花のしおり1

夏休みが終わるまで残り一週間になった。かおりちゃんと胡蝶さんの三人でカラオケに行った日以降、特に遊ぶことはなかった。僕のバイトが忙しかったことと胡蝶さんが夏風邪をひいてしまったことが重なったのが理由だ。
夏風邪をひいたことはかおりちゃん経由で聞いた。あれから僕のバイトがない日は毎日二十時ごろあの公園で会って話している。
そして今、僕はいつもの喫茶店に来ていた。理由は胡蝶さんから何日かぶりに連絡をもらったからだった。
『ごめん、風邪引いてた。急で申し訳ないんだけど明日って空いてるかな?空いてるならいつもの喫茶店来てくれないかな。お願い。』
こんな連絡が来ていた。なんとなく遊びに行くという雰囲気ではなかったのでかおりちゃんには黙っておいた。
久しぶりに来たこの喫茶店は相変わらずコーヒーのいい匂いがしていて久しぶりに来たのに笑顔でマスターは僕を出迎えてくれた。
席について、いつものコーヒーを一杯頼んで彼女を待った。
コーヒーが届き一口ストローで啜ったタイミングでからんからんとベルの音が鳴ってドアが開いた。ドアに目をやると胡蝶さんがいつもの元気がなく真剣な表情をしていた。何かあったのだろうかと思っていたら彼女の後ろにもう一人女性が立っていた。僕はその女性に見覚えがあった。
三年前、中学一年生の時の僕のクラスの学級委員長だった人だ。僕は基本的に人の顔を覚えない。でも、この人だけは覚えがあった。唯一僕に干渉してきた人だったから。
あの時、僕は上履きがなくなったり、教科書が使い物にならなくても仕方がないことだと思っていた。その罰を受けるべき人間だと思っていたから。
そんな僕に彼女は『大丈夫?』と手を差し伸べてきた唯一の人だった。でも、僕はその差し伸ばされた手を受け取らなかった。理由は簡単。僕を庇ったことで標的が変わることだけはどうしても避けたかったから。
そんな嫌な思い出を思い出していると、二人が僕の目の前に座った。
その二人は知り合い、もしくは友達という関係で僕の目の前にいることは明白だった。
「あの…えっと…。」
戸惑っていてるのが自分でもわかった。心臓の音がうるさいくらいに響いている。目の前にいる二人にまでこの音が聞こえているのではないかと思うほどだった。
「あの…私のこと覚えてますか?」
話を切り出したのは胡蝶さんでもなく、その隣に座る女性だった。名前は確か…錦さん?
「えっと…。」
覚えています、そう言おうとしても言葉が出なかった。
「そうですよね。すみません。私、中学の時、花白くんのクラスメイトでした。」
クラスメイト。その言葉に体がびくんと跳ねた。相変わらず言葉にはできなかった。
「ずっと謝りたくて。この間、偶然胡蝶さんといる花白くんを見かけて。それで…。」
その続きは言わなくてもわかった。でも、謝りたいと言っている理由はわからなかった。僕は彼女に謝られるようなことをした記憶がなかった。
「……?」
「私、教科書がもの落書きされてたり、上履きが捨てられてるのとか、酷いことされたのに見て見ぬふりしちゃって…。それでずっと後悔してて…。」
気づけば錦さんの目から涙が溢れていた。
なんて声をかけるのが正解なのかわからなかった。じっくりと悩んだ末、頭の中に出てきた答えをそのまま口にする。
「全部、全部、悪いのは僕なんだ。だから、謝らないでほしい。」
彼女の顔見ることができずに目の前に置かれている飲みかけのコーヒーを眺めながらそう言った。僕があんなことをされるべき人間であることは確かだった。
「そんなこと…。」
錦さんはそう言いかけてやめた。
今でも、というか常に思っている。あんなに誰にでも優しい弟が死んで、人と関わることに抵抗がある僕がなんで生きているのか。そう思った時にはそのことについても口に出していた。同時にここにかおりちゃんを呼ばなくてもいいと思っていた。
「本当は生きているべきなのは弟で、死ぬべ…。」
そう言いかけた瞬間に右頬に強烈な痛みを感じた。一瞬何が起きたのかわからなかった。状況を理解するのに何秒かかかってしまい、気がついた時には歯を食いしばっている胡蝶さんの険しい顔が僕の目に映っていた。
「そんなこと絶対に言っちゃダメでしょ!」
