桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

「さっき、僕が最後のクッキーを渡したじゃん」
 夢魔が空っぽになったクッキーのバケットを持って、ふらふらと動かす。その意味が分かって、顔が熱くなってくる。
 「お茶もクッキーも出さないけど、お茶会をお一人でどうぞ」って意味で誘ってしまったということ?
「スペードのエース! 違うの、そういう意味じゃなくって」
「いや、承知している」
 努めて冷静に言われてしまい、安堵したもののますます居たたまれなくなってくる。穴があったら入りたい。どうしてこんな時に、ウサギの穴は現れてくれないの。
 わたわたとする私の視界に、オレンジ色の耳が通りすぎる。弛んだ空気が一気に張りつめて、対峙した二人を見て誰もが凍りついた。
「三月ウサギ」
 無表情で純粋な瞳が、スペードのエースをじっと見つめる。あと一歩進めばぶつかる距離から見つめられたスペードのエースは、眉間の皺を一層深くさせた。
 一瞬、三月ウサギが斬られた時のことが頭を過る。地面に広がる赤。荒い息遣い。血の臭い。思わず三月ウサギの身体に傷がないか探してしまった。少しでも、焦ってしまった自分を振り切るように拳を握る。
 大丈夫。もう、誰かの血が流れたりすることはない。
「お前も、隈、ある。オレと、おそろい」
 三月ウサギが、瞳をパチクリとさせる。スペードのエースは、自分に隈があることに気付いてなかったのか、三月ウサギの発言が予想外だったのか、驚きで眉の皺がなくなっていく。
「シゴト、お前、真面目過ぎ。狂っているの、オレと、同じ」
「自身の性格が真面目なのは把握しているが、狂うほど真面目ではない。仕事も適度に休んでいる」
 じっ、と三月ウサギがスペードのエースを見つめる。それはもう、穴が空くくらいに。あまりに黙って見つめれ、スペードのエースは居心地が悪そうに視線を一、二度さ迷わせた。
 今すぐ飛び付けそうなくらい、前のめりに身体を出す眠りネズミを、帽子屋が押さえていて、この沈黙に耐えかねるというその時。
「オレと同じは、キョウダイ、だ」
 三月ウサギが、はっきりと言葉を紡ぐ。細身で儚げな声がこの場の全員に聞こえるような音量で放たれた言葉は、スペードのエースを責めるような言葉じゃなくて。私達はほっと息を吐いた。
「キョウダイ、とは」
「キョウダイは、キョウダイ」
「隈は誰にでも出来るものだ。私達の間に血の繋がりはないのは明確。くだけた場面でも関係でもない。キョウダイと言うには些か足りない繋がりが多いと思うのだが」
 「うわっ、かたっ」という仕立て屋の呟きが聞こえ、「三月ウサギに真面目と言わしめるなんて確かに狂気」「ストレスやばそう」と、各々が呟き始める。スペードのエースに聞こえているよ。
「なら、トモダチ」
「友達」
 三月ウサギは細い腕でスペードのエースの手を掴むと、その上に何かのせる。三月ウサギの手が離れると、スペードのエースの掌にクッキーがあるのが見えた。
「それは、三月ウサギ用に作ったニンジンクッキー!」
 眠りネズミを止めていたはずの帽子屋がいつの間にか三月ウサギの近くにいて、クッキーに驚きの視線を送る。
「なんだと! 俺にもくれないニンジンクッキーを、他人にあげた?」
 帽子屋の後ろに続いてやってきた眠りネズミも、驚愕し、帽子屋と顔を見合わせる。どうやらニンジンクッキーは、家族である二人にさえ分けない、三月ウサギにとって大好きなものみたいだ。
「スペードのエースの謝罪に対して、三月ウサギの返答は「友達になろう」みたいだね。ひとまず、事の本人が恨んでないみたいだし、ここは一度落ち着いたらどうだい?」