◇◇◇
鐘の音は嗤う。
お前たちは実に似合いの夫婦だと。
パーティー会場に押し込められて混乱する中、王太子らしく皆を落ち着せ、扉の前で命じても反応は無く一向に扉が開く気配はない。
不安そうなマノンを抱え、励ますようにこれから始まる二人の輝かしい未来を語っていた。
「国王が帰還して事情を話せば全て思い通りに収まる。アスランがルーファスに代わってリンデル侯爵として登録され、マノンが正式にリンデル侯爵令嬢になりさえすれば、王太子妃はローザリアでなくとも構わない。きっと父王も認めて下さる。少しのお叱りとしばらくの謹慎はあると思うが、一緒に乗り越えて欲しい」
腕の中で可愛らしく頷くマノンが愛しくてたまらない。気兼ねなく睦み合える日々を想像して幸せな時を過ごしていた。
それにしても、私をこのような場所に監禁するなど、ここを出たら叔父は反逆罪で追放してやるのだ。
そう思っていると、突然会場の扉が勢いよく開け放たれ、王太子の摂政権限剥奪の書状を掲げた宰相と共に叔父が王宮騎士と衛士を引き連れて雪崩れ込んで来た。
先頭の宰相が、議会は王太子の専横による摂政権限の剥奪と、臨時の摂政に王弟マークスを指名したと書状を掲げて宣言すると同時に叔父の声が響き渡った。
「王太子とアッシュベル嬢、そして夜会を開いた関係者全一人残らず捕縛しろ!」
無関係の者は我先にと入り口を目指し、関係者は奥に追い詰められる混乱の最中。
突如、礼拝堂の鐘の音が響き渡った。
単調に4度鳴らされるその鐘は、聖女が女神の元に召された合図だ。
その音を聞き、マークスは捕縛と連行を宰相に委ねて飛び出すように会場を後にした。
私たちは捕縛され、地下牢の入り口に皆が集められた。
側近たちは騎士たちに押さえつけられて下着まで衣服を剥がれ、囚人服に着替えさせられている。
「どういうことだ!貴族の収監は議会の承認が必要だと言ったのはお前ではないか。それに何故側近たちが囚人服など着せられているのだ」
宰相は私に冷たい顔を向けて言った。
「先ほどの議会承認の宣言を聞いておられたでしょう? 議会はブルーノ殿下の摂政権限を停止しました。同時に議会は王弟マークス殿下の摂政権限を承認すると共に、ブルーノ殿下の専横と横暴を止めるべく拘束し収監する権限も与えられております。それに…」
宰相は囚人服を無理やり着せられ、拘束している騎士たちに暴言を吐く側近たちを睥睨し、騒ぐ彼らに負けないほどの大声で続けた。
「彼らは平民です。婚約者である令嬢たちから、婚約者予算の横領と不貞の動かぬ証拠を揃えて婚約破棄を突きつけられたことを理由に、既に廃嫡され貴族籍からの除籍の届けもなされています。そのため各家から、家名が分かる物は下着であろうとも一切を回収して届けるようにと依頼されました。素裸で置いて置く訳にもいきませんし、どうせ着る事になるのですから、囚人服はせめてもの恩情です」
騒ぎを止め、驚愕に目を見開く側近たちを一瞥した宰相は騎士たちに指示を出した。
「彼らのリンデル侯爵令嬢に対する不敬の数々は既に証拠が提出されてる。処分が言い渡されるまで平民牢に収監するように」
騒ぐ者、消沈する者、それぞれの反応を見せる側近たちは、靴まで取り上げられて裸足のまま平民牢に連行されて行った。
貴族の、しかも侯爵令嬢への不敬は平民として裁かれるならかなり厳しい物になる。
ブルーノは、自分とマノンに縋るような視線を向ける彼らの目を見る事が出来なかった。
側近たちから回収した衣服や装飾品を、宰相の秘書官たちが纏めてそれぞれの貴族家へ送るように指示を出している。
貴族にとって、家紋を施し家に伝わる伝統色で意匠を凝らした服飾品を身に付けるのは、その家の誇りを纏う事と同義だ。
貴族籍を剥奪され、その誇りも全て剥ぎ取られて連行されている側近たちの後姿に、今更ながら自身の立場に思い至った。
『リンデル侯爵家とセントルー侯爵家とその一門と派閥は国内貴族の最大勢力だ。加えてロベール女子爵の絶大な資金力の後ろ盾のあるローザリアとの婚姻は、本位でなくとも国王になる為にはどうしても必要なのだ。愛する者がいるなら側妃か愛妾にすればいい』
そう言った国王の言葉を思い出して身震いした。
ローザリアを娶った者は貴族の最大派閥の支持と莫大な資金を手中にする。
六歳下の第三王子ヘンリーはローザリアとは四歳しか違わない。
婚約破棄となったローザリアをヘンリーに奪われてしまったら、私は王位を奪われてしまうかもしれない。
今すぐローザリアを地下牢から出さなくては!
