ったほうが胡蝶さんのためにも、かおりちゃんのためにもなると思った。
「いいの。きっとあの子、言ったら見えてる君にしつこく何かするかもしれないでしょ?そんなの君も嫌でしょ?」
そんなことするかな、なんて思ったけど逆の立場ならそうするかもしれないと思ってしまった。もし、もし弟が近くにいるなら、唯一見える人間がこの世にいるなら、なんで考えてしまう。いい加減、もし、なんてことを考えるのはやめたいんだけどな。
「そうかもしれないね…。」
「でしょ?」
続けて彼女は、「それよりさ」と話題を変えてきた。
「まさか、君の唯一できた友達ってのがまさかあの子のことだとは思わなかったなー。いずれ二人には友達になってもらいたかったんだけどさ。どうやって近づけようか一生懸命考えてたのがバカみたい」
そう言いながら彼女は笑った。
なんでそこまで…。なんて考えていると、かおりちゃんが「はぁー」と、この静かな空間じゃないと聞き逃してしまうほどの小さなため息をついた。
「どうしたの?」
「いや、うーん。」
「何かあるなら言ってよ。」
「いやー、もっと妹と仲良くしとけばなーって」
意外だった。胡蝶さんは毎日のようにかおりちゃんに会いに行くほど仲の良い姉妹なのだと思っていたから。
「仲悪かったの?」
今は仲良く見えるけど。そんな意味合いも含めてそう質問した。
「私が病気で苦しんでた時に、いつも元気にお見舞いに来るからさ。『なんで私だけ』みたいなことばっかり考えちゃってさ。今思えば私を元気づけようとしてくれてたのかなって。私、すごい酷いことしちゃったのにまだ私に会いにきてくれるから」
僕が彼女にできること。今ならわかる気がした。
「今度、僕、胡蝶さんと遊ぶんだ。だからさ、かおりちゃんもおいでよ。今からでもきっと遅くない。」
あの時は、自分が楽しもうなんて考えてしまった。でも、今度は彼女ためと考えるだけで心が軽くなった気がした。
「いいの?」
「もちろん。行く場所はまだ決まってないから、行きたい場所あったら言ってよ。」
「私は…植物公園に行きたい。もちろん決まってなかったらだけど、二人が行きたいところがあったらそっち優先でね?」
花が好きと言っておきながらそういうところに行ったことはない。だから行きたいと心からそう思った。
「いいね。胡蝶さんには僕から話しておくよ。」
「本当にいいの?」
「本当にいいの。僕だって行きたいんだから。それより時間とかって…。」
携帯の持っていない彼女に待ち合わせなんてできるのだろうか。
「それなら大丈夫。普段私、家にいるから。病院にいるのはあの子の話を聞き行く時だけなの。だからあの子に合わせて家出るよ。」
病院にいるの、もううんざりなの。彼女はそう言ってはにかんだ。
「それより今日行くところって、植物公園だよね?」
「そうだけど、もしかして嫌だった?」
メールでは「いいね!いこいこ!」だなんて言ってたけど、いやいや言ってるかもしれない。文字だけでは本心は読むとれない。少なくとも僕には難しい。
「ううん?私も花好きだから一回行ってみたかったんだー。」
「そりゃ良かった。」
「本当にありがとう」
胡蝶さんの隣に座っているかおりちゃんは今にも泣きそうな声でお礼を言ってくれた。僕は何もしていないのに。反応するわけにもいかなかったので、素直にそのお礼を受け取ることしかできなかった。
それから少しだけ喫茶店でゆっくりしてから僕らは植物公園に向かった。
電車に揺られ三十分、目的の植物公園のある駅に着いた。
電車内で、何か話したほうがいいのだろうか、なんて思ったけど杞憂だったみたいだ。ずっと僕らはこれから見る花の話や胡蝶さんの趣味の話、彼女の姉のかおりちゃんの話をしてくれた。すぐ近くにいるなんて思ってないのがわかるほど自慢の姉の話をしてくれた。それを恥ずかしそうにかおりちゃん本人が聞いていたのを僕は横目で見ていた。止まることもできたけどなんとなく止めるのをやめた。本当になんとなく。決して僕の知らない期間のかおりちゃんの話を聞きたかったわけではない。
