日向野あかりは、親友に送るはずの恋をグルチャに誤爆した。

 次の日。
 更衣室で制服から着替えてきて。
 教室に入った瞬間、目が痛かった。

 黒板が、なんか……すごいことになってる。
 クリスマス仕様のチョークアート。ツリーがでかい。雪だるまが妙にうまい。サンタの顔が、ちょっと先生に似てて怖い。

「やば。黒板、才能の暴力じゃん」

 あたしが言うと、さやが胸を張った。

「でしょ。クリスマス係、全力だから」

 そして、その“全力”は黒板だけじゃなかった。
 教室のすみにはモール。机には小さな紙の星。窓には折り紙の雪。
 そして人間のほうも、妙にキラキラしている。

 サンタ帽の子。トナカイのカチューシャの子。
 普通の制服の子。
 そして――コスプレがっつり派。

 がっつり派の代表は、もちろん、さや。
 赤いケープに白いふわふわ。ほっぺにちょんって赤。
 似合いすぎて、逆に腹立つ。

「……で、あかりは?」

 さやが、にやっと笑う。
 あたしは、スカートの端をつまんだ。
 お前が望んだ姿がこれだがどうだ、と言わんばかりに。

 赤いワンピースみたいなサンタ服。白いふち。胸元に小さい鈴。
 そして、でかいリボン。プレゼントになった気分。

 可愛い。
 でも……今日のあたしのテンションとは、真逆。

 正直、気乗りはしなかった。
 でも、さやとクリスマス係の空気というか圧が、ふわふわしてるのに強情だった。

「ほら、着てきたじゃん! 偉い!」

「……着てこないとさやがふてくされるからね」

「それでもいい、可愛いは正義だからね!」

 さやはあっけらかんと言って、あたしの肩を軽く叩いた。
 その手が、あったかい。
 だけどあたしは、笑うタイミングを一瞬だけ間違えて、変な笑い方になった。

 久住(くずみ)くん、この格好どう思うかな?

 そう思って、久住くんを見てみると、ぜんぜんこっちを見てなかった。
 ちょっと悔しい。

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 授業の合間のミニ企画は、わりと平和だった。
 クリスマス係が用意した、短いクイズと、じゃんけんで小さいお菓子配り。
 みんな、そこそこ笑って。
 先生も「この教室、やたら赤いな」って言って笑ってた。

 終わって、片づけムードになったとき。
 誰かが言った。

「黒板、今日だけだし! 最後にみんなで写真撮ろ!」

「撮ろ撮ろ!」

「うわ、絶対映えるやつ!」

 教室の空気が、いっせいに黒板前へ流れる。
 ざざざ、って椅子が鳴って、机が少しずれて、誰かが「足ふんだ!」って笑う。

 あたしも、流れに乗って前へ行く。
 こういうの、いつもなら嫌いじゃない。
 でも今日は、胸の奥に小さい石が入ってるみたいに、重い。

 前のほうに、久住(くずみ)くんがいた。
 窓際の席の人なのに、今は普通に黒板の前にいる。
 別に目立つ動きをしてるわけじゃないのに、そこだけ空気が少し静かに見える。

