制服少女とサラリーマンは 一つ屋根がタイムマシン

 体操服姿の少女たち。中一と中二。
 校庭の中央、フィールドの両端に、赤組・白組に分かれて整列している。
 それぞれ、五十人は超えていそうだ。

(わあー、生徒、いっぱいいる! 私の現役時代は、男女合わせても、一学年でたった六十人。体育祭って言っても、ささやかなもんだったけど。1994年には、まだこんなにいたんだね)
 少子高齢化時代に生まれ育った恵萌(めぐも)としては、(まぶ)しい光景だ。

 女の子たちは皆、上は半そでシャツ、下は紺色のブルマー。紅白の区別は、頭のはちまきで分かる。
 双方の視線は、フィールドの真ん中に(そそ)がれる。約四十メートルずつの距離。
 そこに置かれているのは、無数の黒いタイヤだ。ホイールはなく、ドーナツ状に、穴が丸く()いている。

 タイヤ引き。
 セミの鳴き声に、開始の笛がかぶさり、次、一瞬だけセミの声が聞こえたが、あとは、
「うおー!」「キャァー!」「うらーッ!」
 地鳴りのような、女生徒の叫び、いや、雄叫(おたけ)びに、かき消される。
 観客たちからは、苦笑()じりのどよめき。

 恵萌は今、校庭の前、朝礼台のわきの、中途半端な位置に立っている。すぐ背後に、防球ネット。
 周囲には、競技への行き帰りらしき男子生徒が、十人ほど突っ立っていた。皆、戸惑いを隠せない様子だ。
 女子の本性(ほんしょう)に、幻滅しているのだろうか。見たくなかったものを、見てしまったような……。

 恵萌が、フハハッと笑い、
(『おしとやかな女の子』像が、壊れちゃったかナ?)
 時は平成初期。まだ、そういう幻想、ジェンダー観が、残っていたに違いない。令和では、だいぶ薄れたけれど。
(恥じらい、ね……)
 ふと、出発前の龍輝(りゅうき)の困惑顔を、思い出す恵萌であった。
 幻想の女を、夢見てる男ども。
「恥じらい世代……プッ」
 うまいこと言った気がして、一人で笑った。

 競技開始に合わせ、BGMも流れる。
 音量は、校庭の歓声よりも少々大きめだ。
 日本語の、アップテンポなロックナンバー。
 男性のハスキーなヴォーカルで、「あれもしたいし これだってしたい もっとしたい もっともっとやりたい……」などという歌詞。
(あっ、この歌、私も知ってる!)
 恵萌にとっては「(なつ)メロ」だが、時代を超えたヒットソングで、令和でも、テレビや街でよく流れている。
(今いる、ここの時代じゃ、最新の歌なのかも)
 この曲は、「欲しいものは何でもかんでも手に入れるぞ」というテーマなので、まさに、タイヤの(うば)い合いにはピッタリである。

 歌に触発されるように、タイヤ引きも白熱していく。
 ドドドドドドッ……!
 靴がグラウンドを踏む足音。左右の耳へ。まるでステレオだ。
 視界の両側から、女子たちが真ん中へ走り込んでくる。タイヤをつかんで、自陣へ引っ張り込む。
 そうはさせじと、タイヤ反対側に取り付く、敵の陣営。
 各タイヤを、両側から、三、四人ずつで引っ張り合っている感じだ。

 ここは、女の子らしさというか、絡み合う人の山には、あちこちに、白い歯が見えた。笑っている子が多いのだ。

 ――きゃー、――よこせよこせ、――うわー、――引っ張れ、――そっちそっち、――キャーッ……

 グラウンド中央から、高い声が響き合い、乱れ飛び、(はじ)け合う。
 薄着の女子たち、くんずほぐれつ。
 タイヤをめぐって、お尻の形が丸わかりのブルマーが、無数に揺れて、跳んで、よろけて、走って。
 むき出しの脚、発育の良い子は、シャツ越しにバストも揺れている。
 女性である恵萌から見ても、かなりお色気が強めで、刺激的な眺めだ。
 ましてや……。
「おおっ、あらあら」
 恵萌が辺りを見回せば、先ほどは苦笑いしていた男子たちが、打って変わって、目をギラつかせたり、ニヤニヤしたり。食い入るように、女子たちを凝視していた。
(ハハッ、みんな、エッチだねぇ)
 気持ちは分かるし、いたいけな思春期男子の健全な性欲を、茶化すつもりもない。

