花のしおり1

「ここは…。」
いつもの見覚えのある天井、そして、いつも目が覚めて憂鬱になる景色。すぐに自分の部屋のベッドで横になっていたことがわかった。そして、とても長い夢を見ていた気がした。
「あ、起きた。」
そう言って声が聞こえた方を見ると、そこには死んんだはずの弟がいた。その姿を目にして、最後に見たあの綺麗な夜空、火薬の匂い。そして、目の前にいる弟。全て察してしまった。今起きていることに唖然としていると、弟が「兄貴。ちょっと出かけないか?」と親指を立て、そのまま親指で外を指差した。
僕は何も言わず弟の後についていった。なんでかついていかないという選択肢がなかった。
外に出ると日差しが出ているのに全く暑さを感じなかった。むしろ肌寒くて少し息がしづらい気がした。
「暑さとか、何も感じないでしょ?」
と、僕の感じていたことを見透かしたようにそう言った。僕はそれに対して「…うん。」と静かに返した。僕らが歩き始めて数分が経過した。どこに向かっているのかはわからない。ただ、弟の隣を黙って歩いていた。すると、弟が「俺さ、」と口を開いた。
「ずっと謝りたかったんだ。兄貴に。」
「…え?」
謝るべきなのは自分だと思っているから変な声が出てしまった。
「俺がずっと兄貴のこと縛ってるの知ってた。だから、どうにか違うってことを伝える手段はないかなって探してたんだよ。」
弟の言っている意味がわからず、黙って聞いていた。
「兄貴は知らないかもしれないけど、俺ずっとこの辺り彷徨いてたんだぜ。誰にも俺のこと見えてなかったけど。」
そう言いながら弟は、はははと笑っていた。そして、「でも、」と真剣な表情になって続きを語った。
「初めて、俺のこと見えてる人に出会ったんだ。半年くらい前かな。それでその人に頼んだよ。俺の代わりに手紙を書いて欲しいって。それを兄貴に渡そう。それで伝えようとしたらなんか、兄貴がこんなことになってるし、兄貴には悪いけどチャンスだと思って、もう直接話そうって。」
「…やっぱり、僕は死んだのか。」
ここにきてから考えていたことを口にした。でも、悲しくはなくて、むしろ自分の罪が償えた気がして心が軽かった。
「大丈夫、兄貴はまだ生きてるから。」
僕の顔をしっかりと見て、そう断言した。
「…え?」
じゃあ、僕が今こうして弟と話をしているというのは夢だというのか。弟の言っていることが理解できずにいた。
「ちょっと俺と話したらすぐ戻れるよ。だから安心してよ。それより、時間がないから。俺の話したい事、話させてよ。」
僕は何も言えずに黙って弟の話を聞いた。
「まず、兄貴には俺に縛られずに生きてほしい。自分のやりたいことやって、人生を楽しむこと。お願いだから、俺の分までしっかり生きてよ。俺がこうなったのも兄貴のせいじゃなくて自分が原因だし。だから、兄貴が気に病むことなんてないんだよ。」
弟が言ったこと。それが事実かどうかわからない。弟が死んだ時のことを僕は覚えていないから。でも、自分のせいで弟が死んだってことはわかっている。
「あ、信じてないな!その目は!」
と僕を揶揄うように笑った。僕はなんでそんなに笑っていられるのか不思議でしょうがなかった。
「本当なんだって。あれは不慮の事故だったじゃん。誰も悪くない。ほんと俺の運が悪かっただけ…。」
必死に説明する弟に僕は何も言えずにいた。自分が死んだ日のことを覚えてないだなんて口にできなかった。
「もしかして、覚えてない?」
体がビクッと思わず反応してしまった。何も言わずに黙ってしまった。すると弟は「そっか」と笑った。
「むしろ忘れててくれて嬉しいよ。でも、とにかく兄貴のせいじゃないから、ほんとに。」
はっきりとそう言ってから小さな声で、
「あの時、助けようとしてくれてありがとう。」
と言った。僕はその言葉の意味がわからなかった。
それから僕らは小さなこの街を探検した。
探検といっても弟が歩く横を僕が黙ってついて行っただけだけど。
