「生前」、生活圏を共にしたことのある女性は、母親だけであった。
四十六歳で「死亡する」まで、ずっと、モテない人生だった。
……なのに、「死後に」、なぜか少女と二人きり。しかも、全くの他人。
困惑するけれど、しかし、相手はもっとだろう。当然だ。高校生の女の子が、いきなり、さえない中年男と二人暮らしをすることになるなんて……。
せめて、「人のいい無害なおっさん」でありたいと思うし、幸い、それは今のところ、うまくいっているようだ――。
その少女・降幡恵萌が、立ったままでスマホを操作しつつ、話しかけてきた。
「出発準備も、大詰めかな。行き先は、1994年9月18日、と」
高い声。響きは、ふんわり柔らかいが、語尾はやや鋭い。りんとしている。十代少女の若々しさだ。
向き合って立つ中年男・滝倉龍輝が、
「たぶん、その日付けで合ってると思うんだけど、間違ってたら、ごめんよ」
「だって、三十年も前でしょ?」
「ああ、もっとだな」
恵萌のまゆ毛が、ハの字に下がり、
「そんな昔の体育祭の日付けなんて、普通、忘れてるって」
龍輝も小さく笑って、
「まあな。俺は、未練があるからな。――せめて、94年9月18日が日曜日だと分かればいいんだけどな」
「確かに、体育祭って日曜日が多いもんね」
「ああ」
この場所にいる二人に、それを調べる手段はない。スマホの、検索やカレンダー機能は、全て使えなくなっている。外部の情報からは、遮断されているのだ。
目の前の恵萌が首を振ると、ポニーテールも左右に揺れた。
身長は、龍輝より小柄。なだらかな肩。スカート姿である。靴はローファー。
「まあ、そんなのいいよ、いいよ。気にしないで。もし違ってたら、タイムワープをやり直せばいいだけだし。何回でも行けるんだからさ。同じ日には、行けないけど」
「そりゃそうなんだが、ほら、一回ワープすると、次のワープが出来るまでに、数日間、かかるからなア」
と龍輝。
どうやら、エネルギーをチャージしているようなのだ。その間は、この部屋で待つしかない。
恵萌のスマホに入っているアプリが、タイムマシンとして機能する。時代と場所を、セッティングするだけでよい。行かれる範囲は、かなり限られてはいるけれど――。
無論、誰がどうやって作ったのかは一切不明な、得体の知れぬアプリ。何回も使いながら、試行錯誤で、手順を覚えていっている最中なのだ。
恵萌は、自分の前髪を指先でつまんで、
「そうだけどさ。いいじゃん。うちら、時間は無限にあるんだし」
「まあ……な」
龍輝はうなずくが、恐らく、今、苦笑いになっていることだろう。
二人は、現在、異次元の空間で生活している。
ここは、六畳ほどの部屋。中央に、横並びの座席が二つ。
窓、ドアはない。ゼリーのようにぼやけた、青い壁に囲まれている。
雰囲気としては、自動車の中に、やや似ている。
いや、天井は高いので、例えるなら、自動車というより、電車の片隅に近いかもしれない。
この「謎の場所」へと迷い込んでから、だいぶ、長い時間が過ぎた。
ある程度までは、法則性も判明しつつある。
脱出は出来そうもないこと、年を取らないこと、過去へタイムワープして遊べること、など。
恵萌が、話を続ける。
「で、行く場所は、立遠第二中学校、と。――龍輝の頃には、まだ、女子の体操服はブルマーだったんだよね?」
今回の目的は、現地の体育祭を見ることなので、自然と、体操服の話題になる。
龍輝は、
「ああ、そうだな。俺の期が卒業して数年後に、徐々に廃止になったらしいけどな。たしか、西暦2000年には、ブルマーは全国でほとんど消えたとか」
「どうりで、私、知らないわけだ。私、生まれたの2009年だもん」
「若いねえ」
「現役JKですから」
「まさにね」
龍輝は、しげしげと恵萌を見やる。今、恵萌はセーラー服姿なのだ。
「体操服のブルマー、生で見れるの、ちょっと楽しみかも」
