次の日。
更衣室で制服から着替えてきて。
教室に入った瞬間、目が痛かった。
黒板が、なんか……すごいことになってる。
クリスマス仕様のチョークアート。ツリーがでかい。雪だるまが妙にうまい。サンタの顔が、ちょっと先生に似てて怖い。
「やば。黒板、才能の暴力じゃん」
あたしが言うと、さやが胸を張った。
「でしょ。クリスマス係、全力だから」
そして、その“全力”は黒板だけじゃなかった。
教室のすみにはモール。机には小さな紙の星。窓には折り紙の雪。
そして人間のほうも、妙にキラキラしている。
サンタ帽の子。トナカイのカチューシャの子。
普通の制服の子。
そして――コスプレがっつり派。
がっつり派の代表は、もちろん、さや。
赤いケープに白いふわふわ。ほっぺにちょんって赤。
似合いすぎて、逆に腹立つ。
「……で、あかりは?」
さやが、にやっと笑う。
あたしは、スカートの端をつまんだ。
お前が望んだ姿がこれだがどうだ、と言わんばかりに。
赤いワンピースみたいなサンタ服。白いふち。胸元に小さい鈴。
そして、でかいリボン。プレゼントになった気分。
可愛い。
でも……今日のあたしのテンションとは、真逆。
正直、気乗りはしなかった。
でも、さやとクリスマス係の空気というか圧が、ふわふわしてるのに強情だった。
「ほら、着てきたじゃん! 偉い!」
「……着てこないとさやがふてくされるからね」
「それでもいい、可愛いは正義だからね!」
さやはあっけらかんと言って、あたしの肩を軽く叩いた。
その手が、あったかい。
だけどあたしは、笑うタイミングを一瞬だけ間違えて、変な笑い方になった。
久住くん、この格好どう思うかな?
そう思って、久住くんを見てみると、ぜんぜんこっちを見てなかった。
ちょっと悔しい。
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+
授業の合間のミニ企画は、わりと平和だった。
クリスマス係が用意した、短いクイズと、じゃんけんで小さいお菓子配り。
みんな、そこそこ笑って。
先生も「この教室、やたら赤いな」って言って笑ってた。
終わって、片づけムードになったとき。
誰かが言った。
「黒板、今日だけだし! 最後にみんなで写真撮ろ!」
「撮ろ撮ろ!」
「うわ、絶対映えるやつ!」
教室の空気が、いっせいに黒板前へ流れる。
ざざざ、って椅子が鳴って、机が少しずれて、誰かが「足ふんだ!」って笑う。
あたしも、流れに乗って前へ行く。
こういうの、いつもなら嫌いじゃない。
でも今日は、胸の奥に小さい石が入ってるみたいに、重い。
前のほうに、久住くんがいた。
窓際の席の人なのに、今は普通に黒板の前にいる。
別に目立つ動きをしてるわけじゃないのに、そこだけ空気が少し静かに見える。
久住くん、こういうときも普通にいるんだよね……。
ノリが悪いわけじゃないし、ふつうに男の子同士で話してる時もある。陽太とかね。
あたしは、見ないって決めたのに、見てしまう。
そして、心臓が勝手に忙しい。
「はい、詰めて詰めてー! 後ろもっと入れるよ!」
係の子が手を振る。
みんなが肩を寄せ合いはじめたとき、半歩遅れる子がいた。
花音ちゃん。
いつも静かで、笑うときは笑うけど、声は小さめ。
今も、黒板の前まで来てるのに、最後の一歩が出ない。
「花音ちゃんもおいでおいでー」
「端でもいいじゃん!」
軽い声が飛ぶ。
花音ちゃんは、小さく首を振った。
「……ごめん。今日は、やめとく」
その言い方は、すごく丁寧だった。
