桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

 倒れそうになった眠りネズミの体を、チェシャ猫が駆け寄り支える。同じく駆け寄って揺さぶっても目は閉じたままだ。怖い想像をしてしまって、汗が滲んでくる。
 もし、帽子屋のように狂ってしまったら。もし、このまま目を覚まさなかったら。
「眠りネズミ! 目を覚まして!」
「大丈夫だよ。眠りネズミは寝ているだけだから」
 微かに聞こえる息。規則正しく呼吸をしているみたいだ。
「本当? 呪いで狂ったりしない? 死んじゃったりしない?」
「起きているのに限界がきたんだろー。たく、とりあえず店の奥に連れていこうぜ」
「心配するような事はないよ。さ、奥に行こう」 
 眠りネズミの腕を肩に回し、チェシャ猫は店の奥へと歩きだした。チェシャ猫の隣を歩きながら、寝ている眠りネズミの顔を見てみる。寝ているだけ、と言っていたけど、少しだけ顔色が悪い気がした。
 もしかして私、眠りネズミに無理をさせていた?
 仕立て屋に案内されて店の奥へと進む。店の奥にあった扉を開けると、生活感の漂った部屋があった。床に散らばった生地。服を作るのに必要なんだろう。それにしても……
「汚い」
 私の横で、今度はチェシャ猫が代弁するように呟いた。
「うるせーなぁ。仕方ねぇじゃん。オイラだって忙しいんだよ」
 そう言いながら仕立て屋は床に散らばった生地を部屋の隅へと集めた。片付け方も汚い。とりあえずは綺麗になったものの、部屋の隅には先程まで散らばっていた生地が山積みになっている。
「ここのソファーに寝かせるよ」
 チェシャ猫がソファーに眠りネズミを寝かせた。私は仕立て屋から渡された毛布を眠りネズミの体にかける。やっぱり少しだけ顔色が悪い。
「アリス……」
「眠りネズミ?」
 眉間に寄ったシワ。少し苦しそうに見える。 
「嫌な夢でも見ているの?」
「いく、な……」
 眠りネズミの苦しそうな、悲しそうな声。
「私は此処にいるよ」
 眠りネズミの手をぎゅっと握る。
 冷たい。店に入る時に握ってくれた時よりも、今の眠りネズミの手は冷たく感じた。
「寝ているだけで、こんな苦しそうなんて」
「呪いだよ。アリス」
 不意にチェシャ猫の声が頭上で聞こえた。
「の、ろい?」
 少し顔を上げるとソファーに手をかけ、真剣な顔をしたチェシャ猫がいた。
「眠りネズミは暗黒の魔女の呪いで、夢を悪夢に支配されている。強制的に訪れる睡魔と悪夢に、彼は抗うことが出来ないんだ」
 店に入る前から様子がおかしかった。前兆だったのかもしれない。もっと早くから、気付くべきだったのに。
「アーリスっ!」
「わっ!」
 突然頭をくしゃくしゃと撫でられ、思わず涙が引っ込む。
「んな泣きそうな顔すんなよっ」
「わわわっ!し、仕立て屋っ!」
「アリスは悪くねーの。悪いのは呪いの事を黙って勝手に無理した眠りネズミだぜっ!」
 仕立て屋はイタズラっぽい笑顔を私に向けて、いまだに私の頭を乱暴に撫でている。
「仕立て屋! 髪が、ぐしゃぐしゃ」
「へへっ。俺様ネズミの心配ばっかしてっからだよ! あんま考え込むと脳ミソ爆発するぜ!」
「もう! 脳ミソが爆発する前にすでに髪が爆発寸前だよ!」
「そうだよ、アリス。ドブネズミには良い機会だよ。全く、人に迷惑をかけるなって言っておいて、自分の管理が出来てないじゃないか。暫く寝込めばいいさ」
「酷い言われようだけど、眠りネズミ、大丈夫だよね?」
 仕立て屋の手が止まり頭をポンポン、と叩かれた。見上げた先にいるチェシャ猫と目が合う。
「大丈夫だよ」
 いつものようにチェシャ猫が優しく笑った。