二人が通っていた小学校、二人で遊んだ公園、いろんなところを回った。
回っているうちにどんどん、自分の中で忘れてしまっていた記憶が掘り起こされていくのを感じた。
弟としては別に思い出して欲しかったわけではないのはわかっているが、必然なのか、自分がさっき助けようとした広瀬の妹の姿と今目の前にいる弟の姿が重なった。
「ん?どうした、兄貴?」
「…あの時、助けてあげられなくてごめん。」
気づけば涙が溢れていた。弟が死んだとわかった時、涙なんて出なかったくせに。今になって、もうこの世界には弟はいないのだと、今更になってわかってしまったのだ。
「何泣いてんだよ。」
そう言いながら弟は、僕を優しく抱きしめた。僕はひたすら謝ることしかできなった。
「…ごめん…ごめん…ごめん…。」
弟は僕の背中をさすってくれた。泣いている僕を優しい声で、優しい手で。そして「これじゃあ、どっちが兄かわかんねーな。」と笑った。
僕はひたすら泣いた。今まで泣いてこなかった分を取り戻すように。どれだけ泣いても涙が枯れることはなかった。

夏休み真っ只中、死ほど暑い日には自室でお茶をのにながら本を読むのが日課になっていた。もちろん友達なんていないし、一人でいる方がずっと楽でいい。
日が沈み、部屋の電気をつけないと部屋が真っ暗になってしまうのですぐに電気をつけた。
玄関のドアがガチャりと開いた。友達と遊びに出掛けていた弟が帰ってきたらしい。ドタバタと廊下を走っている。そして、僕の部屋のドアを勢いよく開いた。
「兄貴!!夏まつりいこうぜ!」
「やだよ、暑いし。友達とそのまま行けばよかっただろ。」
開いていた本を閉じて、弟の方に向いてしっかりと断った。行きたくないし、あんな場所行っても楽しくないのはもうわかりきっていた。
「と、友達みんな用事があるんだって…。」
すぐにそれが嘘だとわかった。仮にも双子なのだ。考えていることはすぐにわかる。でも、それが少し可愛いとも思えてきて嘘だとわかっていながらも、本を置いて椅子から立ち上がった。
「しょうがないな。外暑いし、ちょっとだけだよ。」
そう言って、カバンに財布と携帯を入れ、弟と一緒に外に出た。弟は「やった!」と喜んでいた。その顔を見るとやっぱり双子というのは嘘なのではと思ってしまう。僕はあんな顔はできない。
「やっぱり暑いな。」
「それも夏の醍醐味だろ!それに、今日の空が曇ってなくてよかったよな。」
「なんで?祭り以外にもなんかあるの?」
祭りを楽しむってことなら別に晴れでも曇りでもどっちでもよかったと思ったが弟からしたらそうでもないみたいだ。
「花火だよ。は、な、び!」
手をグーパーグーパーしながらそう言った。花火を表現しているのだろう。
今から行くお祭りは、この辺じゃないらしい。弟はこの辺でもやってくれよ、と言っていたが、僕はこの辺じゃない方が良かったのでありがたかった。
僕と弟は別に仲が悪いなんてことはなかったけど、周りの目はそうでもない。出来のいい弟とは違い何もできない僕、一緒にいると白い目で見られるのだ。「なんで双子なのに。」と。特に僕らと同じ小学校に通っている子の親たちは。弟はそれを気にしてないみたいだけど、僕はとても気にしていた。だからいつも近所ではあまり遊びたくなかった。
駅について、電車に乗り、目的の駅について、祭りがやっているところまで少し歩いた。思ったより歩いたのといつも運動なんてしまいから余計に疲れてしまった。
少し歩いてお腹が空いていたが、もしかしたら仕事から帰った母がご飯を作っているかもしれないので、屋台で食べるのは少しだけにした。弟はちょっと残念がっていたけど、母のことが好きな弟はすぐに了承してくれた。
それから弟が楽しみにしていた花火を見るために弟が「友達が教えてくれたおすすめのスポットがある」というのでそれについていった。
