大会翌日。
僕は旧校舎の演劇部の稽古場に来ていた。
その一角にある神棚に、僕は母のものだと思われる家にあったワインを適当に拝借してお供えをする。
そして神棚に向かって、二礼二拍手一礼した。
「無事に大会で優勝することができました。ありがとうございます」
今回、大会で最優秀賞をとれたのは、アメちゃんのおかげだ。
なので、アメちゃんに結果報告とお礼参りに来たのだ。
「律儀ですね。玲央」
「ねえねえ、これ僕が飲んじゃだめ〜?」
「だめに決まってんだろ!アメに見つかったらやべぇのなんの……」
「アメちゃんって、そんなにお酒が好きなんだね」
僕の供えたワインのボトルを、レテが抱きしめる。
どうやらアメちゃんだけじゃなくって、みんなもお酒が好きみたいだ。
と、その時だった。
「あれ?」
滅多に人のこないこの場所に、人が入ってきたのだ。
しかもそれは、聞き覚えのある……いや、とても知っている声の主。
「玲央くんも、ここに来てたんだ!」
「しゅ、朱里……さん?!」
朱里さんだった。
なんで朱里さんがここに?
そう僕が聞く前に、朱里さんは神棚に甘酒を置いて、手を合わせる。
そして、
「今回の大会、アメちゃんに感謝だね!」
「え……?」
朱里さんの口から、アメちゃんの名前が出てきたのだ。
「……朱里さんも、アメちゃんを知ってるの?」
「うん」
一切隠そうとせず、朱里さんは答えた。
え?どういうこと?
朱里さんが、アメちゃんを知ってるって……。
「私も、アメちゃんに力を貸してもらってたからさ」
「違います!アメ様の力ではありません!私の力ですわっ!」
そう言って、ぴょこんと朱里さんの後ろから現れたのは、キジトラ模様をした魔法少女アニメに出てきそうなマスコットだった。
イデたちとはまた違って、その子はふわふわとした可愛らしい紫色のドレスを着ている。
「私がついているのですから、最優秀賞は当然ですわ!ですが……」
と、朱里さんの近くにいるその猫は、咄嗟に僕の後ろに隠れた三匹を睨みつけた。
「あなたたちのせいで台無しになるところでしたのよ!何を考えているんですのッ!!!イデ!アル!レテ!」
「わ、悪かったって、ノエ!」
「まさかあなたが、この方に力を貸しているとは知らなかったんですよ……!」
「ごめんよ〜ノエ〜!!」
ノエというらしいこの子は、どうやらみんなと顔見知りらしい。
「こほん。初めましてですわ。私、アメ様の使いで、朱里に力を貸している山猫のノエと申します。以後お見知りおきを」
そう言って、ノエは僕に向かって丁寧にお辞儀をしてくれた。
なるほど。そういうことか。
「……まさか朱里さんにも、アメちゃんの使いがついてたなんて……」
「うん。入学式前にね。ここに入学できるのが嬉しくなっちゃって、早めにきて学校の中を探検してたの。そしたらここを見つけて、寒いから持ってた甘酒を床に置いてちょっと舞台で遊んでたら、アメちゃんが出てきて……」
「甘酒?」
「うん。甘酒」
え、ちょっと待って。
アメちゃんとの契約って、そんなに緩くていいの?
結構かっちりしてないとダメだと思ってた……。
ってか、甘酒もお酒の判定なんだ。
まさかの事実にびっくりする僕をよそに、朱里さんは続ける。
「それからずっと、部活ではノエちゃんが力を貸してくれてたんだ。私と入れ替わってね」
「えっへんですの!」
だから朱里さんの演技は、全く人が変わったみたいだったのか。
変わったみたいというか、実際に変わってたんだから。
「最初の頃はよくノエちゃんに入れ替わってもらってたんだけど、徐々にそれも減らしてて……。昨日は中学最後の大会だったでしょ?だから初めて、最初から最後まで私だけで演技したんだ」
「……そうだったんだ」
それであの演技って……。
やっぱり朱里さんはすごい。
でも、
「時々ここに来てお祈りしてさ。最後の大会、成功しますようにって」
そんな朱里さんも、不安だったんだ。
僕とは違って、朱里さんみたいな人はなんの不安もないと思ってたけど、そんなことなかったんだ。
「でもそしたら、玲央くんがいるんだもん。びっくりしちゃった」
「え……?」
ちょっと待って、それって。
「も、もしかして……見てた、の?」
「うん。見てたよ。1週間くらい前に玲央くんがロミオの演技をするところ」
ま、まじか……。
はっきり言われると、恥ずかしくてたまらない。
だってあの時は、誰も見てないって思っていたから。
「だから、蘭くんの代役に玲央くんを推したんだよ」
「え……?」
「あの演技だったら、絶対大丈夫だって思ったから。それに……」
「それに?」
一瞬朱里さんは言い淀んだ。
でも、すぐにいつもの笑顔を作る。
「それになんかあったら、アメちゃんの使いの子たちがなんとかしてくれると思ってたし!」
「そっか……」
って、ちょっと待って。
朱里さん、みんなに気付いてたってことは、もしかして、もしかして、モシカシテ……?
