聖女らしきものたちの暗躍

父の出立の日。
家中一同だけでなく、領地に戻る日程を調整したブノワ侯爵が、オーギュストと共に港まで出向き、皆と共に出航を見送った。

その帰り道、ブノア侯爵親子を見送った後、エレノアは航海の無事を祈願するために中央礼拝堂を訪れた。祭壇のそばに居たシスターに特別祈祷の相談をすると、祭壇の脇の扉を潜った先にある小部屋に案内され、入れ替わるように奥の扉からある人物が入って来た。その人物を目にした瞬間、エレノアは姿勢を正し、最敬礼のカーテシーを執った。
そこに現れたのは、王太子の婚約者であるイザベラ・ファルマ公爵令嬢だった。未来の王妃に相応しい気品を備え、後光が差したように輝くその姿に、エレノアは思わず深く頭を下げた。

「ノートン嬢、顔を上げて頂戴。先触れもなく驚かせてしまってごめんなさいね。今は非公式だから、わたくしはただの一人の令嬢よ。だから畏まらなくて大丈夫」

美しく微笑み、人差し指を唇の前に立てながらそう言ったイザベラは、優しくエレノアの手を取ってソファーセットに座らせた。いつの間にかテーブルには茶菓が用意されており、向かいに座ったイザベラは寛いだ雰囲気でお菓子を頬張っている。

「どうぞ遠慮せずに召し上がってね。このお菓子、わたくしのお気に入りなの」

そう言って、すっかり打ち解けた雰囲気で、小さなお菓子を次々と口に運んでいく様子が、不思議なことに、とても優雅で上品に見える。さらに、流れるように音もなく茶器を扱う洗練された所作に目を奪われていたエレノアは、イザベラに首をかしげてにこりと微笑まれて、思わず顔を赤くした。
 勧められるまま、お茶とお菓子を堪能した後、最後に運ばれてきたのはとても薫り高いお茶だった。ガラスのカップに注がれた、淡い若草色のお茶の中に、薄桃色の花がふわりと咲いたように浮かんでいる。
東国では、春を迎えると薄桃色の花を咲かせる木があるという。国中を彩るように一斉に咲き誇るその景色は、夢の様に美しいのだと父からよく聞かされていた。
エレノアはカップを持ち上げ、ほう、とため息を漏らして問いかけた。

「この色の取り合わせがとても美しいですね。これは(桜)でしょうか? この花が一斉に咲き誇る様子がとても美しいと、幼い頃から父によく聞かされていました。本物を目にしたのはこれが初めてですが、美しいだけでなく、とても薫り高いのですね」

 エレノアがそう言って顔を向けると、イザベラはとても嬉しそうな表情を浮かべて答えてくれた。

「やはりご存知なのね! 私も咲いている所は幼い頃に一度しか目にした事はないのだけれど、本当に儚く美しいのよ。この花は、咲いている時は強く香ることはないけれど、こうしてお茶やお菓子にすると独特の薫りが立つの」

 イザベラは、カップを目の高さに持ち上げ、愛おしそうに眺めながら続けた。

「お母様がとても好まれていたお茶なの。こうして、自分のルーツである国の話を忌憚なくできるなんて、まるで夢の様よ。お誘いして本当に良かったわ!」

ノートン家は、イザベラの母である東国の元王女キャサリンが、ファルマ公爵家に嫁ぐ際に随行した商会だった。こうしてこの国で爵位を得て、商会を大きくできたのは、ひとえにキャサリン夫人の力添えがあってのことだ。
イザベラは、10歳頃に王太子の婚約者として王宮に上がってしまった為、傘下の商会として取引はあるものの、下位貴族のエレノアがイザベラと直接話す事などありえなかった。
公の場に登場するイザベラは、常に美しい微笑みを湛えて凛と立っており、その美しく完璧な所作が、ともすれば周囲には人形のような冷たい印象を与えていた。

しかし、こうして間近で話をしたイザベラは、とても明るく気さくな少女だった。母の代から懇意だからと、ノートン子爵の無事の帰還を祈る特別祈祷には自分も名を連ねると申し出てくれ、帰り際には優しくエレノアの手を取り、これからもここで秘密のお茶会をして欲しいと言われ、喜んで約束を交わしたのだ。


父の出航から一ヶ月が過ぎた頃、最初の寄港地からの便りが届いたのを皮切りに、三ヶ月後には無事に東国に到着したと手紙を受け取った。邸中が安堵の声に包まれ、それから一ヶ月ごとに届く近況の連絡は、みんなを集めてエレノアが読み上げるのが習慣になった。
そしていよいよ、帰還のために東国の港を出港したという手紙が届き、帰宅まで約一ヶ月。エレノアはじめ、みんながその日を首を長くして待ち望んでいた。

その間、毎日礼拝堂を訪れるエレノアの下に、数日に一度イザベラが訪れるようになり、お茶会を通して友情をはぐくみ、すっかり親友として交流するようになっていった。
そんなある日、エレノアの化粧技術を知ったイザベラから、真剣な表情で尋ねられた。