山道を登って行ったので、運動をろくにしていなかった僕はすぐに体力の底が尽きた。でも弟はずんずか進んでいってしまう。それに必死な思い出追いかけていた。
やっとの思いでそのスポットと言われる場所まで来た。そこは少し朽ちている柵で囲われている少し広い空間があった。そこにベンチがあったので二人で並んで座った。
花火が始まるまで少し時間があったので夏休みの宿題のこととか今読んでいる本のこととかについて話していた。
数分して花火がドン!と大きな音を立てて上がった。
「綺麗…。」
思わず、そうつぶやいた。心の底から綺麗だと思った。火薬の匂いが鼻を刺激し、明るい光が目を刺激し、大きな音が耳を刺激し、そして、少し近いからか、花火の熱が肌を刺激した。味覚以外の刺激を同時に感じた。
「来てよかっただろ?」
花火を見ながら弟は言った。俺の声が聞こえてたらしい。少しだけ、行かないと言い張っていたので「綺麗」とつぶやいてしまったことを恥ずかしく思ってしまった。そのせいで顔が少し赤くなっていると思ったが、花火が出す赤い光のおかげで隠れていると思うので一安心だった。
花火が上がって三十分ほどが経過した。僕らは無言で花火を見続けた。来年も同じ花火が見られればいいなと思った。それに今日は弟だけだったけど、お母さんとかお父さんと来られればもしかしたら…なんて考えてしまった。
そんなことを考えていたら名残惜しく、花火が終わってしまった。
終わった瞬間に、ものすごい突風が僕らの間を駆け抜けた。思わず目を閉じてしまうほどに。そして、何かがガシャん!と大きな音がした後に、からんからん、と何かが崖の下に落ちた音がした。ゆっくりと目を開け、前を見ると、柵が一区間だけ壊れていて隣にいたはずの弟がいなかった。そして、大きな「助けて!」と聞こえ、すぐに声がしたところへ行くと弟が崖から落ちていて、必死に崖にしがみついていた。右手に持っているものを見て、さっきの突風で飛ばされたものを取ろうとしてのだとわかった。
「すぐに助けてやるから。とりあえずそれ捨てていいから俺の手を掴め!」
弟が右手に持っていたものは僕が買ってあげた特撮ヒーローのお面だった。
「やだ!絶対捨てない!」
そう言い張って聞かなかったが、「いいから早く!このままだと落ちるから!」と言ったら渋々それを下に捨て、右手で僕の手を握った。でも、子供一人の重さを僕一人で支えられることなんてできなかった。このままだと僕も一緒に落ちて二人とも死んでしまう。限界が近づいた時弟が、
「離して…。このままだと兄貴まで落ちちゃう。お願い…。」
声にならない声でそう言った。僕はもちろん了承なんてするわけなかった。
「何言ってんだよ!絶対離さない!だから諦めんな!」
『神様。お願いします。僕の命はいいですから。弟を助けてあげてください』心の中で叫ぶようにそう願った。
でも僕の願いは神様に届くことはなかった。僕が握っていた手を弟がもう片方の手で引き剥がした。「ごめん」と謝りながら。
落ちていく弟を僕は叫んで見ていることしかできなかった。
「ああああぁぁぁぁ!!!!!」
そのまま僕は気を失ってしまった。
気づけば病院のベッドの上にいて、ここ数年の記憶がぽっかり穴が空いたように消えてしまっていた。僕の頭の中には、弟がもうこの世にいない。その事実だけが残った。
母から言われたあの言葉「あんたのせいで…。」という言葉。その言葉を聞いて僕は、僕のせいで弟が死んだ。ということだけが頭に残ってしまった。

僕が泣き止んでから、もう時間がないからといろんなところを歩いた。僕と弟はなかなか一緒には遊ばなかったけど、一緒に遊んだ思い出は確かにあった。
「死んだ時のことってより、俺との思い出まで忘れてたから思い出して欲しかっただけなんだけどなぁ。」
弟は不貞腐れたようにそう言った。僕は何も言い返すことができなかった。思い出を忘れていたのも事実だし。死んだ時のことを思い出してしまったのも事実だったから。