「あ……あの……も、もしかして朱里さん……。数日前に、朱里さんに告白に来た人のこと……」
「あぁ、あれ玲央くんでしょ?」
なんでもないように、朱里さんは答えた。
なんでもなくなくない?!
ってか本人にバレてるじゃん!イデ!!!!!!!!!
キッと、とっさに僕はイデを睨みつける。
けれど、イデはあの日のことを思い出したようで、真っ白になっていた。
「あれ、アメちゃんの使いが色々やってくれてたんだよね!玲央くんってバレない方がいいと思ったし、中の子は知らなかったから、あんな返事になっちゃった!ごめん!!!」
「あ……いいよ、いいよ……謝らないで」
謝られると、余計に辛い。
それと、
「……もしかして、あの一人芝居も……?」
恐る恐る聞いてみる。
「うん。あれも玲央くんでしょ?」
「……だよね……」
ということは、僕は1日で2回、朱里さんに振られたってこと?
付き合えるなんて、烏滸がましいことは思ってない。思ってなかったよ。
でも、でもさ。
告白しなかったら付き合える可能性は残ってるわけでしょ?
告白して、断られたら……もう絶対に無理じゃないか。
顔を引き攣らせながら、僕はなんとか失恋のショックに耐える。
そのせいで、
「……ちゃんと告白してくれたら……返事は違うんだけどね……」
「え?」
ポツリと呟いた朱里さんの声が、よく聞き取れなかった。
けれど、
「なんでもないよ!それより、玲央くんはこれからどうするの?」
朱里さんはもう話すつもりがないようで、話題を変えてしまう。
「私ね、ウィリアム学園を受験するつもりなんだ。玲央くんは?」
もう進路決まった?
と、朱里さんはまっすぐ僕を見つめる。
そうだ。
夏の大会は終わった。
3年生の僕たちは、ここから進路について考えなくちゃいけないんだ。
「僕……は……」
近くの高校の普通科に行くつもりだ。
と、そう答えようと思った。
けれど、ふと頭をよぎったのは、昨日の演技だ。
自分ではない、誰かになる。
その高揚感が、まだ胸の中に小さな熱を持っていた。
レテの時とは違う。
この熱は、他の誰のものでもない。
僕の熱だ。
そっと、僕は自身の胸に手を当てる。
答えは、そこにあるはずだから。
「……僕もそこ、受けてみようかな……」
「え?」
ボソリと呟いた僕の声を、朱里さんは聞き逃さなかった。
「……玲央くん……もしかして、演劇……続けてくれるの?」
「……うん。ちょっとだけ、頑張ってみようかなって……」
「やっ……」
「やったー!!!!」
朱里さんが言うよりも早く、イデたちが揃って大声をあげて、万歳をした。
「玲央〜!これからも演劇、続けてくれるの?!」
「これでやっと私たち本来の仕事ができます!!!」
「改めて、よろしくな!」
そう言って、イデが手を差し出す。
その手を、僕はぎゅっと握りしめた。
「……全く、暑苦しいったらないですわ」
「そうだね。でも……」
私も、ずっと待ってたから……。
そう言った朱里さんの言葉は、僕には聞こえなかった。
ふと、顔を上げると、みんなの向こうに、舞台が見えた。
そうだ。僕の舞台は、ここから始まったんだ。
だからまだ、幕は開いたばかりだ。
でも、
でもきっと、
ロミオとジュリエットのような悲劇じゃなくて、僕はこの物語を、ハッピーエンドで終わらせてみせるよ。
だから、
「朱里さん!」
「?」
僕はぎゅっと、朱里さんの手を取ると舞台に上がる。
昨日はできなかったダンスを、朱里さんと踊るために。
そして、
「賤しいこの手が、あなたに触れることを、どうかお許しください」
僕はそっと、朱里さんの手の甲へキスをする。
一連の流れで、朱里さんはロミオだと気付いたらしい。
「まぁ、あなたのお手に対して、あまりにも酷いおっしゃり方」
朱里さんは笑いながら、僕と踊ってくれた。
ちょっと前までだったら考えられなかった。
考えられなかったけれど、でも、僕だって、僕だって立っていいんだ。
この舞台に。
朱里さんの横に。
夏に始まったこの夢は、夢で絶対に終わらせない。
だから今度は、代役じゃなくて自分で役を勝ち取ろう。
僕はそう、胸に誓った。
