聖女らしきものたちの暗躍

それからの日々は、当面の邸の采配はオーギュストと家令に任せ、王都に展開する店舗の閉鎖手続きや従業員の再就職先の斡旋、取引の縮小の交渉など、エレノアは多忙を極めた。

朝早くから商会の二階の事務所に詰める日々が続き、現在では収入の柱となっているサロンも精力的に熟していたため、帰宅はみんなが寝静まった深夜になる事も多かった。
オーギュストは、母が不安にならない様にとエレノアが遅くなる日は共に夕食を取ることを申し出てくれ、彼の帰宅時間に間に合えば労いの言葉をかけてくれる。

エレノアは家族として心を配って接してくれる彼の行動がとても嬉しかった。
その家族のためにも、父が戻って来るまでノートン子爵家を潰すわけにはいかないと、身を粉にして働いた。

それは、父の帰還予定日から5か月ほど過ぎたある日の事だった。
ようやく複数の店舗の売却契約も終わり、従業員たちを無事に送り出せたと、ほっと一息つけるようになったエレノアは、残ってくれた秘書と数名の事務員と共に昼食を終えると、その日は帰宅することにした。
しばらく顔を見ていない母の事も気がかりだ。
午後のお茶は久し振りに邸でゆっくり取ろうと、王都でも人気の菓子店に立ち寄って、母とオーギュストの好きな焼き菓子を買って帰路についた。

エレノアが邸に戻ると、出迎えた家令から、叔母のアンと従姉のカミーユが応接間に入り込んだと報告を受けた。退出を促したものの、母のファニーとオーギュストの執り成しで、居座って動かないのだと状況を詫びられた。

「あなたのせいではないわ。でも、どうしてオーギュスト様が一緒にいるの?」

エレノアの問いに、家令は絞り出すように告げた。

「エレノア様の誤解を解いて、カミーユとの仲違いの仲裁をするのだと……」

「仲違い?」

エレノアは、父ジョンの厳命によりカミーユと一切の接点がない。
アンとカミーユは本邸に入ることを固く禁じられており、エレノアは4歳を過ぎる頃に教育が始まって以来、離れには決して近づかない様に言われていた。そのため、それ以来二人と言葉を交わした事すらないのだ。

応接間に近づくにつれ、にぎやかな笑い声が聞こえてくる。

「ただいま戻りました」

入り口に立ったエレノアの目に、オーギュストにぴたりと寄り添ってソファーに座るカミーユの姿が飛び込んで来た。
その瞬間、エレノアの心臓がずくりと嫌な音をたてた。

その声に振り返ったオーギュストが、エレノアの姿を見てぱっと顔を輝かせた。

「あ、エレノアお帰り。丁度よかった! カミーユとアン夫人から色々相談されていてね。こうして君の誤解を解く場を設ける事にしたんだ。こういう時こそ、家族が力を合わせて乗り越えなくちゃいけないからね」

オーギュストから「カミーユ」と親し気に呼びかけられた彼女は、オーギュストに腕を絡めて更に身を寄せた。オーギュストは、絡められたカミーユの手を優しくぽんぽんと叩き、目を細めて「大丈夫だよ」と囁いた。

その様子に、エレノアは頭に血が上るのを自覚した。早くなってしまいそうな呼吸を何とか整え、声が震えない様に気力を振り絞ってオーギュストに声を掛けた。

「オーギュスト様、二人は父から本邸に足を踏み入れる事を固く禁じられています。私は二人と言葉を交わした事もございませんし、誤解などありません」

エレノアの言葉に、母がオロオロと視線を左右するのを見てそちらに顔を向けた。
これ以上オーギュストとカミーユを視界に入れたくない。

「お母様、これは一体どういうことでしょうか。お父様のお言いつけをお忘れですか?」

ファニーが何も言えずにただ困惑の表情を浮かべてアンに目配せすると、アンが口を開こうと身を乗り出したので、それを封じた。

「発言を許してはいませんよ。お父様の通告を蔑ろにする事は許されません」

その言葉に、カミーユがオーギュストの胸に顔を埋めてすすり泣き始めた。
小声で何か囁いているようだが、エレノアには聞こえない。
その言葉を聞き取ろうと、オーギュストはまるでカミーユを抱きしめるように顔を寄せている。
その二人の様子に、エレノアの中で大切に育んでいたオーギュストへの淡い思慕に、突然ひびが入った。
心臓の音がうるさい。

「エレノア、それこそが誤解なんだよ。お父上は、君の心情を慮ってゆっくり二人との仲を取り持とうとしていたんだ。でもこうなった以上、お父上が秘密裏にカミーユを養女にする手はずを整えていたことを君は知っておかなければいけない。これはお父上の遺志であり、僕たちはその遺志を継がなければいけないんだ」

エレノアは目を閉じ、深呼吸をしてからすすり泣くカミーユを抱き留めているオーギュストに目を向けた。

「我が父ノートン子爵から養女の話など一度として出た事はございません。学校でそう言った噂を吹聴していたようですが、学校には厳重は対応を依頼して校内の噂は終息しています。今後そのような思い込みを口にしないよう、お母様を通じてはっきりと否定を伝えていますし、家令からも夫人の夫のフットマンに対してそのような嘘を口にしないように厳重に注意されているはずです。そうですわね、お母様」

ファニーはエレノアの言葉を顔色を悪くして聞いていたが、エレノアに質されると、手にしたハンカチを揉みしだきながら、小さく頷いた。

「君のそのかたくなな態度が、お父上を悩ませていたのではないかな。 カミーユは直接お父上からいたわりの言葉をと共に、いつかエレノアを説得するから安心するようにと約束してもらったと言っているよ。カミーユは従姉だろう? もう少し優しくできないかな」