「ちょっと最後、ここで話そうぜ。」
そう言ってついた場所は僕らがよく行っていた駄菓子屋さんだった。僕らは長いベンチのような椅子に並んで座った。
「母さんと父さんのこと、よろしくな。」
弟が不意に言った。真面目顔をして。
「母さんは兄貴のこと嫌ってるとかじゃないんだ。ただ不器用なだけなんだよ。不器用で片付けていいようなこと言ったのは知ってるけど。」
実は知っていた。毎週のように一万円を僕にくれること。綺麗にただんである洗濯物。できるだけ僕と顔を合わせないように過ごしていることとか、色々。
「少し前、僕の墓の前で言ってたんだ。今までのこと、ものすごく後悔していて、今更かもしれないけど仲良くする方法を知りたいって。」
「…え?」
僕は耳を疑った。でも、弟が嘘をついているとも思えなかった。
「嘘じゃなくて、本当だよ。だから、戻ったら一回ちゃんと母さんと話してみてほしいんだ。確かに兄貴に酷いこと言ったのも知ってる。でも、許してあげてほしい。今じゃなくていいから、いつか。お願い。」
真剣な表情で僕の目をまっすぐに見ていた。
「…うん。」
できる気がしなかったが、今は頷くことしかできなかった。
「はぁー、言いたいこと言えて、スッキリしたわ。」
弟は腕を伸ばし、体を伸ばしながら言った。そして、そのままベンチから立ち上がり「じゃあ、」と言って手をあげた。
「俺、そろそろ行くわ。」
「ちょっと待ってよ。やっぱり僕も…。」
思わず、そう口にしていた。弟を一人にすることはしたくなかった。
「いや、何言ってんだよ。俺の話聞いてた?」
そう言ってケラケラと笑った。でも、至って僕は真剣だった。
「兄貴には待ってくれてる人がたくさんいるだろ。」
「でも…。」
「でもじゃない。ダメなものはダメ。さっきも言ったけど。しっかり俺の分まで生きて、人生を楽しむこと、幸せになること。それから、最後に。」
そう言って人差し指をたて、僕の方へ向けてきた。
「かおりさんにお礼言っておいてくれないか。」
そのまま手を僕に向けながら今度は人差し指を上げたまま、中指を立てて、ピースをした。
「一足先に俺は逝くけど、向こうで会ったら一緒に酒でも飲もうぜ。俺、兄貴と飲むの、夢だったんだよ。」
と笑った。そして、薬指を立てて「最後に、」と言った。
「これだけは言っておく。俺は生まれ変わってもまた兄貴の弟でいたい。それくらい兄貴は俺の自慢の兄貴だよ。」
僕は弟が生きている時に、兄としてやったことなどほとんどなかった。でも、弟はそれでも僕が兄がいいと言ってくれた。それがたまらなく嬉しかった。
「僕もだよ。自慢の弟だよ、翔は。それに、僕もまた翔が弟だと嬉しいよ。」
弟が死んだ後からそれを受け入れることができずに無意識に呼ばなかった弟の名をきちんと呼ぶことができた。
「やっぱ俺って幸せもんだな。」
そう言って笑った弟の顔が後ろに見えている太陽より輝いて見えた。

気がつくと、白いものが視界を覆っていた。ここが病院だと気づいたと同時に身体中に痛みが走った。その瞬間に自分が生きていることを実感してしまった。いや、しまった、というと翔に怒られそうなのですぐにその考えをやめた。
僕の部屋で作業をしていた看護師さんと目が合った。
「ちょ、先生呼んできて!」
その看護師さんは数秒間動かなかったが、急にハッとなり、通りかかった別の看護師さんにそんなことを言っていた。
すぐに白衣を着た、いかに主治医っぽい先生が来て、僕の身に何があったのかを話してくれた。
どうやら、僕は三日ほど目が覚めなかったとのこと。そして、全身打撲と軽い脳震盪で、入院が一ヶ月ほど必要らしい。
広瀬の妹さんの方は特に大きな怪我があったわけでもなく、かすり傷で済んだみたいだ。僕はそれを聞いて、心の底からホッとした。
そして、どうやらここはかおりちゃんのいる大きな病院らしい。どこかで見たことある主治医だと思ったけど、一度、胡蝶さんに連れられここに来られたときに見ていたらしい。