でも、そこにあるのは「恥ずかしい」じゃなくて、「イヤ」だった。
誰かが笑いながら言った。
「えー、いいじゃん、写真ぐらい」
「ほら、今日だけだし!」
花音ちゃんは、口元だけ笑ってみせる。
だけど、その笑いが硬い。
プラスチックのスプーンみたいな笑い。
「……私、写真写り悪いから」
「そんなことないって!」
女の子の誰かが、いつものノリで返す。
周りも「そうそう」って笑って、空気を軽くしようとする。
でも、花音ちゃんの目だけ、笑ってなかった。
そのとき。
前のほうから、低い声が落ちた。
怒鳴ってない。机も叩いてない。
なのに、教室の音が、ふっと切れた。
「やめてください。笑うことじゃないです」
久住くんだった。
笑い声が途中で止まる。
誰かが息を吸う音が、やけに大きい。
椅子のきしみが、ひとつ、ギギって鳴った。
……また、止まった。
空気が、止まる。
それが久住くんの特技みたいに見えてしまうのが、ちょっと怖い。
そして、あたしの心臓が、また勝手に跳ねる。
クリスマス係の子が、あわてて笑ってみせた。
「あ、えっと……じゃあさ、写れる人だけで! ね!」
切り替えようとする声。
いつもの明るい声。
でも、止まった空気は、すぐには戻らない。
花音ちゃんは、少しだけ目を伏せた。
それから、急に顔を上げた。
「私、写真撮るよ!」
声は大きくないのに、はっきりしてた。
さっきまでの硬い笑いじゃなくて、ちゃんとした声。
「え、助かる!」
「お願い、花音ちゃん!」
係の子がスマホを渡す。
花音ちゃんは受け取って、黒板から少し離れて構える。
写真を撮る側に回っただけで、花音ちゃんの肩がちょっと楽になったのが、わかった。
あたしはそれを見て、胸の奥の石が少しだけ転がった気がした。
「じゃあ、いくよー! はい、チーズ!」
写る派だけが、黒板の前で笑う。
写らない派は、写さない。
それでいい。
シャッター音が鳴った瞬間、空気がようやく動き出した。
あたしは、笑ってるフリをしながら、久住くんの横顔を見た。
久住くんは、もう何事もなかったみたいに、少しだけ視線を下げていた。
……あたし以外のことでも、止めるんだ。
わかってたはずなのに、胸がざわつく。
あたしはそのざわつきを、鈴の音みたいにごまかして、また笑った。
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+
写真を撮り終わったあと、教室はまた、いつものざわざわに戻った。
笑い声も、椅子の音も、モールのきらきらも。
なのに、あたしの中だけ、ひとつだけ音が消えない。
さっきの、久住くんの声。
「やめてください。笑うことじゃないです」
花音ちゃんの硬い笑い。
止まった空気。
そして、花音ちゃんが「撮る側」を選んだ瞬間の、あの軽さ。
あたしの誤爆でも、陽太の噂でも、今日の写真でも。
久住くんは、誰かが困ってる顔をしてると、線を引く。
それが、やさしい。
それが、かっこいい。
それが、ずるい。
ずるい。もっと好きになっちゃう。
心臓だけが、勝手に跳ねて、勝手に決めて、勝手に疲れていく。
あたしは、サンタの鈴よりうるさい自分の鼓動に、こっそりため息をついた。
久住くんのほうを見ると、もう普通にしてる。
プリントの角をそろえるみたいな、いつもの静けさ。
あたしだけが、勝手にぐちゃぐちゃ。
このまま近づいたら、どうなるんだろう。
お礼を言いたいだけなのに。
目が合っただけで息が変になるのに。
もし話しかけたら、あたし、ちゃんと立っていられる?
……もう近づかないほうがいい?
