聖女らしきものたちの暗躍

視察先で伝令から知らせを受け、急ぎ戻って王太子はじめ冤罪に関わった者の処分が終わったのを見計らったように、窓辺にやって来た小鳥が美しい声で囀る。
私は隣室で手ずから茶菓を二人分用意し、盆を捧げて羽目板を模した隠し扉を潜って隠し部屋へ向かう。

「前回は王家のために三文芝居にも劣る美談を作り上げたと言いうのに性懲りもなく二代続けてこの為体とは」

部屋へ入るなり、銀髪をきっちりと纏め上げた厳格そうな老貴婦人に侮蔑を隠さない声で告げられた。
返す言葉も無い。
そのせいで、彼女は王家に殺されたのだ。

「ブルーノは教育方法を見直して、年の近い末弟のマークスを目付役にしていたにも関わらずこのような結果となってしまった。第三王子のヘンリーは今度こそ慎重に教育する。
もちろん、補佐も共に教育する。
生まれたばかりの第四王子のコーネリアスの母は名門のソレント侯爵家の令嬢だ。しかも隣国の名門侯爵家の血を引いてもいる。彼らに補佐をさせれば今度こそ大丈夫だ。

しかし、ブルーノとマノン嬢にアッシュベル伯爵位を継がせるために尽力してくれたことを感謝する。愚息とは言え第一王子のエドワードを失った時は辛かったのだ」

流れるような完璧な所作で茶を喫し音もなくカップを置くと片方だけの眉と口角を微かに上げて返された。

「あぁ、ソレント侯爵家と言えば、お隣のホーエン王国の破産した侯爵家のお血筋でしたわね。姦計で身を滅ぼした前当主の直系でない事は不幸中の幸いかと。そうそう、一つ釘をさしておく事がありましてよ。マノン夫人が孫だという妄想はもうお捨て下さい」

婚姻前の王族は毎日強力な避妊薬を服用する事が慣例となっている。男女限らず本人の意思に反して行為に及ばれて子が生まれる事を避けるためだ。

過去にブルーノの異母兄であるエドワードとリリア夫人が二人の意思で関係を持った事実があった。
程なく妊娠が分かったリリア夫人の腹の子は時期や状況から見てもエドワードの子ではないと宮廷医師は断言したが、エドワードの忘れ形見である希望を捨てたくなかったのだ。

だから、アッシュベル伯爵から修道院に送られる直前にリリア夫人と腹の子を実子として迎え入れたいとの申し出に許可を出した。

成長して王宮に現れたマノン嬢の瞳の色に、亡き最愛の女性から受け継いだエドワードの空色の瞳に似た色を見出した私は狂喜した。
最愛の二人と似た色の瞳を持つ、妄想の中の孫と重なる娘を私は手放せなくなってしまったのだ。ブルーノとマノン嬢が寄り添う微笑ましい姿を守りたいと思った。

ブルーノには、二人の幸せの為にはローザリア嬢との婚姻は不本意であろうとも不可欠だと言い含めておいたはずだったのに。
複雑な気分で彼女の話の続きを聞く。

「先代のアッシュベル伯爵がリリア夫人を娶る為に肩代わりした負債と今回の二人の不貞行為による慰謝料と賠償金を支払うためにブルーノ様の持参金を全て手放したそうですわね」

その事なら心配ない。
持参金とは別にブルーノの個人資産として伯爵家を維持するに十分な支度をさせている。

「更にリンデル侯爵家の簒奪と資産を横領したと訴えられた裁判で、アスラン元侯爵代理とリリア夫人とマノン嬢、加えてアスランに加担していた動かぬ証拠が出て来たため、ブルーノ様にも賠償金を支払うよう判決が出たそうですよ。
その為にアッシュベル伯爵となったブルーノ様の個人資産や王都の邸宅も抵当に入っていて離れを間借りしている状態だとか。
残ったブルーノ様の個人資産だけの収入では離れの賃料を払えば最低限の使用人を雇って食べるのがやっとという所でしょう。そんな状態でも伯爵家以上であれば王宮の式典や王家主催の夜会の出席辞退は認められない。いやでも注目を集める上に公の場に出てくる体裁も整えられず見窄らしく落ちぶれ、その様を嘲笑われ後ろ指を指され続ける。これから先は針の筵に耐える人生でしょうね」

ブルーノを守る為に決めたマノン嬢との結婚と伯爵位継承が王命である以上、離婚も許されず爵位の返上も許されない。
少し顔色を悪くした私に、彼女は更に畳みかける。

「それに、大規模な災害に見舞われて絶望視されていたリンデル侯爵家とセントルー侯爵家は見事に復興を果たして以前にも増す勢力で社交界に返り咲きましたでしょう?
それに、セントルー新侯爵夫人のロクサーヌ様はめでたくご懐妊とか。
両家に連なる貴族家は若く力強い当主たちを得て更に結びつきを強くしたと聞いています。
その当主たちの大切な姪であり双子の姉、更にあの状況下でも気丈に身を挺して各家門と令息令嬢たちを守り抜いたローザリア嬢を、虐げた挙句に奪ったアッシュベル伯爵夫妻を、両侯爵家はもとより各家門の貴族たちが黙って放っておくとは思えませんわ」

