父が消息を絶って間もなく一年。
女優のニーナのサロンを終えたエレノアが、邸に戻ってホールに入った瞬間、待ち構えていたオーギュストから突然頬を打たれた。
あまりのことに打たれた頬を抑えて目を向けると、憎悪の籠った目で睨み付けながら掛けられた言葉に息を呑んだ。
「エレノア、君には心底失望した! 君のようなふしだらな女性を妻になんて出来ない。僕は、君との婚約を解消して、この家の養女になるカミーユと婚約を結びなおすことにした。お母上には既に承諾を貰っている!」
何故と問う間もなく、彼は踵を返して応接間へ向かった。憤慨したようにわざと大きく響かせた靴音にハッとし、慌てて後を追ったエレノアの目の前で扉は乱暴に閉められた。どれだけノックをしても呼びかけても返事はなく、扉が開くこともなかった。
応接間の中では、いつものように母のファニーと叔母のアンとカミーユがソファーに座っていた。扉を閉められる瞬間に垣間見えた、エレノアに目を向けたカミーユの、勝ち誇ったような歪んだ笑顔が目に焼き付いた。
一体何が起こったのか訳が分からない。エレノアの心臓は早鐘のように打ちながらギシギシと締め付けて来る。上手く息ができない。
人が近づく気配に振り返ると、ネリーが警戒したようにエレノアを背に庇った。目の前にやって来た男性は使用人の制服を着ているが、エレノアには見覚えがなかった。
「家令を呼んでください」
そう言ったエレノアに、その使用人は冷ややかに告げた。
「前任の家令は養女のカミーユお嬢様に無礼を働いたため、本日解雇されて追放されました。今は私がこの家の家令です。家の恥さらしのあなたには、速やかにこの家から立ち去るようにと奥様のご命令です。旦那様がご不在の今、この家の権限のすべては奥様にあります」
エレノアは家令だと名乗る男に毅然とした態度で反論した。
「母にその権限はありません。当主代理は私です。それにカミーユは養女などではないわ」
その言葉に胡乱な目を向けたその男は、更に横柄な態度で言い募った。
「カミーユお嬢様への無礼は許さない。だいだい娘のくせに当主代理になんかなれるもんか。ごたごた言ってないでさっさと出て行け!」
そう言ってエレノアの腕を掴もうと手を伸ばした瞬間、男はエレノアの前に立ったネリーの前で静かにくずおれた。
ネリーは、倒れたその男をそばの空き部屋の中に放り込むと、エレノアの手を取って言った。
「お嬢様、お怪我はありませんか? この様子ではここに留まるのは危険です。一旦商会へ参りましょう」
そう言うと、エレノアを横抱きにして驚くべき速さで移動し、あっという間に門の外へ出ると、近くに停まっていた辻馬車に素早く乗り込み、商会へ向かわせた。
ネリーに付き添われて商会に到着すると、二階の事務所で家令が待っていた。
解雇されて追い出されたと聞いて心配していたので、手を取って「良かった」と思わず言葉が漏れた。先代からずっと仕えてくれていた頼りになる家令の顔を見るとほっとして、涙が滲みそうになるのをぐっとこらえた。
「お嬢様、先ずは打たれた頬を冷やしましょう」
そう言って冷たいタオルを頬に当ててくれたネリーに、驚いて私の顔を覗き込んでいた家令が聞いた。
「打たれたですと!? 一体誰に?」
「……婿予定だった方です」
ぐっと目を細めた家令が低い声で呟いた。
「ほう、一切の遠慮はいらんということですな」
そして、ソファーに座った私に、笑顔で手紙を渡してくれた。
「朗報ですよ、お嬢様。旦那様がご帰還なさいます」
その言葉に目を瞠ったエレノアが震える手で封を切ると、そこには懐かしい父の字が並んでいた。
コンラート閣下が手配して下さった捜索船のお陰で、無人島に漂着していた所を発見してもらえたこと、乗組員たちもみんな無事で、漂着した時に岩で破損してしまった部分の修理を終え、この手紙が到着して3週間ほどで帰還する予定だと書かれてあった。
手紙を読み終えたエレノアは、安堵の涙が抑えられず、頬を冷やしていたタオルに顔を埋めて号泣した。