そして婚約破棄を撤回して、ローザリアに婚約の継続を認めさせなければ取り返しがつかなくなってしまう。
(急がなければ!)
血相を変えた私が騎士の拘束を振り切ろうと身をよじり、ローザリアの名前を叫んだ時だった。
一歩一歩地面を踏みしめるような足音が聞こえ、明け染めの光を背にした叔父に向けられた顔は、まるで憎悪に歪んだ悪鬼のようだった。
その顔に一瞬怯んだものの、命令は間違いだった、今すぐローザリアを地下牢から出さなければと言い募る私と、それを咎めるように騒ぐマノンを見据えたまま叔父は騎士たちに命じた。
「その喧しい屑どもの口を塞げ」
今まで聞いた事のないぞんざいで冷たく低い声だった。
いつも穏やかで口調も優しく、何があってもきちんと向き合い、決してぞんざいな態度をとる様な人物ではなかった叔父の豹変に私はたじろいだ。
私とマノンは乱暴に猿轡をかまされて騎士に両腕を強く捕まれ、冷たく震え上がる程の怒気を纏った、まるで今までとは別人のような叔父を先頭に地下牢に連行されると、そこにはローザリアの双子の弟ルーファスが立ち尽くしていた。
突き飛ばされるように牢の中に放り込まれ、私とマノンは床に溜まった悪臭を放つ水の中に倒れ込んで衣服を濡らした。目の前に転がっているふやけたパンの欠片に集る鼠たちを目にしたマノンが、くぐもった悲鳴を上げている。
そんな惨状の私たちに一瞥もくれず、ルーファスに頭を下げる叔父の言葉から、ローザリアが女神に召され、聖女に列せられたことを知ったのだ。
(私はただ、マノンを愛してしまっただけ、側に置きたくて少し優先しただけ。
たったそれだけのことなのに、目くじらを立ててあんな反抗的な態度を取ったローザリアに全ての非がある。この騒ぎを引き起こしたのはローザリアだ。私はその罰に地下牢に収監するように言っただけだ。
それに、すぐに出して婚約破棄も撤回するつもりだったのに)
それが、よりにもよってこの状況でこの世を去るなど。
(これではまるで私のせいのようではないか)
全身から血の気が引いていき、猿轡を外した唇が戦慄く。
「そんな… 私は国王になれないのか…」
呟いた言葉にその場の全員から一斉に刺すような視線が向けられた。
目の前の二人からは滾る様な憎悪を向けられた。
◇◇◇
劣悪な地下牢で、群がる鼠と格闘しながら夜も眠れない数日を過ごし、やっと出されて連れて行かれた謁見の場で、父王から廃太子となった事と王位継承権と王籍の剥奪を言い渡され、アッシュベル伯爵に叙すとの宣下があった。
その場で婚姻所にサインをしたマノンと共にそのまま王宮を出された。
マノンとの不貞行為の慰謝料として持参金をすべて手放した。
リンデル侯爵家簒奪の共犯者として動かぬ証拠を突きつけられて有罪になり、賠償金の支払い命令により個人資産とアッシュベル邸として登録していた個人所有の邸も手放す事になった。
今ではその邸の離れを借り受けてひっそりと暮らしている。
王宮の夜会や舞踏会は出席義務がある為マノンをエスコートしていくが、誰からも遠巻きにされて話しかけて来るものは誰も居ない。
マノンは入場すると早々に愛人と共に会場から姿を消してしまう。
一人会場に残された私に、あちこちから聞こえてくる囁き声と侮蔑を含んだ冷たい視線が容赦なく突き刺さる。