胡蝶さんが真剣な眼差しで僕の目をしっかりと見て、僕に向かってそう言った。
「…ごめん…。」
ほぼ反射に近かったと思う。勝手に謝罪の言葉を口にしていた。
「私に謝ったってしょうがないでしょ。」
その通りだった。さっきのセリフは弟に対して失礼極まりなかった。
「そうだね…。ごめ…。」
また謝りそうになってスッと口を閉じた。
「私も叩いたりして…ごめん。」
小さな声で、でも僕にははっきり聞こえる声でそう言った。
気まずい空気が流れた。僕ら二人が黙っていると口を開いたのは胡蝶さんだった。
「本当にごめん。でも、そういうこと言うのは本当にやめてほしい。お願いだから。」
「わかった…。本当にごめん。」
無神経だった。植物状態で生死を彷徨っているかおりちゃんにも、ずっと姉のことを思っている胡蝶さんにも。そして、弟にも。
「錦さん、今日はありがとう。あの時も。」
僕はちゃんと錦さんに向き合い、そう言った。
「本当に君が謝ることなんてないんだよ。後悔することもないんだ。」
少なからず僕にはあの差し伸べてくれた手に救われていたし。その手を拒否したのは僕で、勇気を出して手を差し伸ばしてくれたのにその勇気を無碍にしたのは僕だ。そんなことを考えているとやっぱり僕は…と思ってしまう。
「ありがとう。」
涙を流しながら、そして、その涙を手で拭いながら感謝の言葉を僕に向けてくれた。
その横で胡蝶さんは彼女を見ながら目を細め、微笑んでいて「よかったね」と言っていた。何がよかったのかここではあえて聞かなかった。聞けなかったと言った方が正しいかもしれない。
それから彼女が泣き止むのを待って、「もう大丈夫です。すみません取り乱して…。」と言うので、マスターに二人のコーヒーも頼み、少しここで話をすることになった。ただの世間話を。ちなみに、おそらくだけどマスターは先ほどの一連の流れを見ていないようだった。
コーヒーが到着した時に、胡蝶さんが「と言うか」と何かを思い出したかのようにそういった。
「錦さんのことちゃんと覚えていたんだね。」
その言葉に錦さんがこちらをじっと見た。
「あ、うん。覚えてたよ。唯一覚えてる人かも」
かも、ではなく唯一覚えている人だった。
「…私だけ?」
「うん。初めてだったから。僕に手を差し伸べてくれたの。それなのに拒絶しちゃったのは。本当にごめん。」
謝っても謝り足りない。そんな気持ちだった。だから、深々頭を下げた。
「私は大丈夫。今こうしてしゃべれてることが本当に嬉しいから。それに、今は花白くん、楽しそうにしてるから安心って言ったらアレだけど、その…嬉しかったの。」
ふと、彼女は僕が教科書に落書きをされたり、上履きを捨てられたりしている理由を知っているのだろうか、と思った。知らずにただ、酷いことをされていたから手を差し伸べたのかもしれない。考えたらいけないことだとわかっていても考えてしまった。
「…楽しそう?」
「うん、花白くんをハンバーガー屋で見かけた時、胡蝶さんとすごい楽しそうに話してたから。」
そう言われて、自分が初めて彼女との会話を楽しんでいたのかと思った。楽しんではダメだと思っていて、これはかおりちゃんのためだと言い訳して、とことん自分は何をしているのかと思ってしまう。
「そっか…。」
そんな返事しかできなかった。僕は再び、自分なんかが人生を楽しんではいけない。そう心に決めていた。

その日の夜、夢を見た。真っ白い部屋に僕と弟がいて、弟が何かを僕に言ってきた。何を言われたのか目が醒めると忘れてしまっていた。ただ、弟が何かを語りかけきていたことだけは覚えていた。そんな夢。
「なんて言ってたんだ…。」
そんなことを口にしても思い出すもなく、僕の吐き出した無意味な声は天井に吸い取られていった。
起き上がって、なんとなく携帯を開き、時刻を見た。相変わらず体内時計は壊れているらしく、午前八時十五分を表示していた。
母は今日仕事が休みらしい。多分だけど。それも今日が土曜日だからっていう理由しかない。
今日は特に胡蝶さんとも約束をしていなかったので家でダラダラするか、散歩でもしようかと考えていた。
とりあえずは外に出ようと思い、服を着替え、身支度を済ませた。
