side一ノ瀬燐牙
鬼千会本部の会議室は、異様なほど静まり返っていた。
分厚い防音扉の向こうでは、いつもなら誰かの怒号や笑い声が飛び交っている。
だが今夜は違った。
畳に正座する幹部たちは、誰一人として口を開かず、ただ中央の上座を見つめている。
そこに座るのは――
鬼千会会長、**鬼頭 恒一郎**。
この世界では知らぬ者のいない老獪な男。
半世紀近く、血と金で組を守り続けてきた存在だ。
「……揃ったな」
低く、枯れた声が会議室に落ちる。
それだけで空気が引き締まった。
俺は一段下の席に座っていた。
隣には梨紗はいない。
この場に、女が入ることは許されていない。
――それでも。
俺の胸の奥には、梨紗の存在が確かにあった。
「今日はな、報告でも相談でもねぇ」
鬼頭はそう前置きすると、ゆっくりと煙草に火を点けた。
紫煙が天井へと昇り、やがて滲むように消えていく。
「……俺の、引退の話だ」
その言葉に、幹部たちの肩がわずかに揺れた。
「会長……?」
誰かが思わず声を漏らす。
鬼頭は苦笑した。
「老いってのは、急に来るもんじゃねぇ。
気付いた時には、もう追いつかれてる」
彼は自分の手を見る。
節くれ立ち、震えを隠しきれない指。
「俺はな、鬼千会をここまでデカくした。
だが……守ることしか出来なかった」
一瞬、言葉を切る。
「次の時代を作れなかった」
その言葉は、後悔だった。
会議室が息を呑む。
「外国マフィアが入り込んでくる時代だ。
昔みたいに、殴って、脅して、黙らせるやり方は通用しねぇ」
鬼頭の視線が、ゆっくりと燐牙に向けられた。
「……一ノ瀬」
「はい」
俺は即座に返事をする。
「お前は、最近……変わったな」
それは評価とも、試すような言葉とも取れた。
「昔のお前なら、ロシアの連中と小競り合いになった時点で、
徹底的に潰しにいってただろう」
俺は黙っていた。
「だが今は違う。
無駄に血を流さねぇ。
先を考えて動いている」
鬼頭は煙草を灰皿に押し付ける。
「俺はな……
血で築いた組に、血しか残せなかった」
その言葉は、あまりにも重かった。
「だから――
次は、“生き残れる組”を作れる奴に託す」
会議室の空気が、張り詰める。
「次期会長は……
一ノ瀬 燐牙。
お前だ」
一瞬、世界が止まったように感じた。
「……会長」
幹部の一人が声を荒げる。
「若すぎます!
それに……最近は女を側に置いて、
組の方針まで変えようとしている!」
別の幹部も続く。
「甘くなったという声もあります!」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
その目は、冷たいほどに静かだった。
「甘い?