「――」
 ただ、やはり、女子としては、決して愉快な場面だとは言えない。
 申しわけないけれど、ちょっとキモいとすら感じた。仕方があるまい。これはこれで女子の防衛本能であり、正常な感覚だ。
 そのためか、恵萌は、競技への興味が弱まり、しらけてしまう。
 おかげで、ふと冷静にもなれた。
(そうだそうだ、見とれてる場合じゃないんだって! タイヤ引きなんて、どうでもいいんだ。目的を忘れちゃ駄目)
 情報収集をしなくては。特に、()(もの)競走をいつやるのか、知る必要がある。
 キョロキョロして、来客への案内所を探す。どこだろうか。
(多分、そんな遠くじゃないよね。この辺だと思うんだけどな)
 歓声と、たぶんカセットテープだろう、演奏が大きくなったり小さくなったり、ひずんだBGM。
 それを聞き流しつつ、
(いやー、暑い暑い)
 恵萌は、ふうふう言いながら、先生、保護者、体育着姿の中学生らをかき分けて、朝礼台を(へだ)てた向こう側へ出る。
(大会の本部席って、たぶん、あっちだよね)
 一応、距離的には、ここから近くではある。

 トラック外周の付近には、生徒と教師以外が入らないように、仕切りのカラーコーンが置かれ、間に立入禁止のひもも張られていた。
 その外側には、レジャーシートが敷かれ、大人や幼児がひしめき合っている。立ち上がって応援する者、身を乗り出して写真を撮る者。
 人々の後ろ姿を眺めつつ、国旗・校旗のポールわきを通り過ぎる。

 グラウンド前方の、イベントテントが集まる一角。
 白い天幕(てんまく)はどれも立派だが、そのうち、最もきれいで、頑丈そうなテントに近づいてみる。
 天幕の下の、長机。そこには、「大会本部席:実行委員、救急、総合案内」の張り紙。
(見つけた!)

 恵萌は、事故に()って異次元へ飛ばされる前は、現役女子高生であった。
 だから、いわゆる学校行事への「(かん)」が、鈍っていない。

 机の上に、平たい箱が置いてある。
 「プログラム ご自由に」の文字。
(よし、あった!)
 恵萌が近づいたら、そこに立っていた受付の女性が、顔を上げる。生徒ではなく、大人だ。
 教師というより、事務員さんに見える。三十代くらいか。恰幅(かっぷく)がいい。紫色のシャツ姿。
「これ、一枚、いただいてもいいですか?」
 と、恵萌が手を伸ばすと、女性はほほえんで、
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 まだ、十枚以上は残っていそうだ。一番上を取る。サイズはA4だ。
 ざらついた、茶色い紙。変な手ざわり。
(わら半紙(ばんし)って奴かな?)
 龍輝から教わった言葉である。「生前」の恵萌は、見たことがない。

 体育祭のプログラムが、(ひょう)になって印刷されている。一応、活字ではあるが、文字のバランスも悪く、レイアウトが整っていない。時代を感じる。
(ワープロとかいう奴?)
 これも、恵萌は、現役では知らないけれど。

(で、えーと)
 そんなことはさておき、
(――()(もの)競走、借り物競走……)
 早速、その場でうつむいて、ぎっしり詰まった細かな文字を読み始める。
 ひたいの汗がポタッと落ちて、紙に点のシミを作る。
(おっと)
 紙面を上へよけた時、「借り物競走 二年生 全員」が、目に飛び込んできた。
「――あった!」
 プログラムナンバーは、十五番であった。
 視線を、紙面の上下へ滑らせる。今やっているタイヤ引きの、
(――次の次の、次だ!)
 ホッとする。まだ、結構、先であった。焦る必要は全くなかった。

 最も恐れていたことは、実は龍輝の記憶違いで、既に、借り物競走は午前中に終わっていたというパターン。
 二番目が、もう、次が借り物競走で、(あわ)ただしいというパターン。あるいは、あんまり遅すぎるのも、待ちくたびれるので面倒くさい。
 幸い、どれでもなく、ほどよく離れていた。

