駅からマンションまでの道を急ぐ。
 息が切れていることだけは、分かる。
 信号。
 横断歩道。
 エントランス。
 身体が、勝手に進んでいた。
 オートロックを抜ける。
 ロビーの照明が、やけに明るい。
 誰もいない。
 それでも、視線のようなものを感じた。
 郵便受けの前で、立ち止まる。
 いつもなら、広告を流し見して終わる場所だ。
 今日は、違った。
 扉を開ける。
 紙の感触がある。
 チラシではない。
 封筒だった。
 白い。
 宛名も、差出人もない。
 軽い。
 だが、持ち上げた瞬間、わずかな重さを感じた。
 周囲を見る。
 誰もいない。
 息を止めたまま、封筒を引き抜く。
 指先が、少し震えている。
 中を見る前に、バッグの中のレシートの感触がよみがえる。
 これは、違う。
 そう思った。
 郵便受けは、外と、家のあいだにある。
 封を切る。
 中には、便箋が一枚。
 手書きだった。
 文字は整っていて、癖がない。
 読み進めるうち、胸の奥が、静かに揺れた。
 特別な言葉は、書かれていない。
 好意。
 関心。
 距離を詰めようとする、丁寧な文章。
 ただ、いくつかの記述が、引っかかる。
 帰宅の時間。
 服装。
 最近の様子。
 偶然と呼ぶには、数が多い。
 誰かが、見ている。
 外から。
 それとも――。
 封筒を、バッグに押し込む。
 立ち止まらない。
 考えない。
 エレベーターへ向かう。
 背中に、何かが張りついている感覚が残る。
 振り返らない。
 振り返ったら、何かを見る気がした。
 エレベーターが到着する。
 扉が開く。
 誰もいない。
 一度だけ後ろを確かめて、乗り込む。
 扉が閉まり、上昇を始める。
 軽い振動。
 機械音。
 天井の防犯ミラーが、視界の端に入る。
 見ない。
 見る必要はない。
 そう思った瞬間、ミラーの中で、何かが動いた。
 一瞬。
 人影のようなもの。
 自分の、背後。
 心臓が、強く打つ。
 振り返る。
 誰もいない。
 エレベーターの中には、自分しかいなかった。
 もう一度、ミラーを見る。
 何も映っていない。
 錯覚だと、処理しようとする。
 それでも、背後に余白がない感覚だけが、残った。
 階数表示が、ひとつずつ増えていく。
 その間ずっと、
 自分の立っている位置が、
 誰かと重なっているような気がしていた。
 扉が開く。
 逃げるように、外へ出る。
 廊下は、いつも通りだった。
 照明。
 ドア。
 非常口の表示。
 現実だと、分かる。
 それでも、心拍は下がらない。
 部屋の前に立つ。