聖女らしきものたちの暗躍

美しく修繕された中央礼拝堂の鐘楼から、突如大鐘の音が王都中に響き渡った。
このコルアイユ王国で生まれ育った人間なら、とりわけ王都の人間は老若男女知らぬものは無い聖女の伝承。

『単調に4度鳴らされる大鐘の音は、聖女が女神の下に召された事を知らしめる合図。
寄る辺ない無辜の乙女の清らかな祈りにのみ開かれる女神の扉。
その扉の向こうに召されたものは聖女と呼ばれこの世に戻ることはない』

言い伝え通り、大鐘が単調に4度鳴らされた。
驚いて立ち止まる王都民たちの間に、どこからともなく声が上がる。

「女神様の下に聖女が召された」

その言葉は小波の様に静かに、そして確実に王都の隅々まで伝播していった。

召された聖女は誰なのか。
中央礼拝堂の中に新しく建立された『嘆きの碑』と呼ばれる聖女像。
そこに突如一人の女性の名が刻まれた事を人々は目撃した。

エレノア

召された聖女の名は、あっという間に王都中の人々の知る所となった。



◇◇◇
花街に近い路地に、ぽってりした白いウサギを描いた看板を掲げただけの小さな店の扉を潜る少女をじっと見つめる男が立っている。
下町の通りにおよそ不釣り合いなきらびやかな衣装を纏ったその男は、今にも泣きだしそうな悲痛な表情で佇んでいる。
格好のカモを狙う幾つもの気配を視線で制しながらその男に声を掛けた。

「ここはお坊ちゃまの来るところじゃありませんよ」

振り返った男は、安堵した表情でこちらに駆け寄って来た。

「ネリー! 良かった!ずいぶん探したんだよ、やっぱりさっきあの店に入っていったのはエレノアなんだね」

「だったら何だっていうんだい、あんたには関係のない事だ」

侍女の頃には考えられないような口調で答えるわたしに驚愕しながらも男は言い募った。

「僕はエレノアが家を出たと聞いて心配で・・・」

「出たんじゃなくて追い出されたんだ、原因のあんたが偽善者ぶって、のこのこと一体何しに来たんだい」

「誤解だったんだ!あれはカミーユの見間違いだったと分かって、一言謝りたくて・・・」

「あんたが謝ったらあの方の生活が元通りになるのかい? 性悪なあんたの新しい婚約者が流した酷い噂がなくなるのかい? あの方を傷つけるだけ傷つけておいて何もしなかったくせに、事が大きくなったら今度は被害者面で謝りに来ただって? ふざけるのも好い加減におしよ」

静かに、だが相手を凍り付かせるような怒気を含んだネリーの声に、辺りの影に紛れて潜んでいた者たちが音もなく現れて周囲を取り囲んだ。

「よぅネリー、こいつがあの方の元婚約者のクズか?」

深くかぶったフードの奥から蔑んだ目で男を値踏みしていた仲間の一人が密やかに声を掛けた。

「あぁ、そうだよ
だけど今日は手ぇ出すんじゃないよ。こいつはクズの上にバカだ。何かあればあの方の名前を出すに決まってるから迷惑が掛かっちまう」

「ネリーがそういうなら仕方ないね」

他の一人がそう言うと、音もなく一斉に影に溶け込んだ。

「さっさと帰んな、迷惑だ」

取り囲まれている事に気付いて顔色を悪くしていた男に声を掛けて背を向けた。


店の裏手の細い通路に入った所で、気が立っていて集中が途切れた一瞬を付かれた。
目の端に捉えた陰に気付いたと同時にネリーは意識を失った。


意識が戻り、体を動かさずに微かに薄目を開けて周囲を警戒しながら状況を確認する。
ネリーと仲間の四人は豪奢な部屋の分厚い絨毯を敷き詰めた床に転がされていた。
目の前のソファに優雅に座った、びっくりするくらい綺麗な令嬢が書類を読んでいる。

ネリーたちが目を覚ましたことに気付くと笑顔を向けて書類を脇に置き、ソファから降りて床にぺたんと座った。
こんな仕草にも関わらず、流れるように美しい優雅さに思わず目を奪われた。

「お前たちは見所があるわ」

この国ではほとんど見る事のない、艶やかな黒髪と輝く黒曜石の瞳を持ったその令嬢は、そう言うと優しく優雅な手つきでそっとネリーの頬に手を添え、まっすぐに目を見つめて問うた。

