桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

 立ち上がって、手を繋いで。心配して駆け寄ってくれただろうチェシャ猫の声が聞こえる鏡に向かって歩き出す。小さな歩幅に合わせようとゆっくり歩くけれど、夢魔は私に合わせようと早足でついてくる。
 鏡の前に立つと後ろから息を飲む音が聞こえて、繋いだ手が、強く握られた。
「大丈夫だよ、夢魔」
「怖くなんてないし。ねぇ、外に出たら遊んでくれるんでしょ? お茶会の約束も守ってよね」
「うん、沢山遊んで、お茶会もしよう」
 私と夢魔を写す鏡に触れる。夢魔と手を繋いでいても、指からするりと鏡を通り抜けていく。鏡は水面が波打つように揺れて、私と夢魔の姿が揺らぎに拐われていく。思いきって足を踏み入れて、鏡の外へと身体を放り投げた。
「出れ、た!」
「アリス! 夢魔!」
 太陽の眩しさに、目を開けられないでいると、誰かが前のめりに倒れそうになる私の身体を押さえてくれる。目が慣れてくると、チェシャ猫が心配そうに覗き混んでいて、ドキリと心臓が跳ねた。
「怪我はないかい?」
「ななな、ないよ!」
「なら良かった。元凶はお仕置きしておいたからね」
「えっ」
 チェシャ猫の後ろで、す巻きにされた仕立て屋が海ガメにいじめられているのが見えた。葉っぱで鼻を擽られ、首を擽られ、仕立て屋は涙目で悶えている。
「夢魔、鏡の外に出られたんだね」
 夢魔を見ると、まるで届かないのを確かめているみたいに、空を見上げて手を伸ばしていた。そして、辺りを見渡しはじめる。お茶会が開かれているテーブルを見つけると、私をチラリと見て。
「帽子屋のお茶会! 行こう、アリス! チェシャ猫も!」
 瞳の中に星があるみたいにキラキラと輝やせた夢魔に、私とチェシャ猫は引っ張られる。
 私とチェシャ猫は顔を見合わせて笑ってしまった。天の邪鬼な夢魔の無邪気な一面への微笑ましさと、夢魔の呪いが解けたことへの嬉しさと。
 頑張ったね、って言葉を出さなくてもチェシャ猫と通じあったことも嬉しくて顔をにやけさせていると、グリフォンからお玉でつつかれてしまった。
 席について、皆で食べたクッキーが飛びきり美味しくて、楽しくて。たまに険悪になるチェシャ猫と眠りネズミ。それを宥める帽子屋。見ている方が胃もたれをしそうなくらい、ニンジンケーキを狂ったように食べる三月ウサギ。海ガメの挑発を発端とする海ガメとグリフォンの抗争。煩すぎるグリフォンにメアリーが笑顔の鉄槌をして、その横ではビルと仕立て屋のお菓子争奪戦。
「ほら、アリス。最後のクッキーあげるってば」
「えっ? これで最後?」
 夢魔が差し出してきたクッキーを受け取り、テーブルの上を見渡す。帽子屋の牽制が効いているのか、皆が騒いでいるのにテーブルの上はまったく荒れていない。当然溢れている紅茶などなく、お茶会がこれから始まると言うようにカップの位置は統率がとれている。始めと違うのは、紅茶は飲みほされ、クッキーは空っぽという点だ。
「そろそろ城に帰ったらどうだ? 首を長くしてアリスの帰りを待っている者がいるみたいだな。迎えも来たようだ」
「胸くそ悪い面を寄越しやがって」
 お茶会の終わりに寂しさを感じているところに、草木を踏む来客の足音が鳴る。眠りネズミと帽子屋の表情が、明らかな嫌悪を露にする。警戒するように席を立ち、来客の視線から三月ウサギを守ろうと前に立った。騒いでいた仕立て屋やグリフォンも、口をつぐんだせいで、お茶会はすっかり静かになってしまった。
「茶会の邪魔をするつもりはない。無論、三月ウサギを捕らえにきたわけでもない」
「なら、スペード兵が何しに来たんだよ」