敬老レースが終わると、司会の放送が流れた。ずっと、同じ担当者。三年生の女子である。
なお、先ほど、周囲の生徒が話しているのが聞こえたが、この女の子は放送部部長で、お昼の放送では名物少女らしい。
トーク内容は、原稿を読み上げる時も、アドリブの時もある。
いずれも、全て本人が自分で考えているという。
「以上で、プログラムナンバー十四番、敬老レースを終わります」
スピーカーを通して、スーッと息を吸う音。
アナウンスは続く。
「……人生の大先輩の皆様、つたない運営だったかもしれませんが、御参加ありがとうございました。私ども立遠第二中学校、生徒一同は、地域のお年寄りを大切にし、教えを受け継いでいこうと思います」
さらなる息継ぎの後、
「……先日の全校集会では、特別授業ということで、三人の戦争経験者から貴重なお話を伺いました。そういったことも、忘れてはいけない記憶だと思っています。ありがとうございました。おじいさん、おばあさん、いつまでもお元気で。長生きしてくださいね」
しんみりした空気がグラウンドに広がり、もう一度、静かな拍手が響いた。
(へえー、やるじゃん! 名アナウンス。こういう真面目なのも、出来るのかー)
感心して、校庭の外側を移動しつつ、恵萌も軽く拍手。
(それにしても――なるほど、そうか。1994年っていったら、まだ戦後五十年も行ってないのか。第二次大戦を知ってる人が、まだ、普通に生きてたんだな)
新たな気づきであった。
ちなみに、恵萌と龍輝が暮らす「本部」にある、タイムマシン。
あのタイムマシンでは、戦後までしかタイムワープが出来ない。正確には、西暦1949年までしか、さかのぼれない。
移動可能な期間は、タイムワープを繰り返すうちに、徐々に長く伸びてはいる。何しろ、初回は1975年までしか、行かれなかったのだ。
だが、一体どんな法則なのかは、全く分からないのであった。
さて、体育祭。お次だ。
拍手がやんだタイミングで、またアナウンス。
「それでは、続きまして、プログラムナンバー十五番、二年生による、借り物競走です!」
(――来たッ!)
恵萌の上半身の奥で、心臓がヒョコッと跳ね上がり、緊張で胸がキュウッと締め付けられる。
いよいよだ!
「――この競技でも、引き続き、本日お越しのお客様に御協力を賜ります。競技内容としては――グラウンド真ん中をご覧ください。今、実行委員が大きなカードを掲げております」
アナウンスのとおり、腕章を付けた生徒が、男女三人ずつ、ぽつりと、誰もいないトラック内にいた。
やはり、男子は短パン、女子はブルマー姿である。
六人は、コースを設営がてら、両手でカードを上げて、ぐるりと、みんなに見せていた。プラカードの、持つ所が無いバージョンだ。
太マジックで、黒い文字が書かれている。
うち一枚が、恵萌にも読めた。「帽子をかぶっている人」とある。要は、「お題」であった。
「――見えましたでしょうか? 選手の皆さんには、コースの途中、裏返して置いてあるカードを、一枚ずつ取ってもらいます。そこに書いてある内容に当てはまる人を、会場から探してきてもらいます。そして、連れてきて一緒にゴール。制限時間は一分です。時間切れになると、ピストルが鳴らされます」
パァンッ!
説明に合わせ、トラック内の実行委員の一人、男子が、スターターピストルを空へ向けて撃った。
例を示したわけだ。
おおー!
