ローザリアとルーファスが学園入学のために王都にやって来た当初、二人は王都のリンデル邸から学園に通う事になっていたのだが、その当時妊娠中だった前王妃の要請で、ローザリアは王宮で妃教育を受けながら学園に通う事になった。
別々に暮らす事になってしまった双子の姉弟の準備の為に、共に王都に来て奔走してくれていた伯父のクラウス卿が一通りの基盤を整えて領地に戻る前に、ローザリアとルーファスは中央礼拝堂のシスター長を紹介された。
困ったことがあればいつでも頼って下さいねと優しく挨拶され、その時にたとえどんなことがあっても必ず貴方たちの力になってくれる相手だと、とある人物の名を告げられると共にロケット式の指輪をそれぞれ贈られた。
両侯爵家の祖父母には内密と渡されたその指輪は、刻まれた印章が精緻なからくりになっていて、ロケットの中にはある人物との連絡方法が納められている。
私はその人物へ中央礼拝堂を通して面会を希望すると連絡を取った。
相手の名はキャサリン・ロベール女子爵。
伯父のクラウス卿が敬愛し、私とルーファスにとっては誰よりも信頼できる人物だ。
返事は驚くほど速く届き、連絡を取った次の日に面会の運びとなった。
私は両領地の一日も早い復興と伯父のセントルー侯爵の回復の祈願のために定期的に中央礼拝堂に足を運んでいるため特に警戒もされず、いつも通り旧知の仲であるシスター長様とのお茶会のために私室に招き入れられた。
扉を開くと、そこで一人の女性が深々と礼を執っている。
その人物は名目上立場が上である私から声を掛けなければ顔を上げる事は出来ない。
その覚悟を目の当たりにし、複雑な感情のまま声を掛けた。
上げた顔はセントルーのお祖母様によく似ていた。
「お初にお目にかかります、ロベールと申します」
私もルーファスも顔立ち自体はリンデル家の血を色濃く受け継いでいるが、私たちの持つ緑を秘めた薄茶色の大きな瞳は、間違いなくこの人からの贈り物だ。
「…名乗りを挙げてはいけませんか」
そう問う私に、まるで眩しいものを見るように私と同じ瞳から柔らかい眼差しを向けられた。
「すべての義務を放棄したわたくしに、その権利はございません」
私は彼女に近づき、前で重ねた手を両手で包み込んだ。
「ならばリンデル家の長女としてご挨拶致します。
この度の両侯爵家の災害の復興のために巨額のご支援を続けて頂いている事、心よりお礼申し上げます。
そして、誕生日ごとに伯父様を通して頂いた私たち姉弟への贈り物の数々は、今でも私と弟にとって大切な宝物です」
うっすらと涙を浮かべたロベール女子爵は、私の手を力強く握り返して言いました。
「わたくしは全ての資産と全身全霊を以ってローザリア様とルーファス様、そして両侯爵家をお支えする所存です。今のわたくしであれば、お力になれる事は少なくないと思います。どうか何なりとお申し付け下さい」
名乗りを上げなくとも握られた手から伝わるぬくもりと安心感で凝り固まった心がほぐれていくようだった。
シスター長を交えた和やかなお茶会の後、私室から持ち出した両侯爵家の重要書類を全てロベール女子爵に託すと、改めて固い握手を交わして中央礼拝堂を後にした。
そらから半年をかけて必要最低限の物以外を処分し、ほとんど外に出る事も人に会う事もせずひっそりと私室で過ごしていた。
◇◇◇
ローザリアとルーファスが成人を迎える日まであと一か月を切ったある日。
私の私室に突然マノン嬢がやって来た。
入室を断ると涙を浮かべて酷いと騒ぎだし、騒ぎを聞きつけてやって来たブルーノ殿下の姿が目に入ると、入室を断られた事を声高に言い募り顔色を変えてきっと何かやましい事があるのだわと大声で訴えた。