恵萌がほほえんだら、龍輝は、
「まあ、あの当時、ブルマーはすごく不評で、女子はみんな、嫌がってたけどな」
「恥ずかしいから?」
「そうだね」
龍輝がうなずいた。付け足して、
「恵萌だって、あんなの履きたくないだろ?」
「どうだろ?」
「えっ、恥ずかしいだろ?」
「……んー。確かに、脚が出すぎかなあとは思うけどねー」
小首をかしげながら、セーラー服姿の恵萌は、不意に、自分の履いたスカートを、ひょいとつまみ上げる。
「これでしょ、ブルマーって。一応、私も今、中に履いてるよ」
長い脚、白っぽい肌。太ももの、つけ根まで丸出しになる。それどころか、その上までもが、露わに――。
「こら!」
龍輝が、あわてて、目をそむける。
「何を今さら」
恵萌は、茶化すというよりは、あきれ顔である。
――スカートの中から見えているのは、下着ではなく、その上に着用する厚手のインナー、紺色のオーバーパンツである。恵萌が今言ったとおり、これも一種のブルマーだ。
あえて見せびらかすような物ではないにしても、さりとて、見えたら即、まずい物でもない。
女子高生・恵萌にしてみれば、いい年をした中年男性が、この程度でドギマギしている様は、情けなく思えるのかもしれない。
実際、今さら感も、なくはない。
二人は既に、一定期間、言わば一つ屋根の下で暮らしてきた。
しゃがんだ時などに、恵萌のスカートの中が見えてしまうことなど、幾らでもあった。
また、これまでに、色んな時代を二人でタイムワープしてきたのだ。もはや、ある程度、親密な仲だと言ってもよい。
とはいえ、無防備にスカートをめくり上げる仕草は、決して、お行儀のよいものではない。
また、男性というのは、女性のスカートがめくれそう・めくれているという、その光景自体に、そわそわと気まずくなる性質があるのだ。これはなかなか、女性には分かってもらえないのだけど……。
龍輝は、短髪の頭をボリボリかいて、
「あのさあ、恵萌。もっと、恥じらいとかさ……」
龍輝は、背広姿だ。低い声は、笑ってはいるが、かすれていた。内心、かなり動揺している証拠である。
それに気づいたのか、
「えーっ、そんなにイヤ?」
大きな両眼のうち、左目を細める。長いまつ毛。
手を放したら、スカートの裾が、バサッと下へ戻る。長さは、膝小僧の上あたり。ブルマーは、すっぽり隠れた。
「パンツじゃないのに」
「パンツとか言うな」
即、龍輝のツッコミ。スカートが元通り戻って、ホッとしたからというのもある。
恵萌は、プッと噴き出してから、
「ここにいる時は、性欲とか起こらないって、言ってなかったっけ?」
「性欲、って……。言い方!」
「でも、ないんでしょ?」
「ないけどさ」
龍輝はうなずく。本当のことだ。
恵萌みたいな美少女と、中年男の自分が、毎日、二人きり。普通なら、おかしくなるところだろう。
しかし、「ここ」は、普通の場所ではない。正体はまだ不明だが、超常的な世界であることは確かだ。
もう、ここに来てから、だいぶ経つ。感覚としては、既に数か月以上にも及ぶ。
お互い、髪の毛もヒゲも伸びない。食事も排泄も、一切ないのだ。
たぶん、「あの世」と同様なのだろうと思う。二人とも、霊体に近い状態であるらしい。
恵萌は、口をとがらせて、
「だったら、別に、スカートめくってブルマー見せるぐらい、どうってことないでしょ?」
「確かに、興奮はしないけどさ。けど、そういう問題じゃ、なくないか?」
「なんで? 実害がないのに?」
本当に不思議がっているらしく、恵萌はキョトンとしている。
ゴホッと咳をして、
「一応、俺は大人だからな。道徳的な見地としてはさ。青少年健全育成という観点では、あなたに対して、俺は一定の責任は負ってるわけでさ」
それを聞いた恵萌は、体の前で腕組みをする。セーラー服特有の、モコモコした長そでが、締めつけられて、さらにふくらんだ。
「育成も何も、もう死んでるじゃん、うちら」