笑い混じりのどよめきが、校庭の外周から起こる。
自分たちも人ごとではなくて、巻き込まれるかも、という緊張感、期待感も含まれていたに違いない。盛り上がってきた。
スピーカーが、雑音でガガッと鳴って、放送による説明が続く。
「……で、時間切れになった選手はもちろん失格ですが、もう一つ、失格の場合があります。それは、観客席から連れて来た人が、カードの『お題』の条件を満たしてない時です。例えば、女性を指定しているのに、男の人を連れて来てはダメです。また、ネコを連れて来いと書いてあるのに、犬を連れて来ても、当然、失格です。たとえ、その犬が、どんなにかわいくてもダメです。ワンワン!」
グラウンドが、笑いに包まれる。
ネコと犬の例は、無論、ジョークであろう。だが、ルールはよく伝わった。
放送部の名物女子部長が、説明のまとめに入る。
「……そして、ゴールでは、お題を満たしているかどうか、実行委員が厳正な審査を行います。ただ、ここで最後に一つ、ご来場の皆さまにお願いがございます」
少し、間を開けて、アナウンスは、やや神妙な口調となる。
「……もし、選手から一緒に来てほしいと指名されましたら、仮に、お題を満たす自信がなくても、なるべく積極的に引き受けていただけたら助かります。知らない方々に声をかけるだけで、私たち、とても緊張しますから。もちろん、足が痛いとか、人前に出たくないという方は、無理はなさらなくて結構です。――さて、借り物競走のルール説明は以上です。それでは皆さん、お待たせしました、選手の入場です!」
拍手とともに、行進曲が流れる。
(最後に言ったお願い、いいね。優しいコメントだな)
恵萌は、心が温かくなった。
と同時に、気が引き締まったけれど。なぜなら、このお願いは、まさしく、今から自分にも関係することだからだ。
スピーカーから流れてきたBGMは、クラシック曲であった。パリッ、シー、パリッという音も聞こえるので、アナログレコードかもしれない。本格的な、交響楽団による音源。
(おっ、これも知ってる曲)
何と、エルガーの「威風堂々」ではないか。
(ちょっと立派すぎじゃね?)
口の奥で、ククッと笑った。――余り、笑っている場合でもないけれど。
二年生たちが、列を作って入場してきた。早歩き。
(あんなにたくさんいるのに、あれで、一学年だけかー。ほんと、この時代って子供多いわ)
優に、百人は超えていよう。一大勢力である。
例えば、中堅のミュージシャンで、もし、あれだけの人数の客をライブハウスに動員できたなら、大成功であろう。
入場者は六列であった。
横に六人ずつ、男子は男子同士、女子は女子同士で走るようだ。
ただ、男子の横六人、女子の横六人は、交互に出てくるらしい。
一つ前の敬老レースで、恵萌は、走るコースの後半がどの辺りかを割り出しておいた。
その近くにしゃがむ。
コースわき、ひしめくレジャーシートの、すぐ後ろの位置である。
(いい感じに日陰だな)
眼前には、幼児が二人と、その両親らしき男女が、けだるそうに観戦していた。
父親のそばには、二リットルは入りそうな、太い水筒がごろりと置かれ、日差しをギラギラ反射させている。
その前を横切っているのが、トラックのコース。右へ三十メートルほど行けば、ゴールである。
遠く、フィールド越しの反対側に、二年生が集合し、今、笛に合わせてしゃがんだところだ。皆、左向きである。
コースの途中――恵萌から見て左の前方――では、腕章を付けた実行委員が、校庭の土の上に、大きなカードを並べていた。先ほど説明のあった、お題のカードだ。
恵萌はしゃがんでいるため、やや、見上げる形となる。
女子の実行委員が、前かがみでカードを置く時、ブルマーの大きなお尻が見えた。やや太った女の子。紺色のブルマーが、はち切れそうだ。
(一列が走る度に、六枚ずつ、新たにカードを並べ直すわけか。忙しいな)
六人の実行委員たちは、この場所とゴールとで、三人ずつ分かれていた。カード担当と、「借り物」の判定担当であろう。
「――」
グラウンド向こう側で、地面に座って、出番を待つ二年生たち。
距離が遠くて、一人ずつの顔までは、無論、判別できない。
だが、あの中にいるはずなのだ。
――三十二年前の、少年時代の龍輝が。
龍輝がしてくれた、思い出話。
それを、恵萌は思い起こしている。
ここへタイムワープする前、「本部」で聞いた話だ。
――龍輝は言っていた。
……
「立遠第二中学校では、俺は転校生だったからなア。体操服も、前の学校の奴を着てたんだ。みんなは紺色の短パンだったけど、俺だけ、白い短パンだった。だから、恐らく、遠くからでも見分けが付くと思うぜ」
……
と。
パァーンッ!
最初の号砲。いよいよ、借り物競走がスタートした。
ドキッ。プレッシャーで胸が詰まって、頭がクラッと揺れ、恵萌は強めに息を吸う。
先頭の六人が、走り出す。
第一列目は、男子。あの六人の中には――
(あの中には、いない!)
