桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

 来客の姿を見て、紅茶で温めたはずの胸のあたりがすっと冷えていく。眠りネズミの威嚇はもっともで、スペード兵が不思議の国の住民と直接関わることはほとんどない。あるとしたら、国を乱すものの捕獲や、断罪だ。
「要件は二つある。一つは、謝罪だ。三月ウサギへの暴挙を謝りたい。すまなかった」
 スペードのエースが、腰を折って深々と頭を下げる。思ってもみなかったスペードのエースの謝罪に、誰もが目を丸くする。
 ふと、きっちりと揃えられた手が目に入り、腰にあるはずのものがないことに気づく。
 スペードのトランプ兵が絶対持っている、剣。ジャックさんから聞いた話だと、スペード兵は従事する仕事上、恨みを買いやすく、決して武器を手放さないのだという。剣を持たないことが、スペードのエースにとってどれ程の決断なのかを知ることはできないけれど、それはきっと覚悟であり、最大の誠意。
 決して傷付けないという表明であり、殺される覚悟。
 きっと、昔のままの私なら、怒りで周囲がみえず、剣がないことに気付けなかったかもしれない。もし現実に帰ってユウリのことがなければ、レオナルド警官に出会わなければ、私はきっと、スペードのエースの立場に立って考えていなかった。
 帽子屋は、冷やかとも温かとも言えない、ただただ静かにスペードのエースを見つめていた。その横顔は大人びていて冷静さを保っているけれど、瞳には憎しみの揺らぎがある。
 眠りネズミは今にも怒りを爆発させそうなのに、スペードのエースの謝罪が眠りネズミに迷いを与えている。三月ウサギ当人は、ニンジンケーキを頬張るのに夢中なようで、スペードのエースに関心を示していない。
「スペードのエース、私も貴方に謝りたい。ごめんなさい!」
「な!」
 スペードのエースが驚いて顔をあげたのを合図に、私も顔をあげる。
「気づいたの。スペードのエースも、理由もなしに人を斬ったりはしないはずだって。女王様の命令で、国の為に動いていたんだって。私がウサギの時計を止めなきゃいけなかったように、スペードのエースにも国を守る使命があったって」
 でも、だからって、人を傷付けていいという肯定にはならない。悔いているだろうスペードのエースはそれを分かっている。でもこの言葉の先に。傷付いた三月ウサギに、スペードのエースを許せなんて言えない。帽子屋や眠りネズミに、怒りをおさめてとは言えない。
 私もスペードのエースと同じ。自分の大切なモノを選んで行動した。スペードのエースは世界の為に三月ウサギを斬った。私は私の大切な人の為に世界を危険にさらした。
 私に誰かを責める権利も、許しを乞う権利もない。
 けれど、暗黒の魔女のような憎悪や呪いを生んではならないと思うから。
「その、だから、い、一緒にお茶でもどうかな!」
「は?」
 あれ。考えていたことと、言いたいこと、どこに言ってしまったのか、何で今お茶会なのか、自分自身が信じられなくなる。
 スペードのエースは面食らったようで、それでも思わず発してしまった声をしまったと言うように口を手で塞ぐ。
「クククク、アリス、っは、クク」
「ははは! アリス、煽りの才能あるんじゃねーの!」
「さすがの僕も、スペード兵にその手の嫌がらせをする勇気はないですねー」
「いや、お前ならやるだろ」
 眠りネズミは顔を片手で覆いって笑いをこらえ、仕立て屋は腹を抱えて笑っている。海ガメはグリフォンのツッコミに応えるかのように、グリフォンの顔を掴んで変形させていて。
「え、嫌がらせって? 私はただ、お互いを知って、少しずつ和解出来たらいいなって!」