ファルマ公爵コンラートには感謝をしてもしきれない。すぐにファルマ公爵とイザベラに感謝の手紙を書き、中央礼拝堂でつなぎ役をしてくれているシスターに届けてもらった。
そして、すぐに母に知らせようとしていた所を家令に止められた。
「お嬢様、先ずは今日の出来事をお伝えします」
そう言った家令から伝えられた話しは思ったよりもかなり酷いものだった。
きっかけは、数日前にオーギュストがカミーユと共に街歩きをしていたことだった。どうやら、所用で街に出たオーギュストに偶然を装ってカミーユが近づいたのが真相のようだが、それからまるで恋人の様に腕を組んであちらこちらの商店やカフェに出入りしたらしい。
それらは全てカミーユが現在休学している、女学校の同級生の家が経営する場所だったらしく、ノートン家に入り婿予定のオーギュストと連れ立っていた事で、一旦収束していたカミーユの養女話が再燃してしまっているそうだ。
そこへ、今日もまた連れ立って街歩きをしていた所、エレノアが花街近くの路地裏に入って行くのを見たのだという。するとカミーユが、ここぞとばかりに涙を浮かべながらオーギュストに縋った。
「ああ、オーギュスト様、見てしまったのね。どうかエレノアを許してあげて。あの子は子爵家を支えるために自身を売るしかないの。みんな知っていたけど、オーギュスト様にはどうしても言えなかったの」
その言葉に愕然としたオーギュストは、急いで帰って家令を問い詰めた。エレノアが体を売っている事を知っていながら、なぜ自分に教えなかったのか、一体いつから自分を裏切っていたのだと大変な剣幕で叫び続けたのだという。
家令が「そんな事実はありません」と何度言っても聞く耳を持たなかったらしい。
花街に通じる路地に入って行くのをこの目で見たのだと怒鳴りつけ、エレノアがその先にある娼館に入って行くのを見たというカミーユの言葉を証拠としてぶつけて来た。
カミーユの言葉に、家令は彼女をきつく睨み付けて言い渡した。
「旦那様から2度と嘘を吐くなと言われているのを忘れたのか。即刻出て行け」
そう言った事で、養女となる身のカミーユに不敬を働いたとして邸を追われたのだという。
あまりのことに、エレノアの顔から血の気が引いた。
「外でそんな事を言ってしまったのなら、今頃は街中で噂になっているわ。一度そんな噂が立ってしまったら、お父様がご帰還になって潔白が証明されたとしても、もうノートン家は社交界では受け入れてもらえないわ」
家令とネリーは、沈痛な面持ちで項垂れるエレノアを見つめた。
「この度の仕儀、我らノートン一同はあの3人を許すつもりはございませんし、一切の手加減をするつもりもございません。ただ、奥様に関してはいかがいたしましょうか」
エレノアは目を瞑って俯いた。
常にアンの顔色を窺い、カミーユと自分をオロオロと見比べて必ずカミーユを優先する母の姿が脳裏に浮かぶ。物心ついた時から、母はエレノアの誕生日のプレゼントさえアンの言いなりにカミーユへ贈ったものよりも格段に劣ったものを贈ってきた。その他も、母から渡されるものは、リボン一つでさえカミーユよりも数段劣る物ばかりだった。とても子爵令嬢が身に付ける格式に見合わないそれらの品を、父は目にする度にため息を吐いた。
エレノアは父の言いつけで、母からの贈り物を身に着けた事は一度もない。
そして、母はその事に気付いてさえいなかった。
ここで情けをかけてしまえば、母はいずれどこかで必ずアンとカミーユの言うままに動いて、また自分たちの足を引っ張るだろう。
今回だってそう。二人の嘘を鵜呑みにして、言われるままに実の娘を家の恥と言って追い出した。
もううんざりだ。
私が母を切り捨てる覚悟を見せれば、父は迷いなく動ける。
恐らくは母は、父の意向通り相応の報いを受ける事になるだろう。
エレノアは顔を上げて二人に告げた。
「全てあなたたちに任せます。実の娘を信じずに切り捨てたのはお母様の方だわ」
◇
ショッキングな噂ほど、どんなに打ち消そうとも尾鰭がついて瞬く間に広がるのは世の常だ。