全員、短パンは紺色だ。
――「本部」にて、龍輝は、こうも言っていた。
……
「あと、当時は長髪だったと思う。男子にしてはね。明らかに、耳は髪の毛で隠れてたし、後ろは、学ランの襟に掛かってた。これも、見分けるポイントだろうね」
……
と。
(長髪も――いない!)
一列目は、該当者なし。
しかし、ホッとしている場合ではなかった。
うち一人の男子が、拾ったカードを掲げて、コース外へ出ながら、「誰か、サンダル履きの人、いませんかー?」と、近くまで来たのだ。目まで合ってしまった。
確かに、カードには、「サンダルをはいた人」というお題が書いてある。
(げげっ!)
幸い、少年の視線はすぐに、よそへ移った。
恵萌はローファーを履いているので、いずれにせよ対象外ではあったものの、次もそうなるとは限らない。ドンピシャのカードを引いた人に、当てられる可能性はある。例えば、「セーラー服を着た人」など。
(龍輝が来る前に、他の人に指名されちゃったら、アウトだよね……。ゴールまで連れて行かれたら、しばらく、ここには戻ってこれないだろうし)
ヤバかったァ、と恵萌はつぶやく。
レジャーシートの上に座る人たちの、背中に隠れるように、地面で身を低くする。
龍輝が現れるまでは、こうして、やり過ごすしかない。もし、それでも誰かから指名されたら、
(おなかが痛いとか言って、断るしかないよね)
人知れず、悲壮な作戦を練る恵萌であった。
次の列は女子である。
女の子たちは、やはり、男性に声をかけるのは気後れするようだ。主に、家族連れの「お母さん・おばあちゃん」枠にお願いしていた。
女子枠ではある恵萌も、内心ヒヤヒヤだったが、大丈夫だった。
こんな調子で、男子、女子、男子……と、交互に出てくる六人を見送った。
競技は、順調に進んでいた。時間切れの事例も、今のところ、発生していない。
だんだん、コツも分かってきて、
(こんな感じで待機してれば、まあ、何とか――。……っ!)
「アッ!」
叫んだ。勝手に声が出たので、叫び終わってから、自分の声に自分で驚く。
今、走り出した男子の列。
その六人のうち一人が、白い短パンだったのだ。
しかも、男の子にしては、長めの髪の毛。風になびいている。
(いた! あれだッ!)
短パンと、髪だけではない。
走る姿勢とか、仕草、雰囲気でも分かった。一定期間、二人で過ごしたので、意識の中に、面影がすり込まれているのだろう。
龍輝だと思われる男子生徒は、六人の真ん中くらいの順位。
カーブを左に曲がって、こちらへ走ってくる。
曲がった時、一秒だけ、龍輝らしき少年の、顔が正面から見えた。
「……ッ!」
ここからの距離は、十メートル以上はあろう。しかし、はっきりと確認できた。
(間違いない、あれは龍輝だ!)