ドアを開けると、外に出るのをやめようかと思うほど、暑かった。雲が一つもない快晴、直射日光が僕の体を痛めつけてきた。
僕はそんなこと構わずそのまま外に出た。そのまま空に目をやると、飛行機が音を立てながら遠くの彼方に飛び立っていた。残っている飛行機雲がなんとも夏を感じさせた。
「夏休みももうそろそろ終わりか…。」
別に夏休みが終わろうと僕にとってはどうでもよくて、むしろ家から出る明確な理由ができるからはやく夏休みなんて終われ、とも思っている。
結局、どこに行こうか決めきれず、ただひたすら歩いていた。見たことない商店街まで来てしまった。念の為、携帯で位置情報を確認したら意外と遠くまでは来ていなかったので一安心しつつ、何をしようか考えていた。
後ろから、コロッケ揚げたてだよー!という声が聞こえ、思わず振り返ってしまった。朝から何も食べてなかったのと、とてもいい匂いがしたことで一気に空腹が来た。
早速列に並ぶ。四人ほど並んでいたが、みんなコロッケを求めていたのですぐに順番が来た。
「あの…コロッケ一つくだ…。」
そう言いかけた時、横に見知っている人かげが立っていた。
「あれ。花白じゃん。何してんの。」
声が聞こえた方に目をやるとそこには、学校の席で僕の前に座っている、広瀬菖蒲がいた。
「お客さん。何にするんだい?」
僕が彼の方に呆気を取られているとレジに立っていたおばちゃんが困った顔をしながらそう聞いたきた。後ろに十人くらいの行列ができているのが見なくても声で確認できた。慌てて注文をした。
「あ、コロッケ一つ。」
「あ、おばちゃん!俺も。一つくれ。」
「はいよー。よく飽きないねー。」
横入りでは?と思ったが今の会話から、彼はここの近所に住んでいて、この精肉店の常連さんであることがわかった。
すぐにケースに入っているコロッケを僕と彼に渡してくれた。
「はい、一人五十円ね。」
僕はすぐにポケットから財布を取り出し五十円玉をおばちゃんに渡そうとした。
「はい、おばちゃん。これで二人分ね。」
そう言って隣に立っている彼は百円をおばちゃんに渡した。
「いや、自分で買うって。」
そう言って五十円を彼に渡そうとしたが、
「いいからいいから。ほら、後ろ混んでるから、行こうぜ。」
そう言って受け取ってくれなかった。彼はそのままテクテクを歩き出してしまった。仕方がなくそれについていって彼の横に並んで歩いた。
「花白ってこの辺住んでたんだな。」
さっき買ったコロッケをかぶりつきながら横目で僕にそう聞いてきた。
「いや、全然違うけど。あっちの方だよ。」
そう言って僕が住んでいる方角を指差した。
「あ、そうなんだ。こんなところで何してたん?」
「それより、お金。」
今渡さないと忘れてしまいそうだったので会話を遮ってお金を渡した。
「いや、この前のお礼だって。ちょっと安いかもしれないけどな。花白が教えてくれた花、渡したんだよ。そしたらめちゃくちゃ喜んでくれてさ。だから、それのお礼。あの時はありがとうな。」
そう言って彼は笑った。そして僕が渡そうとした五十円を僕の開きっぱなしなっている財布に投げ入れた。僕は「それはよかったね。」と言ってコロッケを一口かじった。揚げたてで外がサクサクしていて、中がジューシーで美味しい。みたいなテレビ番組で言ってそうな感想しか出てこなかった。
「それで、なんでこんなところにいたんだ?」
「うーん、特にこれと言って用事とかないんだけど、ただなんとなくブラブラしてただけだよ。」
そういうと彼は聞いといて興味がないのか「ふーん」と言って最後のコロッケのかけらを口に放り込んだ。
「そっか、じゃあこのあともブラブラする感じなの?」
「まぁ、そうかな。」
特に嘘をつく理由がなかったので正直にそのまま答えると「じゃあさ」と僕の顔を向き直して、
「俺の夏休みの宿題手伝ってくれないか?」
「…へ?」
宿題って自分でやるものでは?と、それが普通になっている僕は間抜けな返事をしてしまった。
「あ、手伝うって言っても、教えてほしんだよ。ほら、花白って頭よかったじゃん。」
返事に悩んでいると「お願い!」と両手を合わせて懇願されたので仕方がなく「僕なんかでよければ。」と返事をした。