逃げたいわけじゃない。
でも、近づいたら、あたしがあたしじゃなくなっちゃう気がする。
声も、顔も、ぜんぶ変なやつに乗っ取られそう。
あたしは、リボンの端をぎゅっと握って、心の中で結論を出した。
なるべく、近づかない。
……その方が、まだマシ。たぶん。
更衣室で制服から着替えてきて。
教室に入った瞬間、目が痛かった。
黒板が、なんか……すごいことになってる。
クリスマス仕様のチョークアート。ツリーがでかい。雪だるまが妙にうまい。サンタの顔が、ちょっと先生に似てて怖い。
「やば。黒板、才能の暴力じゃん」
あたしが言うと、さやが胸を張った。
「でしょ。クリスマス係、全力だから」
そして、その“全力”は黒板だけじゃなかった。
教室のすみにはモール。机には小さな紙の星。窓には折り紙の雪。
そして人間のほうも、妙にキラキラしている。
サンタ帽の子。トナカイのカチューシャの子。
普通の制服の子。
そして――コスプレがっつり派。
がっつり派の代表は、もちろん、さや。
赤いケープに白いふわふわ。ほっぺにちょんって赤。
似合いすぎて、逆に腹立つ。
「……で、あかりは?」
さやが、にやっと笑う。
あたしは、スカートの端をつまんだ。
お前が望んだ姿がこれだがどうだ、と言わんばかりに。
赤いワンピースみたいなサンタ服。白いふち。胸元に小さい鈴。
そして、でかいリボン。プレゼントになった気分。
可愛い。
でも……今日のあたしのテンションとは、真逆。
正直、気乗りはしなかった。
でも、さやとクリスマス係の空気というか圧が、ふわふわしてるのに強情だった。
「ほら、着てきたじゃん! 偉い!」
「……着てこないとさやがふてくされるからね」
「それでもいい、可愛いは正義だからね!」
さやはあっけらかんと言って、あたしの肩を軽く叩いた。
その手が、あったかい。
だけどあたしは、笑うタイミングを一瞬だけ間違えて、変な笑い方になった。
久住くん、この格好どう思うかな?
そう思って、久住くんを見てみると、ぜんぜんこっちを見てなかった。
ちょっと悔しい。
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+
授業の合間のミニ企画は、わりと平和だった。
クリスマス係が用意した、短いクイズと、じゃんけんで小さいお菓子配り。
みんな、そこそこ笑って。
先生も「この教室、やたら赤いな」って言って笑ってた。
終わって、片づけムードになったとき。
誰かが言った。
「黒板、今日だけだし! 最後にみんなで写真撮ろ!」
「撮ろ撮ろ!」
「うわ、絶対映えるやつ!」
教室の空気が、いっせいに黒板前へ流れる。
ざざざ、って椅子が鳴って、机が少しずれて、誰かが「足ふんだ!」って笑う。
あたしも、流れに乗って前へ行く。
こういうの、いつもなら嫌いじゃない。
でも今日は、胸の奥に小さい石が入ってるみたいに、重い。
前のほうに、久住くんがいた。
窓際の席の人なのに、今は普通に黒板の前にいる。
別に目立つ動きをしてるわけじゃないのに、そこだけ空気が少し静かに見える。
久住くん、こういうときも普通にいるんだよね……。
ノリが悪いわけじゃないし、ふつうに男の子同士で話してる時もある。陽太とかね。
あたしは、見ないって決めたのに、見てしまう。
そして、心臓が勝手に忙しい。
「はい、詰めて詰めてー! 後ろもっと入れるよ!」
係の子が手を振る。
みんなが肩を寄せ合いはじめたとき、半歩遅れる子がいた。
花音ちゃん。
いつも静かで、笑うときは笑うけど、声は小さめ。
今も、黒板の前まで来てるのに、最後の一歩が出ない。
「花音ちゃんもおいでおいでー」
「端でもいいじゃん!」
軽い声が飛ぶ。
花音ちゃんは、小さく首を振った。
「……ごめん。今日は、やめとく」
その言い方は、すごく丁寧だった。