そうかもしれねぇな」
場がざわつく。
「だがな……
俺は、俺のやり方でしか、この組を守れねぇ」
鬼頭が、満足そうに鼻で笑った。
「聞いたか。
こいつは、自分の立場を分かっている」
そして、幹部たちを見渡す。
「異論は認める。
だが決定は変えねぇ」
誰も、それ以上言葉を発せなかった。
沈黙が、了承だった。
「一ノ瀬」
鬼頭は立ち上がり、燐牙の前に立つ。
「これからは、
お前が鬼千会の“顔”だ」
その目は厳しく、同時にどこか安堵していた。
「壊すだけじゃねぇ。
――作れ」
俺は、深く頭を下げた。
「……必ず」
会議が終わり、廊下に出た燐牙は、深く息を吐いた。
重い。
だが、逃げられない。
その時、ふと頭に浮かぶのは、梨紗の顔だった。
――大丈夫。
――一緒に未来を作ろう。
その言葉が、背中を押す。
俺は、ゆっくりと前を向いた。
鬼千会は、
今夜から――
新しい時代へ踏み出す。
鬼千会本部の会議室は、異様なほど静まり返っていた。
分厚い防音扉の向こうでは、いつもなら誰かの怒号や笑い声が飛び交っている。
だが今夜は違った。
畳に正座する幹部たちは、誰一人として口を開かず、ただ中央の上座を見つめている。
そこに座るのは――
鬼千会会長、**鬼頭 恒一郎**。
この世界では知らぬ者のいない老獪な男。
半世紀近く、血と金で組を守り続けてきた存在だ。
「……揃ったな」
低く、枯れた声が会議室に落ちる。
それだけで空気が引き締まった。
俺は一段下の席に座っていた。
隣には梨紗はいない。
この場に、女が入ることは許されていない。
――それでも。
俺の胸の奥には、梨紗の存在が確かにあった。
「今日はな、報告でも相談でもねぇ」
鬼頭はそう前置きすると、ゆっくりと煙草に火を点けた。
紫煙が天井へと昇り、やがて滲むように消えていく。
「……俺の、引退の話だ」
その言葉に、幹部たちの肩がわずかに揺れた。
「会長……?」
誰かが思わず声を漏らす。
鬼頭は苦笑した。
「老いってのは、急に来るもんじゃねぇ。
気付いた時には、もう追いつかれてる」
彼は自分の手を見る。
節くれ立ち、震えを隠しきれない指。
「俺はな、鬼千会をここまでデカくした。
だが……守ることしか出来なかった」
一瞬、言葉を切る。
「次の時代を作れなかった」
その言葉は、後悔だった。
会議室が息を呑む。
「外国マフィアが入り込んでくる時代だ。
昔みたいに、殴って、脅して、黙らせるやり方は通用しねぇ」
鬼頭の視線が、ゆっくりと燐牙に向けられた。
「……一ノ瀬」
「はい」
俺は即座に返事をする。
「お前は、最近……変わったな」
それは評価とも、試すような言葉とも取れた。
「昔のお前なら、ロシアの連中と小競り合いになった時点で、
徹底的に潰しにいってただろう」
俺は黙っていた。
「だが今は違う。
無駄に血を流さねぇ。
先を考えて動いている」
鬼頭は煙草を灰皿に押し付ける。
「俺はな……
血で築いた組に、血しか残せなかった」
その言葉は、あまりにも重かった。
「だから――
次は、“生き残れる組”を作れる奴に託す」
会議室の空気が、張り詰める。
「次期会長は……
一ノ瀬 燐牙。
お前だ」
一瞬、世界が止まったように感じた。
「……会長」
幹部の一人が声を荒げる。
「若すぎます!
それに……最近は女を側に置いて、
組の方針まで変えようとしている!」
別の幹部も続く。
「甘くなったという声もあります!」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
その目は、冷たいほどに静かだった。
「甘い?
そうかもしれねぇな」
場がざわつく。
「だがな……
俺は、俺のやり方でしか、この組を守れねぇ」
鬼頭が、満足そうに鼻で笑った。
「聞いたか。
こいつは、自分の立場を分かっている」
そして、幹部たちを見渡す。
「異論は認める。
だが決定は変えねぇ」
誰も、それ以上言葉を発せなかった。
沈黙が、了承だった。
「一ノ瀬」
鬼頭は立ち上がり、燐牙の前に立つ。
「これからは、
お前が鬼千会の“顔”だ」
その目は厳しく、同時にどこか安堵していた。
「壊すだけじゃねぇ。
――作れ」
俺は、深く頭を下げた。
「……必ず」
会議が終わり、廊下に出た燐牙は、深く息を吐いた。
重い。
だが、逃げられない。
その時、ふと頭に浮かぶのは、梨紗の顔だった。
――大丈夫。
――一緒に未来を作ろう。
その言葉が、背中を押す。
俺は、ゆっくりと前を向いた。
鬼千会は、
今夜から――
新しい時代へ踏み出す。