残りのコロッケを口に放り込んで、そのまま彼の家にお邪魔することになった。一度彼の家に行き、勉強道具を持って近くの図書館へ向かったのだが、おしゃべり禁止な上に人が多く、とても勉強を教えることのできる場所じゃなかったので彼の家に帰ってきて、そのまま「俺の家でやればよくね?」と彼がいうのでそのままお邪魔することにしたのだ。
「お邪魔します。」
そう言って中に入ると、ざ!日本の家屋って感じがした。全体的に年季の入った和室で構成されていた。彼の部屋は奥にあって隣には妹さんと思わしき名前の書かれた札がドアに飾ってあった。そういえば妹がいるって言ってたな、なんて思いながら彼の後ろについて行って、そのまま彼の部屋に入った。
中に入るなり、広めのちゃぶ台があって、低めのベッドがあり、本棚に教科書があったりと、どこにでもいる普通の男子高校生の部屋って感じがした。
「飲み物とってくるから、テキトーに座ってて」
そう言って台所の方に行ってしまった。とりあえず言われた通り、広めのちゃぶ台の入り口から一番近いところに腰を下ろした。
それからはお茶を持ってきてくれた彼と三時間ほど勉強をした。ひたすらに数学を教えていたんだが、彼は勉強が全くできないわけではないらしく、少し教えたらすぐに「なるほど!」と理解してくれたのでとにかく楽だった。
勉強が終わり、特にすることがなくなったので帰ろうとも思った。床から立ち上がり、「じゃあ、バイバイ」と言って手をあげたら彼が「なぁ。」と僕のことを呼び止めた。
「このあと海行かね?」
「…え?海?」
「いや、別に嫌ならいいんだけどさ。午後妹と行く予定だっらから暇ならどうかなって思っただけだよ。その…胡蝶さんとかも誘ってさ。」
彼の顔が赤かった。頬が紅潮していて、耳まで真っ赤だった。理由はわからないけど。
海に行くことに関しては別によかった。どっちにしろ家には帰りたくなかったし。
「えっと…なんで胡蝶さん?」
シンプルに疑問に思い、そう聞いた。
「いや…えっと…花白仲良いだろ?」
僕とは目も合わせようとせず、頬を赤くしながら、人差し指で頬をぽりぽりしながらそう聞いてきた。
「まぁ仲は…いいかな?とりあえず誘ってみるよ」
まぁ妹さんも女の人がいた方がいいということだろう。僕の学校での友人が彼女しかいないことを知っていたのだろう。
「さ…さんきゅ。」
早速メールをしようと思い携帯を取り出す。かおりちゃんもきてくれたら嬉しいけど、察して来てくれるだろうか。どうにかして伝える方法はないだろうか。
「あのさ。行くのって午後だよね?ちょっと遅れてもいいかな?」
少し考えて何も思いつかず、結局、かおりちゃんを誘う方法が見当たらず、直接家に行こうと思った。
「まぁいいけど。妹もまだピアノ教室から帰ってきてないし。」
先に行っててもらおうとしたけど、それなら安心して彼女の家に行けるなと思った。
「じゃあ、現地集合でもいいかな?」
「別に荷物とかいらねーよ?浸かりたいならあれだけど。サンダルも俺の貸してやるし。」
「いや、一旦帰るよ。」
彼の頭には?が立っていたけどそれを無視して後ろを振り返り、そのまま「お邪魔しました。」と言って部屋を出た。後ろから「おーう。また後でなー」と聞こえたので、そのまま家を出た。
ここから胡蝶さんの家は正直、結構距離がある。かおりちゃんを誘わないという選択肢を無意識にとらなかった僕はやはり卑怯な人間だと思った。
彼の家を出て、携帯で調べながら胡蝶さんの家を目指す。その前に、そもそも彼女が海に行けるのかわからないのでメール投げる。
『これからクラスの広瀬と海に行くんだけど、暇だったりしますか?なんか彼の妹も来るみたいだから女子がいてくれた方がありがたいらしいんだけど。どうかな?』
端的にそう送った。返事を待つことなくそのまま彼女の家に向かった。最悪彼女に用事があってもそのまま海に行けばいい。そんなことを考えながら歩いていたら、ポケットの携帯が振動した。ポケットから携帯を取り出し、内容を確認する。
『え、行きたいけど、私、広瀬くんと喋ったことないけど大丈夫かな。』
何を心配しているのかわからなかったけどとりあえず来てくれるってことでいいのだろうか。
