日向野あかりは、親友に送るはずの恋をグルチャに誤爆した。

 陽太が、笑みを浮かべながら待ってる。
 いつもの軽い顔を作ってるのに、目の奥だけは真剣で、逃げられない。

 あたしは、息を吸った。白い息が出た。
 そのまま、勢いで声も発する。

「……ごめん」

 言えた。まず、それがえらい。自分で自分をほめたい。

「今、そういうの……考えられなくて」

 言いながら、胸の中で小声でつっこむ。
 考えられない、は嘘。
 むしろ考えすぎて、頭がこんがらがってる。糸が絡まってほどけない感じ。

 でも、それを全部言ったら、もっとややこしくなる。
 だから。

「陽太のことは大事な友達だよ」

 陽太の眉が、ほんの少し動いた。笑いが止まりかける。
 あたしは、急いで続ける。ここでごまかしたら、いちばんだめ。

「だからこそ、曖昧にしたくない」

 言い切ったら、風が一段冷たくなった気がした。
 遠くに聞こえていた部活の声が、またふつうの距離に戻る。

 陽太は口を開いて、なにかを言おうとして、閉じる。
 コートからつき出された手が、ぎゅっと握られてるのが見えた。
 あたしはそれを見て、胸の奥がきゅっとなる。

 ごめん。
 ごめん、って言ったのに、もう一回言いたくなる。

 でも、もう曖昧にはしない。
 それだけは、決めた。

 陽太は、しばらく動かなかった。
 握られていた手が、開かれているのが見える。
 それから、陽太は息を吐いた。白い息が、ゆっくり消える。

「……そっか」

 短い。
 短いのに、ちゃんと重い。

 陽太は一拍置いて、口の端だけで笑った。
 笑った、というより「笑う形を作った」って感じ。

「ありがとな、ちゃんと言ってくれて」

 その言い方が、ずるい。
 やさしいのが、ずるい。
 あたし、今の一言で、もう一回「ごめん」って言いたくなる。

 でも、言わなかった。
 言ったら、陽太がもっとがんばって笑う気がしたから。

 陽太は、もう一回だけ笑おうとして、途中であきらめたみたいに目をそらした。
 そして、体の向きを変える。

 走っていかない。
 ただ、少しだけ早い歩き方で、体育館の角の向こうへ行く。

 背中が、いつもより小さく見えた。
 あたしは、その背中を見ながら、胸の奥がじわっと痛くなる。

 ごめん……って言いたいのに。

 それより先に、分かってしまった。

 あたし、久住(くずみ)くんが好きなんだ。こんなに。

 口に出してないのに、頭の中で言っただけで、心臓が「はい」って返事をした。
 どきどき、痛いぐらい。
 最低だ。こんな形で自覚して。
 でも、たぶん、これが本当だ。

 風がまた吹いて、ほっぺが冷たくなる。
 息を吸ったら、のどの奥が少しだけ痛い。

 あたしはその場に立ったまま、スマホを握り直した。
 画面は真っ暗。
 なのに、見えない通知みたいに、さっきの言葉が何度も点滅する。

 ――久住くんが好き。

 言えたわけじゃない。
 なのに、もう戻れない感じだけが、はっきり残っていた。

*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+*+

 家に帰ったら、世界が急に静かになった。

 さっきまで、体育館裏の風とか、遠くの掛け声とか、コンクリの冷たさとか。そういう“音”のあるものに囲まれてたのに。
 いまは、玄関の「ただいま」も、リビングのテレビの音も、ぜんぶ遠い。

 自分の部屋に入って、制服のままベッドに倒れこむ。
 ばふ、って音がして、あたしの体だけが帰宅を認めた。

 スマホを机の上に置いてみる。
 ……置いても、心臓は机に置けない。便利じゃない。

 画面は静か。
 通知もない。
 さっきまでの世界が嘘みたい。

 ――陽太、今どんな顔してるんだろ。
 ――さや、明日ぜったい何か聞いてくる。
 ――クラスの男子、また「推理」ってふざけるんだ。
 ――久住くんは、いつも通りなんだろうな。

 考えるのは勝手に始まる。止めるボタンがない。
 頭って、アプリの終了できないタイプなんだっけ。

 そのとき。

 ぶるっ。

 スマホが、机の上で小さく震えた。
 音じゃなくて、気配だけで来たってわかるやつ。

 画面をひらく。
 送信者は――森田陽太。

 短いメッセージが、ひとつだけ。

『明日、普通にするから』

 ……普通。
 その二文字が、やさしいのに、なぜか怖い。

 たぶん、陽太は「大丈夫だよ」って言いたいんだ。
 たぶん、あたしを困らせないようにしてくれてる。

 わかる。わかるよ。

 でも。

 あたしは、ベッドの上でスマホを握ったまま、天井に目を向けた。
 天井は今日も白い。ぜんぜん助けてくれない。

 ……それが一番、むずいんだよ。

 声に出さない。出したら、泣きそうだったから。
 泣くほどじゃないのに、泣きそうって、いちばん困る。

 “普通”って、いちばん難しい。

 普通に笑う。
 普通に目を合わせる。
 普通に「おはよう」って言う。
 普通に、何もなかったみたいに。

 ……それ、どこのスーパーマンの能力?

 スマホの画面は明るいままなのに、部屋はどんどん暗くなっていく気がした。
 あたしは、返信の欄を開いて、指を止めた。

「うん」も、「ありがとう」も、「ごめん」も、うまく入らない。

 結局、送らないまま、画面を閉じた。

 明日。
 明日って言葉が、今日はやけに重い。

 でも、時間は止まらない。
 スマホみたいにスリープして誤魔化せない。

 あたしは息を吸って、ゆっくり吐いた。
 白い息は出ない。家の中はあったかい。
 なのに胸の奥だけ、ずっと冬だった。