日向野あかりは、親友に送るはずの恋をグルチャに誤爆した。

 お、送った……?
 同じ学校じゃない親友に対してだからこそ送れる内緒ごと。

 あたしの指が、まだ送信ボタンの上にある気がした。実際にはもう離れてるのに。指だけ、時差で残ってるみたい。

 画面の上には、2年3組のグループ名。
 その下に、あたし、日向野(ひなたの)あかりとラベル付けされた文章。

「ねぇ~もぉ~もぉ~、今日も話しかけられなかったんだけど!」
「ホントにさ~、どうして声が出ないの、あたし」

 いま一番、見られたくないやつ。

「――ぎゃーっ! まずいまずいまずいっ……!」

 取り消し。取り消し。取り消さねば。

 あたしは震える指でメッセージを長押しした――しようとした。
 でも、指先がぷるぷるして、うまく押せない。スマホの画面の上で、あたしの指がスケートリンクに立つ小鹿みたいになってる。

 永遠とも思える数秒のあと、「送信取消」というボタンが出てくる。

 そこを押す。押す。押さねば……!

 ――その間にも、メッセージの右下に、数字が増えていく。

 既読、1。
 既読、3。
 既読、6。

「ちょっと、うそでしょ……!」

 取り消しのボタンを押した瞬間、画面が一瞬だけ固まる。
 次に表示されたのは、メッセージの下に出る、あの言葉だった。

「メッセージの送信を取り消しました」

 よし! 消えた!

 ……って、思ったのも一瞬。
 その下に、もう別の文字が並び始めていた。

 メッセージだけじゃ足りなかったんだ。読んだ人の記憶まで消さないと、取り返しがつかないことになるから。

「え、なに?」
「今の誰?」
「日向野?」
「消えたw」
「気になるんだけど」

 あたしはスマホを持ったまま、ベッドの上で小さく丸くなった。

 消したのに、消えてない。
 取り消しって、魔法じゃなくて、ただの「遅刻」なんだ。見た人は見た。もう、それで終わり。

 スマホの通知が、また震えた。
 追い打ちみたいに。

 もうなんて言われているかを見る気もしない。
 あたしは画面を見ないようにしながら、スマホの電源を落として。

「きょうの晩ご飯はなにかなぁ~……」

 現実に逃避していった。
 ハンバーグとか、いいよね。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 翌朝。

 駅前のコンビニから流れてくるクリスマスソングが、朝からやたら元気だった。
 サンタさんは知らないでしょ。こんな憂鬱な気持ちでプレゼントを待ってる子がいることを。

 あたしは校門をくぐる前に、スマホの画面を一回だけ見た。

 通知、ゼロ。
 ……そりゃそうだ、昨日電源を落としてからずっとそのままだから。

「はぁ、誤爆が夢だったらいいのに……」

 ひとりごち、できるだけ体を小さくして教室に向かう。

 廊下を歩くと、いつもより足音が大きく聞こえた。すれ違う誰もが、なぜかみんな「見てますよ」って顔をしてる。いや、してない。あたしの脳が勝手に怖がってるだけ。

 2年3組の前で、深呼吸。
 ドアに手をかけた瞬間、教室の中の音が、外まで漏れてきた。

 いつもざわざわしてる。うちのクラスは、基本いつも祭りだ。
 でも今日のざわざわは、なんかちがう。

 音量が、一段上。しかも、笑い声の角度が、あたしの方に向いてる気がする。

 ……気のせい。気のせい。気のせいを信じろ。

 あたしはドアを開けて、できるだけ普通に入った。
 普通って、こうだよね。背筋をのばして、明るく、さっぱり。

「おはよー」

 声は出た。よし、第一関門クリア。

 なのに。
 教室の何人かが、いっせいに顔を上げた。

 目が合う。
 その目に、笑われている気がする。

 あたしの心臓が、いきなり体育のシャトルランを始めた。
 ドキドキドキ、ポーン、ドキドキドキドキ、ポーン。

「……えっとぉ」

 あたしは、とりあえず笑っておくことにした。

「……えへへ」

 やめろ、あたし。そこ、笑う場面じゃない。笑うと怪しいって、昨日の夜に百回予習したはずなのに。
 でも、この教室の“空気”に耐える術をほかに知らなかった。

 笑いながら、コソ泥みたいにバッグを抱えて席に向かう。

 その通り道で、誰かの会話が一瞬だけ止まる。
 止まって、また始まる。

 それが、何度か続いた。
 もう答え合わせだ。

 これ、もうみんなに知れ渡ってるやつじゃん……終わった。

 あたしは席に座って、教科書を出すフリをして始業時間までやり過ごそうとする。
 フリって便利だよね。中身が空でも、忙しい人に見せられるし。

 でも、ホントは忙しくないから、耳が勝手にあたしに向かう矢印を拾ってくる。
 うちじゃ飼えないから拾ってくるんじゃありません!