「ノートン子爵家の令嬢が、婚約者を裏切って体を売っていたそうだ。恥知らずの実の娘に変わり、夫人の姪が跡取り娘として養女になり婿を迎えるらしい」
ご多聞に漏れず、そんな根も葉もない噂が1週間もたたずに広がってしまった。オーギュストとカミーユが、同級生の店を訪れては触れ回っているのが原因だと聞かされた。
エレノアは、この件について、オーギュストの父であるブノワ侯爵閣下宛てに手紙を出したが、なんの返事ももらえなかった。
きっとオーギュストの言い分を信じているのだろう。もうそちらの手助けは諦める事にした。
父の消息不明を受け、それまで好意的だった貴族家からの問い合わせには事実無根であることを説明したが、一定の理解を得られるも、噂が噂だけに距離を置かれた。
当然商品も売れず、収入源だったサロンも全てキャンセルになっている。
仕方なく商会を畳み、2階の住居部分でひっそりと暮らしていた。
それから日を置かずに噂は次第にエスカレートして行き、子爵令嬢のエレノアが、従姉のカミーユが養女になる事を嫌がり、苛烈ないじめを行っていたというものが加わった。それを見かねた元婚約者のブノワ侯爵令息がカミーユを悪魔のような女の手から救い出し、真実の愛で結ばれた二人がノートン子爵家を守っていくのだという話が実しやかに広がった。
それからというもの、商会には嫌がらせが相次ぎ、罵詈雑言を書いた紙が扉や壁に貼り付けられ、石を投げつけられることもあった。
ついには商会の通用口を出たところで、体を売っているんだろうと金貨を差し出されて馬車に連れ込まれそうになってしまった。
周囲も、もうここにエレノアを置いて置くのは危険と判断し、準備が整い次第、ニーナの店に移動することに決まった。
それ以来、エレノアは外に出るのが恐ろしく、礼拝堂に行く事すら出来なくなっている。
姿を見られない様に窓に近づく事もできない。
「一目で良い、イザベラに会いたい」
ぼんやり椅子に座ったエレノアは、そう独り言ちた。
女優のニーナのサロンを終えたエレノアが、邸に戻ってホールに入った瞬間、待ち構えていたオーギュストから突然頬を打たれた。
あまりのことに打たれた頬を抑えて目を向けると、憎悪の籠った目で睨み付けながら掛けられた言葉に息を呑んだ。
「エレノア、君には心底失望した! 君のようなふしだらな女性を妻になんて出来ない。僕は、君との婚約を解消して、この家の養女になるカミーユと婚約を結びなおすことにした。お母上には既に承諾を貰っている!」
何故と問う間もなく、彼は踵を返して応接間へ向かった。憤慨したようにわざと大きく響かせた靴音にハッとし、慌てて後を追ったエレノアの目の前で扉は乱暴に閉められた。どれだけノックをしても呼びかけても返事はなく、扉が開くこともなかった。
応接間の中では、いつものように母のファニーと叔母のアンとカミーユがソファーに座っていた。扉を閉められる瞬間に垣間見えた、エレノアに目を向けたカミーユの、勝ち誇ったような歪んだ笑顔が目に焼き付いた。
一体何が起こったのか訳が分からない。エレノアの心臓は早鐘のように打ちながらギシギシと締め付けて来る。上手く息ができない。
人が近づく気配に振り返ると、ネリーが警戒したようにエレノアを背に庇った。目の前にやって来た男性は使用人の制服を着ているが、エレノアには見覚えがなかった。
「家令を呼んでください」
そう言ったエレノアに、その使用人は冷ややかに告げた。
「前任の家令は養女のカミーユお嬢様に無礼を働いたため、本日解雇されて追放されました。今は私がこの家の家令です。家の恥さらしのあなたには、速やかにこの家から立ち去るようにと奥様のご命令です。旦那様がご不在の今、この家の権限のすべては奥様にあります」
エレノアは家令だと名乗る男に毅然とした態度で反論した。
「母にその権限はありません。当主代理は私です。それにカミーユは養女などではないわ」
その言葉に胡乱な目を向けたその男は、更に横柄な態度で言い募った。