「道こっちであってる?」
スマホで道順を調べながら行ってるから間違いなかったはずなのだけど、なんとなく案内してくれている彼女の顔が眉間に皺がよっていて少し不安だった。
「そっちじゃなくてこっちみたいだよ。」
そんな妹が見てられなくなったのか、かおりちゃんが僕の肩をトントンと叩いて教えてくれた。
かおりちゃんが指を刺した方を目を細めてよーく見ると遠くに入り口みたいなものが見えた。
「本当だ。おーい、こっちだってよ」
永遠にスマホ睨めっこしている胡蝶さんを呼んだ。
「え?こっちじゃないの?」
思わず、人から聞いたみたいな言い方をしてしまったけど彼女は特に気にしていないようだった。そして、彼女は反対の方向を指差してそういった。
「いやいや、みてよあれ。」
かおりちゃんと同じように入り口のようなものを指差した。少しだけ手柄を横取りしてしまった気分になった。
「本当だ。随分昔に一回来たことあるんだけどなぁ。」
「行ったことないんじゃないの?」
「言ったことあるのは記憶がない幼稚園の時だよ。お姉ちゃんの病状が良くなって外出の許可が降りた時、家族みんなで行ったの。あんまり覚えてないからほぼ初めてみたいなもんだよ。」
「私は覚えてるけどね」
隣にいるかおりちゃんがそう言ったのを聞いて僕はどこか腑に落ちた気がした。植物公園なんてもっと近くにもあったのになんでこの植物公園にしたのかがわかったから。
かおりちゃんの言葉には返事ができないのがどこかもどかしいが、仕方がない。
やっとの思いで入り口につき、『ご自由にお取りください』と書かれたパンフレットがあったので、それを一つ手に取り、マップを開いた。想像以上の広さに驚きつつ、僕が気になっていた花がたくさんあったのでワクワクしてきた気持ちと同時に、楽しんではいけないと言う気持ちが同時に襲ってきて、必死に心を落ち着かせた。
チケットは各自で買うことになったので、先に胡蝶さんがチケットを一枚買った。そして、僕は千円札を一枚入れてチケット二枚買った。
どうしても二枚買いたかった。だって、僕らは二人で来てるのではないから。
「あれ?私買ったよ?」
「知ってるけど、ほら見てよ。これ描かれてる花が違うんだよ。」
そのチケットは何種類かわからないが、チケットによって描かれている花が違ったのに気づいて咄嗟にそう答えた。僕はただ、かおりちゃんがのけもの扱いをされるのが嫌だっただけだ。要は自己満足。
「ありがとう。」
僕の隣に立つかおりちゃんがにっこり笑いながらそう言った。どうやら彼女にはバレてしまったみたいだった。
少し照れ臭かったが、このチケットは後でこっそりかおりちゃんに渡そう。そう思った。
当たり前かもしれないが季節によって咲く花が違う。簡単に言えば、春には桜、夏には向日葵、秋にはコスモス、冬にはスイセン、みたいな感じのやつ。想像する花は人それぞれ違うかもだけど。
つまるところそれはこの植物公園にも言えることであって、この季節特有の花が咲いていた。
マニアックなところを言うと、ピース、ブルームーン、キモッコウバラなんかが咲いているみたいだ。まだ見ていないが、さっきもらったパンフレットに書いてあった。
僕らはまずは薔薇園に行くことにした。薔薇と聞くと赤い薔薇を想像するかもしれないが、ここはいろんな色のバラがマス目ごとに違って咲いていた。一歩歩いたら違う色、違う種類の薔薇、もう一歩歩けばまた違う色で違う種類の薔薇、それが何マスにもわたって咲いていた。その一つ一つにきちんと名前があり、どこの国で生まれものなのかも記されていた。
なんでかわからないが、子供が親の膝の上に座っている石像なんかも置いてあって見ていた飽きない場所だった。
『綺麗…。』
姉妹揃って同じ感想を同時に言ってたので思わず、笑みが溢れてしまった。
「そうだね、綺麗だ。」
僕らはゆっくり歩いた。胡蝶さんは夢中で薔薇の写真を撮っていた。かおりちゃんはその光景を微笑ましく見ていた。
「薔薇ってこんなに種類あるんだね。」