『むしろ君のこと誘って欲しいって言ったのは彼だよ。だから何も心配いらないよ。』
流石に家にいきなり押しかけるのは良くないと今更ながら思い、『あと、今から家に迎えに行っても大丈夫かな?』と付け足してそう送った。
すぐに返信が来て『確かに家にいるけど、迎え来てくれなくていいのに…どっかで待ち合わせの方が良くない?』と正論を言われてしまった。何か言い訳を考えたが何も思いつかなかったので、
『大丈夫だから支度してて欲しい。』そう送った。あとは彼女の家に向かうだけだった。
歩き疲れて、これから海にいくというのを忘れてしまいそうになった。やっとの思いで彼女の家についた。
ここに来るのは初めてだったが、暑さで脳がやられていたということもあり、とくに緊張することなくそのままインターホンを押した。
ドタバタと音が聞こえてすぐにガチャとドアが空いた。
「は、早かったね。」
寝起きなのだろうか、髪が乱れていた。
「あ、いきなり来ちゃってごめんね。」
「それは大丈夫なんだけど。悪いんだけど、ちょっとまだ支度終わってなくて、もしよかったら中に入って待っててよ。」
そう言って中に入ることを促した。これはチャンスだと思い、中に入れてもらうことにした。
「お邪魔します。」
そのままリビングの方に案内され、四人掛けのテーブルの端っこに座った。すぐに彼女が「外、暑かったでしょ」と言って冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに移しテーブルに置いてくれた。
「今、家には一人なの。お母さんは仕事に行ってるから。じゃあ、ちょっと待ってて。」
そう言って二階の方へ駆け上がってしまった。もらったお茶を一口飲みながらあたりを見回した。先ほどまでいた彼の家とは違い、洋風というか白色で統一されているような綺麗な家だった。少なくともリビングは。
「あれ、つっくんなんでいるの。」
後ろから声が聞こえ、目的の人物であるのことが振り返らずともわかった。まあ振り返らないなんてことはないのだけど。
「これから胡蝶さんと僕のクラスの男の子とその妹の四人で海にいくんだけど、かおりちゃんもどうかな。と思って。」
「まさか、私を誘うためにわざわざ家にきたの?」
「うん、急なお出かけだったから流石に来ないよなって思って。」
「嬉しい。ありがとう。でも、本当に私行ってもいいの?桃花だけならともかく…。」
「大丈夫だよ。僕がいるし。」
かおりちゃんがいないとだめだなんて言えるわけもなかった。ここまで卑怯な自分に嫌気がさした。
「じゃあ、お邪魔しようかな。なんか桃花が騒がしいと思ったら海にいくんだね。」
「そうなんだ。とりあえず、胡蝶さんの支度が終わったら向かおっか。」
かおりちゃんは支度がないらしく、僕の横に腰をかけた。
「あ、そうだ。桃花から聞いたよ。昔の同級生に会ったんだって?」
「あ、うん。なんか僕に謝りたかったらしくて」
本当は謝るべきは僕なんだけど、と心では思っていた。
「よかったね。」
かおりちゃんはそう言って笑った。胡蝶さんから内容を聞いた上でのよかったね。だから僕はそれに対して「うん。」としか返すことはできなかった。
少しだけこのリビングが静かになってから、「あ、そうだ。」と何かを思い出したみたいだった。
「この間、お父さんとお母さんが病院に来てね。先生と何か話しててさ。聞きたくなかったんだけど、聞こえちゃって。」
何か嫌な予感がした。心臓がの奥がちくりと何か鋭いものが突き刺してきた気がした。
「その…先生はなんて言ってたの?」
恐る恐る聞くと彼女は軽く微笑んで、
「二月にやるでかい手術がね。成功する可能性が大幅に上がったらしいの。失敗するかもしれないことには変わらないんだけど…。」
「そっか…。」
百パーセント成功する手術なんてものはあるわけがない。でも、成功する可能性が上がるのは嬉しいことなのに。現実的な話をされ、あ、そうだった、と。目の前に居るのはかおりちゃんであってかおりちゃんのじゃないのだと。思い知らされた。だから、「よかったね。」とか「おめでとう」とかプラスの言葉を吐くことができなかった。
「それとね…。」