(よかったー)
 恵萌がもらした安堵(あんど)のため息に、突然、眼前の受付女性の声が重なる。
「――その制服、検仙(けんせん)女子でしょ?」
「えっ」
 話しかけられたことと、しかも、質問が正解だったこと。ダブルで驚いた。
 顔を上げると、紫のシャツの女性は、にこにこしていた。初対面の外部の学生を、緊張させまいと気遣ってくれているようだ。
 失礼だけれど、ふっくらした体格も影響しているのか、人を安心させるものがある。

 恵萌も、ごく自然に笑みが浮かび、
「よく、御存じで。そうです」
 正直に認めた。別に、隠す必要もない。
「以前、検仙女子高校で事務やってたから」
「そうなんですね!」
 第一印象のとおり、教師ではなく、事務員さんであった。
 事務員はうなずき、
「前()きで、()つボタンの上着って、セーラー服では珍しいよね。あと、スカーフの水玉。それで分かったの」
 恵萌もうなずいて、
「なるほど。それ、よく言われます。特徴的ですよね」
 下を向き、指先でボタンに触ったあと、水玉模様のスカーフをつまみ上げる。

 私立検仙女子高等学校。
 母校の制服。こだわったデザインのセーラー服。誇らしい伝統である。
 恵萌は、朝の登校中に異次元へ飛ばされたため、「現世(げんせ)での最後の姿」ということで、ずっとこの服装のままなのであった。
 でも、そのおかげで。
(なんか、いいなあ、こういう出会い)
 2026年の物が、1994年時点でも通じた、認識してもらえた。
 そのことが、何だか、むしょうにうれしかった。

 紫のシャツを着た女性事務員は、ここで、ふと照れたような笑みを浮かべる。
 恵萌は、その理由をすぐには理解できなかったけれど、話す内容を聞いて、合点(がてん)がいく。
「……検仙(けんせん)女子は、校歌も覚えてるよ。
 ――薫風(くんぷう)はずむ 胸吹(むなぶ)く夢よ……」
 口ずさむ。
 なるほどである。歌う前の、恥ずかしさだったわけか。

 だが、今はそんなことよりも。
「……!」
(わあー……)
 まさか、何げない会話が、こんな素敵な展開になるなんて。
 恵萌も、一緒に校歌を歌い出す。
 小声だが、数秒間、二人の歌声が重なる。両者とも、高音だ。


薫風はずむ 胸吹く夢よ
命短し されども楽し
検仙(はる)か 途上の旅路
検仙我ら 今、咲かせ 花 羽ばたいて 空


 切りが良く、一番の「サビ」だけで、互いに歌うのをやめる。独特の達成感。照れ笑いで、目を合わせる。
 グラウンドの歓声や放送のおかげで、周囲には聞こえなかったことも、かえって、二人の連帯を高めた。女同士だった点も、大きかろう。
(あっ、ヤバ……)
 まだ「生きていた」頃の、もう戻れない日々がよみがえり、恵萌は涙が込み上げてくる。

「――」
 しかし、ここで事務員の女性は、ちょっと不思議そうな表情に変わる。
 あることに、気づいたからだった。
「――けど、検仙(けんせん)女子って、横浜だよね。ここから遠くない?」
 ぎくりとする恵萌。せっかくの感動も、半分、消し飛んでしまった。
 この場所、立遠(りっとお)第二中学校は、千葉県である。もっともな疑問であった。
(あー、そういえば、そうか。制服を着てるってことは、わざわざ自分の通う高校へ登校してから、同じ日に、改めて、ここへ来たということになるもんね! 不自然かも。あちゃー)

 二校の距離は、電車とバスで、片道三時間は掛かるはずだ。
 実際、「生前」の恵萌は、中学卒業とともに、千葉から横浜へ引っ越した。検仙女子高校へは、学区外受験をしたのである。
 だから、その遠さは、実体験として分かるのだった。

 ズズッと鼻水をすすったあと、とっさに、でまかせ。
「……午前中に部活があって、ごっ、午後から、ここに、き、来たんすよ」
 すよ、とか言ってしまったが、
「ああ、そうなんだ」
 事務員の柔和(にゅうわ)な笑みは、崩れていない。別に、問い詰めたいわけでもなかったようだ。
 続けて、
「弟さんか、妹さんの応援?」
 もはや完全に、「社交辞令・消化試合」的な、世間話のトーンであった。
 恵萌も、その流れに沿うことにして、適当に相づちを打つ。
「はい、ええ、そんなとこです、まあ」
「じゃあ、楽しんでってくださいね」
「ありがとうございます」
 無難に、その場を立ち去ることが出来た。
 正直、あと少し、検仙女子の話題で盛り上がりたかった気もするが、相手は仕事中であるわけだし、
(ま、これでよかったんだろうなー)
 という結論になった。