「いや、本当奇跡としか言いようがないですね。打ちどころが悪かったら即死でしたよ。」
先生が軽く微笑んでそう言った。先生は今“奇跡”と言ったが、僕は翔に助けてもらった気がしている。確かではないが、そんな気がしているのだ。
先生の話が終わり、先生がどこかに行ったので、ずっと気になっていた廊下に目をやると、そこには心配そうにこちらを見ているかおりちゃんがいた。痛みを我慢しながら手招きして中に誰もいないことを伝えると、すぐに駆け寄ってきてくれた。
「大丈夫!?」
包帯ぐるぐる巻きの僕を心配してれているみたいだった。僕はいつの間にか誰かに心配される人間になったらしい。
「かおりちゃん…ありがとう…。」
動かすと痛いけど、そんなことどうでもよかった。今はただ近くにいてくれるだけで感謝でいっぱいだった。
「ううん、よかった。ほんと。目が覚めて。」
泣きそうな声でそう言ってくれた。僕にはもう一つ感謝しなきゃいけないことがある。「それと」と言葉を紡ぐ。
「翔のこと…気にかけてくれてありがとう。」
すると、弟の名前がだしたからなのか、かおりちゃんは目を見開いた。今思えば、弟がいることをかおりちゃんには言ってこなかったけど、知っていたことになるのか。
それから僕は確認の意味も込めて夢なのか、はたまた現実なのか、わからないから、目覚める前に体験したことをかおりちゃんに話した。
僕の話を黙って、時折頷きながら聞いてくれた。僕の話が終わるとかおりちゃんは「ほんとだよ。」と教えてくれた。
「そっか、手紙も書くの頼まれた。結局書かなかったけどね。でも、直接話せたならよかったよ。翔くん、ずっとつっくんの話するんだもん。自慢の兄だって。」
直接本人も言われたことなのに、なぜだか目から涙が溢れてしまった。嬉しくてたまらなかった。ただただ嬉しくて、悲しくて。そんな矛盾の感情が頭の中を駆け巡っていた。
「ありがとう…ありがとう…ありがとう。」
感謝しても仕切れなくて同じ言葉を繰り返してしまう。そんな僕を彼女は優しく笑顔で首を振った。まるで、私は何もしてないよ、と言っているみたいに。
それからかおりちゃんと世間話をした。気づけば日が落ちていて、部屋も灯りをつけないと目を凝視しないと何も見えないくらいの時間になった。ちなみに僕が目が覚めたのはお昼過ぎごろだった。
「花白!!」
と大きな声で僕の部屋に入ってきたのは広瀬だった。看護師さんに「ここではお静かに!」と注意され、すみません、と謝っていた。
かおりちゃんは気を使ってくれたのか、「じゃあ、またね。お大事に。」とどこかへ行ってしまった。彼の前なので止めることもできずに、軽く頷いた。
「目、覚ましたんだな。よかった…。ほんとよかった。」
そのまま膝を抱えて床に座ってしまった。彼の顔を見ると、目の下にクマができているし、祭りの時と比べ、少し痩せている気がした。どうやら彼も僕のことを心配してくれていたらしい。
「心配かけてごめん。」と素直に謝った。
彼は立ち上がり、そのまま目の前にあった椅子に腰をかけた。
「妹のこと、助けてくれてありがとう。本当に感謝してる。」
椅子に座ったかと思ったがすぐに立ち上がり、深々と頭を下げた。
「妹さんは無事だった聞いて安心したよ。」
そんな彼に僕は微笑みながらそう言った。僕が勝手にやったことだから彼が謝ることなど何一つないのだ。
でも、そんなこと彼に伝わることもなく、「ほんとありがとう…。」
それから医者に言われたことをそのまま彼に話した。と言っても一ヶ月の入院が必要なことくらいだけど。そしたら彼が「学校の授業とかは俺が教える。」というので素直にお礼を言った。
彼がきてから三十分が経過した頃に、胡蝶さんも「花白くん!!」と大きな声で入ってきて、彼と同じように注意されていた。すみませんと謝る全く同じ光景だったので思わず、クスッと笑ってしまった。僕のそんな顔を見て彼も笑って、それを見た胡蝶さんは頭に?が浮かんでいた。