そう言いかけて、リビングの扉がガチャと開いた。
「ごめん、お待たせ。」
そう言って夏らしく、白のワンピースに帽子をかぶっている胡蝶さんがリビングに入ってきた。
「あ、うん。行こっか。」
そう言って椅子から立ち上がり、リビングから出た胡蝶さんについて行った。
そのまま外に出て歩いて駅まで向かう。この辺りで海は一つしかないので彼に聞くまでもなくそこに向かう。
駅に向かっている途中でかおりちゃんに小声で「さっき何か言いかけた?」と聞くとぎこちない笑顔で「なんでもないよ、気にしないで」と言われた。あんまりしつこく聞くのも良くないと思って「…そっか」とだけ返した。返せなかったと言った方が正しいかもしれない。それ以上、彼女の現実について本能的に聞きたくないと思ってしまっただろうか。それに関して自分でもよくわからなかった。
それからのことはよく覚えていない。気づけば、広瀬とその妹と合流していて、気づけば海にいた。レジャーシートなんかは広瀬が用意してくれたらしいのだが、妹さんと胡蝶さんは走って海の方に行ってしまった。正確には走って行った妹さんを追いかけて胡蝶さんも走って行っちゃっただけだけど。
それに対し彼は、「胡蝶さんがついてたら心配ないか。」と笑った。
僕はとりあえず荷物を広げ、レジャーシートが風で飛ばされないようにした。終わったので彼の方をチラッと見ると、海ではしゃいでいる二人を羨ましそうに見ていた。そんな彼を見て、僕の肩をちょんちょんとかおりちゃんが触った。そして耳元で「行かせてあげなよ」と言った。僕はそれに対して「そうだね」と微笑んだ。
「ねぇ、荷物は僕が見ておくから海、行ってきなよ。」
「いや、でも…。」
「いいから行ってきなって」
僕は彼の背中に触れ、そのまま軽く押した。
「わりー、すぐ戻ってくるから。」
そう言って、そのまま彼は海の方に行ってしまった。僕が行かせたのだから「しまった」というのは間違いかもしれないけど。
その彼の後ろ姿を見ていたら、かおりちゃんが「ねぇ」と僕を呼んだので、振り返ると、レジャーシートに膝を抱えて座っていて、ぽんぽんと隣に座るように促してきた。
促されるまま僕は彼女の隣に座った。
「今日、誘ってくれてありがとね。」
その言葉に胸がちくりと痛んだ。本当は気づいていた。いつもかおりちゃんを遊びに誘う理由について。かおりちゃんのためなんかじゃなくて、そうすることでまだ自分は生きていてもいいのだと思える気がしていること。かおりちゃんのことを見えているのは僕しかいないのだから、と。そう思ってしまう。つくづく本当に自分が嫌いだ。死にたいと思っているくせに死にたくない。そんな矛盾を抱えている自分がよくわからない。
「ううん。こちらこそ来てくれてありがとう。」
「…なんか元気ない?」
そう言ってかおりちゃんは僕の顔を覗き込んできた。僕は咄嗟に顔に力を入れ、そんなことないですよ。と言わんばかりに見栄を張った。
「そんなことないよ。ずっと元気だよ、僕は。」
「ならいいんだけど。」
少しだけ沈黙が続き、「あのさ。」とかおりちゃんがまた会話を繋いだ。
「私ね、最近毎日楽しいの。これがずっと続けばいいな、って思う。桃花とつっくんが一緒に遊んでくれるから。」
彼女がそんなことを言ってしまうから、生きる意味を見出せてしまう。嬉しい反面、辛かった。
「そっか。僕も楽しいよ、毎日。」
嘘だ。毎日必死になって生きて、生きててもいい理由を探して、死ぬことから逃げている。
「つっくんには感謝してもしきれないの。いっぱいいろんなものをくれるから、私も頑張って返さないとって思う。」
「僕、そんな大層なものをあげた覚えが無いんだけど…。」
「ううん。生き霊って呼ばれるこの姿になってから、つっくんが見つけてくれるまでの半年くらい、こんなの意味あんのかって思ってさ。」
自分が透明人間みたいになって、誰の視界に映ることがなく、ただ淡々と毎日を過ごす。僕にとってそれは今までの僕となんも変わらないのだけど、彼女にとっては辛いことなのだろう。そんなことを考えていたら「でも」と言葉を繋いだ。
「そんな絶望から私をつっくんは救ってくれたんだよ。」
「そんなの…たまたまだよ…。」