「ねえ、エレノア。わたくしを別人に仕上げるって出来るかしら?」

あまりに真剣な問いかけに、エレノアも真摯に答えた。

「そうね、イザベラのその美しい黒髪を隠すのはもったいないけれど、鬘を使うなら、化粧で顔を別人のように仕上げるのは簡単よ」

 そう言った事をきっかけに二人は変装を研究し始め、やがてイザベラは、様々に変装したまま、別人として活動を始めるようになった。

周囲から漏れ聞くところによれば、東国の王家の特徴を色濃く受け継ぐイザベラは、かつての敵国だった東国を良く思わない王妃と、未来の伴侶たる王太子から軽んじられており、当然、その影響下にある宮中の人々からも遠巻きにされているという。そして、最近では婚約者の王太子がとある男爵家の令嬢に殊の外執心しており、王太子だけではなく、その側近たちや彼らの取り巻きたちにひどく蔑ろにされているとも聞いている。

窮屈で居場所のない王宮から、たとえ一時でも抜け出したこの場所での時間が息抜きになれば、そして変装して少しの時間でも自由に羽を伸ばせる一助となればと、エレノアは親友のためにさらに研鑽し、腕を磨き続けたのだ。


ノートン子爵から東国を出発したとの手紙を受け取ってから、間もなく一ヶ月。子爵の帰還も間近と思われた頃、早馬で一通の手紙が届けられた。
知らせを受けて急ぎ帰宅したホールで、寄港地からだと手渡されたエレノアが急いで封を切ると、そこには、ノートン商会の貿易船が予定日を過ぎても港に到着していないと書かれていた。
現在、他の商船や貿易船の目撃情報を集めており、港からは船を多数動員して捜索しているが、まだ見つかっていないという。
ただ、商船の行き交う航路では嵐や高波の報告もなく、周辺の海上に船の瓦礫なども見受けられないことから、何かのトラブルで、どこかの島に一時的に避難している可能性もあるとして、周辺の捜索を続けていると続いていた。

エレノアは、震える手と声を叱咤し、側でじっと控えていた家令に指示を出した。

「お母様には私から伝えます。みんなにもこの事を伝えてください。お父様は必ず帰っていらっしゃるわ。だから今は落ち着いてこれまで通り過ごすように徹底してください」

 家令は力強く頷くと、すぐに使用人たちに指示を出すためにホールを後にした。
 深呼吸をしたエレノアは、手紙を手に母とオーギュストが居る居間へ向かった。早馬での連絡があったと聞いた母が落ち着かない様子だと聞いたエレノアは、毎日執務室に通っているオーギュストに伝言を頼み、母についてもらっていたのだ。手紙の内容を伝得られたファニーはひどく取り乱し、ハンカチを顔に当ててむせび泣いている。エレノアとオーギュストに宥められ、顔を上げたものの、絶望した顔で俯いている。エレノアは、ファニーの手を取り顔を上げさせた。

「お母様、皆が懸命に捜索してくれています。私は絶対にあきらめないわ。お父様は必ず帰っていらっしゃいます」

 力強くそう言うエレノアに同調するように、オーギュストも優しく声を掛けた。

「エレノアの言う通りです。どうぞ、お気持ちを強く持ってください。私たちがついていますよ」

この一報は、我が家だけでなく各方面にも届いたはずだ。早急に手を打たなければならない。領地を持たないノートン家は、商会の売り上げだけが頼りだ。子爵家の予算は数日前に一年分を金庫に収めてあるが、この先を考えると出来るだけ切り詰めなければならない。そちらは家令とオーギュストに相談して任せられる。
問題は商会だ。今回の積み荷に纏まった金額を支払っているため、貿易船が到着しなければ利益が見込めず大幅な減収になる。在庫の商材が底を付き立ち行かなくなる前に手を打たねばならない。従業員の退職金、そして今回同行した乗組員の家族への手当、使用人たちの退職金などは、専用の積み立て口座に確保しているものの、突然の解雇となるため上乗せも考えなければならない。
商会の規模も大幅な縮小が必要だろう。

「商売は見極めが大切だ。たとえ一時身を切ったとしても、屋台骨が残っていれば立ち直ることができる」

父から叩き込まれた言葉を胸にエレノアは決意を固め、二人に向き直って告げたた。

「私はこれから商会へ向かい、これからの事を話し合ってきます。オーギュスト様は家令と共に子爵家の家内の采配とお母様をお願い致します。お母様、くれぐれもこの事は邸の外で話さないようにお願いしますね」

 エレノアは、オーギュストとファニーの手を取って力を込めた。二人もエレノアの手に手を重ねて頷いてくれた。

「みんなで力を合わせて乗り切りましょう。大丈夫です。お父様は必ず帰っていらっしゃいます」

エレノアは、自分にも言い聞かせるように二人に告げた。