もちろん、顔つきは若い。というより、あどけない。だが、鼻筋のライン、とがったあご、広いひたい、細い目。まさに、「少年時代の龍輝」そのものであった。
龍輝は、ほかの五人と同様、コースの途中で立ち止まり、しゃがんで、両手でカードを拾い上げる。
直後、遠目でも分かるほど、青ざめ、動揺した反応をする。
「――」
……もちろん、既に、恵萌も、その理由を聞かされており、知っている。
……
「カードを見たら驚いたよ。『他校の女子生徒』って書いてあったんだ。ふざけるな、って感じだろ? 中学の運動会に、ほかの学校の生徒が、そうそう、来てるわけねえだろって。しかも、借り物競走の競技中の短時間で、見つけられるわけがない。そもそも、どうやって見分けるんだよ? 都合よく、ほかの学校の制服を着た、しかも女の子が、たまたま、グラウンドのコース付近に、いるってのか? ――あれは絶対、実行委員の連中が、思いつきで、ふざけて書いたんだと思う。運悪く、俺がそれを引いてしまったんだね。――でな、俺は、動揺でオロオロしちゃって、その場で固まっちゃって、しまいには、泣き出してしまったんだ。嫌な思い出さ」
……
なお、先ほど、周囲の生徒が話しているのが聞こえたが、この女の子は放送部部長で、お昼の放送では名物少女らしい。
トーク内容は、原稿を読み上げる時も、アドリブの時もある。
いずれも、全て本人が自分で考えているという。
「以上で、プログラムナンバー十四番、敬老レースを終わります」
スピーカーを通して、スーッと息を吸う音。
アナウンスは続く。
「……人生の大先輩の皆様、つたない運営だったかもしれませんが、御参加ありがとうございました。私ども立遠第二中学校、生徒一同は、地域のお年寄りを大切にし、教えを受け継いでいこうと思います」
さらなる息継ぎの後、
「……先日の全校集会では、特別授業ということで、三人の戦争経験者から貴重なお話を伺いました。そういったことも、忘れてはいけない記憶だと思っています。ありがとうございました。おじいさん、おばあさん、いつまでもお元気で。長生きしてくださいね」
しんみりした空気がグラウンドに広がり、もう一度、静かな拍手が響いた。
(へえー、やるじゃん! 名アナウンス。こういう真面目なのも、出来るのかー)
感心して、校庭の外側を移動しつつ、恵萌も軽く拍手。
(それにしても――なるほど、そうか。1994年っていったら、まだ戦後五十年も行ってないのか。第二次大戦を知ってる人が、まだ、普通に生きてたんだな)
新たな気づきであった。
ちなみに、恵萌と龍輝が暮らす「本部」にある、タイムマシン。
あのタイムマシンでは、戦後までしかタイムワープが出来ない。正確には、西暦1949年までしか、さかのぼれない。
移動可能な期間は、タイムワープを繰り返すうちに、徐々に長く伸びてはいる。何しろ、初回は1975年までしか、行かれなかったのだ。
だが、一体どんな法則なのかは、全く分からないのであった。
さて、体育祭。お次だ。
拍手がやんだタイミングで、またアナウンス。
「それでは、続きまして、プログラムナンバー十五番、二年生による、借り物競走です!」
(――来たッ!)
恵萌の上半身の奥で、心臓がヒョコッと跳ね上がり、緊張で胸がキュウッと締め付けられる。
いよいよだ!
「――この競技でも、引き続き、本日お越しのお客様に御協力を賜ります。競技内容としては――グラウンド真ん中をご覧ください。今、実行委員が大きなカードを掲げております」
アナウンスのとおり、腕章を付けた生徒が、男女三人ずつ、ぽつりと、誰もいないトラック内にいた。
やはり、男子は短パン、女子はブルマー姿である。
六人は、コースを設営がてら、両手でカードを上げて、ぐるりと、みんなに見せていた。プラカードの、持つ所が無いバージョンだ。
太マジックで、黒い文字が書かれている。
うち一枚が、恵萌にも読めた。「帽子をかぶっている人」とある。要は、「お題」であった。
「――見えましたでしょうか? 選手の皆さんには、コースの途中、裏返して置いてあるカードを、一枚ずつ取ってもらいます。そこに書いてある内容に当てはまる人を、会場から探してきてもらいます。そして、連れてきて一緒にゴール。制限時間は一分です。時間切れになると、ピストルが鳴らされます」
パァンッ!
説明に合わせ、トラック内の実行委員の一人、男子が、スターターピストルを空へ向けて撃った。
例を示したわけだ。
おおー!