「うーん。まあ、まだ、死んだと決まったわけではないけどなア……」
否定はしてみるも、龍輝も歯切れが悪い。
残念ながら、恵萌の言う通りである可能性が高いからだ。何しろ、ここに来る直前の、二人の「最後の記憶」が、すさまじい。
二人して、ほぼ同時に、大型の車にはねられたのだ。龍輝の記憶が正しければ、2026年の4月16日だったと思う。恵萌は、2026年の「四月の真ん中」としか、覚えていないというが。
で、次に気がついた時には、この部屋にいたというわけなのであった。
体は無傷。服装は、車にひかれた時のままであった。
まさに、龍輝は朝の出勤、恵萌は登校の途中だったのだ。
いずれにせよ、脱線した話も、やがて、元に戻ってくる。
「――さあ、じゃ、まあとにかく、そろそろ出発かな」
恵萌は、座席の上に置いていたスマホを、再び、拾い上げる。
画面をのぞき込み、タイムワープの最終調整を始める。
「借り物競走は、午後だったって言ってたよね?」
画面から、ちらりと目をそらしてきた。大きな瞳と視線が合う。
龍輝は、首を縦に振り、
「ああ。さすがに、何時からとかは覚えてないけど、昼飯は食った後だったよ。それは間違いない」
「――じゃあ、タイムワープは、午後一時にセットしよっかな」
「うん。それぐらいが、いいんじゃないか?」
恵萌も、強めにうなずいて、
「ね。現地にいられるのが、三時間以内だから……」
「四時には終わってるだろ。多分、体育祭そのものが」
「逆に、一時じゃ遅すぎる可能性は?」
「えっ……」
聞かれて、今度は、龍輝が腕組みをする。垂らしたネクタイの先端が、手首の袖に乗っかる。
「うーん。普通、昼休みは十二時以降だろ。まして、体育祭だからなア。外からの客も来るんだから、基本的には、十二時台はお弁当の時間だと思うんだが。午後一時で、間に合うはずだよ。借り物競走が、終わってるってことはないだろ」
「あんまり早く着きすぎてもねえ」
「そうなんだよな。行った先の人と、大きなトラブルでも起こそうものなら、強制終了だからなア」
と、龍輝が同意する。
これも、二人でタイムワープを繰り返すうちに、徐々に判明したルールであった。
過去へタイムワープをして、もし、その場の人たちを不自然に驚愕させたり、物を大きく破損させたりした場合には、たちまち、景色が歪んで、この部屋へ戻ってきてしまうのである。
要は、それぞれの時代、場所ごとに、調和を乱す言動を取ってはならないということらしい。
つまり、イベントなど、何か明確な目的がある場合には、なるべく、それが始まる直前へとタイムワープした方が、無難なのであった。
余計なトラブルを起こして、リセットされたら、台なしである。二度と、同じ日へは行かれないのだから。
こうして、恵萌も決心がついたようで、
「――よォし、分かった。やっぱり、午後一時に決めたっ」
すっきりとした笑顔。
細い指先で、スマホをタップする。
向き合う龍輝からは、画面を見ることは出来ないが、どうやら、最終確認のメッセージが出たようだ。
恵萌は、ぺこりと龍輝に会釈してから、
「じゃ、行ってくるね。――タイムワープ、セット。日時は1994年9月18日、場所は日本国、立遠第二中学校付近、時刻は13時、と。OK!」
言い始めと終わりの、「行ってくるね」と「OK」のところで、スマホから顔を上げ、上目使いに龍輝を見てきた。細めた瞳が、楽しげだ。
直立したまま、龍輝は片手を上げ、
「行ってらっしゃい。気をつけて」
「龍輝の青春の未練、晴らしてくるからね!」
白い歯を見せ、そう答える恵萌の全身は、早くも、青い光に包まれ、姿が薄れ始めている。タイムワープが始まったのだ。
ジュイッ、ジュウィッ、ジュイイッと、電子音と風の中間のような、独特の音も響く。
「ああ、よろしく。どうもありがとな」
龍輝のお礼の言葉は、聞こえなかったかもしれぬ。言い終わる前に、恵萌の姿は消えていたから。