今でもなんで僕なんだって思っている。神様がいるのなら胡蝶さんに見せてあげてほしかった。と、いもしない神様という偶像に心の中で愚痴を吐いた。
「たまたまでもいいの…。そのたまたま見える相手がつっくんでよかった。それに、私は運命だと思ってる。」
最後の方はぼそっとした声でそういった。横目で彼女の顔を伺うも、太陽が反射しているからなのか、やけに顔が赤みがかっていた。
「運命…。」
彼女の最後のセリフを鸚鵡返しした。その言葉を聞いて、なんでかわからないが、自分の体温が上昇したのを感じた。でも、きっとこれはこの暑い太陽のせいだ。

あれから海の家で焼きそばを食べ、ダラダラ過ごし、海に足をつけてみたり、バシャバシャと水を妹さんにかけられたり、自分でもびっくりしているくらい楽しい時間を過ごしてしまった。
夕方になり、太陽が水平線の向こうに消えてしまいそうになるのを黙って、僕ら五人は見ていた。
「まだ時間ある?」
まだ太陽が半分くらい残っている時に、広瀬がそんなことを聞いてきた。
「まだ大丈夫だけど。お母さんに連絡すればだけど。あーでも、七時にはここ出たいかも。」
胡蝶さんはすぐにそう返事をした。用事の内容は言わなかったけど、毎日のように行っているかおりちゃんとの面会のことだろうな、と僕は察した。
「僕は何時でも大丈夫。」
誰も心配なんてしないしな、と心の中で自嘲した。
「この後、ちょっと歩いたところで祭りがあるんだけどよかったらこのまま行かないか?」
「あ、いいね、行こ行こ。」
僕の心の中で何かひっかるものがあったけどそれをよくわからないので無視をした。
「僕は別に構わないよ。」
というわけで、僕らは夏祭りに行くことになった。夏祭りなんて初めて来たかもしれない。いや、昔に一回だけ家族行ったことあったっけ。もう覚えてないけど。
「花火が始まるのが六時半からなんだけどさ、おすすめスポットがあるんだ。まぁそれまでは祭り楽しもうぜ。」
会場に着くなり、昼にも食べたはずのやきそばを買って食べている胡蝶さんに、いちご飴を齧っている妹さん、そして僕は何も買わずにただ、隣にいるかおりちゃんと話をしていた。僕ら二人に前に三人が並んでいる。
「さっきから何も買ってないけど、もしかして、私に気つかってる?」
「ううん、本当にお腹空いてないだけ。」
「そっか、それならいいんだけど。私に遠慮せずに好きなの食べなね?私お腹空くとかないし。」
「うん。わかった、ありがとう。」
それでも本当におななんて空いていないので食べ物で特に買うものはなかった。買ったものといえば何かの戦隊モノのお面だ。人混みが激しく、かおりちゃんが迷子になったらすぐに僕を見つけられるようにと、さっきまでかおりちゃんと普通に話していたら独り言を話している変な人みたいになっていて、周りから変な目で見れていたからだった。
「なんか家族みたいだね。」
「…ん?」
一瞬なんのことを言っているのかわからなかった。でも僕のその返事にかおりちゃんは前にいる三人を指刺した。
「あの二人が夫婦で妹ちゃんが娘さん、みたいな?」
彼女いう通り、側から見たらそうにも見えなくもない。実際、あの三人はすごい祭りを楽しんでいるように見えた。
「私、嬉しいんだ。桃花が私に気を使わずに人生を楽しんでくれてて。」
言っていることは嬉しい、という内容なのに、とても寂しそうに聞こえた。
「本当は?」
思わずそう聞いていた。本音を隠しているのが丸わかりだったから。つい聞いてしまった。
「…え?」
お面から見える視界に彼女は写ってないが、こちらを目を見開いてみている気がした。
「いや、言ってることの内容とあってない顔してたから…。」
僕がそういうと彼女はぶっと吹き出して笑った。
「いや、見えてないじゃん。」
それからある程度笑ってから「はぁー面白い」と言って、落ち着いたトーンに戻って「大丈夫、本音だから。」と言った。
「…手術が成功したらさ、いろんなところに行こう。また海に来るのもいいし、また夏祭りに行くのもいいし、カラオケだってやってもいいし、ファミレスでおしゃべりするのもいいし。」
成功したら。そう、成功したら。僕がそういうと彼女は「うん、そうだね。」と静かに返事をした。