それを受けたブルーノ殿下はノックも入室の声掛けすらせず、いきなり近衛騎士に命じて扉を解放させると、扉の前に立って礼を執った私や侍女たちに声を掛ける事はおろか見向きもせず、殿下と共に雪崩れ込んで来た側近たちや近衛騎士たちに部屋を乱暴に捜索させた。
マノン嬢を抱きしめるブルーノ殿下は、腕の中で震えながら小声で訴えるマノン嬢の言葉のまま指示を出している。
鏡台やライティングデスクやキャビネットの引き出しは全て引き抜かれて底や裏まで確認させ、手紙やノートの類いは全て持ち出された。
クローゼットの中はドレスや小物、靴に至るまで悉く引っ張り出されて床に投げだされ、宝石箱や肌着類のキャビネットの中身まで全てひっくり返された。
下着類のキャビネットの裏にある隠し金庫を見つけた側近の令息は『見つけたぞ!』と勝ち誇ったような声を挙げ、そこに納めていた古い手紙や個人的な契約書や目録を持ち出して、私を蔑んだように一瞥するとマノン嬢の下へ向かった。
ひとしきり部屋を検め目ぼしい書類などを全て纏めたのを確認すると、マノン嬢は絵の具のにおいが臭くて耐えられないと騒いで涙ぐみ、気分が悪いとよろけた所を支えようと伸ばした私の手を払いのけて大きな悲鳴を上げた。
「いやっ! そんな汚れた手で触らないで!」
悲鳴を聞いた令息たちはマノン嬢に駆け寄って取り囲み、ブルーノ殿下はマノン嬢を横抱きに抱き上げていつものように私の手へ蔑んだ目を向けた。
しかしこの半年、一度も絵筆を持たず優秀な侍女たちによって丁寧に手入れされている私の手はマノン嬢に勝るとも劣らない本来の美しさを取り戻している。
そしてマノン嬢がその臭いに耐えられないといった絵の具はおろか絵の道具は何一つ今この部屋には置かれていない。
汚れていない私の手を見つめた後部屋を見渡したブルーノ殿下だったが、今見た事実を振り払うように先頭に立ち、部屋を荒らしたことへの謝罪もなく立ち去って行ったのだった。
彼らが中身も確認せずに隠し金庫から持ち去った書類は、取るに足らない些細な物ばかりだ。父のアスランは何の書類が必要かマノン嬢には伝えていないようだ。
流石にこの騒ぎは国王陛下の耳に入り、双方謁見室に呼ばれて事の次第を問われたが、そこでもマノン嬢は私から酷く虐げられていると涙ながらに訴え、私室のアトリエでモデルの令息や令嬢といかがわしい行為をしているなど、ありもしない事を捲し立てた。
国王陛下から、王宮内でそのような行為があったとの報告は受けていないと質され、持ちだされた手紙類や書類にも証拠となりうるようなものが無かったと言われてもなお、私自身が証拠なのですと叫ぶように訴えて泣き崩れ、蹲ったマノン嬢に駆け寄り抱き起して肩を抱くブルーノ殿下を、国王陛下は何も言わずにただじっと見つめているだけだった。
同じ様に問われた私は、王族の婚約者として王宮に滞在している身として、そのような恥ずべき行為は決してしていないと身の潔白を宣言した。
「何よりも、肖像画を依頼してくれた令嬢や令息たちの名誉を傷つけるような事は決していたしてはおりません。
どの令息や令嬢も必ず従者や侍女たちを複数人連れており、肖像画の作成は解放された応接室で行っております。誰にどのように聞いて頂いても構いませんが、どなたであっても私室に通したことは一度としてございません。そのような冤罪はその令嬢や令息の家門を侮辱するものであり到底許されるものではありません」
証言に一点の曇りも無いと、毅然とした態度を崩すことなく奏上した。