「――」
あとには、スマホだけが残った。
と言って、いきなり落っこちることはない。
恵萌が持っていたスマホは、浮かんで、そのまま、ふわふわと空中をゆっくり下りて、床にそっと着地をする。何らかの力が、作用しているのだった。
龍輝が、それを拾い上げる。
スマホ下部に取り付けられたストラップが、ジャラジャラと鳴った。
こけしとミノムシを合成したような、奇妙なマスコットも付いている。つい最近、恵萌が中学三年の頃、修学旅行で買ってきた民芸品だそうだ。東北地方のお土産。女子高生にしては、渋いチョイスである。
スマホ画面には、スクリーンセーバーのようなロックがかかり、一面、真っ青だ。いつものこと。
タイムワープ中は、ずっと、こうなっているようだ。
「ようだ」というのは、二人で一緒にタイムワープする場合は、確かめようがないためである。
タイムワープ先には、スマホを含め、物は持ち込めない。持って行かれるのは、身に着けている衣服、靴だけである。
「――で、俺は、今回は、お留守番、と。まあ、しょうがないけどな」
龍輝の独り言。
今まで自分が生きていた・存在していた期間へは、タイムワープ出来ないのだ。
恐らく、「同じ時空間に、同一人物が二人以上は存在し得ない」といった法則が働いているのだろう。
先ほどの会話のとおり、1994年には、恵萌はまだ生まれていない。しかし、龍輝は既に生まれている。したがって、行かれるのは恵萌だけだ。
「青春の未練、か……」
今、去り際に恵萌が告げた言葉を、龍輝は繰り返す。
(そんな大げさなものでもないけどな)
静かに笑う。
だが、中学二年生の体育祭だけは、未だに、日付けまでしっかり覚えている。それだけ、思い出深いのだ。悪い意味で、だが。
ボロボロ泣いた、あの借り物競走。軽いトラウマである。
恵萌が、今から、それを晴らしてきてくれるという。
(期待してるぜ、恵萌!)
土産話を、楽しみに待ちたい。
四十六歳で「死亡する」まで、ずっと、モテない人生だった。
……なのに、「死後に」、なぜか少女と二人きり。しかも、全くの他人。
困惑するけれど、しかし、相手はもっとだろう。当然だ。高校生の女の子が、いきなり、さえない中年男と二人暮らしをすることになるなんて……。
せめて、「人のいい無害なおっさん」でありたいと思うし、幸い、それは今のところ、うまくいっているようだ――。
その少女・降幡恵萌が、立ったままでスマホを操作しつつ、話しかけてきた。
「出発準備も、大詰めかな。行き先は、1994年9月18日、と」
高い声。響きは、ふんわり柔らかいが、語尾はやや鋭い。りんとしている。十代少女の若々しさだ。
向き合って立つ中年男・滝倉龍輝が、
「たぶん、その日付けで合ってると思うんだけど、間違ってたら、ごめんよ」
「だって、三十年も前でしょ?」
「ああ、もっとだな」
恵萌のまゆ毛が、ハの字に下がり、
「そんな昔の体育祭の日付けなんて、普通、忘れてるって」
龍輝も小さく笑って、
「まあな。俺は、未練があるからな。――せめて、94年9月18日が日曜日だと分かればいいんだけどな」
「確かに、体育祭って日曜日が多いもんね」
「ああ」
この場所にいる二人に、それを調べる手段はない。スマホの、検索やカレンダー機能は、全て使えなくなっている。外部の情報からは、遮断されているのだ。
目の前の恵萌が首を振ると、ポニーテールも左右に揺れた。
身長は、龍輝より小柄。なだらかな肩。スカート姿である。靴はローファー。
「まあ、そんなのいいよ、いいよ。気にしないで。もし違ってたら、タイムワープをやり直せばいいだけだし。何回でも行けるんだからさ。同じ日には、行けないけど」
「そりゃそうなんだが、ほら、一回ワープすると、次のワープが出来るまでに、数日間、かかるからなア」
と龍輝。