「リーダーはお前ね、ネリー。統率も取れていて動きも申し分ないわ。
お前たちにエレノア嬢を守り抜く覚悟があるなら、必要な力と技を授けてあげる。
その代わりわたくしの耳目になりなさい。相応しい仲間として期待しているの」

ネリーは慈悲深く自分を見つめる、その煌めく黒曜石の瞳に挑むような視線を向けた。

「その言葉に二言は無いだろうね。もしも裏切ったら刺し違えてでもあんたを殺す」

その言葉に、目の前の麗しい人形のような令嬢は纏う空気をがらりと変えた。
すっと細めてこちらを見据える黒曜石の瞳は、まるで捕らえた獲物を飲み込む直前の蛇の様だ。
縛られているわけでもないというのに絡め捕られたように動けず、もう逃げる隙などどこにもないと本能が告げる。

「良い目だわ。ただし、お前に私は殺せない」

腕に違和感を覚えて視線を落とせば、そこに小さな蜘蛛が這っている。
体を強張らせて一緒に転がされている仲間に目配せした。
言われるまでも無いという風に、同じように動きを止めている仲間たちを満足そうに眺めると、令嬢は半分開いた扇子をひらりと一振りした。
散らばっていた蜘蛛たちが吸い寄せられるように扇子に集まり、一塊になった様子に愛おしそうな視線を向けながらその令嬢は事も無げに言い放った。

「愚か者は間引くつもりだったけど不要だったわね」

その言葉に、ネリーはぞくりと全身が粟立ち、思わず口角が上がった。
相応しい仲間、確かに最初にこの令嬢はそう言った。それは、もちろんネリーも含めてという事だ。

「それで、未来の王妃様はわたしたちに何をさせようって言うんですか」

上がったままの口角で令嬢を見据えて聞いた。
振り返った令嬢は、口元に上品な笑みを浮かべて言った。

「子爵令嬢の侍女だったとはいえ、孤児だったお前がわたくしを知っているとは上出来よ。ただ、一つ訂正しておくわ。わたくしは王妃にはならない」

そう言って立ち上がった令嬢は、キャビネットの上に畳んでおかれている修道女と修道士の衣服を扇子で指示した。

「今日からここがお前たちの拠点よ。衣食住は保証するわ」

ネリーたちが着替えたことを確認し、執務室の窓のカーテンが開かれた。
眼下に王都を一望する窓からの景色に五人は息を呑んだ。
一体ここは何処なのか。

考えられる場所は王宮に隣接する中央礼拝堂だ。

二十年前、王都を襲った大嵐の際、街の象徴であった鐘楼が落雷に見舞われ、大小合わせた鐘を鳴らす絡繰り装置が甚大な被害を受けた。
その大嵐が残した爪痕は深く、王都の復興が最優先だった事から、長らく鐘楼から鐘の音が響く事は無かったのだ。
更に、礼拝堂も老朽化が進んでおり、王都の象徴としての役割が難しくなって来ていた。

そんな中、昨年から大規模な補修と改修が始まり、一年の歳月を費やしてようやく足場が取り払われた所だった。

「お前たちは王都育ちだから、この礼拝堂に伝わる聖女の伝承は知っているでしょう?」

ネリーたちの後ろに立った令嬢にそう聞かれた。

「単調に4度鳴らされる大鐘の音は、聖女が女神の下に召された事を知らしめる合図。
寄る辺ない無辜の乙女の清らかな祈りにのみ開かれる女神の扉。
その扉の向こうに召されたものは聖女と呼ばれこの世に戻ることはない」

ネリーが呟くように答えた。
王都では子供でも諳んじる事が出来る中央礼拝堂の言い伝えだ。

「その聖女を、伝承ではなく現実にするのよ」

驚いて振り返る五人の視線を受け止め、その令嬢は言った。

「寄る辺ない無辜の乙女、エレノア・ノートン子爵令嬢。彼女の清らかな祈りにより、女神の扉は開かれる」

息を呑むネリーと仲間たちをまっすぐに見据えて続けた。

「わたくしは彼女を最初の聖女としてここへ迎えたいの」

令嬢の背後に、影のように音も無く六つの人影が現れて跪いた。

「そのために、これからお前たちにはわたくしの耳目となるべく訓練を受けてもらうわ。脱落は許されないと覚悟して」

そう言い残して、令嬢は部屋を後にした。

「あの方を救えるなら、私はどんな事だってやって見せる」