日向野あかりは、親友に送るはずの恋をグルチャに誤爆した。

 次の日の朝。
 家を出るときから、あたしはもう決めていた。

 迷惑かけたくない。

 昨日の教室、あんなに空気が止まったのに。
 あたしの心臓だけ、ずっと走ってた。
 久住(くずみ)くんが一言しゃべっただけで、世界が静かになったのに。
 あたしだけ、うるさかった。

 釣り合わないよね。

 久住くんは、いつも落ち着いてる。
 プリントの角も、声のトーンも、ちゃんとそろってる。
 それに比べてあたしは、気持ちが散らかり放題だ。
 昨日だって、派手なサンタの格好してるくせに、顔だけは必死で隠したくて。
 あたし、どっちのキャラで生きたいの。って、自分にツッコミたくなる。

 学校に着く。
 玄関の前で、深呼吸を1回。2回。
 息が白い。冬だ。言い訳みたいに白い。

 だから、近づかない。そうすれば静かになるはず。

 あたしは、頭の中でルールを作った。
 目を合わせない。
 近くを通らない。
 話しかけない。
 もし話しかけられても、必要最低限。

 ……できる。たぶん。
 いや、できるってことにする。

 廊下を歩きながら、耳だけが勝手に探してしまう。
 あの、落ち着いた声。
「おはようございます」って、言いそうな気配。

 あたしは、あわてて自分の心臓に言う。

 探すな。今日は静かにする日。

 教室のドアが見えてきた。
 中から、いつもの朝のざわざわが漏れてくる。
 その中に、久住くんがいる。たぶん。

 ドアの前で、もう1回だけ深呼吸。
 手をドアにかけて、あたしは心の中で宣言した。

 近づかない。そうすれば、ぜんぶ静かになる。

 ……そのはず、だった。

 なぜか、こういうときに限って。
 扉って、音を立てる。
 椅子って、きしむ。
 そして。

 避けるって決めた瞬間に、相手の存在感って、急に大きくなる。

 教室に入ったその一歩目で、あたしは早くも嫌な予感がした。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 教室に入った瞬間、あたしは“今日のテーマ”を思い出した。
 避ける。近づかない。静かに生きる。

 ……うん。できそう。
 そう思ったのは、席に着くまでの十秒だけだった。

 久住くんは窓際の前のほう。
 あたしは教室の真ん中あたり。
 距離だけ見れば、平和。なのに。

 なぜか今日は、久住くんが通るルートが、あたしの生活圏を横切ってくる。

 プリントを取りに前へ行く。
 戻ってくる。
 その途中で、久住くんがこっちへ来る。

 来る。来る。来る。落ち着け、あたし。

 あたしは一瞬で判断した。
 目を合わせない。
 距離をとる。

 そして、なぜか筆箱を落としたフリを選んだ。

 ガタン。

 筆箱は落ちてない。
 落ちてないのに、あたしの手が勝手に机の下へ飛び、しゃがむ。
 自分でもびっくりするくらいスムーズだった。
 まるで、プロの“落としたフリ選手権”日本代表。

 机の下の世界は静かだ。
 だって、ここには誰もいない。
 ……いや、いた。

 近い。足が近い。
 久住くんの靴が、あたしの視界の端に入ってきた。

 そのまま、さらっと通り過ぎる。
 何も言わない。
 こっちを見たかどうかも、分からない。

 よし、成功……?

 顔を上げると、斜め前の男子がニヤッとしてた。

「うわ、避けた」
「日向野、分かりやす!」

 笑い声が、ぱらぱら広がる。
 悪口じゃない。
 だから余計に、きつい。

 笑ってる。みんな笑ってる。あたしの避け方を。

 あたしは笑うしかなくなる。

「ち、ちがうちがう! なにそれ!」

 声がちょっと上ずって、自分の耳に刺さる。

 その上ずりが、さらに面白いらしい。
 笑い声が、またひとつ増えた。

 そのあとの休み時間。
 係の話し合いが始まった。

 教室の端のほうで、机を寄せる。
 あたしは「隣に来そうな席」を、目だけでチェックする。

 あ、そこ、危険地帯。

 久住くんがその方向に来た。
 来ただけで、心臓が変なジャンプをする。

 だめだめだめ、落ち着け、あたし。

 あたしは椅子を、ひとつずらした。
 自然に。さりげなく。
 そう思ったのに。

 ギギッ。

 音がした。
 教室の空気が「え?」って一瞬固まった気がした。
 あたしの顔も固まった。

「日向野、隣避けた」
「え、今の見た?」
「公式、避けムーブじゃん」

 誰かが笑って、誰かが便乗して、誰かが「やば」って言う。
 あたしの逃げ道は、椅子と一緒にずれていった。

「ちがうちがう! やめてよー!」

 あたしは笑いながら言う。
 言ってるのに、笑ってるみたいに聞こえる。

 久住くんは、何も言わない。
 たぶん、いつも通りの顔で、いつも通りに座った。

 それがまた、あたしを焦らせる。

 お願いだから、反応しないで……! 反応されたら死ぬけど!

 午前の授業が終わって、掃除の時間。
 廊下の担当がたまたま近い。
 それだけで、あたしは嫌な予感しかしない。

 予感はだいたい当たる。
 テストのヤマは外れるのに、こういう予感だけ当たる。なにこれ。

 先生がさらっと言った。

「そこ、二人でやって」

 あたしと。
 久住くんを見もしないで言う先生。先生は悪くない。
 悪くないのに、世界がちょっと意地悪に見える。

 周りがすぐ反応する。

「久住と日向野、ペアじゃん!」
「え、公式?」
「日向野、さっき隣避けてたのに」

 廊下が、ゆるいお祭りみたいになる。
 笑いは軽い。
 でも、軽いほど逃げられない。

 あたしはほうきの柄を握って、また笑ってしまう。

「ちがうちがう! ほんと違うって!」

 声がまた上ずる。
 自分の声が、自分を裏切る。

 久住くんは、ほうきを持って、淡々としている。
 淡々としているだけで、余計に「ペアっぽい」とか言われる。
 意味わかんない。

 廊下の端で、あたしは小さく息を吸った。

 やめて、って言ってるのに、笑ってるみたいになってる。

 笑ってごまかす癖は、便利だった。
 ふだんは。
 でも今日だけは、火に油を注ぐ道具になってた。

 あたしは「静かに生きる」って決めたはずなのに。
 なぜか、今日のあたしは。

 いちばん目立つ“避けてる人”になっていた。