どうやら、エネルギーをチャージしているようなのだ。その間は、この部屋で待つしかない。
恵萌のスマホに入っているアプリが、タイムマシンとして機能する。時代と場所を、セッティングするだけでよい。行かれる範囲は、かなり限られてはいるけれど――。
無論、誰がどうやって作ったのかは一切不明な、得体の知れぬアプリ。何回も使いながら、試行錯誤で、手順を覚えていっている最中なのだ。
恵萌は、自分の前髪を指先でつまんで、
「そうだけどさ。いいじゃん。うちら、時間は無限にあるんだし」
「まあ……な」
龍輝はうなずくが、恐らく、今、苦笑いになっていることだろう。
二人は、現在、異次元の空間で生活している。
ここは、六畳ほどの部屋。中央に、横並びの座席が二つ。
窓、ドアはない。ゼリーのようにぼやけた、青い壁に囲まれている。
雰囲気としては、自動車の中に、やや似ている。
いや、天井は高いので、例えるなら、自動車というより、電車の片隅に近いかもしれない。
この「謎の場所」へと迷い込んでから、だいぶ、長い時間が過ぎた。
ある程度までは、法則性も判明しつつある。
脱出は出来そうもないこと、年を取らないこと、過去へタイムワープして遊べること、など。
恵萌が、話を続ける。
「で、行く場所は、立遠第二中学校、と。――龍輝の頃には、まだ、女子の体操服はブルマーだったんだよね?」
今回の目的は、現地の体育祭を見ることなので、自然と、体操服の話題になる。
龍輝は、
「ああ、そうだな。俺の期が卒業して数年後に、徐々に廃止になったらしいけどな。たしか、西暦2000年には、ブルマーは全国でほとんど消えたとか」
「どうりで、私、知らないわけだ。私、生まれたの2009年だもん」
「若いねえ」
「現役JKですから」
「まさにね」
龍輝は、しげしげと恵萌を見やる。今、恵萌はセーラー服姿なのだ。
「体操服のブルマー、生で見れるの、ちょっと楽しみかも」
恵萌がほほえんだら、龍輝は、
「まあ、あの当時、ブルマーはすごく不評で、女子はみんな、嫌がってたけどな」
「恥ずかしいから?」
「そうだね」
龍輝がうなずいた。付け足して、
「恵萌だって、あんなの履きたくないだろ?」
「どうだろ?」
「えっ、恥ずかしいだろ?」
「……んー。確かに、脚が出すぎかなあとは思うけどねー」
小首をかしげながら、セーラー服姿の恵萌は、不意に、自分の履いたスカートを、ひょいとつまみ上げる。
「これでしょ、ブルマーって。一応、私も今、中に履いてるよ」
長い脚、白っぽい肌。太ももの、つけ根まで丸出しになる。それどころか、その上までもが、露わに――。
「こら!」
龍輝が、あわてて、目をそむける。
「何を今さら」
恵萌は、茶化すというよりは、あきれ顔である。
――スカートの中から見えているのは、下着ではなく、その上に着用する厚手のインナー、紺色のオーバーパンツである。恵萌が今言ったとおり、これも一種のブルマーだ。
あえて見せびらかすような物ではないにしても、さりとて、見えたら即、まずい物でもない。
女子高生・恵萌にしてみれば、いい年をした中年男性が、この程度でドギマギしている様は、情けなく思えるのかもしれない。
実際、今さら感も、なくはない。
二人は既に、一定期間、言わば一つ屋根の下で暮らしてきた。
しゃがんだ時などに、恵萌のスカートの中が見えてしまうことなど、幾らでもあった。
また、これまでに、色んな時代を二人でタイムワープしてきたのだ。もはや、ある程度、親密な仲だと言ってもよい。
とはいえ、無防備にスカートをめくり上げる仕草は、決して、お行儀のよいものではない。
また、男性というのは、女性のスカートがめくれそう・めくれているという、その光景自体に、そわそわと気まずくなる性質があるのだ。これはなかなか、女性には分かってもらえないのだけど……。
龍輝は、短髪の頭をボリボリかいて、
「あのさあ、恵萌。もっと、恥じらいとかさ……」