「なあ、昨日のやつさ」

 男子の声。いきなり核心を刺してくる。

「絶対、恋バナだよな」
「いや、あの言い方で恋バナじゃないことある?」

 だよなって笑い声。くすくすって、乾いた音。

 あたしは教科書のページをめくった。読んでない。めくっただけ。
 文字は目に入るけど、どれも意味をなさずに紙の上を踊っている。

「昨日話してないってことは、昨日しゃべってないやつ?」
「候補が多すぎて推理できん」
「俺昨日話した、じゃあ俺じゃないのか、くっそー」
「同じクラスとは限らなくない?」
「日向野、ヒント! ヒント!」

 ……来た。あたし、名指し。

 心臓が、机の上に出てきそう。やめて、授業の邪魔になるから戻って。

 あたしは笑って振り向いた。大丈夫かな、引きつってないかな。

「ちがうちがう! やだな、深い意味ないって!」

 声、上ずった。
「深い意味ない」って言い方が、逆に深い意味っぽい。だって、ふつう深い意味ないことに、こんな必死にならない。わかってるのに。

 男子たちが、さらに盛り上がる。

「うわ、その反応マジじゃん!」
「あかりちゃん、だれだれ? うちのクラス?」

 さっきまで静観していた女の子グループまで、あたしの席に寄ってくる。
 わー、もてもてだー、あたし、うれしー。

「いやいや、日向野、俺のことだろ?」

 お調子者の男子の直球が飛んできた。
 バットもグローブも持ってないのに、球だけ来る。

「あんたのことでは絶対ないから、安心して」

 その球を、あたしは素手でつかんで思いっきり地面にたたきつけた。
 女の子たちがくすくす笑うと、お調子者は崩れ落ちるように床に倒れた。

 いいぞ、なんかいつも通り振る舞えてるかも。
 そんな風に思ったのも、つかの間。

「あんたのことではって、ほかにいるってことじゃないの?」

 横から、可愛らしい声があたしに突き刺さる。

 白石(しらいし)さや。
 茶色がかったミディアムボブが揺れてる。笑ってる。笑ってるけど、目が真剣だ。

 さやはあたしの親友だ。クラスの中では誰よりも近い。
 だからこそ遠慮がないから、いまのあたしにとっては最大の危険人物かもしれない。

「好きな人いるなら教えてくれてもいいじゃーん」

 軽いノリ。教室の空気に乗せた言い方。
 でも、そんな軽い言葉があたしの胸をチクチクつついてくる。

 そうだよね、あたし、さやに“あの人”のこと相談したことないから。
「親友である私が知らない」っていう気持ちが、さやの笑った表情から、ちょっと顔を出してる。

 あたしは、もっと笑った。
 笑いで全部を塗りつぶそうとして、ペンキをぶちまけるみたいに。

「だから! ちがうって! 深い意味ないってば!」

 声が、さらに上ずった。
 周りが「おおー」とか「怪しいー」とか言う。

 燃えてる。火がつくの、早すぎる。
 止めたいのに、止め方がわからない。
 こういうときって、怒って「やめて」って言えばいいの?
 でも、それを言った瞬間、空気が変わって、もっと怖くなる気がして。

 あたしは、また笑った。

「えへへ……」

 最悪だ。

 笑えば笑うほど、「ほんとだな?」って詰められる。

「じゃあ誰なの?」
「ヒントだけ!」
「一文字!」
「イニシャル!」

 やばい、燃え上がった教室の空気は、あたしが炎の中に身を投じるまで許してくれることはなさそう。

 あたしは口を開く。
 なにか言わなきゃ。言わなきゃ。火を、消さなきゃ。

 でも、なにを? どうやって?

 言えるわけない。
 言ったら終わる。
 言わなくても終わってる。

 どっちも地獄って、選択肢が意地悪すぎる。

 そのとき。

 ガラッ。

 教室のドアが開いた。
 冷たい空気が、すっと入ってくるみたいに、少しだけ教室の熱気が収まる。

 入ってきたのは、久住(くずみ)恒一(こういち)

 いつも通り、始業時間のぴったり5分前。
 短髪なのに柔らかそうな髪が揺れていて、リュックの紐を肩にかけている。
 ともすれば不愛想に思われるぐらい整った顔は、騒がしさに負けないまま無表情。

 久住くんは、教室の空気を見た。

 見ただけなのに。
 ほんの少し、眉が動いた。