「なんで笑ってるのかわかんないけど、よかった…。目が覚めて…。」
彼女の目には微かに涙が溢れていた。
とりあえず、彼女にも彼と同じ説明をした。そしたら彼女も「勉強は任せて。」というのでそれぞれ得意な科目をお願いすることにした。
それから、その日は僕が目覚めたばかりで疲れてしまうからと、気を使われ、広瀬は帰宅、胡蝶さんはそのままかおりちゃんのところに行った。

入院が始まってから一週間が過ぎた。すでに学校は始まっているが、担任の先生には自分の口から電話で説明した。
全身の痛みもだいぶ引いてきて、ところどころ包帯が取れた。でも、まだ痛いところは痛い。近況を報告するならそんな感じだ。
「はい、今日からリハビリに入りますよ。」
看護師さんの後ろには別の色の服を着た人が立っていた。そういえば今日からリハビリが始まるんだっけ。そんな話をしていた気がする。
「今日から花白さんのリハビリ担当になりました。草野と申します。よろしくお願いします。」
綺麗な一礼をされ、こちらも「よろしくおねがします。」と返しておく。
それから草野さんと一時間ほどリハビリを行った。この一週間はろくに自分の足で歩くこともせず、トイレに行くにも車椅子で過ごしていたから、久しぶりの歩行は骨が折れた。
そんな生活を半月続けたある日、いつものように今日行われた学校の授業の内容を胡蝶さんと広瀬の二人に教えてもらっていた時に、ふと窓のところにおいてあった一輪の花が目に入った。この花は僕が入院した時からおいてあったのだが、綺麗だと看護師さんに言った時、「花白さんのお見舞いに来られた方が置いていってくれた花ですよ。」と笑顔で教えてくれた。
「そういれば、あの花、ありがとね。」
言い忘れていたお礼を今更ながら言った。
「俺じゃないから、胡蝶さんじゃない?」
「いや、私も持ってきてないよ?」
二人ともこの花は持ってきていないらしい、綺麗な一輪の花。見舞いに来ているのなんてこの二人とかおりちゃんだけなのだが、もしかしたら自分がリハビリとかでいない間に担任の先生とかが持ってきてくれたのかな、とそこまで深くは考えなかった。それと、もしかしたら母が…だなんて思ってもいいのだろうか。不意に、弟の言葉を思い出す。『ものすごく後悔していて、今更かもしれないけど仲良くする方法を知りたいって。』信じてもいいのだろうか。そんなことを考えながら勉強をしたせいか、あまりこの日は頭に入らなかった。
いつものように日が暮れる前に、広瀬は帰宅し、胡蝶さんはかおりちゃんのところに行った。
そんな日常が一ヶ月続いて無事退院することができた。退院する日は特に伝えてなかったから二人は会いにこなかった。一人で帰れるから別にいいのだけど。
諸々手続きなんかをして昼頃に外に出ると、少し肌寒く、秋を感じさせる風が鼻をツンと刺激した。
一ヶ月ぶりの家は何一つ変わっていなかった。そんなの当たり前かもしれないけど。
帰宅途中、弟と回ったところ寄りながら帰った。やっぱりあの出来事は夢なんじゃないかと思ってしまう。現実で起きたことだとわかっていても。
「ただいま。」
家には誰もいなかった。今日は平日だし、母は仕事に出掛けているはずだ。特に何かをするわけでもなく、荷物を置いて家を出た。
自転車で行きたかったが、念の為やめておいた。徒歩で駅に向かう。そのまま電車に乗り、目的の場所に着く。本当の目的地はもっと先なのだが、待ち合わせをしているため一旦この駅に立ち寄った。
「あ、きたきた。」
そう言って僕を迎えてくれたのはかおりちゃんだ。今日は僕が行きたいところがあったので、それに付き添ってもらうことにした。本当は胡蝶さんも呼ぼうとしたのだが、二人で話がしたかった。
「改めて退院おめでとう。」
「ありがとう。今日はありがとね。」
「初めてじゃない?自分から行きたいところがあるだなんて。」