龍輝は、背広姿だ。低い声は、笑ってはいるが、かすれていた。内心、かなり動揺している証拠である。
それに気づいたのか、
「えーっ、そんなにイヤ?」
大きな両眼のうち、左目を細める。長いまつ毛。
手を放したら、スカートの裾が、バサッと下へ戻る。長さは、膝小僧の上あたり。ブルマーは、すっぽり隠れた。
「パンツじゃないのに」
「パンツとか言うな」
即、龍輝のツッコミ。スカートが元通り戻って、ホッとしたからというのもある。
恵萌は、プッと噴き出してから、
「ここにいる時は、性欲とか起こらないって、言ってなかったっけ?」
「性欲、って……。言い方!」
「でも、ないんでしょ?」
「ないけどさ」
龍輝はうなずく。本当のことだ。
恵萌みたいな美少女と、中年男の自分が、毎日、二人きり。普通なら、おかしくなるところだろう。
しかし、「ここ」は、普通の場所ではない。正体はまだ不明だが、超常的な世界であることは確かだ。
もう、ここに来てから、だいぶ経つ。感覚としては、既に数か月以上にも及ぶ。
お互い、髪の毛もヒゲも伸びない。食事も排泄も、一切ないのだ。
たぶん、「あの世」と同様なのだろうと思う。二人とも、霊体に近い状態であるらしい。
恵萌は、口をとがらせて、
「だったら、別に、スカートめくってブルマー見せるぐらい、どうってことないでしょ?」
「確かに、興奮はしないけどさ。けど、そういう問題じゃ、なくないか?」
「なんで? 実害がないのに?」
本当に不思議がっているらしく、恵萌はキョトンとしている。
ゴホッと咳をして、
「一応、俺は大人だからな。道徳的な見地としてはさ。青少年健全育成という観点では、あなたに対して、俺は一定の責任は負ってるわけでさ」
それを聞いた恵萌は、体の前で腕組みをする。セーラー服特有の、モコモコした長そでが、締めつけられて、さらにふくらんだ。
「育成も何も、もう死んでるじゃん、うちら」
「うーん。まあ、まだ、死んだと決まったわけではないけどなア……」
否定はしてみるも、龍輝も歯切れが悪い。
残念ながら、恵萌の言う通りである可能性が高いからだ。何しろ、ここに来る直前の、二人の「最後の記憶」が、すさまじい。
二人して、ほぼ同時に、大型の車にはねられたのだ。龍輝の記憶が正しければ、2026年の4月16日だったと思う。恵萌は、2026年の「四月の真ん中」としか、覚えていないというが。
で、次に気がついた時には、この部屋にいたというわけなのであった。
体は無傷。服装は、車にひかれた時のままであった。
まさに、龍輝は朝の出勤、恵萌は登校の途中だったのだ。
いずれにせよ、脱線した話も、やがて、元に戻ってくる。
「――さあ、じゃ、まあとにかく、そろそろ出発かな」
恵萌は、座席の上に置いていたスマホを、再び、拾い上げる。
画面をのぞき込み、タイムワープの最終調整を始める。
「借り物競走は、午後だったって言ってたよね?」
画面から、ちらりと目をそらしてきた。大きな瞳と視線が合う。
龍輝は、首を縦に振り、
「ああ。さすがに、何時からとかは覚えてないけど、昼飯は食った後だったよ。それは間違いない」
「――じゃあ、タイムワープは、午後一時にセットしよっかな」
「うん。それぐらいが、いいんじゃないか?」
恵萌も、強めにうなずいて、
「ね。現地にいられるのが、三時間以内だから……」
「四時には終わってるだろ。多分、体育祭そのものが」
「逆に、一時じゃ遅すぎる可能性は?」
「えっ……」
聞かれて、今度は、龍輝が腕組みをする。垂らしたネクタイの先端が、手首の袖に乗っかる。
「うーん。普通、昼休みは十二時以降だろ。まして、体育祭だからなア。外からの客も来るんだから、基本的には、十二時台はお弁当の時間だと思うんだが。午後一時で、間に合うはずだよ。借り物競走が、終わってるってことはないだろ」
「あんまり早く着きすぎてもねえ」