笑い混じりのどよめきが、校庭の外周から起こる。
自分たちも人ごとではなくて、巻き込まれるかも、という緊張感、期待感も含まれていたに違いない。盛り上がってきた。
スピーカーが、雑音でガガッと鳴って、放送による説明が続く。
「……で、時間切れになった選手はもちろん失格ですが、もう一つ、失格の場合があります。それは、観客席から連れて来た人が、カードの『お題』の条件を満たしてない時です。例えば、女性を指定しているのに、男の人を連れて来てはダメです。また、ネコを連れて来いと書いてあるのに、犬を連れて来ても、当然、失格です。たとえ、その犬が、どんなにかわいくてもダメです。ワンワン!」
グラウンドが、笑いに包まれる。
ネコと犬の例は、無論、ジョークであろう。だが、ルールはよく伝わった。
放送部の名物女子部長が、説明のまとめに入る。
「……そして、ゴールでは、お題を満たしているかどうか、実行委員が厳正な審査を行います。ただ、ここで最後に一つ、ご来場の皆さまにお願いがございます」
少し、間を開けて、アナウンスは、やや神妙な口調となる。
「……もし、選手から一緒に来てほしいと指名されましたら、仮に、お題を満たす自信がなくても、なるべく積極的に引き受けていただけたら助かります。知らない方々に声をかけるだけで、私たち、とても緊張しますから。もちろん、足が痛いとか、人前に出たくないという方は、無理はなさらなくて結構です。――さて、借り物競走のルール説明は以上です。それでは皆さん、お待たせしました、選手の入場です!」
拍手とともに、行進曲が流れる。
(最後に言ったお願い、いいね。優しいコメントだな)
恵萌は、心が温かくなった。
と同時に、気が引き締まったけれど。なぜなら、このお願いは、まさしく、今から自分にも関係することだからだ。
スピーカーから流れてきたBGMは、クラシック曲であった。パリッ、シー、パリッという音も聞こえるので、アナログレコードかもしれない。本格的な、交響楽団による音源。
(おっ、これも知ってる曲)
何と、エルガーの「威風堂々」ではないか。
(ちょっと立派すぎじゃね?)
口の奥で、ククッと笑った。――余り、笑っている場合でもないけれど。
二年生たちが、列を作って入場してきた。早歩き。
(あんなにたくさんいるのに、あれで、一学年だけかー。ほんと、この時代って子供多いわ)
優に、百人は超えていよう。一大勢力である。
例えば、中堅のミュージシャンで、もし、あれだけの人数の客をライブハウスに動員できたなら、大成功であろう。
入場者は六列であった。
横に六人ずつ、男子は男子同士、女子は女子同士で走るようだ。
ただ、男子の横六人、女子の横六人は、交互に出てくるらしい。
一つ前の敬老レースで、恵萌は、走るコースの後半がどの辺りかを割り出しておいた。
その近くにしゃがむ。
コースわき、ひしめくレジャーシートの、すぐ後ろの位置である。
(いい感じに日陰だな)
眼前には、幼児が二人と、その両親らしき男女が、けだるそうに観戦していた。
父親のそばには、二リットルは入りそうな、太い水筒がごろりと置かれ、日差しをギラギラ反射させている。
その前を横切っているのが、トラックのコース。右へ三十メートルほど行けば、ゴールである。
遠く、フィールド越しの反対側に、二年生が集合し、今、笛に合わせてしゃがんだところだ。皆、左向きである。
コースの途中――恵萌から見て左の前方――では、腕章を付けた実行委員が、校庭の土の上に、大きなカードを並べていた。先ほど説明のあった、お題のカードだ。
恵萌はしゃがんでいるため、やや、見上げる形となる。
女子の実行委員が、前かがみでカードを置く時、ブルマーの大きなお尻が見えた。やや太った女の子。紺色のブルマーが、はち切れそうだ。
(一列が走る度に、六枚ずつ、新たにカードを並べ直すわけか。忙しいな)
六人の実行委員たちは、この場所とゴールとで、三人ずつ分かれていた。カード担当と、「借り物」の判定担当であろう。
「――」
グラウンド向こう側で、地面に座って、出番を待つ二年生たち。
距離が遠くて、一人ずつの顔までは、無論、判別できない。
だが、あの中にいるはずなのだ。
――三十二年前の、少年時代の龍輝が。
龍輝がしてくれた、思い出話。
それを、恵萌は思い起こしている。
ここへタイムワープする前、「本部」で聞いた話だ。
――龍輝は言っていた。
……
「立遠第二中学校では、俺は転校生だったからなア。体操服も、前の学校の奴を着てたんだ。みんなは紺色の短パンだったけど、俺だけ、白い短パンだった。だから、恐らく、遠くからでも見分けが付くと思うぜ」
……
と。
パァーンッ!
最初の号砲。いよいよ、借り物競走がスタートした。
ドキッ。プレッシャーで胸が詰まって、頭がクラッと揺れ、恵萌は強めに息を吸う。
先頭の六人が、走り出す。
第一列目は、男子。あの六人の中には――
(あの中には、いない!)