「カミーユお嬢様への無礼は許さない。だいだい娘のくせに当主代理になんかなれるもんか。ごたごた言ってないでさっさと出て行け!」
そう言ってエレノアの腕を掴もうと手を伸ばした瞬間、男はエレノアの前に立ったネリーの前で静かにくずおれた。
ネリーは、倒れたその男をそばの空き部屋の中に放り込むと、エレノアの手を取って言った。
「お嬢様、お怪我はありませんか? この様子ではここに留まるのは危険です。一旦商会へ参りましょう」
そう言うと、エレノアを横抱きにして驚くべき速さで移動し、あっという間に門の外へ出ると、近くに停まっていた辻馬車に素早く乗り込み、商会へ向かわせた。
ネリーに付き添われて商会に到着すると、二階の事務所で家令が待っていた。
解雇されて追い出されたと聞いて心配していたので、手を取って「良かった」と思わず言葉が漏れた。先代からずっと仕えてくれていた頼りになる家令の顔を見るとほっとして、涙が滲みそうになるのをぐっとこらえた。
「お嬢様、先ずは打たれた頬を冷やしましょう」
そう言って冷たいタオルを頬に当ててくれたネリーに、驚いて私の顔を覗き込んでいた家令が聞いた。
「打たれたですと!? 一体誰に?」
「……婿予定だった方です」
ぐっと目を細めた家令が低い声で呟いた。
「ほう、一切の遠慮はいらんということですな」
そして、ソファーに座った私に、笑顔で手紙を渡してくれた。
「朗報ですよ、お嬢様。旦那様がご帰還なさいます」
その言葉に目を瞠ったエレノアが震える手で封を切ると、そこには懐かしい父の字が並んでいた。
コンラート閣下が手配して下さった捜索船のお陰で、無人島に漂着していた所を発見してもらえたこと、乗組員たちもみんな無事で、漂着した時に岩で破損してしまった部分の修理を終え、この手紙が到着して3週間ほどで帰還する予定だと書かれてあった。
手紙を読み終えたエレノアは、安堵の涙が抑えられず、頬を冷やしていたタオルに顔を埋めて号泣した。
ファルマ公爵コンラートには感謝をしてもしきれない。すぐにファルマ公爵とイザベラに感謝の手紙を書き、中央礼拝堂でつなぎ役をしてくれているシスターに届けてもらった。
そして、すぐに母に知らせようとしていた所を家令に止められた。
「お嬢様、先ずは今日の出来事をお伝えします」
そう言った家令から伝えられた話しは思ったよりもかなり酷いものだった。
きっかけは、数日前にオーギュストがカミーユと共に街歩きをしていたことだった。どうやら、所用で街に出たオーギュストに偶然を装ってカミーユが近づいたのが真相のようだが、それからまるで恋人の様に腕を組んであちらこちらの商店やカフェに出入りしたらしい。
それらは全てカミーユが現在休学している、女学校の同級生の家が経営する場所だったらしく、ノートン家に入り婿予定のオーギュストと連れ立っていた事で、一旦収束していたカミーユの養女話が再燃してしまっているそうだ。
そこへ、今日もまた連れ立って街歩きをしていた所、エレノアが花街近くの路地裏に入って行くのを見たのだという。するとカミーユが、ここぞとばかりに涙を浮かべながらオーギュストに縋った。
「ああ、オーギュスト様、見てしまったのね。どうかエレノアを許してあげて。あの子は子爵家を支えるために自身を売るしかないの。みんな知っていたけど、オーギュスト様にはどうしても言えなかったの」
その言葉に愕然としたオーギュストは、急いで帰って家令を問い詰めた。エレノアが体を売っている事を知っていながら、なぜ自分に教えなかったのか、一体いつから自分を裏切っていたのだと大変な剣幕で叫び続けたのだという。
家令が「そんな事実はありません」と何度言っても聞く耳を持たなかったらしい。
花街に通じる路地に入って行くのをこの目で見たのだと怒鳴りつけ、エレノアがその先にある娼館に入って行くのを見たというカミーユの言葉を証拠としてぶつけて来た。
カミーユの言葉に、家令は彼女をきつく睨み付けて言い渡した。
「旦那様から2度と嘘を吐くなと言われているのを忘れたのか。即刻出て行け」
