桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

 城を離れるあの時から、私は泣いてばっかり。本当はきっと、泣かないで城を旅立つべきだった。女王様が、リズが余計な心配をしないように、笑顔で行かなければならなかったのに。女王様やリズに心配をかけるばかりか、チェシャ猫や、今は眠りネズミに迷惑をかけている。困らせたくないのに。
 初めて会ったチェシャ猫、黒ウサギ、帽子屋や眠りネズミ、仕立て屋に夢魔。まだ出会ったばかり。初めて会ったのにこの人達が大切で。だけど不思議と懐かしさまでも感じるほどに愛しい。
「泣くな。アリス」
「う、ん。ごめんなさい」
 私をなだめる眠りネズミの声は、私の耳に優しく響いた。
 愛しいのは皆が優しいから?
 懐かしさを感じるのはその優しさが誰かのものに似ているから?
「謝るな。別にアリスが悪いわけじゃねぇ。これは呪いだからな」
「でも」
 悲しい。胸が張り裂けそうなくらいに。夢魔の時もそうだった。理不尽な呪いに悲しくなる。私の呪いはウサギを追いかけること。眠りネズミや夢魔のような呪いじゃない。どうして皆がこんなに辛い思いをしなければならないんだろう。 
「笑え、アリス」
「え?」
「アリスが笑顔でいれば呪いなんて苦しくもなんともねぇよ。誰かの呪いを気にして泣くな。どんな女も、笑顔が一番だ」
「笑う、こと。それだけで、いいの?」
「あぁ」
「眠りネズミの言う通りだよ。君が笑っているなら、僕らは嬉しいんだ」
「そーいうー事」
 チェシャ猫と仕立て屋もそう言って笑った。
「別に辛い時まで笑えって言ってんじゃねぇけどな。泣きたい時はとことん泣け。とにかく呪いの事は気にすんな。アリスは自分の使命を果たせ。さ、ちょうど迎えと一緒に知らせがきたみたいだぜ」
「え?」
 振り向くと、見慣れたシルクハットを被った人物が部屋に入ってくるところだった。
「帽子屋!」
「アリス、朝ぶりだな」
 ゆっくりと歩く帽子屋は何だか眠そうにしている。今まで寝ていたのだろうか。
「仕事は終わったのかい? 帽子屋」
「あぁ。ついさっきな。馬車の中で寝ていたら夢魔から眠りネズミの迎えを頼まれたんだ」
 夢魔が、帽子屋に?
 そういえば夢魔は人の夢の中に入れるんだよね。
「夢魔は夢に入るだけじゃなく、夢を見ている人物と会話出来るんだよ」
 私の考えを読んだかのように、チェシャ猫が横から説明をしてくれた。たまに思うんだけど、チェシャ猫って何で私の考えが読めるんだろう。
 そんなに私分かりやすいのかな?
 思考がぐるぐると回りながらも、微かに聞こえる声の方に目をやると、今朝眠りネズミが放ったネズミが何か必死に訴えていた。
「アリス、白ウサギを発見したぜ」
「白ウサギが、見つかった?」
 眠りネズミの一言で身体中に緊張が走った。
 追いかけ、なくちゃ。
「行くのか?」
 帽子屋の藍色の瞳が不安げに私を捉える。
「うん」
「そうか。なら雲行きが怪しい。もうすぐ雨が降るから深追いはしないようにな」
「ありがとう。帽子屋、眠りネズミ、それに仕立て屋も」 
「気をつけろよ」
 頭の中で、急げ、急げと誰かが囁く。
「チェシャ猫、ウサギを追いかけなくちゃ」
「うん。外に出よう」 
 チェシャ猫とドアの方向に向かって歩く。
 急げ、急げ
「アリス、帽子屋邸で、待っている」
 帽子屋の声が、遠くに聞こえた。 
 急げ、急げ。
 鏡の中にいた時の、胸がモヤモヤする感覚が、戻ってきた気がした。
 急げ、世界が崩壊する前に。
 ――お前に世界の崩壊は止められない――
 魔女の声が再び耳に響いてくる。
 何度も何度もリピートされる。瞳の奥で魔女が笑った残像が映っている。
 追いかけて、ウサギを、時計を止めるの。
「アリス……」
 チェシャ猫の不安げな声が聞こえたような気がしたけど、それは頭の中の声に掻き消された。
 急げ、急げ。
 抗えない胸の不安が、心の中を侵食している。それはまるで夜の闇に溶け込むように、ゆっくりと落ちていく。


「アリスに何があったんだ? 白ウサギの名を聞いた途端」
 アリスが部屋を出た後。帽子屋は何かを思い出したように、辛い表情を浮かべ呟いた。 
「まるであれは……」
 あれはそう、狂気に取り付かれたかのよう。 
 アイツの、様に。