桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

「よろしく。アリス」
チェシャ猫の口元が微笑んで、少しだけ安心する。やっぱり怖い人じゃない。
「うん。よろしくね。チェシャ猫」
 差し出された手を握り握手を交わす。チェシャ猫は優しく手を握ってくれた。すると、私の感覚が何かを訴えてくる。この手の体温が酷く懐かしい、と。でも、分からない。思い出せない。
「なんだい?」
 耳に届く懐かしさを含んだ優しい声も。初めて会ったはずなのに。
「ううん。何でもないよ」 
 知っている。でもきっと、ただの気のせい。懐かしさを感じるのも、そして、先程から感じる女王様の殺気も。
「チェシャ猫! さっさとアリスの手を離しなさい!」
 女王様の顔が鬼のような顔つきに変化し、ヒステリックに叫んだ。
「握手していただけだよ、女王」 
 女王様に睨まれたチェシャ猫は、肩を上げて仕方ないと言うような仕草を見せると、私の手を離した。
「女王は短気だね」
 また後で、と小さく呟くと、チェシャ猫は瞬きの一瞬、謁見の間から姿を消した。女王様の殺気が少しだけ薄まったので、ほっと胸を撫で下ろす。もう、過保護だなぁ。
「アリス」
 ゆっくりと動いた赤い唇。沈黙を破ったのは意外な言葉だった。 
「お誕生日おめでとう」
 ぽかんとすると、今日は私の城にきてからの日から数えた、十四回目の年。一ヶ月前まではパーティーで踊るダンスの練習に明け暮れるくらい楽しみにしていたのに、一休憩にと数日のんびりしていたら、すっかり忘れていた。
「あんた、今日自分が誕生日だって忘れていたでしょう?」
 女王様が自慢気な顔をしてにやりとさせる。
 む、何か悔しい。
「そ、そんなことないよ! 覚えていた、もん」
 意地を張って見せると、女王様はふっ、と笑った。
「意地っ張り。嘘つきは牢屋にぶちこむわよ」
「うう!」
「このあたしに嘘つくなんて百年早いのよ。全く、何年一緒に生活していると思っているのよ」
 そう。女王様は私を拾ってからというもの、不器用ながらも私の面倒を見てくれた。女王様にとって子育ては初めてで、ほとんど城のメイドさんがお世話してくれたのだけれど。
 私が小さい頃は頻繁に部屋を覗きに来て、公務があったとしても、私を側に置いて見ていてくれた。だから私の嘘なんて、すぐに見破れる。分かっていても悔しいから意地をはっちゃうけど。
「ふん。分かったなら、さっさと着替えて準備しなさい。パーティー開演は十八時からよ」
 照れながらも女王様はそう言った。
「うん! じゃあまた後でね」
 歩き慣れた城の廊下を再び歩く。歩いて、嬉しさと反面、不安が胸に渦巻き始める。
 アリスの使命。
 どうして私なんだろう。何で私が選ばれたんだろう。 
 私の名前がアリスだから? 
 ウサギを選ぶってどうすればいいの?
 私はただ時計を止めるだけ?
 この世界の為に消えていくウサギの気持ちは――? 
「アリス。前、危ないよ」 
 気が付くと目の前に柱があった。ぶつからないように、誰かが私の肩を掴んでくれている。
「考えすぎも良くないよ」
 肩に置かれていた手が退き振り返ると、フードを被ったチェシャ猫がいた。
「アリスは危なっかしいね。目が離せない」
 かぁっ、と顔が熱くなる。女王様や城の兵士達にならともかく、今日初めて会ったばかりのチェシャ猫に恥ずかしい所を見られてしまった。
「えっと、これはその」 
「分かっているよ。君が悩むのも無理ない。戸惑っているんだよね?」
 でも、とチェシャ猫が付け加えた。
 チェシャ猫は私の気持ちに気付いている。
「今は無理して考える事ないよ。今日は君の誕生日なんだからね」
 さっきの話を聞いていたのか、チェシャ猫が私の頭を撫でる。たしかにチェシャ猫の言う通り今日は私の誕生日。 
「ありがとう。楽しまなくちゃ損だよね!」
 チェシャ猫はうん、そうだね。と言って笑った。勿論見えたのは口元だけだけど。
「じゃあ、気を付けて部屋に戻るんだよ」
「だ、大丈夫だよ! あっ、チェシャ猫もパーティーに来てね!」
 手を降って、赤と白の廊下を駆ける。角を曲がる瞬間、飾ってある鎧の隙間からチェシャ猫の立っていた場所を見ると、やっぱり姿は消えていた。
 突然現れたり、消えたりする、口元だけが笑みをたたえた顔の見えない不思議な猫。優しい声や手が、どこか懐かしく感じさせる不思議な青年。その不思議な猫は、私に先程までの気持ちが嘘みたいに、ワクワクした気持ちを戻してくれた。
 ドレスは何を着ようかな? 
 ご馳走は何がでるんだろう? 
 アリスの使命も大事だけれど、せっかくの自分の誕生日。女王様がパーティーを開いてくれる。今だけは、楽しまなくちゃ。