証人の一人として同席を申し出てくれたマークス殿下は、ブルーノ殿下の婚約者である私の私室の状態を覗くような真似はしていないが、マノン嬢の訴えのような行動を目にしたことは無く、また周囲からそのような行為が行われたという報告も一度としてなかったと口添えをして下さった。
双方の言い分を聞いた国王陛下は、改めて王宮内の侍従や侍女たちからの報告も公表し、マノン嬢の訴えのような事実は認められない、何か行き違いがあるのかもしれないから二人で良く話をして誤解を解くようにと諭すに留めた。
王の前で虚偽を語った事を咎めもせず、それはまるで他愛無い姉妹喧嘩の仲裁をするかのようだった。
しかし、この状況で話し合いができる訳もなく、それからも変わらず毎日事あるごとに人目を憚らず泣き縋るマノン嬢を抱きしめるように慰めるブルーノ殿下の姿に、国王陛下から特別咎められる事がなかった事が広がると、最初こそ眉を顰めていた王宮の人々の中に荒唐無稽にも思われる噂を信じる者が出てくるようになった。
火の無い所に煙は立たぬとばかりに、噂を信じ始めた人々の声はあっという間に大きくなり社交界にも広まり始めている。
両侯爵家が復興途中の今、派閥の貴族たちが懸命に協力してくれてはいるが、最大の庇護者だった王妃陛下も両家の祖父母たちも居ない社交界では、この機に乗じた父のアスランとリリア夫人が侯爵家の資金をばら撒いて精力的に開催する茶会や大規模な夜会で広め続ける噂を完全に払拭するのは難しくなってきた。
こうなった以上、冤罪が明らかになったとしても一度立った良くない噂は熾火のように燻り続け、リンデル侯爵家はもとより巻き込まれた貴族家の令息や令嬢の評判を落としてしまいかねない。
支え、慕ってくれる人たちの為に私に出来る精一杯の事をしておく。
噂は全て虚言であり冤罪であると記した王宮侍女たちの署名入りの宣誓書と王家の報告書に国王陛下の印章を賜り、その控えと共にこの書面で派閥の家門と肖像画を依頼された各家の令息令嬢たちの名誉は守られると記した手紙を出した。
証言した侍女たちには退職金と共に推薦状を渡して、事が起こった時には即座に王宮を去るように言い含め、彼女らの家には保護を求める手紙を出した。
侍女の殆どは派閥の伯爵家の令嬢で、ブルーノ殿下の側近たちの婚約者も数人いる。その彼女たちには側近たちの不義や婚約者への予算の使い込みなどの証拠書類を揃えて渡してあるので、いつでもあちら有責で婚約の破棄が可能だ。
迎え撃つ準備は整った。これで心残りは無い。
ブルーノ殿下や側近たちは、国王陛下の御英断を期待して、日々無い事ばかりの私の悪行を陳情として挙げているが、それに陛下が応える気配がない事に苛立ちを募らせているようだ。
国王陛下としては、復興途中とはいえリンデル家とセントルー家という二大侯爵家の支持に加え、更には実母のロベール女子爵の莫大な財産と潤沢な資金を後ろ盾に持つ私を手放すつもりは無いのだ。マノン嬢については側妃か愛妾として側に置けば良いと思っているのだろう。
国王陛下の思惑を他所に、彼らは愚かにも社交界で実しやかに囁かれている、マノン嬢はアスランの実子でありリンデル侯爵家の令嬢だという噂を鵜呑みにし、私を追放すればマノン嬢を正式にリンデル侯爵令嬢とし、王太子妃として迎えられると本気で思っているようだ。
業を煮やしたブルーノ殿下や側近たちが己の立場も顧みず良からぬ計画を立てている事も漏れ聞こえてくるが、準備が整うまでの間、その舞台となり得る夜会などにはエスコートが居ない事を理由に欠席を重ねていた。