あの日、会場に響いた鐘の音が、未だに私の脳裏に焼き付いて離れない。
寄る辺ない無辜の乙女の清らかな祈りにのみ開かれる女神の扉。
その扉の向こうに召されたものは聖女と呼ばれこの世に戻ることはない。
召されたローザリアの聖女たる理由を私は誰よりも知っていた。
マノンを傍に置きたい。
ただそれだけの為に、それを正当化するために全て自分たちが企てた冤罪と醜聞だった。
場所を考えず、欲情のまま口にした言葉が、行動が、後にどれ程悔やむことになるか、あの時のブルーノは知る由もなかった。
何故、あれ程躍起になって王太子妃にしようとしたのだろう。
驕りだったのか、くだらない矜持だったのか。
今となってはもうどうする事も出来ない。
今日も又、離れの一室で派手な衣装と化粧で着飾った妻を、何も気づかないふりをして愛人たちの元に送り出す。
彼らからの援助がなければ、私は生きて行く事すら出来ないのだから。
マノンを見送り、用意された紅茶に添えられた、バラを付け込んだはちみつを垂らしてかき混ぜる。カップから上げた銀のスプーンが明らかに変色しているのはいつもの事だ。
湯気と共に広がるバラの香りを楽しみながら、高級な茶葉をゆっくりと味わう。
何度毒にもがき苦しんでも、何度刺客に襲われて重傷を負っても、私は必ず死の淵から生還する。
初めて毒を盛られたのは結婚後間もなくのことだった。
全身が焼き尽くされるような苦しみに藻掻く私を、愛人と寄り添って見下ろしていたマノンの顔は生涯忘れる事は無いだろう。
生死の境を彷徨った末に漸く生還した日、私は初めて中央礼拝堂の扉を潜った。
嘆きの碑と呼ばれる聖女像に刻まれたローザリアの名を目にして、縋るような思いで跪いた時だった。
不意に耳元に聞こえた嘲笑う声が頭の中に木霊した。
『あなたの選んだ人生よ。どうぞ末永く楽しんで』
鐘の音は嗤う。
お前たちは実に似合いの夫婦だと。
パーティー会場に押し込められて混乱する中、王太子らしく皆を落ち着せ、扉の前で命じても反応は無く一向に扉が開く気配はない。
不安そうなマノンを抱え、励ますようにこれから始まる二人の輝かしい未来を語っていた。
「国王が帰還して事情を話せば全て思い通りに収まる。アスランがルーファスに代わってリンデル侯爵として登録され、マノンが正式にリンデル侯爵令嬢になりさえすれば、王太子妃はローザリアでなくとも構わない。きっと父王も認めて下さる。少しのお叱りとしばらくの謹慎はあると思うが、一緒に乗り越えて欲しい」
腕の中で可愛らしく頷くマノンが愛しくてたまらない。気兼ねなく睦み合える日々を想像して幸せな時を過ごしていた。
それにしても、私をこのような場所に監禁するなど、ここを出たら叔父は反逆罪で追放してやるのだ。
そう思っていると、突然会場の扉が勢いよく開け放たれ、王太子の摂政権限剥奪の書状を掲げた宰相と共に叔父が王宮騎士と衛士を引き連れて雪崩れ込んで来た。
先頭の宰相が、議会は王太子の専横による摂政権限の剥奪と、臨時の摂政に王弟マークスを指名したと書状を掲げて宣言すると同時に叔父の声が響き渡った。
「王太子とアッシュベル嬢、そして夜会を開いた関係者全一人残らず捕縛しろ!」