もうすぐ花火が上がる時間になったので、広瀬の言う、花火が見やすいスポットという場所まで来た。
ちょっと錆びている柵で囲われているが、すぐ下が崖になっている高台みたいな場所だった。どこか嫌な雰囲気を感じたのはきっと虫が多く、鳴き声がうるさいからだろ。
ここまで来るのにちょっとした山道を登ったので少しだけ息切れをしてしまった。あたりには誰もおらず、隠れスポットみたいだった。
息を整えていると、ヒューと大きな音を立てて、次の瞬間、ドーンと大きな花が咲いた。ギリギリ間に合ったみたいだ。こんなに時間がかかったのは誰のせいかというと、もちろん運動なんか普段していない僕だ。でも、誰も文句を言わず「ちゃんと運動しろよー」と広瀬が笑っただけだった。
「綺麗…。」
胡蝶さんが目を輝かせながらそう呟いた。僕も同じ感想だった。本当に綺麗で目を奪われしまう。今は何も考えることなく、ただただ綺麗に咲いた大きな花を見ていた。
そんな時間が長く続けばいいのになんて考えたらいけないことを考えてしまった。
そんな時間が一時間ほど経った。胡蝶さんとかおりちゃんは途中で帰宅してしまったから、残った僕と広瀬と広瀬妹は花火を最後まで見た。
「綺麗だったな。」
残った僕の隣に座る彼がそう僕に向かって言ってきた。
「そうだね。」
と僕は返事をする。
沈黙が数分間流れた。お互い特に話すことがなく、この静かになった夜空を見ていた。でも、そんな沈黙を彼が破った。
「今日は本当にありがとな、色々。」
「いや、こっちこそ誘ってくれてありがとう。妹もあんなに楽しそうにしてるし。」
彼と僕の目線の先には楽しそうに笑いながらさっき買ってもらっていたヨーヨーをポヨンポヨンとして遊んでいた。
「後で、胡蝶さんにもお礼言っとかないとな。」
そう言って彼は顔を赤くして笑った。それに対して僕は「お礼言うと喜ぶと思うよ。」と言った。それから、また沈黙があった。そしてまたその沈黙を破ったのは彼だった。
「あのさ…胡蝶さんと花白って付き合ってんの?」
突然そんなことを聞いてきた。付き合う?僕はその言葉に意味がわかってはいるものの、どう言うことを付き合っていると言うのか正直理解していなかった。ただ、僕らは友達なので、否定をする。
「いや、違うけど。」
「じゃあ、好きとか?」
好きでもない。人として彼女は尊敬するところがある。いつも誰かと一緒にいて、姉があのような状態になっても無理をしてでも笑顔を作っている。そんな彼女は僕の中では尊敬に値していた。
「尊敬はしてるかな。」
別に隠すことではなかったので正直に思っていることを話した。
「そっか。実はさ。俺、胡蝶さんが好きなんだ。」
「それは…恋愛的な意味だよね?」
彼の顔がずっと赤かった理由をやっと今理解した。僕は人の感情を理解するのが苦手だ。それは人との繋がりを今まで絶ってきた自分が悪いのだけど。
「うん。だから、今日、誘ってって花白に頼んだ。」
僕は別に彼女が誰と恋愛しようが知ったことじゃない。でも、なんとなく今じゃない気がした。彼には言えないけど、今、胡蝶さんの意識がそっちいってしまったら…。
「そうなんだ。でも、今は胡蝶さんそういうの興味ないんじゃないかな。」
それとなく彼にそう伝えた。さっきも言ったが、今じゃないんだ。
「そ、そうだよな。まあなんとなくそんな感じがしてたわ。」
そう言った彼の顔はとても悲しそうな顔をしていた。悲しいというか、残念がっていた。
そんな、彼の横顔を見ていたら、突然彼が「真由!!」と妹の名前を叫んだ。すぐにそちらの方を向くと妹さんがいないことに気がついた。そしてこの高台の周りにあった錆びていた柵が一箇所無くなっていた、僕は瞬時に起きたこと察してすぐに下を覗き見た。崖の手の届く場所に生えていた枝に捕まっている妹さんがいた。
「助けて…お兄ちゃん。」
泣きそうになりながら助けを求めていた。僕は気がつくと彼女に手を伸ばしていた。
「この手を掴んで、早く!」
妹さんは必死に枝を掴んでいない方の手を伸ばし、僕の手を取ってくれた。僕はそのまま彼女の手を引っ張り上げた。すると、なぜか僕の視界には綺麗な夜空が映っていて、ゆっくり時間が進んでいるようで、なんだか心地よかった。