「…そうだっけ?」
「うん、いつも私の意見ばっかり聞いてくれてじゃん。」
そうだった。あの時は“楽しむ”という行為をどうしてもしたくなくて、出かける理由を身勝手にかおりちゃんのせいにすることで自分の心を保っていた。今思えば本当に良くないことをした。
それから僕らは電車に乗り、三十分ほど電車に揺られ、目的地のある駅に着いた。そのまままっすぐ歩いていく。
「そういえば、ずっと気になってたんだけど。その花なに?」
僕の右手にはかおりちゃんと会う前に買っておいた花束。
「行けばわかるよ。」
僕は笑顔でそう答えた。別に行き先を隠しているわけではないのだけど。
「ちょっとした坂道登るけど大丈夫?」
「私は疲れないから平気だけど、逆に大丈夫?」
「平気だよ。これくらい。」
正直いえばちょっときつかったけど、こんな小さなことで弱音を吐いていたら翔に笑われてしまう。
五分ほど坂道を登って、小さなお寺にたどり着いた。
「ここって…。」
僕の右手に持っているこの花と目の前にある寺を見て気づいたらしい。
「うん。弟が眠っている場所。」
そうはっきりと伝えた。ずっと行けなかった。ここにきてしまうと現実とした受け入れた気がして。弟が死んでから一回もここに顔を出すことがなかった。いや、出せなかった。弟はあの時、ここに僕が来ないことについては特になにも言わなかった。もっと早くきていれば何か変わっていただろうか。僕の気持ちの整理がついていたら、何か変わっていただろうか。
僕はゆっくりと階段を上り、かおりちゃんは僕の横を歩いてくれた。
「あった…。」
ここに始めてきたけど場所は知っていた。『花白家』と書かれたお墓。
「花。結構新しいよ?」
ついて早々、飾られている花を見た、かおりちゃんはそう言った。
「そうみたいだね。」
きっと母さんだ。一ヶ月くらい前、翔の命日だった。多分その時来たのだろう。
でも、花を持ってきてしまったので追加で僕の花を飾った。
お墓に水をかけて、僕がここにきたことを知らせる。手を合わせ、目を瞑る。
心の中で謝る。ここに全然来ることができなかったこと。そして、母との仲直りを約束した。
ゆっくりと目をあけ、隣を見る。かおりちゃんはまだ目を閉じていた。そんな横顔を…いつもは笑顔が絶えない彼女の真剣な表情を見て、綺麗だと思った。
「幸せになるよ。」僕はまっすぐ顔をあげ、まるでそこに弟がいるかのようにそう言った。
弟に言われた、「幸せになること。」という言葉を思い出し、思わず口にしていた。
「…え?」
「いや、翔に言われたんだ。幸せになって、って。」
「…そ、そっか。」
顔をりんごのように真っ赤にしている彼女に僕は改めて感謝の言葉を告げた。
「本当にありがとう。ここまで来れたのはかおりちゃんのおかげだよ。本当にありがとう。」
かおりちゃんは「そんなことない。」と笑った。
「感謝するのは、私の方だよ。感謝してもしきれない。妹のこともそうだけど。私と仲良くしてくれて、ほんとありがとう、つっくん。」
さっきの真剣の顔と打って変わって満面の笑みでそう言った。その笑顔を見ると、「そんなことないよ。」だなんて言葉は出てこず、素直にその言葉を受け取った。
「じゃあそろそろ行こっか。」
誤魔化すためかもしれない。自分でも気づいていた、あることについて隠すように後ろを振り返り、そんまま弟のいるところを後にした。すると、かおりちゃんが「そうだね。」と言って僕の隣を歩き始めてくれた。
風なんて吹いてないのに微かに周りの木々が揺れたのはきっと気のせいだ。

帰り道、ずっと考えていた。
かおりちゃんと喫茶店で出会った時からすでに弟とは繋がっていて、僕を救おうとして動いてくれていた。二人には本当に頭が上がらない。
今度は僕がかおりちゃんを助ける番だ。助け方なんてわからないし、僕にできることなんて何もないかもしれない。それでも、何かを彼女のためにしてあげたい。そう強く思った。