でも、そこにあるのは「恥ずかしい」じゃなくて、「イヤ」だった。
誰かが笑いながら言った。
「えー、いいじゃん、写真ぐらい」
「ほら、今日だけだし!」
花音ちゃんは、口元だけ笑ってみせる。
だけど、その笑いが硬い。
プラスチックのスプーンみたいな笑い。
「……私、写真写り悪いから」
「そんなことないって!」
女の子の誰かが、いつものノリで返す。
周りも「そうそう」って笑って、空気を軽くしようとする。
でも、花音ちゃんの目だけ、笑ってなかった。
そのとき。
前のほうから、低い声が落ちた。
怒鳴ってない。机も叩いてない。
なのに、教室の音が、ふっと切れた。
「やめてください。笑うことじゃないです」
久住くんだった。
笑い声が途中で止まる。
誰かが息を吸う音が、やけに大きい。
椅子のきしみが、ひとつ、ギギって鳴った。
……また、止まった。
空気が、止まる。
それが久住くんの特技みたいに見えてしまうのが、ちょっと怖い。
そして、あたしの心臓が、また勝手に跳ねる。
クリスマス係の子が、あわてて笑ってみせた。
「あ、えっと……じゃあさ、写れる人だけで! ね!」
切り替えようとする声。
いつもの明るい声。
でも、止まった空気は、すぐには戻らない。
花音ちゃんは、少しだけ目を伏せた。
それから、急に顔を上げた。
「私、写真撮るよ!」
声は大きくないのに、はっきりしてた。
さっきまでの硬い笑いじゃなくて、ちゃんとした声。
「え、助かる!」
「お願い、花音ちゃん!」
係の子がスマホを渡す。
花音ちゃんは受け取って、黒板から少し離れて構える。
写真を撮る側に回っただけで、花音ちゃんの肩がちょっと楽になったのが、わかった。
あたしはそれを見て、胸の奥の石が少しだけ転がった気がした。
「じゃあ、いくよー! はい、チーズ!」
写る派だけが、黒板の前で笑う。
写らない派は、写さない。
それでいい。
シャッター音が鳴った瞬間、空気がようやく動き出した。
あたしは、笑ってるフリをしながら、久住くんの横顔を見た。
久住くんは、もう何事もなかったみたいに、少しだけ視線を下げていた。
……あたし以外のことでも、止めるんだ。
わかってたはずなのに、胸がざわつく。
あたしはそのざわつきを、鈴の音みたいにごまかして、また笑った。
*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+
写真を撮り終わったあと、教室はまた、いつものざわざわに戻った。
笑い声も、椅子の音も、モールのきらきらも。
なのに、あたしの中だけ、ひとつだけ音が消えない。
さっきの、久住くんの声。
「やめてください。笑うことじゃないです」
花音ちゃんの硬い笑い。
止まった空気。
そして、花音ちゃんが「撮る側」を選んだ瞬間の、あの軽さ。
あたしの誤爆でも、陽太の噂でも、今日の写真でも。
久住くんは、誰かが困ってる顔をしてると、線を引く。
それが、やさしい。
それが、かっこいい。
それが、ずるい。
ずるい。もっと好きになっちゃう。
心臓だけが、勝手に跳ねて、勝手に決めて、勝手に疲れていく。
あたしは、サンタの鈴よりうるさい自分の鼓動に、こっそりため息をついた。
久住くんのほうを見ると、もう普通にしてる。
プリントの角をそろえるみたいな、いつもの静けさ。
あたしだけが、勝手にぐちゃぐちゃ。
このまま近づいたら、どうなるんだろう。
お礼を言いたいだけなのに。
目が合っただけで息が変になるのに。
もし話しかけたら、あたし、ちゃんと立っていられる?
……もう近づかないほうがいい?
逃げたいわけじゃない。
でも、近づいたら、あたしがあたしじゃなくなっちゃう気がする。
声も、顔も、ぜんぶ変なやつに乗っ取られそう。
あたしは、リボンの端をぎゅっと握って、心の中で結論を出した。
なるべく、近づかない。
……その方が、まだマシ。たぶん。