全ての準備を終えた今、その時を待つだけだ。
届けられた私の誕生日を祝うという名目の夜会の招待状に、出席の返事を出した。
別々に暮らす事になってしまった双子の姉弟の準備の為に、共に王都に来て奔走してくれていた伯父のクラウス卿が一通りの基盤を整えて領地に戻る前に、ローザリアとルーファスは中央礼拝堂のシスター長を紹介された。
困ったことがあればいつでも頼って下さいねと優しく挨拶され、その時にたとえどんなことがあっても必ず貴方たちの力になってくれる相手だと、とある人物の名を告げられると共にロケット式の指輪をそれぞれ贈られた。
両侯爵家の祖父母には内密と渡されたその指輪は、刻まれた印章が精緻なからくりになっていて、ロケットの中にはある人物との連絡方法が納められている。
私はその人物へ中央礼拝堂を通して面会を希望すると連絡を取った。
相手の名はキャサリン・ロベール女子爵。
伯父のクラウス卿が敬愛し、私とルーファスにとっては誰よりも信頼できる人物だ。
返事は驚くほど速く届き、連絡を取った次の日に面会の運びとなった。
私は両領地の一日も早い復興と伯父のセントルー侯爵の回復の祈願のために定期的に中央礼拝堂に足を運んでいるため特に警戒もされず、いつも通り旧知の仲であるシスター長様とのお茶会のために私室に招き入れられた。
扉を開くと、そこで一人の女性が深々と礼を執っている。
その人物は名目上立場が上である私から声を掛けなければ顔を上げる事は出来ない。
その覚悟を目の当たりにし、複雑な感情のまま声を掛けた。
上げた顔はセントルーのお祖母様によく似ていた。
「お初にお目にかかります、ロベールと申します」
私もルーファスも顔立ち自体はリンデル家の血を色濃く受け継いでいるが、私たちの持つ緑を秘めた薄茶色の大きな瞳は、間違いなくこの人からの贈り物だ。
「…名乗りを挙げてはいけませんか」
そう問う私に、まるで眩しいものを見るように私と同じ瞳から柔らかい眼差しを向けられた。
「すべての義務を放棄したわたくしに、その権利はございません」
私は彼女に近づき、前で重ねた手を両手で包み込んだ。
「ならばリンデル家の長女としてご挨拶致します。
この度の両侯爵家の災害の復興のために巨額のご支援を続けて頂いている事、心よりお礼申し上げます。
そして、誕生日ごとに伯父様を通して頂いた私たち姉弟への贈り物の数々は、今でも私と弟にとって大切な宝物です」
うっすらと涙を浮かべたロベール女子爵は、私の手を力強く握り返して言いました。
「わたくしは全ての資産と全身全霊を以ってローザリア様とルーファス様、そして両侯爵家をお支えする所存です。今のわたくしであれば、お力になれる事は少なくないと思います。どうか何なりとお申し付け下さい」
名乗りを上げなくとも握られた手から伝わるぬくもりと安心感で凝り固まった心がほぐれていくようだった。
シスター長を交えた和やかなお茶会の後、私室から持ち出した両侯爵家の重要書類を全てロベール女子爵に託すと、改めて固い握手を交わして中央礼拝堂を後にした。
そらから半年をかけて必要最低限の物以外を処分し、ほとんど外に出る事も人に会う事もせずひっそりと私室で過ごしていた。
◇◇◇
ローザリアとルーファスが成人を迎える日まであと一か月を切ったある日。
私の私室に突然マノン嬢がやって来た。
入室を断ると涙を浮かべて酷いと騒ぎだし、騒ぎを聞きつけてやって来たブルーノ殿下の姿が目に入ると、入室を断られた事を声高に言い募り顔色を変えてきっと何かやましい事があるのだわと大声で訴えた。