「薔薇って二千種類くらいあるらしいね。ほとんど改良品だけど。自然に咲いてたのは百二十種類くらいらしいし。」
僕はパンフレットに書いてあった情報をそのまま彼女らに伝えた。
「詳しいんだね。」
「いや、これに書いてあっただけだよ。」
僕は持っていたパンフレットを彼女に見せた。
「え、ほんと?私にもそれ見せてー。」
「はい。どうぞ。」
おそらくただの地図だけだと思って取らなかったのだろう。僕は十分に見たのでパンフレットを彼女に手渡した。
「へー、いろんなこと書いてあるんだね。」
彼女は花の知識的なのにはあまり興味がなく、ただ純粋に花が綺麗だから見ている、それがわかるようなリアクションをした。
それから僕らは歩き続け、大温室と呼ばれる部屋に入った。
入ってすぐに自動販売機があったのでお茶を買い、一気に飲んだ。胡蝶さんはというと、水筒を持参していたらしくそれをゴクゴクと飲んで「ぷはぁー!」とサラリーマンが金曜日にビールでも飲んでいるのかと思うくらいいい飲みっぷりだった。
椅子があったのでそのまま少し休憩をした。かおりちゃんは「私は疲れないから」と立っていたけど、実際のところわからないけど、反論する余地もないので素直に「そうなんだ」と思った。
休憩を終え、僕らはそのまま大温室の中に足を踏み入れた。
花が好きと自称しているのが恥ずかしくなるほど、初めて見る花がたくさんあった。そして、この世界にはまだこんなにも綺麗な花があるものなのか、そう思わせてくれるような、そんな花がたくさんあった。
僕とかおりちゃんはひたすら花一つ一つに書かれている解説みたいなのをひたすら読んでいた。一方、胡蝶さんはというとただただ綺麗な花を見て、気に入った植物などを写真に収めていた。
「ねぇ、写真撮ろうよ。あそこならここに来たってわかる場所があったからそこで撮ろうよ」
大温室から外に出て、直射日光を浴びていると胡蝶さんがパンフレットの表紙になっていた場所を指差して、そう提案をしてきた。正直に言えば撮りたくない。理由は、単純に映らないかおりちゃんが可哀想だから。でも、直接そんなことが言えるわけないから、
「僕はいいよ、撮ってあげるから。行って来なよ。」
そう言って、写真が嫌い風を装った。察してくれたのか、胡蝶さんは「じゃあ綺麗に撮ってね。」と言って、カメラモードに切り替えた携帯を渡してきた。
そして胡蝶さんが僕に背を向けた瞬間に隣にいたかおりちゃんの背中を軽く押した。
「…え?」
僕は顎を一瞬前に出し、「一緒に並んでおいで」と伝えた。すると彼女は少し笑って「映っちゃうかもよ。」と言って胡蝶さんの隣に並んだ。
「じゃあ、撮るよー。」
一枚、二枚と写真を撮った。念の為確認してみるが、奇跡なんて起こらず、写真にはかおりちゃんは映っていなかった。
僕が撮影をやめると二人して歩いてこちらに向かってきた。
「どう?撮れた?」
僕は頷いてから、彼女に携帯を返してあげた。
「ありがとう。」
そう言って彼女は大事そうにその写真を眺めていた。
かおりちゃんが映っていなかったことを本人に首を振って伝えたが、かおりちゃんは「だよね」と苦笑いをしていた。僕は、余計なお世話をしてしまったかもしれないと反省をした。
それから僕らは結局、午前中を花を見るだけで潰し、軽く昼食をとった。食事をしないかおりちゃんには少しだけ申し訳なかったので、ささっと食べ終えて店の外に出た。胡蝶さんは元々食べるのが早いらしく少しだけ助かった。
僕らは植物公園に行く以外に予定がなかったので、解散しようかと思っていた。
「あ、そうだ。ちょっと寄りたいところあるんだけど」
胡蝶さんがそう言ったので、僕らは了承して彼女について行った。ついた場所はさっきまでいた植物公園だった。
「ここ、花が買えるみたいなんだよ。買える時になってから買った方がいいと思って。」
入り口付近に花が買える場所があったらしい。花一つ一つに値段が書いてあった。
「おすすめあったりする?花言葉ってあるじゃん?渡した時に変な意味だったら嫌だなって」
