聖女らしきものたちの暗躍

◇◇◇
忌々しい鐘の音。
忌々しい元妻の娘と息子。
忌々しい両親がやっとこの世を去ったというのに、なぜ思い通りにならない。


後妻に迎えたリリアはレネ男爵令嬢だった学園時代、その美貌と魅力で当時の王太子エドワード殿下を始め多くの高位貴族令息たちの愛と憧れを一身に集めてしまった結果、彼らの婚約者たちの醜い嫉妬により少なくない数の婚約破棄を招いてしまった。

リリアに真実の愛を捧げた男の一人であったアッシュベル伯爵は、早くに妻を亡くして以来独身であり、男爵家には背負いきれない高位貴族同士の婚約破棄の慰謝料と損害金の支払いを一手に引き受け、修道院送りになる寸前だった罪のないリリアを救ったのだった。

当時、私は既にキャサリン・セントルー侯爵令嬢と婚約関係にあったが、真の愛はリリアだけに捧げていた。
崇高な愛で身も心も結ばれていた私とリリアに、婚約者を蔑ろにするなとか、婚約者の居る男性に近づくな等と、愛されてもいない立場を弁えもせず醜い嫉妬を向けたキャサリンを妻にするなど耐え難く、他の令息たちと同様に私も婚約の破棄を宣言したかった。
しかし、高位貴族として体面を重んじる事に加え、隣り合う領地の協力関係を何としても維持したい両侯爵家当主の決定により婚約を継続する事が決められてしまった。

婚約継続の話し合いの際、キャサリンは後継となる子を生んだ後は速やかに離縁することと、慰謝料の代わりにリンデル家の持つ温泉地一帯を有する領地の一部の権利を要求し、加えて離婚後はキャサリンの祖母から受け継ぐ予定のロベール子爵位を自ら継承すると同時に両家から籍を抜き、以降両家と一切の関りを絶つことを結婚の条件とした。

両家の両親は嫉妬からくる初心な令嬢にありがちな頑なさと捉え、夫婦となり共に過ごせば頭も冷えてやがて子が生まれれば情が生まれて離縁には至らないと考えて、よくあるマリッジブルーを宥める程度の軽い気持ちで同意したのだった。

私は、浅ましくも私との子を望むキャサリンが心の底から汚らわしく、初夜の寝室で
『私の妻の座に執着する浅ましいお前など子を産む道具に過ぎん!
たとえお前にこの体を汚されようとも、私の真の愛はリリアにのみ注がれている!』
と高らかに宣言した。真実の愛を貫くために必要なことだったのだ。

新郎新婦を新床に送り出し、披露宴後の招待客の見送りも終えて帰路につこうとしていた両家は伝え聞いた内容に頭を抱えたが、そんな状況下でも一切の動揺を見せなかったキャサリンの態度に一縷の望みを掛け、両家の両親は私を諫め、キャサリンには心を砕いて下にも置かぬ扱いを徹底した。
そうして一年後、男女の双子ローザリアとルーファスを産み落としたその日に、完璧に整えた領地と爵位に関する契約書類と婚姻式の時に同時に作成した離縁状と絶縁状の受理の控えを残して、キャサリンは子供たちの誕生で喜びに沸くリンデル侯爵家から姿を消した。

両家の両親は本当にいなくなるなどと思っていなかった。
しかも出産してたった数時間後のことだった。
一か月が過ぎた頃、両家が手を尽くして探し当てた時には既に隣国の永住権を得ており、手に入れた温泉地を観光名所として様々な事業を展開する商会長として成功していた。
そして隣国から王都まで敷設された新しい鉄道事業の出資者の代表として、莫大な資産を手にしていたのだ。

結婚後の一年間に代理を立てて商会を立ち上げ、兄のクラウス小侯爵と、親友であり兄の下に嫁いだロクサーヌ夫人と協力して準備を整えていたのだと聞かされて、皆が安堵したものの、会いに行こうとすると、どちらの国にも絶縁状が正式に提出されていたため、両国の騎士団から厳重に接近禁止を言い渡されてしまったらしい。

両家の両親の怒りは私に向かい、次のリンデル侯爵には生まれて間もない息子のルーファスが指名された。
納得のいかない私は必死に両親に食い下がった。
両家の無理強いを受け入れ、耐え難い屈辱を堪えて義務を果たしたのだと訴えた。

私がリンデル侯爵になれなければアッシュベル伯爵からリリアを奪い返すことが出来ない。
リリアから私の娘であると涙ながらに告白されて、面会を果たした愛娘のマノンと三人で暮らす幸せを諦めることなど到底出来ない。
爵位を継ぐまでの辛抱だと思えば仕方がない、それまでキャサリンが妻と名乗ることを許してやる。
その思いを隠し、両侯爵家の権限を行使してキャサリンを連れ戻せばいいと言い募る私に父母は侯爵家当主夫妻の威厳を持って冷たく言い放ったのだった。