無関係の者は我先にと入り口を目指し、関係者は奥に追い詰められる混乱の最中。
突如、礼拝堂の鐘の音が響き渡った。
単調に4度鳴らされるその鐘は、聖女が女神の元に召された合図だ。
その音を聞き、マークスは捕縛と連行を宰相に委ねて飛び出すように会場を後にした。
私たちは捕縛され、地下牢の入り口に皆が集められた。
側近たちは騎士たちに押さえつけられて下着まで衣服を剥がれ、囚人服に着替えさせられている。
「どういうことだ!貴族の収監は議会の承認が必要だと言ったのはお前ではないか。それに何故側近たちが囚人服など着せられているのだ」
宰相は私に冷たい顔を向けて言った。
「先ほどの議会承認の宣言を聞いておられたでしょう? 議会はブルーノ殿下の摂政権限を停止しました。同時に議会は王弟マークス殿下の摂政権限を承認すると共に、ブルーノ殿下の専横と横暴を止めるべく拘束し収監する権限も与えられております。それに…」
宰相は囚人服を無理やり着せられ、拘束している騎士たちに暴言を吐く側近たちを睥睨し、騒ぐ彼らに負けないほどの大声で続けた。
「彼らは平民です。婚約者である令嬢たちから、婚約者予算の横領と不貞の動かぬ証拠を揃えて婚約破棄を突きつけられたことを理由に、既に廃嫡され貴族籍からの除籍の届けもなされています。そのため各家から、家名が分かる物は下着であろうとも一切を回収して届けるようにと依頼されました。素裸で置いて置く訳にもいきませんし、どうせ着る事になるのですから、囚人服はせめてもの恩情です」
騒ぎを止め、驚愕に目を見開く側近たちを一瞥した宰相は騎士たちに指示を出した。
「彼らのリンデル侯爵令嬢に対する不敬の数々は既に証拠が提出されてる。処分が言い渡されるまで平民牢に収監するように」
騒ぐ者、消沈する者、それぞれの反応を見せる側近たちは、靴まで取り上げられて裸足のまま平民牢に連行されて行った。
貴族の、しかも侯爵令嬢への不敬は平民として裁かれるならかなり厳しい物になる。
ブルーノは、自分とマノンに縋るような視線を向ける彼らの目を見る事が出来なかった。
側近たちから回収した衣服や装飾品を、宰相の秘書官たちが纏めてそれぞれの貴族家へ送るように指示を出している。
貴族にとって、家紋を施し家に伝わる伝統色で意匠を凝らした服飾品を身に付けるのは、その家の誇りを纏う事と同義だ。
貴族籍を剥奪され、その誇りも全て剥ぎ取られて連行されている側近たちの後姿に、今更ながら自身の立場に思い至った。
『リンデル侯爵家とセントルー侯爵家とその一門と派閥は国内貴族の最大勢力だ。加えてロベール女子爵の絶大な資金力の後ろ盾のあるローザリアとの婚姻は、本位でなくとも国王になる為にはどうしても必要なのだ。愛する者がいるなら側妃か愛妾にすればいい』
そう言った国王の言葉を思い出して身震いした。
ローザリアを娶った者は貴族の最大派閥の支持と莫大な資金を手中にする。
六歳下の第三王子ヘンリーはローザリアとは四歳しか違わない。
婚約破棄となったローザリアをヘンリーに奪われてしまったら、私は王位を奪われてしまうかもしれない。
今すぐローザリアを地下牢から出さなくては!
そして婚約破棄を撤回して、ローザリアに婚約の継続を認めさせなければ取り返しがつかなくなってしまう。
(急がなければ!)