 久住くん、こういうときも普通にいるんだよね……。
 ノリが悪いわけじゃないし、ふつうに男の子同士で話してる時もある。陽太とかね。

 あたしは、見ないって決めたのに、見てしまう。
 そして、心臓が勝手に忙しい。

「はい、詰めて詰めてー! 後ろもっと入れるよ!」

 係の子が手を振る。
 みんなが肩を寄せ合いはじめたとき、半歩遅れる子がいた。

 花音(かのん)ちゃん。

 いつも静かで、笑うときは笑うけど、声は小さめ。
 今も、黒板の前まで来てるのに、最後の一歩が出ない。

「花音ちゃんもおいでおいでー」

「端でもいいじゃん!」

 軽い声が飛ぶ。
 花音ちゃんは、小さく首を振った。

「……ごめん。今日は、やめとく」

 その言い方は、すごく丁寧だった。
 でも、そこにあるのは「恥ずかしい」じゃなくて、「イヤ」だった。

 誰かが笑いながら言った。

「えー、いいじゃん、写真ぐらい」

「ほら、今日だけだし!」

 花音ちゃんは、口元だけ笑ってみせる。
 だけど、その笑いが硬い。
 プラスチックのスプーンみたいな笑い。

「……私、写真写り悪いから」

「そんなことないって!」

 女の子の誰かが、いつものノリで返す。
 周りも「そうそう」って笑って、空気を軽くしようとする。

 でも、花音ちゃんの目だけ、笑ってなかった。

 そのとき。

 前のほうから、低い声が落ちた。
 怒鳴ってない。机も叩いてない。
 なのに、教室の音が、ふっと切れた。

「やめてください。笑うことじゃないです」

 久住くんだった。

 笑い声が途中で止まる。
 誰かが息を吸う音が、やけに大きい。
 椅子のきしみが、ひとつ、ギギって鳴った。

 ……また、止まった。

 空気が、止まる。
 それが久住くんの特技みたいに見えてしまうのが、ちょっと怖い。
 そして、あたしの心臓が、また勝手に跳ねる。

 クリスマス係の子が、あわてて笑ってみせた。

「あ、えっと……じゃあさ、写れる人だけで! ね!」

 切り替えようとする声。
 いつもの明るい声。
 でも、止まった空気は、すぐには戻らない。

 花音ちゃんは、少しだけ目を伏せた。
 それから、急に顔を上げた。

「私、写真撮るよ!」

 声は大きくないのに、はっきりしてた。
 さっきまでの硬い笑いじゃなくて、ちゃんとした声。

「え、助かる!」

「お願い、花音ちゃん!」

 係の子がスマホを渡す。
 花音ちゃんは受け取って、黒板から少し離れて構える。

 写真を撮る側に回っただけで、花音ちゃんの肩がちょっと楽になったのが、わかった。
 あたしはそれを見て、胸の奥の石が少しだけ転がった気がした。

「じゃあ、いくよー! はい、チーズ!」

 写る派だけが、黒板の前で笑う。
 写らない派は、写さない。
 それでいい。

 シャッター音が鳴った瞬間、空気がようやく動き出した。

 あたしは、笑ってるフリをしながら、久住くんの横顔を見た。
 久住くんは、もう何事もなかったみたいに、少しだけ視線を下げていた。

 ……あたし以外のことでも、止めるんだ。

 わかってたはずなのに、胸がざわつく。
 あたしはそのざわつきを、鈴の音みたいにごまかして、また笑った。

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 写真を撮り終わったあと、教室はまた、いつものざわざわに戻った。
 笑い声も、椅子の音も、モールのきらきらも。

 なのに、あたしの中だけ、ひとつだけ音が消えない。
 さっきの、久住くんの声。

「やめてください。笑うことじゃないです」

 花音ちゃんの硬い笑い。
 止まった空気。
 そして、花音ちゃんが「撮る側」を選んだ瞬間の、あの軽さ。

 あたしの誤爆でも、陽太の噂でも、今日の写真でも。
 久住くんは、誰かが困ってる顔をしてると、線を引く。

 それが、やさしい。
 それが、かっこいい。
 それが、ずるい。

 ずるい。もっと好きになっちゃう。

 心臓だけが、勝手に跳ねて、勝手に決めて、勝手に疲れていく。
 あたしは、サンタの鈴よりうるさい自分の鼓動に、こっそりため息をついた。

 久住くんのほうを見ると、もう普通にしてる。
 プリントの角をそろえるみたいな、いつもの静けさ。
 あたしだけが、勝手にぐちゃぐちゃ。

 このまま近づいたら、どうなるんだろう。
 お礼を言いたいだけなのに。
 目が合っただけで息が変になるのに。
 もし話しかけたら、あたし、ちゃんと立っていられる?

 ……もう近づかないほうがいい?

 逃げたいわけじゃない。
 でも、近づいたら、あたしがあたしじゃなくなっちゃう気がする。
 声も、顔も、ぜんぶ変なやつに乗っ取られそう。

 あたしは、リボンの端をぎゅっと握って、心の中で結論を出した。

 なるべく、近づかない。

 ……その方が、まだマシ。たぶん。