「ちなみに、誰にプレゼントするか聞いてもいい?」
「お姉ちゃんだよ。ベッドの横に咲いてる花が枯れちゃいそうなんだよ。」
本人がいる前で買うのはなんとも言えなかったが、突然、後ろから肩を叩かれた。振り返るとかおりちゃんが微笑みながら遠くにあるベンチを指差して「あっちで座ってるね」と言って歩いて行ってしまった。いや、行ってくれたと言った方がいいのか。
「今は何が飾られてるの?」
確かに前に行った時、花が飾られているのは見たが、それ以上にショッキングなことが起きていたからよく覚えていなかった。
「悪いんだけど名前わかんないんだけどピンクの花なのは確か」
「前と同じ花を飾っても変わり映えしないかもって思っただけだから。」
売られていたいろんな花を見て一つの花に目が止まった。病院のベッドに飾るにはありきたりすぎて前に飾っていたものと被るかもしれない。そんなことを考えながらも、これにしたいという自分の願望もあった。
「この花がいいんじゃないかな。」
『前進』『希望』そんな意味を持ったいろんな色がセットで売られていたガーベラを選んだ。かおりちゃんが僕に初めてくれた花もガーベラだった。なんとなく、思い出のある花を選んだ。
「綺麗な花だね。この花どこかで…。まぁいいや。これにする!」
花言葉の意味も聞かずあっさり決めてしまった。でも念の為に説明しておこうと思った。
「一応説明しておくと、この花は『前進』とか『希望』って意味があるんだ。」
「ぴったりだね。じゃあ買ってくるからちょっと待ってて」
このまま持って買えるとかおりちゃんが遣ってくれた気が無駄になると思い、僕もその会計について行って店の人に「花が見ないように包んでください」と無理を言った。胡蝶さんは「?」って顔をしていたけど特に何も言ってこなかった。
駅について、そのまま帰りの電車に乗った。
電車では疲れてしまっていた胡蝶さんを座席の端に座らせると壁に寄りかかりながらすぐに寝てしまった。
僕とかおりちゃんはドア付近に立って、小さな声で今日のことについて話をしていた。
「今日はありがとね。」
「僕は何もしてないけどね。」
「ううん。本当に感謝してる。つっくんがいなかったらこの子と二度とおでかけなんかできなかった。」
なんでかおりちゃんの姿が僕にしか見えないのかわからない。胡蝶さんに見えるようになっていれば…。またよくない癖が出てしまったと思い、すぐに思考を止めた。
「楽しんでくれたならよかった。」
僕がかおりちゃんのためにできることなんてこれしかないんだ。実際に、僕がいたから楽しいというより、感覚だけでも妹である胡蝶さんとお出かけをすることが楽しかったわけだし。少なくとも、今日の僕と一緒にいても楽しいなんて感想を抱く人はいないだろう。
「あのさ、今日って夜時間ある?ちょっとあって話したいことがあるんだ。」
「夜?今じゃダメなやつ?」
わざわざ改まって会って話したいことってなんだろうか。もちろんその内容はかおりちゃんにしかわからないので、考えるのはやめる。
「夜って言っても八時ごろかな。七時まで面会時間だから、多分というか絶対、妹がその時間までいるから、それまで病院にいたいの。」
今日のことについて聞くなら別に行くことないんじゃないか、なんて思ったけど、おそらく胡蝶さんの楽しそうに話す姿が見たいのだろう。そう自己完結させ、あえて聞くことはしなかった。
「僕は別にいいけど。」
「ありがとう。じゃあ、八時ごろにあの公園にいてくれない?」
「わかった。」
かおりちゃんのいる病院の最寄り駅に着く直前に目を覚ましていた。
「私、お姉ちゃんのところ寄りたいから。あ、花白くんも来る?」
「いや、また今度にするよ。これから用事もあるし。」
姉妹の邪魔をするのは流石に気が引ける。一応、変に気を遣ってると思われても嫌なので用事があると嘘をついておいた。
「そっか、残念。」
そう言って、二人は病院の最寄りの駅で降りて行った。一人になった僕はどこかぽっかりと穴が空いてしまったような気分になった。
