勝手に足が動いて、思わず朱里さんの腕を掴んでしまった。
な……何やってるんだよ!僕!!!
こんなことして!
「えっ……と……」
「よ、夜は危ないから、駅まで送っていくよぉ!」
僕はパッと掴んだ手を離して、笑って誤魔化す。
今の……変じゃなかったかな?
ちらっと、僕は朱里さんの顔をうかがう。
朱里さんは少し困ったように眉をハの字にしていた。
でも、
「……じゃあ、お言葉に甘えて……」
そう言って、朱里さんは改めて僕にお辞儀をする。
長い髪が、はらりと前に垂れた。
「あ、うん……」
行こっか。
と、僕は自分の顔を見られないように、朱里さんの前に出てそのまま駅に向かう。
……ど、どうしよう……。
自分から始めたことだけど、こういう時、一体何を話せばいいんだ……?!
まさか自分が、朱里さんと二人っきりになるなんて。
夢にも思っていなかったことが現実で起きていて、頭がうまく働かない。
どうしよう。
どうしよう。
その五文字ばかりが、頭の中をぐるぐる埋め尽くす。
えっと……そうだ、レテ……!
レテだったら、どんな話をするだろう?
小さく深呼吸をして、レテだったらと考えてみる。
すると、不思議なことに、すっと頭の中がクリアになった。
そうだ、きっとレテなら……。
「あー、でもこんなとこ、彼氏さんに見られたらまずいかなぁ〜?」
両手を頭の後ろへ回して、大股で歩きながら、朱里さんに話をふる。
レテならきっと、ちょっと戯けながらも朱里さんとその周りのことを気遣うはずだから。
だってこんなとこ、蘭くんに見られてたらまずいもんね。
「大丈夫ですよ。彼氏いませんので」
「……え?」
ちょっと、待って、今、なんて言った?
彼氏は、いない?
驚きを悟られないように、僕は続ける。
「え〜!こんなに可愛いのに?」
「はい」
いません。
と、朱里さんははっきり答えた。
本当に?
だって朱里さんは、蘭くんと……。
「じゃあ、僕が立候補しちゃおうかな〜」
くるっと、僕は体を向き直して、半信半疑で朱里さんの顔をのぞいてみる。
すると朱里さんはずっと僕を見つめていたようで、すぐにぱちりと目があった。
けれど、すぐに逸らされてしまう。
「あ、……えっと……ごめんなさい……」
少し戸惑いながら、朱里さんは僕の告白を断る。
当然だ。
こんな軽い告白にOKなんて、するはずがない。
大丈夫。
大丈夫だ。
……これは、レテだったら言うセリフだから。
「あはは、ごめん。冗談!冗談!!!」
僕がフラれたわけじゃない。
だから、軽く流す。
でも、レテになりきっているとはいえ、実際に自分で面と向かって告白して断られるのは、正直くる……。
そんな僕の気持ちを知るわけもなく、目を伏せたまま、朱里さんはぽつりと呟いた。
「私、ずっと昔から好きな人がいて……」
「……そうなの?」
そんな話、今まで聞いたことがなかったので、純粋に驚く。
当然と言えば当然だ。
僕と朱里さんの関係といえば、ただの同じ演劇部員同士というだけなんだから。
こんなプライベートは話はおろか、部活のこと以外で喋ったことがそもそもない。
知らなくて当たり前だ。
「はい。……ずっと、ずっと前から……。また、あの姿を見たいんですけどね……」
そう語る朱里さんの目は、僕をみているのに、どこか遠くを見つめているみたいだった。
「そっかぁ。またその人に会えるといいね!」
「ありがとうございます」
僕がそう伝えると、朱里さんは優しく微笑んだ。
「それにしても……ロミオの時とは全然雰囲気が違うんですね」
「そうだね〜。演技する人物と、僕は別だからねぇ。ロミオはどちらかといえば、自分に酔ってるようなタイプだし?」
そう。それが演劇の面白いところだ。
普段の自分を一切消して、別の人間になれる。時代も国籍も何もかも超えて、自分の知らない人生を生きれるんだ。
すごいよね、役者って。
だから普段はこんな調子のレテでも、一度演技が始まれば、レテとは全く性格の違うロミオになることができる。
といっても、それはレテが考えるロミオに……だけどね。
「そう……ですか」
朱里さんの返事には少し含みがあった。
けれど、その意図をきく前に、タイミング悪く駅に着いてしまう。
「ありがとうございます。ここまで送ってくださって。あとは気をつけて帰ります」
「うん、気をつけてねぇ。あ、あと……」
僕はブレザーのポケットに入れていたそれを取り出すと、ぽんっと朱里さんに渡した。
「これ、お詫びの印に」
それはずいぶん温くなったカフェオレの缶だ。
正直、夏に飲むもんじゃない。
でも、レテだったらやってる。
だって、
「あ、ありがとうございます」
最後に笑って欲しいから。
朱里さんも、まさかの温かい飲み物にびっくりしたようだった。
けれどすぐにふわっと笑うと、僕に小さくお辞儀をする。
「じゃあ気をつけて帰ってね」
そう言って、僕はひらりと手を振った。
朱里さんも一度だけ手を振ると、そのまま人の多い改札の中へと消えていく。
その姿が見えなくなるまで、僕はずっと朱里さんの長い髪が揺れる後ろ姿を見つめていた。