 さて。
 一、二年生女子たちのタイヤ引きは、いまだ続行中である。
 このゲームは、自分たちの陣地へ引っ張り込めたタイヤの個数を競う。どうやら、特大サイズのタイヤは、ボーナス点が入るようだ。
 紅白戦を三回行い、白組の二勝一敗で終了。
 競技を終えた女生徒たちは、勇壮(ゆうそう)なアップテンポの曲で、小走りに、サッカー用ゴールポストから退場。
(あっ、この曲も知ってるや。F1の曲だよね)
 恵萌はニヤリとする。

 サッカーのゴールポストは、ネットが取り外されていた。
 皆、そこをくぐって、グラウンド外側の応援席へ戻って行く。
 ゴールポスト上部には、大きな横向き長方形があった。造花に縁取(ふちど)られ、「退場門」と書かれている。

 次の競技は、全学年男子の選抜による騎馬戦であった。
 三人組で「馬」を作り、その上にもう一人が乗って「騎馬」一騎とする。それで、敵の騎馬と戦って、崩すか、はちまきを奪ったら、相手を「失格」にさせられるルール。

(男子の体操服は、紺色の短パンかー。今見ると、男子のも結構短いよなあ。私の頃は、男女ともハーフパンツだったけど)
 騎馬戦競技中の男子たちの叫び・怒鳴り声は、やはり、低くて、荒々しい。
 動きも、固い肉体、筋肉のぶつかり合い。結構、野蛮である。さすがの迫力。タイヤ引きの女子たちとは、まるで雰囲気が違う。

 レジャーシート上で応援する保護者たちの、背後にたたずむ恵萌は、
(すごい。声、低っ! 強い。みんな、男の子してるねー。やるじゃん!)
 前歯から息を出して、シシシッと笑う。
 同時に、首すじが少し、ゾクッとした。
(私も、女の子なんだなあ)
 そんなふうに実感する。
 この感覚は、きっと、同世代ならではの緊張感であり、異性への本能的な興味と、恐れなのだと思う。
 恵萌自身、まだ十七歳。ちょっと大人ぶっていても、実は、競技中の中学生たちと、さほど年齢は変わらないのだ。

 続いてのプログラムは、「敬老レース」という種目である。
 九月の中旬であり、敬老の日が近いことにちなんでいる。外からの客の中で、六十代以上の者が参加できる。
 内容は、二十メートル程度の短い距離を走り、ゴールに置かれたプレゼントの包みを取るというもの。特に競争でもなく、景品は一人一個ずつ用意されていた。
 風の中、
「俺のじいちゃん、出てるぜ」
「マジ?」
 男子生徒の会話が耳に入った。

 老人たちも、ノリノリという感じではなく、お付き合いで参加してあげているという様子。
 だが、しらけているとまでは言えず、皆の拍手も、それなりに温かかった。
「優しい世界……」
 つぶやく恵萌。悪い雰囲気ではない。

 敬老レースの参加者は、男性も女性も、誰もが地味で、渋い風合いの服装であった。
 いかにも、ドラマやアニメに出てきそうな、典型的な「おじいさん、おばあさん」なのだ。個性を追求した、妙に若々しい、あるいは派手な格好の者が、見当たらない。
(女子のブルマーもそうだけど、女とか、お年寄りとか、型にはめるのが好きな時代だったのかなあ。個性よりも集団重視の……)
 恵萌は、そんな感想を(いだ)く。
 まだ自分は十代であり、子供であることは分かっているつもりだ。だから、自分の分析を、
(まあ、浅いかもしれないけどさ)
 とも思ってはいるけれど。

 加えて、恵萌にとっては、貴重な情報を得られもした。選手が走る際、グラウンドのどこら辺を使うのかが、分かったからである。
(そうか、短距離走のスタートラインはあの辺ね。……ってことは、老人じゃなく生徒が走る場合は、まあ、だいたい、距離が倍ぐらい()びるとして――)
 背伸びして、トラックの向こう側を見やる。ゴール位置の見当も付いた。

 言うまでもなく、()(もの)競走への準備である。
 プログラムは、もう、次に迫っていた。