そう言った事で、養女となる身のカミーユに不敬を働いたとして邸を追われたのだという。
あまりのことに、エレノアの顔から血の気が引いた。
「外でそんな事を言ってしまったのなら、今頃は街中で噂になっているわ。一度そんな噂が立ってしまったら、お父様がご帰還になって潔白が証明されたとしても、もうノートン家は社交界では受け入れてもらえないわ」
家令とネリーは、沈痛な面持ちで項垂れるエレノアを見つめた。
「この度の仕儀、我らノートン一同はあの3人を許すつもりはございませんし、一切の手加減をするつもりもございません。ただ、奥様に関してはいかがいたしましょうか」
エレノアは目を瞑って俯いた。
常にアンの顔色を窺い、カミーユと自分をオロオロと見比べて必ずカミーユを優先する母の姿が脳裏に浮かぶ。物心ついた時から、母はエレノアの誕生日のプレゼントさえアンの言いなりにカミーユへ贈ったものよりも格段に劣ったものを贈ってきた。その他も、母から渡されるものは、リボン一つでさえカミーユよりも数段劣る物ばかりだった。とても子爵令嬢が身に付ける格式に見合わないそれらの品を、父は目にする度にため息を吐いた。
エレノアは父の言いつけで、母からの贈り物を身に着けた事は一度もない。
そして、母はその事に気付いてさえいなかった。
ここで情けをかけてしまえば、母はいずれどこかで必ずアンとカミーユの言うままに動いて、また自分たちの足を引っ張るだろう。
今回だってそう。二人の嘘を鵜呑みにして、言われるままに実の娘を家の恥と言って追い出した。
もううんざりだ。
私が母を切り捨てる覚悟を見せれば、父は迷いなく動ける。
恐らくは母は、父の意向通り相応の報いを受ける事になるだろう。
エレノアは顔を上げて二人に告げた。
「全てあなたたちに任せます。実の娘を信じずに切り捨てたのはお母様の方だわ」
◇
ショッキングな噂ほど、どんなに打ち消そうとも尾鰭がついて瞬く間に広がるのは世の常だ。
「ノートン子爵家の令嬢が、婚約者を裏切って体を売っていたそうだ。恥知らずの実の娘に変わり、夫人の姪が跡取り娘として養女になり婿を迎えるらしい」
ご多聞に漏れず、そんな根も葉もない噂が1週間もたたずに広がってしまった。オーギュストとカミーユが、同級生の店を訪れては触れ回っているのが原因だと聞かされた。
エレノアは、この件について、オーギュストの父であるブノワ侯爵閣下宛てに手紙を出したが、なんの返事ももらえなかった。
きっとオーギュストの言い分を信じているのだろう。もうそちらの手助けは諦める事にした。
父の消息不明を受け、それまで好意的だった貴族家からの問い合わせには事実無根であることを説明したが、一定の理解を得られるも、噂が噂だけに距離を置かれた。
当然商品も売れず、収入源だったサロンも全てキャンセルになっている。
仕方なく商会を畳み、2階の住居部分でひっそりと暮らしていた。
それから日を置かずに噂は次第にエスカレートして行き、子爵令嬢のエレノアが、従姉のカミーユが養女になる事を嫌がり、苛烈ないじめを行っていたというものが加わった。それを見かねた元婚約者のブノワ侯爵令息がカミーユを悪魔のような女の手から救い出し、真実の愛で結ばれた二人がノートン子爵家を守っていくのだという話が実しやかに広がった。
それからというもの、商会には嫌がらせが相次ぎ、罵詈雑言を書いた紙が扉や壁に貼り付けられ、石を投げつけられることもあった。
ついには商会の通用口を出たところで、体を売っているんだろうと金貨を差し出されて馬車に連れ込まれそうになってしまった。
周囲も、もうここにエレノアを置いて置くのは危険と判断し、準備が整い次第、ニーナの店に移動することに決まった。
それ以来、エレノアは外に出るのが恐ろしく、礼拝堂に行く事すら出来なくなっている。
姿を見られない様に窓に近づく事もできない。
「一目で良い、イザベラに会いたい」
ぼんやり椅子に座ったエレノアは、そう独り言ちた。