全員、短パンは紺色だ。
――「本部」にて、龍輝は、こうも言っていた。
……
「あと、当時は長髪だったと思う。男子にしてはね。明らかに、耳は髪の毛で隠れてたし、後ろは、学ランの襟に掛かってた。これも、見分けるポイントだろうね」
……
と。
(長髪も――いない!)
一列目は、該当者なし。
しかし、ホッとしている場合ではなかった。
うち一人の男子が、拾ったカードを掲げて、コース外へ出ながら、「誰か、サンダル履きの人、いませんかー?」と、近くまで来たのだ。目まで合ってしまった。
確かに、カードには、「サンダルをはいた人」というお題が書いてある。
(げげっ!)
幸い、少年の視線はすぐに、よそへ移った。
恵萌はローファーを履いているので、いずれにせよ対象外ではあったものの、次もそうなるとは限らない。ドンピシャのカードを引いた人に、当てられる可能性はある。例えば、「セーラー服を着た人」など。
(龍輝が来る前に、他の人に指名されちゃったら、アウトだよね……。ゴールまで連れて行かれたら、しばらく、ここには戻ってこれないだろうし)
ヤバかったァ、と恵萌はつぶやく。
レジャーシートの上に座る人たちの、背中に隠れるように、地面で身を低くする。
龍輝が現れるまでは、こうして、やり過ごすしかない。もし、それでも誰かから指名されたら、
(おなかが痛いとか言って、断るしかないよね)
人知れず、悲壮な作戦を練る恵萌であった。
次の列は女子である。
女の子たちは、やはり、男性に声をかけるのは気後れするようだ。主に、家族連れの「お母さん・おばあちゃん」枠にお願いしていた。
女子枠ではある恵萌も、内心ヒヤヒヤだったが、大丈夫だった。
こんな調子で、男子、女子、男子……と、交互に出てくる六人を見送った。
競技は、順調に進んでいた。時間切れの事例も、今のところ、発生していない。
だんだん、コツも分かってきて、
(こんな感じで待機してれば、まあ、何とか――。……っ!)
「アッ!」
叫んだ。勝手に声が出たので、叫び終わってから、自分の声に自分で驚く。
今、走り出した男子の列。
その六人のうち一人が、白い短パンだったのだ。
しかも、男の子にしては、長めの髪の毛。風になびいている。
(いた! あれだッ!)
短パンと、髪だけではない。
走る姿勢とか、仕草、雰囲気でも分かった。一定期間、二人で過ごしたので、意識の中に、面影がすり込まれているのだろう。
龍輝だと思われる男子生徒は、六人の真ん中くらいの順位。
カーブを左に曲がって、こちらへ走ってくる。
曲がった時、一秒だけ、龍輝らしき少年の、顔が正面から見えた。
「……ッ!」
ここからの距離は、十メートル以上はあろう。しかし、はっきりと確認できた。
(間違いない、あれは龍輝だ!)
もちろん、顔つきは若い。というより、あどけない。だが、鼻筋のライン、とがったあご、広いひたい、細い目。まさに、「少年時代の龍輝」そのものであった。
龍輝は、ほかの五人と同様、コースの途中で立ち止まり、しゃがんで、両手でカードを拾い上げる。
直後、遠目でも分かるほど、青ざめ、動揺した反応をする。
「――」
……もちろん、既に、恵萌も、その理由を聞かされており、知っている。
……
「カードを見たら驚いたよ。『他校の女子生徒』って書いてあったんだ。ふざけるな、って感じだろ? 中学の運動会に、ほかの学校の生徒が、そうそう、来てるわけねえだろって。しかも、借り物競走の競技中の短時間で、見つけられるわけがない。そもそも、どうやって見分けるんだよ? 都合よく、ほかの学校の制服を着た、しかも女の子が、たまたま、グラウンドのコース付近に、いるってのか? ――あれは絶対、実行委員の連中が、思いつきで、ふざけて書いたんだと思う。運悪く、俺がそれを引いてしまったんだね。――でな、俺は、動揺でオロオロしちゃって、その場で固まっちゃって、しまいには、泣き出してしまったんだ。嫌な思い出さ」
……