「お前などただの種馬に過ぎん。
両家の無理強いを受け入れ、耐え難い屈辱を堪えて立派に義務を果たしたのはキャサリンの方だ」

「婚姻後にもあの女への執着が続くあなたがリンデル侯爵を継げば、いずれ必ずあの毒婦を侯爵家へ引き入れて、正妻のキャサリンと正当な後継ぎを蔑ろにするどころか害しかねないわ。
わたくし達は由緒ある我がリンデル侯爵家の名を汚し没落へ導くような人間を後継に指名するほど愚かではありませんよ」

廃嫡された私は、万が一ルーファスが成人するまでに両家の両親が亡くなった場合、当主代理とする為にかろうじて貴族籍は残された。
例え侯爵代理となった場合も、キャサリンの兄クラウス小侯爵が後見人として指名されているため身動きは取れない。そしてルーファスが成人してリンデル侯爵となったと同時に平民として放逐されることが決まっている。
子どもたちは隣り合う領地で両家によって手厚く養育され、私は王都の平民街にあるアパートメントの一室を与えられ、一人静かに暮らしていた。

そんなある日、双方の領地に跨る山で大規模な地崩れが起きたと号外で知った。
それを追いかけるように、対応に当たっていた両家の当主が巻き込まれて亡くなり、キャサリンの兄クラウス小侯爵も生死を彷徨う重篤な状態になったと知らせが届いたのだ。

その日のうちに使者が部屋を訪れ、私はリンデル侯爵家の当主代理として侯爵邸に迎えられることになった。
ルーファスの成人まであと一年。
それだけあれば両家の領地の混乱に乗じて当主の座を取り戻せるかもしれない。取り戻せなくともルーファスの成人後に届け出さえ出さなければ侯爵代理の権限を持ち続けられる。このままクラウス小侯爵が亡くなってくれればセントルー侯爵家の権限も手に入れられるかもしれない。まさに天の采配だと密かにほくそ笑んだのだ。

侯爵邸へ移って間もなく、幸運の女神はまたもや私に微笑んだ。
リリアの夫、アッシュベル伯爵が亡くなったのだ。
正に天啓だと、あふれる喜びを沈痛な顔に隠し、葬儀が終った数日後に傷心のリリア・アッシュベル伯爵夫人を見舞った。
アッシュベル邸に到着すると門を開ける守衛さえおらず、驚くほど少ない使用人に違和感を覚えて出迎えた家令に事情を聞くと、タウンハウスは既に人手に渡って立ち退きを求められており、当主の葬儀の費用さえも払えない逼迫した状況だという。

私は、家令にまとまった金を渡して葬儀費用の支払いと後の処理を任せ、泣き崩れるリリアに未払いの給金を求める使用人たちに金を渡して追い払った。
そしてもう心配はいらないとリリアを優しく慰めながらマノンと共にリンデル侯爵邸へ伴ったのだ。

二人を連れて到着したリンデル侯爵邸で使用人たちを集め、喪が明ければ籍を入れると宣言し、本日からリリアを侯爵夫人、マノンを侯爵令嬢として仕えるよう言い渡した。
しかし、侍女長はアスラン様の客人として対応しますなどと口答えをしたのだ。
それを聞いたリリアが、生意気な使用人には躾が必要だと、侍女長を手にした扇子が折れる程に何度も強かに打ち据え、ここで床に頭を付けて謝罪しなければ解雇すると言い渡したが、侍女長はそれを拒んだ。
侍女長はかつて私の乳母だった。

すぐに謝罪して許しを請えばリリアを宥めて傷の手当てもさせようと思っていたのに、何も言わずにその場を立ち去った。
次の朝、姿を見かけず気になって執事に聞けば、あの後すぐに邸を出て行ったという。
紹介状もなく出て行けば路頭に迷うのだ、暫く頭を冷やせば戻って来る。

それからも、リリアとマノンは気に入らない使用人を次々と解雇して行き、ついに今日、最後まで残っていた執事長を、私の許可なく金庫を開けられないと言ったことを理由に私の目の前で打ち据えた。
執事長は幼い頃の私の教育係だった。

「アスラン様のご指示をお聞かせください」

口の端に血を滲ませた執事長にそう問われた私は、女主人であるリリアの言うとおりにするよう伝えた。
執事長から無言で鍵の束を渡されたリリアは、嬉々として金庫を開けると不満の声を漏らした。

「お金の金庫はどこなの? 次の夜会のドレスと首飾りを買わなくちゃいけないのよ」

その声に驚いて金庫を覗くと、そこに積み上げられていたはずの金貨がもう数十枚程しか残っていない。底を付きかけた金貨の他には書類の束しか入っていなかった。
それらは引っ越して来た時に確認したまま変わりがない。邸や領地の権利書や爵位継承に関する重要書類だ。
その奥にお金がないかと、リリアが引っ張り出した書類を手に取り、何気なく広げて見て驚愕した。
この邸は既に人手に渡っている。
家主はキャサリン・ロベール女子爵であり、一年間の邸の借主はアスラン・リンデル侯爵代理になっている。
更にそこには、邸を売却した金額から一年間の家賃を差し引いた額が金庫に収められていると記載されていた。