「そうなんだよな。行った先の人と、大きなトラブルでも起こそうものなら、強制終了だからなア」
と、龍輝が同意する。
これも、二人でタイムワープを繰り返すうちに、徐々に判明したルールであった。
過去へタイムワープをして、もし、その場の人たちを不自然に驚愕させたり、物を大きく破損させたりした場合には、たちまち、景色が歪んで、この部屋へ戻ってきてしまうのである。
要は、それぞれの時代、場所ごとに、調和を乱す言動を取ってはならないということらしい。
つまり、イベントなど、何か明確な目的がある場合には、なるべく、それが始まる直前へとタイムワープした方が、無難なのであった。
余計なトラブルを起こして、リセットされたら、台なしである。二度と、同じ日へは行かれないのだから。
こうして、恵萌も決心がついたようで、
「――よォし、分かった。やっぱり、午後一時に決めたっ」
すっきりとした笑顔。
細い指先で、スマホをタップする。
向き合う龍輝からは、画面を見ることは出来ないが、どうやら、最終確認のメッセージが出たようだ。
恵萌は、ぺこりと龍輝に会釈してから、
「じゃ、行ってくるね。――タイムワープ、セット。日時は1994年9月18日、場所は日本国、立遠第二中学校付近、時刻は13時、と。OK!」
言い始めと終わりの、「行ってくるね」と「OK」のところで、スマホから顔を上げ、上目使いに龍輝を見てきた。細めた瞳が、楽しげだ。
直立したまま、龍輝は片手を上げ、
「行ってらっしゃい。気をつけて」
「龍輝の青春の未練、晴らしてくるからね!」
白い歯を見せ、そう答える恵萌の全身は、早くも、青い光に包まれ、姿が薄れ始めている。タイムワープが始まったのだ。
ジュイッ、ジュウィッ、ジュイイッと、電子音と風の中間のような、独特の音も響く。
「ああ、よろしく。どうもありがとな」
龍輝のお礼の言葉は、聞こえなかったかもしれぬ。言い終わる前に、恵萌の姿は消えていたから。
「――」
あとには、スマホだけが残った。
と言って、いきなり落っこちることはない。
恵萌が持っていたスマホは、浮かんで、そのまま、ふわふわと空中をゆっくり下りて、床にそっと着地をする。何らかの力が、作用しているのだった。
龍輝が、それを拾い上げる。
スマホ下部に取り付けられたストラップが、ジャラジャラと鳴った。
こけしとミノムシを合成したような、奇妙なマスコットも付いている。つい最近、恵萌が中学三年の頃、修学旅行で買ってきた民芸品だそうだ。東北地方のお土産。女子高生にしては、渋いチョイスである。
スマホ画面には、スクリーンセーバーのようなロックがかかり、一面、真っ青だ。いつものこと。
タイムワープ中は、ずっと、こうなっているようだ。
「ようだ」というのは、二人で一緒にタイムワープする場合は、確かめようがないためである。
タイムワープ先には、スマホを含め、物は持ち込めない。持って行かれるのは、身に着けている衣服、靴だけである。
「――で、俺は、今回は、お留守番、と。まあ、しょうがないけどな」
龍輝の独り言。
今まで自分が生きていた・存在していた期間へは、タイムワープ出来ないのだ。
恐らく、「同じ時空間に、同一人物が二人以上は存在し得ない」といった法則が働いているのだろう。
先ほどの会話のとおり、1994年には、恵萌はまだ生まれていない。しかし、龍輝は既に生まれている。したがって、行かれるのは恵萌だけだ。
「青春の未練、か……」
今、去り際に恵萌が告げた言葉を、龍輝は繰り返す。
(そんな大げさなものでもないけどな)
静かに笑う。
だが、中学二年生の体育祭だけは、未だに、日付けまでしっかり覚えている。それだけ、思い出深いのだ。悪い意味で、だが。
ボロボロ泣いた、あの借り物競走。軽いトラウマである。
恵萌が、今から、それを晴らしてきてくれるという。
(期待してるぜ、恵萌!)
土産話を、楽しみに待ちたい。