その言葉に憤りを感じ、言葉を返した。

「そこまで追い詰めなくとも廃太子となって既に罰は受けている。王太子であったブルーノに手を差し伸べ支える者はいる」

彼女はあごに指を当て、確かに情で動く人物も居ないとは限りませんわね、と続けた。

「しかし、元側近たちの家門の支持は望めませんわよ?大切に育てた跡取りたちを失う原因になったアッシュベル夫妻を相当憎んでいると漏れ聞きますもの。
それに、ロベール商会の商会長のロベール女子爵が、ルーファス・リンデル新侯爵とローザリア嬢の生母でありセントルー新侯爵の実妹であるキャサリン様である事はもちろんご存知でしょう。この度の両侯爵家の復興に巨額の資金を投じて尽力した功績で近く女伯爵に陞爵されるとか。近隣のエーヴェル王国やホーエン王国、その先のオルレシアン王国にまで支部を持ち、鉄道事業を通して今やこのコルアイユ王国の流通の大半を握るロベール女伯爵を敵に回してまで支援する価値を、アッシュベル伯爵夫妻に見出してくれる方が、本当にいらっしゃるかしら?」

あぁ、そういえばマノン・アッシュベル伯爵夫人はとても魅力的な手管をお持ちでしたわねと独り言ちた。

「ブルーノ・アッシュベル伯爵は (()()()()) の意味をご存知かしら・・・」

目を細め、扇子で隠した口元が明らかに弧を描いている。
握りしめた拳に爪が食い込み、血が滲むのが分かる。我が息子にそのような屈辱を受けさせるくらいならいっそこの手で・・・

「いくら王家の影を差し向けても無駄ですよ。わたくしの配下が必ず阻止します。
当然、哀れなアッシュベル前伯爵のように (()()()()()()) にも、愛されていると信じていた妻の手に掛かった事にも気づかないまま、愚かしくも幸せの内に逝かせたりはしないわ」

いつの間にか立ち上がっていた彼女が私をこれ以上ない程冷たい目で見下ろしていた。

「この親にしてこの子ありとはまさにあなた方親子の事ですわね。
血は争えぬとは本当によく言ったもの。
自分たちの不始末で犠牲になった人間を悼む事すら出来ない人でなし。
貴方の息子は生涯それに相応しい屈辱を味わい続け、愛し愛されたと信じていた者の裏切りを知って絶望に叩きのめされる。
そして息子の助命を願った貴方には、彼の恥辱にまみれた人生を特等席でご覧に入れますわ」

驚愕のあまり彼女を見上げたまま言葉が出ない。

「国王陛下のご長寿を心よりお祈り申し上げます」

この上なく優雅なカーテシーを披露し、そう言い残した彼女は、老婦人らしからぬ背を向け、隠し通路を潜って姿を消した。

彼女を見送り、ため息を吐きながら隠し部屋を出た。
羽目板を元に戻し、執務室に足を向けた時だった。

目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。

あっと思う間もなく、体を支える事が出来なくなった私はそのまま床に倒れ込んだ。






◇◇◇
あの日から三年、今日も中央礼拝堂のシスター長がクローバーの花束を手に私室を訪れた。
枕辺で静かに祈祷書を開き、慈悲深い穏やかな顔を向けられる。

目も見え、耳も聞こえ、意識も感情もはっきりしている私に、今出来る事はまばたきだけ。

周囲は、定期的に見舞いに訪れ、その度に祈祷書を読み聞かせてくれる慈悲深い修道院長と、目を閉じてその言葉に耳を傾ける敬虔な一人の男を、温かい目で見守っている。

しかし、修道院長に扮したその女性が周囲には聞こえない小声で語るのは、アッシュベル伯爵となったブルーノとマノン夫人の現状報告と、敵視し続けていた弟のマークス新国王の輝かしい治世だ。
目を閉じているのは、弟に対する激しい嫉妬と、息子夫婦の醜聞と凋落と置かれた惨状を聞きたくないという今出来る唯一の拒否の姿勢だ。しかし、耳を塞ぐことも声を出す事すら出来ない私は、今日も彼女が紡ぐ残酷な物語をただ聞かされる。

長く残酷な報告の後、彼女はこの上なく優雅なカーテシーを披露し、同じ言葉を残して部屋を後にする。

「元国王陛下のご長寿を心よりお祈り申し上げます」