そして、まさかと思い、侯爵家の印章で封がなされた爵位継承に関する重要書類が入った箱を手に取った。封を切り箱を開けて中を検めて見ると、それらは全て控えだった。
原本を提出されてしまえば自分たちはここを追い出されるばかりか、婚姻を結んだリリア共々平民になってしまう。

不味い。

ルーファスが成人するまであと一か月。顔から一気に血の気が失せて行くのが分かる。この事をリリアに知られる訳にはいかない。

原本は何処にあるのか。急いで執事長を呼ぶように言いつけたが、私に一礼して部屋を出て行った執事長はそのまま邸を後にしたそうだ。何処へ行ったのか誰もわからないという。
事情を確認しようにも、古くから仕えていた使用人たちは全員邸を去っている。
躍起になって手を尽くして探したが、邸を去った人々を見つける事は出来ず、誰一人として戻って来る事は無かった。

このままでは不味い。
何とか爵位継承書類を手に入れなければ。

マノンを通じてあの娘の部屋から書類を全て持ち出させたが、その中には必要な書類は無かった。
後は提出された書類を奪うしか方法が無い。
そう思っている所へ、またしても天の采配かのような吉報が届いた。
マノンから王太子殿下があの娘を断罪してマノンを王太子妃にする為に動いていると聞き、急いで面会を取り付けて協力を仰いだのだった。

夜会当日、元妻と同じ瞳の娘が断罪されて地下牢に引っ立てられて行くところを想像すると胸がすく想いだった。爵位継承の書類もブルーノ殿下が握りつぶしてくれる。

これで元妻との穢れを追い払って心置きなくリリアと幸せに暮らせる。侯爵位を継いでしまえば、小うるさい一門の貴族どもも黙って私に従うしかないのだ。
この邸だって元妻の手に渡っているというなら喜んでくれてやる。我々はもっと格式の高い素晴らしい邸を購入するのだ。

明日になれば私は晴れてリンデル侯爵だ。

胸が高鳴って眠る事が出来ず、これからのことをあれこれ想像しながら、夜半に届くであろう朗報を待ちわびていた。
セントルー侯爵がまだ完全に回復していない今、リンデル侯爵になれば息子と娘は即座に貴族籍を剥奪して国境に放り出してやるのだ。

しかし、あの娘の存在は厄介かもしれない。
もしも助け出されて有力貴族と縁付かれては面倒な事になる。嫁になど行けないように牢番にでも穢させておこうと考えていた時だった。

中央礼拝堂の鐘が王都中に鳴り響いた。
単調に4度鳴らされたその鐘は、聖女が女神の下に召された合図だ。

その音を確かめるように、白み始めた窓の外を眺めた時だった。
雪崩れ込んで来たリンデル領騎士団率いる兵士たちに捕縛された。
夜着のまま縄を掛けられて連れ出された私とリリアは、早朝の通りを行き交う人々の好奇の目に晒されながら徒歩で連行され、とある邸に到着するとそこの地下牢に投獄されてしまったのだ。

劣悪な地下牢でパンと水だけの食事が暫く続いたある日、突然裁判に引っ張り出された。
爵位簒奪と侯爵家の資産横領の罪で有罪となり、莫大な賠償金の支払い命令が下された私とリリアは、リンデル領とセントルー領に跨る採石場の中でも、一番過酷な石の運搬場へ送られる事になった。

裁判の中で、当時リリアを取り巻いていた高位貴族の令息たち全員がリリアと関係を持っていた事が明かされ、その事を察知した各家の当主により、全員が強力な避妊薬を服用させられていた事が証言された。

マノンは私の子ではなかった。

これが父親だと姿絵を見せられた二枚目看板の俳優に、マノンは瓜二つだった。

騙したのかと詰め寄る私にリリアは悪びれもせず言い放った。

「騙してなんかいないわ。誰の子か分からなかっただけよ。瞳の色が似ていたから貴方の子だと思ったの」

怒りに任せて罵り続ける私に、こんな男と共に肉体労働は嫌だと言い募って娼館への移動を希望したリリアだったが、いくつもの娼館を盥回しにされた挙句、あばずれの年増は病気の心配があるとして、私娼でさえ要らないとすげなくあしらわれて採石場へ戻されて来た。
それを聞いた時には、似合いの末路だとしか思わなかった。

ここでは、私とリリアがセントルー侯爵家の令嬢だったキャサリンとリンデル侯爵家の子どもたち、とりわけ聖女として召された娘にした仕打ちを知らない者はいない。
領民は元より採掘場の石工たちからも私とリリアが人として扱われる事は無かった。

体力の無さを役立たずと罵られ、休む暇も与えられずに疲れて動きが悪くなると容赦なく鞭打たれた。
常に体中に生傷は絶えないが致命的な深い傷は無い。死なない程度に手加減されているのが分かる。

もう楽になりたいと思っても許されなかった。何度命を絶とうと試みても気が付けば手を尽くして生かされている。
死の淵から舞い戻る度に同じ言葉が掛けられる。

「死んで行き着く先も同じ地獄だ」

もう自分が生きているのかさえも分からない。
ただ一つ分かるのは、この地獄が永遠に続くという事だけだ。