血相を変えた私が騎士の拘束を振り切ろうと身をよじり、ローザリアの名前を叫んだ時だった。
一歩一歩地面を踏みしめるような足音が聞こえ、明け染めの光を背にした叔父に向けられた顔は、まるで憎悪に歪んだ悪鬼のようだった。
その顔に一瞬怯んだものの、命令は間違いだった、今すぐローザリアを地下牢から出さなければと言い募る私と、それを咎めるように騒ぐマノンを見据えたまま叔父は騎士たちに命じた。
「その喧しい屑どもの口を塞げ」
今まで聞いた事のないぞんざいで冷たく低い声だった。
いつも穏やかで口調も優しく、何があってもきちんと向き合い、決してぞんざいな態度をとる様な人物ではなかった叔父の豹変に私はたじろいだ。
私とマノンは乱暴に猿轡をかまされて騎士に両腕を強く捕まれ、冷たく震え上がる程の怒気を纏った、まるで今までとは別人のような叔父を先頭に地下牢に連行されると、そこにはローザリアの双子の弟ルーファスが立ち尽くしていた。
突き飛ばされるように牢の中に放り込まれ、私とマノンは床に溜まった悪臭を放つ水の中に倒れ込んで衣服を濡らした。目の前に転がっているふやけたパンの欠片に集る鼠たちを目にしたマノンが、くぐもった悲鳴を上げている。
そんな惨状の私たちに一瞥もくれず、ルーファスに頭を下げる叔父の言葉から、ローザリアが女神に召され、聖女に列せられたことを知ったのだ。
(私はただ、マノンを愛してしまっただけ、側に置きたくて少し優先しただけ。
たったそれだけのことなのに、目くじらを立ててあんな反抗的な態度を取ったローザリアに全ての非がある。この騒ぎを引き起こしたのはローザリアだ。私はその罰に地下牢に収監するように言っただけだ。
それに、すぐに出して婚約破棄も撤回するつもりだったのに)
それが、よりにもよってこの状況でこの世を去るなど。
(これではまるで私のせいのようではないか)
全身から血の気が引いていき、猿轡を外した唇が戦慄く。
「そんな… 私は国王になれないのか…」
呟いた言葉にその場の全員から一斉に刺すような視線が向けられた。
目の前の二人からは滾る様な憎悪を向けられた。
◇◇◇
劣悪な地下牢で、群がる鼠と格闘しながら夜も眠れない数日を過ごし、やっと出されて連れて行かれた謁見の場で、父王から廃太子となった事と王位継承権と王籍の剥奪を言い渡され、アッシュベル伯爵に叙すとの宣下があった。
その場で婚姻所にサインをしたマノンと共にそのまま王宮を出された。
マノンとの不貞行為の慰謝料として持参金をすべて手放した。
リンデル侯爵家簒奪の共犯者として動かぬ証拠を突きつけられて有罪になり、賠償金の支払い命令により個人資産とアッシュベル邸として登録していた個人所有の邸も手放す事になった。
今ではその邸の離れを借り受けてひっそりと暮らしている。
王宮の夜会や舞踏会は出席義務がある為マノンをエスコートしていくが、誰からも遠巻きにされて話しかけて来るものは誰も居ない。
マノンは入場すると早々に愛人と共に会場から姿を消してしまう。
一人会場に残された私に、あちこちから聞こえてくる囁き声と侮蔑を含んだ冷たい視線が容赦なく突き刺さる。
あの日、会場に響いた鐘の音が、未だに私の脳裏に焼き付いて離れない。
寄る辺ない無辜の乙女の清らかな祈りにのみ開かれる女神の扉。
その扉の向こうに召されたものは聖女と呼ばれこの世に戻ることはない。
召されたローザリアの聖女たる理由を私は誰よりも知っていた。
マノンを傍に置きたい。
ただそれだけの為に、それを正当化するために全て自分たちが企てた冤罪と醜聞だった。
場所を考えず、欲情のまま口にした言葉が、行動が、後にどれ程悔やむことになるか、あの時のブルーノは知る由もなかった。
何故、あれ程躍起になって王太子妃にしようとしたのだろう。
驕りだったのか、くだらない矜持だったのか。
今となってはもうどうする事も出来ない。
今日も又、離れの一室で派手な衣装と化粧で着飾った妻を、何も気づかないふりをして愛人たちの元に送り出す。
彼らからの援助がなければ、私は生きて行く事すら出来ないのだから。
マノンを見送り、用意された紅茶に添えられた、バラを付け込んだはちみつを垂らしてかき混ぜる。カップから上げた銀のスプーンが明らかに変色しているのはいつもの事だ。
湯気と共に広がるバラの香りを楽しみながら、高級な茶葉をゆっくりと味わう。
何度毒にもがき苦しんでも、何度刺客に襲われて重傷を負っても、私は必ず死の淵から生還する。
初めて毒を盛られたのは結婚後間もなくのことだった。
全身が焼き尽くされるような苦しみに藻掻く私を、愛人と寄り添って見下ろしていたマノンの顔は生涯忘れる事は無いだろう。
生死の境を彷徨った末に漸く生還した日、私は初めて中央礼拝堂の扉を潜った。
嘆きの碑と呼ばれる聖女像に刻まれたローザリアの名を目にして、縋るような思いで跪いた時だった。
不意に耳元に聞こえた嘲笑う声が頭の中に木霊した。
『あなたの選んだ人生よ。どうぞ末永く楽しんで』