それを受けたブルーノ殿下はノックも入室の声掛けすらせず、いきなり近衛騎士に命じて扉を解放させると、扉の前に立って礼を執った私や侍女たちに声を掛ける事はおろか見向きもせず、殿下と共に雪崩れ込んで来た側近たちや近衛騎士たちに部屋を乱暴に捜索させた。
マノン嬢を抱きしめるブルーノ殿下は、腕の中で震えながら小声で訴えるマノン嬢の言葉のまま指示を出している。
鏡台やライティングデスクやキャビネットの引き出しは全て引き抜かれて底や裏まで確認させ、手紙やノートの類いは全て持ち出された。
クローゼットの中はドレスや小物、靴に至るまで悉く引っ張り出されて床に投げだされ、宝石箱や肌着類のキャビネットの中身まで全てひっくり返された。
下着類のキャビネットの裏にある隠し金庫を見つけた側近の令息は『見つけたぞ!』と勝ち誇ったような声を挙げ、そこに納めていた古い手紙や個人的な契約書や目録を持ち出して、私を蔑んだように一瞥するとマノン嬢の下へ向かった。
ひとしきり部屋を検め目ぼしい書類などを全て纏めたのを確認すると、マノン嬢は絵の具のにおいが臭くて耐えられないと騒いで涙ぐみ、気分が悪いとよろけた所を支えようと伸ばした私の手を払いのけて大きな悲鳴を上げた。
「いやっ! そんな汚れた手で触らないで!」
悲鳴を聞いた令息たちはマノン嬢に駆け寄って取り囲み、ブルーノ殿下はマノン嬢を横抱きに抱き上げていつものように私の手へ蔑んだ目を向けた。
しかしこの半年、一度も絵筆を持たず優秀な侍女たちによって丁寧に手入れされている私の手はマノン嬢に勝るとも劣らない本来の美しさを取り戻している。
そしてマノン嬢がその臭いに耐えられないといった絵の具はおろか絵の道具は何一つ今この部屋には置かれていない。
汚れていない私の手を見つめた後部屋を見渡したブルーノ殿下だったが、今見た事実を振り払うように先頭に立ち、部屋を荒らしたことへの謝罪もなく立ち去って行ったのだった。
彼らが中身も確認せずに隠し金庫から持ち去った書類は、取るに足らない些細な物ばかりだ。父のアスランは何の書類が必要かマノン嬢には伝えていないようだ。
流石にこの騒ぎは国王陛下の耳に入り、双方謁見室に呼ばれて事の次第を問われたが、そこでもマノン嬢は私から酷く虐げられていると涙ながらに訴え、私室のアトリエでモデルの令息や令嬢といかがわしい行為をしているなど、ありもしない事を捲し立てた。
国王陛下から、王宮内でそのような行為があったとの報告は受けていないと質され、持ちだされた手紙類や書類にも証拠となりうるようなものが無かったと言われてもなお、私自身が証拠なのですと叫ぶように訴えて泣き崩れ、蹲ったマノン嬢に駆け寄り抱き起して肩を抱くブルーノ殿下を、国王陛下は何も言わずにただじっと見つめているだけだった。
同じ様に問われた私は、王族の婚約者として王宮に滞在している身として、そのような恥ずべき行為は決してしていないと身の潔白を宣言した。
「何よりも、肖像画を依頼してくれた令嬢や令息たちの名誉を傷つけるような事は決していたしてはおりません。
どの令息や令嬢も必ず従者や侍女たちを複数人連れており、肖像画の作成は解放された応接室で行っております。誰にどのように聞いて頂いても構いませんが、どなたであっても私室に通したことは一度としてございません。そのような冤罪はその令嬢や令息の家門を侮辱するものであり到底許されるものではありません」
証言に一点の曇りも無いと、毅然とした態度を崩すことなく奏上した。
