桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

「寂しがっていても仕方ないですわね! 永遠の別れではないんですもの! チェシャお兄様、お待たせしましたわ!」
「お待たせ、チェシャ猫」
「それも僕の台詞だよ。迎えにきたよ。アリス」
 マルガレーテ夫人の館の、アネモネの庭で別れた以来のチェシャ猫。イーディスの手が導き終わったと言うように離れて、チェシャ猫の手をとる。もう一度チェシャ猫とこうして手を繋げたのが嬉しくて、思わず頬が緩む。きっと私は、この瞬間何度でも、旅のことやチェシャ猫への想いを思い出して嬉しくなるんだろうな。
「うっ、アリス」
 近くから嗚咽が聞こえ顔をあげると、ハリーお兄様が瞳をぐしょぐしょに濡らしていた。
「おいおい、まだ出発もしてないんだぜ」
「ハリーお兄様、わたくしのハンカチ使ってください」
 イーディスからハンカチを受けとると、荒々しく涙を拭き取る。いつもは紳士に振る舞うのに、ハリーお兄様は感情的になるとそれを忘れてしまうみたいだった。
「ぐすっ、みっともないところを見せたな、チェシャ君」
「いや、大丈夫だよ」
「こんなに早く、アリスが嫁にっ」
「嫁って。不思議の国の無事を確かめに帰るだけじゃないか」
 お嫁に、だなんて。ハリーお兄様、何だか勘違いをしているのかな?
「勘違いでもないけどね」
「えっ?」
 チェシャ猫を見上げると、口角が上がり、ニヤニヤともとれる「チェシャ猫」らしい表情をしている。それが少し妖艶で意味深で、思わず顔に熱が集まってくる。どう返答していいのか熱くなった頭では思い付かなくて、口から言葉にならない声が出る。恥ずかしい。
 呟かれた一言はハリーお兄様達には聞こえなかったようで、皆は今もまだハリーお兄様を慰めていた。
「あら、そろそろ三時だわ。暗くなるうちに移動しないといけないんじゃないかしら?」
「アリスぅ、うううっ」
「ひとまず、外に出なよ。多分待っていても泣き止まないよ、この人」
 ジェームズの言葉を合図に、ぞろぞろと玄関に向かう。チェシャ猫の手は繋がれたままで、家族の前では少し気恥ずかしい。
 気恥ずかしさが抜けないまま、私と同じくらいの背丈がある古い時計の前を過ぎ、玄関の扉を開ける。あの時計で下の妹や弟と、背丈比べをしたな、とかアンティークを感じさせる掘りの模様をよく見つめたな、とか、忘れていた思い出がよみがえる。
「行こうか」
「うん」
 チェシャ猫と目を合わせて、外に踏み出す。
「いってらっしゃい、アリス」
 誰かの言葉に続いて、沢山のいってらっしゃいが背中を押す。ロリーナお姉様には「私も泣いてしまうかもしれないから」と見送りは玄関までにしてもらった。ハリーお兄様は号泣してしまったけれど、振り向くわけにもいかない。私は器用じゃないし、振り向けば上手く前に歩くことは出来ないから。
 チェシャ猫に手をひかれ、玄関の階段を降りる。気になることはあるけれど、口にしてはいけないような、でも聞かなきゃいけないような。
「あの、チェシャ猫」
「ん? どうしたんだい?」
「不思議の国って、どうしたら帰れるのかな?」
 マルガレーテ夫人から出発日を指定され、帰り方はチェシャ猫が分かるからと言われ、この日を迎えた。一応事前に調べようとリティアを探したものの連絡はとれず、結局は帰り道を知らないままだ。
「大丈夫だよ。着いてきて」
「チェシャ猫、そっちは庭だよ」
 そう言いながら歩いていく先は門ではなく、庭。何だか、似たようなことが最近あったような。