日向野あかりは、親友に送るはずの恋をグルチャに誤爆した。

 廊下から教室に戻ると、あたしの前の席に、さやがいた。
 いつもみたいに、机にひじをついて、目だけこっちを見る。

 そして、開口一番。

「さっきのなにあれ。今日のあかり、挙動不審すぎ」

 言い方は笑ってる。
 でも、さやの目が、ちょっとだけ鋭い。

「え? べつにキョドってないし。ふつうだし、ふつう」

 あたしは笑った。
 たぶん、笑えてない笑い。

 さやは一回だけ、あたしの顔をじっと見た。
 そのまま、声のトーンを落とす。

「……ねえ、ほんとに大丈夫? 無理してない?」

 その優しさが、逆に痛い。
 だいじょうぶって言えばいいのに、あたしの口はいつも変な方向に逃げる。

「だいじょうぶだって。ほら、あたしって元気のかたまりじゃん」

 へらへら。
 へらへらへら。
 自分でも、笑いが乾いてるのがわかる。

 さやの眉が、ほんの少し動いた。
 それから、ため息みたいに言った。

「……ほんとに久住(くずみ)が好きなの?」

 え。
 その名前、今ここで出すの、反則。教室の真ん中で。

「ちがうって! そんなんじゃないし!」

 声がひっくり返った。
 自分でもびっくりした。教室の空気まで一瞬止まった気がする。

 さやは、笑ってごまかすあたしを見て、口をとがらせた。
 今にも泣きそうな目で、見上げて言う。

「……似合わないよ、あかりには」

 ふてくされた声。
 正しいことを言いたいんじゃなくて、悔しいって気持ちを隠せていないような声。

 あたしは、なぜかすぐ反論できなかった。
「似合う似合わない」って何。
 じゃあ、あたしには何が似合うの。

 言いたいのに、言えない。
 かわりに出たのは、またあれ。

「……あはは」

 最悪。
 あたしのへらへら、今日ずっと働きすぎ。

 さやは、感情を隠さずに言う。

「ふーん」

 それだけ。
 いつもより短くて、冷たい。
 たった一ミリなのに、距離ができたってわかる。

 言えないの、ももには言えるのに。

 ももには、画面の向こうだから言える。
 スタンプでごまかしても笑ってくれるし、言葉がつっかえても待ってくれる。

 でも、さやは目の前にいる。
 あたしの顔も、声も、ぜんぶ見える。
 しかも、久住くんと同じ空間にいる。

 だからって、親友に言えないって、良いことではないよね。

 あたしは机に手を置いて、指先だけぎゅっと握った。
 そのまま、さやのほうを見られなかった。

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 家に帰った瞬間、あたしはカバンを床に落とした。
 ドサッ、って音がして、やっと「今日が終わった」って実感する。

 部屋の電気をつけて、ベッドに倒れこむ。制服のまま。
 天井が白い。白すぎて、逆にムカつく。

 やばい。脳みそが、ずっと教室に居残りしてる。

 スマホを手に取る。
 通知は静か。静かすぎて、逆に怖い。
 そのまま、あたしは迷わず連絡先を押した。

 プルル。
 プルル。

『もしもし? ……おお、なんかあったか』

 ももの声。
 それだけで、肩の力がふっと抜ける。

「……死にそう」

 言った瞬間、自分でちょっと笑った。
 死にそうって、便利な言葉だ。ほんとは死なないけど、今の気持ちにはちょうどいい。

『はいはい。死にそうな人、説明どうぞ』

 ももは、あっさりしてる。
 そのあっさりが、今は救命具みたい。

「あのさ……ここ数日、いろいろあってさ」

 あたしは、ベッドの上で体を丸める。
 スマホを耳に押しつけて、最近の一連のことを、短く並べた。
 誤爆。推理合戦。止めた久住くん。陽太のこと。さやのこと。

「でね」

 言葉がつまる。
 でも、ももには言えた。目の前じゃないから。声が震えても、顔が赤くても、見えないから。

「久住くんの前だと、声が出ない」

『うん』

「助けられると、近づけなくなる。なんか……逃げたくなる」

『ふむふむ』

「クラスのみんなからの目が、しんどい。笑われてる気がして。勝手に心臓が忙しい」

『心臓だけブラック企業に就職してんだ』

「そう、それ! 心臓、働きすぎ」

 あたしは少しだけ笑って、すぐ息を吐く。

「で、さやにも……うまく言えない。親友なのに。言えないのに、へらへらして、余計に変になる」

 電話の向こうで、ももがふっと鼻で笑った。

『つまり、恋でバグってるってことね』

「なんか、まとめ方雑じゃない?」

『そんなことないよ。喋れなくても、心臓のほうはめっちゃ叫んでるんでしょ』

「うるさい。なんでわかるの」

『わかるよ。あかりってそういうとこあるもん。元気なときも、元気の見せ方が全力すぎる』

 ももの言葉は軽いのに、ちゃんと当たる。
 当たるから、あんまり痛くない。

『それにさ』

 ももが、少しだけまじめな声になる。

『助けられると近づけないって、ぜいたくな悩みね』

「ぜいたくって言うな。あたしは真剣なんだぞ」

『知ってる知ってる。真剣だから笑えるんだよ。真剣って、たまに面白い方向に転ぶから』

 それ、あたしのことだ。
 今日ずっと、変な方向に転んでた。

 しばらく黙ると、ももが言った。

『さやちゃんのことはさ。たぶん、あかりのこと大好きなんだね』

「……それ、知ってるよ。知ってるのに、刺さる」

『うん。好きだから刺さるんだよ。親友って、近いぶん、痛いんだろうね』

 あたしは枕に顔をうずめた。
 声が少しこもる。

「どうしたらいいの」

 すると、ももはすぐ答えを出さなかった。
 一拍おいて、いつものテンポで言う。

『全部いっぺんに解決しなくていいんじゃない』

「……うん」

『今日できるのは、深呼吸と』

 ももが、言葉を選ぶみたいに、ゆっくり言う。

『自分の気持ちをごまかさないこと』

 その瞬間、胸の奥が、少しだけ静かになった。
 教室の音が、遠のく。

 あたしは息を吸って、吐いた。
 ほんとに、深呼吸してみた。
 びっくりするくらい、ちゃんと空気が入った。

「……もも」

『なに』

「今、深呼吸したら、生き返った」

『よかったね。じゃあ明日は半死くらいで行けるよ』

「それ、回復してないじゃん」

『半死はね、がんばってる証拠。あかり、今日はよく耐えた。えらい』

 ももが笑う。
 あたしも、笑う。今度は、ちょっとだけ本物。

 通話を切ったあと、スマホを胸に乗せて、天井を見る。
 まだ白い。白すぎるのは変わらない。

 でも、さっきよりはマシだった。

 ごまかさない。

 その言葉を、小さく心の中で繰り返す。
 明日、また声が迷子になっても。
 せめて、自分の気持ちだけは、置いていかないように。