自分の部屋の前までの距離が、異様に長く感じられた。
 鍵穴が見えた瞬間、胸の奥が強く締まる。
 ここだ。
 戻ってきた、自分の場所。
 バッグから鍵を取り出す。
 金属音が、やけに大きい。
 手が震えて、うまく差し込めない。
 息を吸おうとして、失敗する。
 吸いすぎて、苦しい。
 涙が、こぼれた。
 鍵を回す。
 ゆっくり。
 もう一度、ゆっくり。
 がちゃり、と音がする。
 その瞬間、腰から力が抜けた。
 ドアを、ほんの少しだけ開ける。
 すぐに閉める。
 もう一度、少しだけ開ける。
 スマートフォンを取り出す。
 画面を点ける。
 いつでも、押せるようにする。
 自分の家なのに、
 かすれた声で「こんばんは」と言おうとする。
 声は、出なかった。
 靴が、目に入る。
 一足だけ。
 きれいに揃えられている。
 自分の靴だった。
 仕事用の革靴。
 左右が揃い、
 つま先が、正面を向いている。
 ドアを閉める。
 家に、入れない。
 その場に、立ち尽くす。
 これは、おかしい。
 自分は、靴を揃えない。
 急いで脱ぎ、そのまま。
 それが、いつもの癖だ。
 記憶は、ある。
 だが、揃えた感触が、どこにも残っていない。
 もう一度、ドアを開ける。
 視線が、自然と他の靴に向かう。
 スニーカー。
 サンダル。
 それらは、揃っていない。
 誰かが、揃えた。
 その考えが、はっきりと形を持つ。
 玄関の奥を見る。
 廊下。
 リビングの暗がり。
 静かだ。
 音は、しない。
 入ってはいけない場所だと、思った。
 鍵を、もう一度見る。
 壊れていない。
 こじ開けられた形跡も、ない。
 それなのに。
 「誰か、入った?」
 その言葉が、心の中で浮かぶ。
 喉が鳴る。
 ここは、自分の家だ。
 それでも、中に入る。
 玄関に立ったまま、
 靴を脱ぐべきかどうか、分からなくなる。
 入っていいのか、判断できない。
 だが、もう、
 外に戻る選択肢もなかった。
 ドアを閉める。
 鍵をかける。
 音を、二回確認する。
 一歩、踏み出す。
 床の感触が、妙によそよそしい。
 玄関で、靴を揃えずに脱ぐ。
 それを、意図的に、
 いつも通りの配置にする。
 それで、安心できるはずだった。
 だが、背後が気になる。
 それでも、
 玄関に立ったまま、
 しばらく動けなかった。
 室内は、暗い。
 カーテンの隙間から、
 外灯の光が、細く入っている。
 照明を点ける。
 一気に、明るくなる。
 何も、ない。
 家具の配置も、
 物の位置も、
 見た限りは、変わっていない。
 形の残る場所は、ない。
 リビングを横切り、キッチンを見る。
 冷蔵庫。
 朝のことが、強くよみがえる。
 だが、今は開けない。
 開けたら、
 また、確認してしまう。
 バッグを床に置き、
 コートを脱ぐ。