カミーユと寄り添ったまま、なおも言い募るオーギュストをエレノアはまっすぐに見つめた。

「オーギュスト様、その二人の言葉だけでなく、我が家の家令に養女の手続きの書類があるかどうかと、この事についてご懸念されていたブノワ侯爵閣下にもご確認くださいませ。そうすればどちらの言葉か本当かお分かりになると思います」

オーギュストは、ハンカチを握りしめてオロオロと視線を泳がせるファニーと、胸に縋るカミーユ、そして目の前のエレノアを困惑したように見比べて、小さく呟いた。

「分かった。家令と、父上が領地の視察から戻り次第確認してみるよ」

胸に縋るカミーユがまたすんすんと啜り上げながら何事か囁いている。それを聞き取ろうと、またオーギュストがカミーユに顔を寄せた。
ただでさえうるさい心臓の音が、締め付けられて軋んだ音をたてる。
もうこれ以上二人の姿を目に入れたくない。

「二人は速やかに邸から立ち去って下さい。今日はとても疲れたので、私は部屋に下がります」

そう言って踵を返し、応接間を後にした。
家令と執事たちに促されてアンとカミーユが応接間から連れ出された。
ホールの階段を上るエレノアの背にぶつけるように、アンの忌々し気な声が響いた。

「なんて傲慢なのかしら。あんな女性が伴侶だなんて、オーギュスト様がお気の毒すぎるわ」


◆◆◆
商会の整理がひと段落着いたので、これからは本邸の整理をしていかなければいけない。
必要最低限の使用人を残し、みんなに退職金と紹介状を渡し、希望者には事情を知って声を掛けてくれる貴族家を斡旋していく。
最終的に残ったのは、家令と文官が数人、三人のメイドと料理長、そして侍女見習いだったネリーだった。

使わない部屋はリネンで覆って閉鎖し、不要な家具やドレスなども売りに出した。ファニーは泣いて抵抗したけれど、ジョンが帰還すればまた新しいものを買うことができると宥めて何とか手放させた。
宝石は、いざという時の為に手元に残しておく。


頭の痛いことに、あの日以来エレノアの抗議も虚しくアンとカミーユは応接間を占拠するようになった。
使用人の数が少なく、気がつけば入り込んで居座ってしまうのだ。対応しようにも、とにかく対応できる人員が少ない。
力ずくで出される事が無いと踏んだ二人は、それを良いことに、エレノアが立ち去るように促しても無視をするようになった。

ファニーがエレノアを気にしながらも何も言えないのはいつものことだ。
オーギュストはカミーユにぎゅっと手を握って引き寄せられて立ち上がれず、エレノアとファニーを忙しなく見比べている。
彼はいつもただ困惑を顔に浮かべるだけで、何も言わず、何もしない。

それでも諦めずにエレノアは声を掛け続け、結局無視をされて侍女のネリーと共にホールに引き返し、螺旋階段を上がって二階の自室に戻ると言う日々が続いた。

そんな日々を送る中、エレノアが礼拝堂で祈りを終えたのを見計らったように、シスターに声を掛けられていつもの小部屋に案内された。
イザベラは、国王夫妻の名代として婚約者の王太子エドワードと共に隣国の王族の結婚式に出席していたためずっと不在だったのだ。
久し振りに親友に会える嬉しい知らせに、エレノアははやる気持ちを抑えて扉を開けた。
すると、扉を潜った途端イザベラが抱き着いて来た。イザベラはエレノアに縋ったまま、声を震わせて言った。


「ノートン子爵の事を聞いたの。伯父様は知らせを受けてすぐに動いて下さっているし、私もできる限りのことをするわ。だから、希望を失ってはだめよ」

イザベラの父は国王の実弟であり、東国の王女キャサリンを迎えたと同時にファルマ公爵を賜って臣下に下ったのだ。しかし、不幸な事故で二人が亡くなったため、王家に嫁ぐことが決まっているイザベラに変わってファルマ公爵を継いだのは、国王の異母弟であるコンラートだった。
若い頃に東国へ留学してそのまま外交官となり、現在も両国の交易の要である彼は、東国への航路を最もよく知る人物でもある。
親友の言葉に、エレノアはそれまで張り詰めていた緊張がほどけ、イザベラの胸に縋って泣いてしまった。
イザベラは、エレノアの背を擦りながら自身も涙声で精いっぱい励ました。

「海上には流された積み荷や船の残骸などは全く見当たらないそうよ。航路には無人島も多くあるの。そのどこかに流されて留まっている可能性があるからと、伯父様が広く捜索を手配してくれているわ。だから、無事を祈って待ちましょう」

父はコンラートに厚い信頼を寄せていた。その彼が捜索に当たってくれていると聞き、これほど心強いことはなかった。

それよりも、今のエレノアにとっては、背に添えられた親友の温かな手が、この世で唯一の拠り所に思えたのだ。

そして、ノートン子爵家の現状を伝えたのだ。




俯いて話すエレノアの手を取って聞いていたイザベラの脳裏に、ある言葉が浮かんだ。

【単調に4度鳴らされる大鐘の音は、聖女が女神の下に召された事を知らしめる合図。
寄る辺ない無辜の乙女の清らかな祈りにのみ開かれる女神の扉。
その扉の向こうに召されたものは聖女と呼ばれこの世に戻ることはない】

中央礼拝堂では、改装の完成を数か月後に控え、急遽新しい彫像が建立される事になった。
祭壇の女神像に祈りを捧げるように、手を胸の前で組み跪く聖女の像。
無垢の魂を象徴するように真っ白な大理石で掘り出されたその像は、高い台座部分に銘が彫られている。

嘆きの碑
寄る辺ない無辜の乙女は聖女となりてここに眠る