証人の一人として同席を申し出てくれたマークス殿下は、ブルーノ殿下の婚約者である私の私室の状態を覗くような真似はしていないが、マノン嬢の訴えのような行動を目にしたことは無く、また周囲からそのような行為が行われたという報告も一度としてなかったと口添えをして下さった。
双方の言い分を聞いた国王陛下は、改めて王宮内の侍従や侍女たちからの報告も公表し、マノン嬢の訴えのような事実は認められない、何か行き違いがあるのかもしれないから二人で良く話をして誤解を解くようにと諭すに留めた。
王の前で虚偽を語った事を咎めもせず、それはまるで他愛無い姉妹喧嘩の仲裁をするかのようだった。
しかし、この状況で話し合いができる訳もなく、それからも変わらず毎日事あるごとに人目を憚らず泣き縋るマノン嬢を抱きしめるように慰めるブルーノ殿下の姿に、国王陛下から特別咎められる事がなかった事が広がると、最初こそ眉を顰めていた王宮の人々の中に荒唐無稽にも思われる噂を信じる者が出てくるようになった。
火の無い所に煙は立たぬとばかりに、噂を信じ始めた人々の声はあっという間に大きくなり社交界にも広まり始めている。
両侯爵家が復興途中の今、派閥の貴族たちが懸命に協力してくれてはいるが、最大の庇護者だった王妃陛下も両家の祖父母たちも居ない社交界では、この機に乗じた父のアスランとリリア夫人が侯爵家の資金をばら撒いて精力的に開催する茶会や大規模な夜会で広め続ける噂を完全に払拭するのは難しくなってきた。
こうなった以上、冤罪が明らかになったとしても一度立った良くない噂は熾火のように燻り続け、リンデル侯爵家はもとより巻き込まれた貴族家の令息や令嬢の評判を落としてしまいかねない。
支え、慕ってくれる人たちの為に私に出来る精一杯の事をしておく。
噂は全て虚言であり冤罪であると記した王宮侍女たちの署名入りの宣誓書と王家の報告書に国王陛下の印章を賜り、その控えと共にこの書面で派閥の家門と肖像画を依頼された各家の令息令嬢たちの名誉は守られると記した手紙を出した。
証言した侍女たちには退職金と共に推薦状を渡して、事が起こった時には即座に王宮を去るように言い含め、彼女らの家には保護を求める手紙を出した。
侍女の殆どは派閥の伯爵家の令嬢で、ブルーノ殿下の側近たちの婚約者も数人いる。その彼女たちには側近たちの不義や婚約者への予算の使い込みなどの証拠書類を揃えて渡してあるので、いつでもあちら有責で婚約の破棄が可能だ。
迎え撃つ準備は整った。これで心残りは無い。
ブルーノ殿下や側近たちは、国王陛下の御英断を期待して、日々無い事ばかりの私の悪行を陳情として挙げているが、それに陛下が応える気配がない事に苛立ちを募らせているようだ。
国王陛下としては、復興途中とはいえリンデル家とセントルー家という二大侯爵家の支持に加え、更には実母のロベール女子爵の莫大な財産と潤沢な資金を後ろ盾に持つ私を手放すつもりは無いのだ。マノン嬢については側妃か愛妾として側に置けば良いと思っているのだろう。
国王陛下の思惑を他所に、彼らは愚かにも社交界で実しやかに囁かれている、マノン嬢はアスランの実子でありリンデル侯爵家の令嬢だという噂を鵜呑みにし、私を追放すればマノン嬢を正式にリンデル侯爵令嬢とし、王太子妃として迎えられると本気で思っているようだ。
業を煮やしたブルーノ殿下や側近たちが己の立場も顧みず良からぬ計画を立てている事も漏れ聞こえてくるが、準備が整うまでの間、その舞台となり得る夜会などにはエスコートが居ない事を理由に欠席を重ねていた。
全ての準備を終えた今、その時を待つだけだ。
届けられた私の誕生日を祝うという名目の夜会の招待状に、出席の返事を出した。



